視察
「あれ、ミナ。おはよう、どうした?」
結局、静加の助手になる事に決めた実菜は、昨日クビになった第三魔導師団の研究室に出勤したが、リードにはまだ話が行っていないのか、不思議そうな顔で実菜を二度見した。
「あの、静加の助手で……戻って参りました」
「ああ!助手って、ミナの事だったんだ。聞いてるよ。
でも、仕事しなくて良いって言ってるのに、したがるって、ミナって変わってるね」
リードは珍獣でも見るような目を実菜に向けて首を傾げた。
「日本人は勤勉なのよ。仕事してないと死んじゃうんじゃないかしら。日本病ってとこね」
実菜の後ろから、揶揄するような静加の声がする。
振り返ると、ニヤニヤ顔の静加が立っていた。
「ああ、それはどんな疫病より怖ろしいね」
リードは、大袈裟に肩をすくめた。どうやらリードはノリがいいらしい。
「リード、今日から場所を借りるから宜しくね」
「場所を借りるだなんて、水臭い。好きにして良いよ。可能な限り手伝うし」
実際、研究室と言いながら薬草の研究は殆どされていない。昔ながらの調合をずっと続けていたのだ。
陛下としても、静加の申し出は渡りに船だったと思われる。
「さて、今日はどうするんだい?以前、帝国から贈られた物ならまだそっくり残っているけど」
リードはそう言って生薬の入った木箱を指差した。
「そうね。でも、しばらくは現状調査をしようかと思ってるの」
病院や診療所等を回って現状を把握しておきたいのだという。
「さ、行きましょうか?助手さん。近場の場所はいくつか確認してあるの」
「え、もう?!」
「今行かなくて、いつ行くの」
いつ行っても良い気はするが、助手である実菜は黙って付いていくしかない。
呑気に手を振るリードに見送られ、実菜と静加は研究室を後にした。
「現状把握って、そんなに大事なの?」
先ずは王都で一番遠い病院へ行くと言う。しかも徒歩で。その道すがら、実菜が静加に問う。
「大事よ。この世界はどうも、医