人外の事情
「こやつは若い女子の腕に抱かれながら、何を言っておるのかのう」
九尾は半ば呆れた様子で海竜にジト目を向けた。
「何を言う!変な表現は止めろ!」
九尾の言葉は間違ってはいないのだが、海竜は尻尾を振り回して「訂正しろ!」と騒いでいる。
「それにしても、また人間の女に入れ込むとは……お前さんも本当に懲りん奴じゃのぅ」
「おヌシ!人の話を聞いているのか!止めろと言っておる!」
「お前さん、人ではなかろう」
「……屁理屈はいらんのだ」
「しかも、婿殿に嫉妬して……また鏡が出来るほど泣いたか」
「嫉妬などしてはおらん!だが……あんな泥だらけで、ずぶ濡れの男のどこが良いのか……」
「それが嫉妬でなくて何と呼ぶのじゃ、それに……ずぶ濡れはお前さんの所為じゃろが」
実菜と静加を放置し、人外の物が盛り上がっている。
「仲……良いのね」
「おヌシの目は節穴か?!」
「長い付き合いじゃからのぅ」
二人のやり取りが楽しそうに思えて……実際には楽しそうなのは九尾だけなのだが……実菜がそう言うと、二人が揃って好き勝手な返事を返した。
うん。まぁ……仲良しって事よね。
「えーと……もしかして、儀式で使った鏡は海竜様が昔好きだった人間の女性に失恋した時に流した涙で出来ているの?」
「ほら、みろ!完全に誤解されたではないか!」
「本当の事じゃろうが。それに、お前さんの身体の一部を与えておいて……これが、惚れ込んでいると言わず何という」
身体の一部……大剣の事だろうか。確か、昔々に何処かの村長に授けたとかいう。
「じゃあ、昔に大剣を授けた長というのは女性だったんですね」
「そうじゃ……正確には長の娘じゃかな。しかし、それがまた火種になってしもたんじゃ」
実菜は海竜に尋ねたのだが、何故か九尾が嬉々として答えた。
「この馬鹿者が中途半端に人間なんぞに関わるから……大剣の所有者は海竜を従えられる、と間違った解釈が伝わり、奪い合いの争いが絶えんようになったんじゃ」
小さくなっている海竜が、更に小さくなった様な感触が実菜の腕に伝わってきた。
「じゃから、私が……いつだったか……お前さんを信仰する事を止めさせ、人間の記憶からお前さんが消えるようにしたと言うのに……また同じ事を繰り返す気かぇ?」
そうか、九尾が何かして信仰を禁止させたのか……禁止された理由があやふやなのは、その辺が関係しているのかしら。
実菜が、シャーリンがいつか話してくれた海竜信仰のくだりを思い出していると、腕の中で海竜が身じろいだ。
「言わせておけば……おヌシこそ、それに便乗して国を支配して好き勝手やっておったではないか!」
「当たり前じゃ、私はお前さんの為だけに生きとる訳じゃないんじゃよ。好きにして何が悪いんじゃ」
ああ、また仲良しの喧嘩が始まっちゃうわ。
「九尾は……そんな好き勝手してたのに、何で今は大人しくしているの?ここ数十年のこの国の争いには関わっていないでしょ?……多分だけど」
それまで黙っていた静加が首を傾げながら九尾に問うと、九尾が目を丸くして静加を見つめた。老女の姿の時と違ってしっかりと目が開かれている。
静加は九尾を魔物って言ってたわ。国を支配していた事もあるらしいし、きっと怖い存在だったのよね。
だけど、今の九尾からは怖ろしい雰囲気は感じられないし、これは確かに不思議かもしれない。
九尾とは日本では妖怪として知られているが、実菜はその存在を知らなかった。
九尾は「ふむ」と思案するように口に手を当て暫し沈黙した。
「人間を惑わすのも、支配し操るのも面白かったが……余りにも愚かすぎてな……要は飽きたのだ」
九尾の話し方の雰囲気が変わった。こちらが素なのだろうか。
「能無しを操ったところで、人形遊びと変わらんからな。それに能無しの尻拭いをしなければならん事もある」
九尾は無表情で話していたが、ニヤリと笑った。
「だから、逆に人間に合わせてやる事にしたのだ」
だからただの人間の一人として生活していたと言うのだろうか。
九尾はきっと寿命が長いのよね。だけど、長い寿命で普通の生活をして面白いのかしら……いや、だからといって悪事をされても困るけど。
「それはそれで面白いぞ?人間は命が短い……故に必死で生きている……力も無いくせにな。その様が滑稽に思えてな。醜くて、可愛らしい……それを見ているのは……実に面白い」
醜くて……可愛い……の?それが面白いってどういう事?というか、私の心の声が聞こえてるの?!
魔物の価値観は分からない。その前に、心の声が聞こえてしまうなら下手な事が考えられない。と実菜は震えた。
「心の声は聞こえてないから安心しろ」
「聞こえてるじゃない?!」
「……顔に全部出ている」
実菜は海竜を抱いている事を忘れ、思わず慌てて両手で頬を覆った。突然、支えを失った海竜は当然滑り落ちたが、床にぶつかる既の所で飛び上がった。
「急に放すでない!放すなら放すと言え」
実菜は謝ったが、海竜は鼻息荒く椅子の上に落ち着いた。もちろん、実菜から距離を取る事は忘れない。
海竜から距離を取られたのはショックだったが、実菜は気を取り直して九尾に問い掛けた。
「でも、メイメイさんとしてずっと生活してきんでしょ?村の人達に怪しまれなかったの?」
確か、メイメイは、まじないの村の長老だとロイが言っていた。いつまでも生きている人間がいたら流石に怪しまれるのではないかと思う。
「霧隠れの里、まじないの村……などと言われているが、そんな村は存在しない」
「……え?」
九尾は至極当然といった感じで言うが、実菜は理解出来ずに目を丸くした。
「だって……村に迎えに行ったって、ロイが……」
「全部、私が見せている幻影だ。村も、村人も。だから急に来られると困る。そこに居るわけではないからな。
見付け難くする為に霧を深くしたのだが、いつの間にかそれが村の名前のようになっていたな」
「……だから霧隠れ」
霧が深い時は、いくら探しても村は見付からないということか。存在しないんだもんね。
でも、霧隠れって何だか忍者の里みたいね。
「でもさ、何でわざわざ老女なの?……九尾なのに」
「はっはっ。人間が一番油断する姿だろう?何処にいても警戒されんからな」
先程とは逆の向きに首を傾げて静加が問うと、九尾はそう言って愉快そうに笑った。
「それこそ、何かあったら幻覚でも何でも使ったら良いんじゃないの?」
「それでは人間ぽくないではないか」
「……徹底してるわね」
「はっはっ。もちろん適材適所で姿を変える事はある。それに最近はずっと山の中に居たしな」
そういえば、静加は九尾を知っているみたいだけど……人間に化けられる魔物なのかしら。
実菜は一人、首を傾げた。
「ところで……九尾って何者なの?九尾という名前って事で良いの?」
九尾と静加、それに海竜も実菜に注目した。
「お前……今更、そこか?」
今まで普通に話していたのだ、てっきり分かっているものと思っていた九尾は、実菜を凝視すると弾かれた様に笑い出した。
「実菜……九尾の狐って聞いた事ない?」
「狐?」
「はっははは。まぁ……見せてやる」
九尾はそう言うと、実菜の前に立った。
「え?何?」と、戸惑う実菜の目の前で九尾の……若い女性の姿が変わっていく。
目尻が釣り上がり、茶色い瞳は赤く変化し、身体はふさふさとした白い毛に覆われ、頭には三角の耳がぴょこんと生えた。
「うわ……白い……犬?!」
「狐だ!!」
九尾は実菜の発言にズッコケそうになりながらも、尻尾を強調させる様にふさふさとなびかせた。
「え……一、ニ……九?……あ!九尾って、そういう事!」
「お前……実は馬鹿だろ。驚かないし」
九尾は実菜を驚かせたかったのか、つまらなそうに言うと、一転、笑ったのか口角が上がった様に見えた。
「ああ、名前ならメイメイと呼んでくれて良いぞ?」
「あ、そうなの?じゃ……」
「おい!」
突然、海竜が声を荒らげた。
「おヌシ、いい加減その名を名乗るのは止めんか」
「もしかして……海竜様が大剣を授けた村長の娘の名前って……」
静加までにやりとして海竜に視線を向けた。
「メイメイだ」
九尾は九つの尻尾をふさふさと振りながら得意気に言った。
「嫌がる海竜を見るのが面白くてな」
「う〜」と、唸る海竜を見て九尾は楽しそうだ。
「……私、思っていたんだけど、そもそも人間から大剣を取り上げれば良かったんじゃないかしら」
「そうだろう?私もそう言った」
更にニヤニヤとして静加が言うと、九尾も楽しそうに同意した。何故か海竜は「うわ〜」と部屋の中をぐるぐると飛び回っている。
「もしかして……海竜様は誰かの魂を、探していたりして?」
「同じ魂が同じ場所に生まれてくるなど、更に大剣に触れるなど皆無だというのにな。もし、そんな事があるなら、余程の執念だ」
うっ……余程の執念……。
二人の言う事は図星だったのだろう。海竜は椅子に突っ伏して尻尾をぱしぱしと叩き付けていた。
実菜は何となく自分の事を言われている様な気がして「執念か……」と、遠い目をしていた。
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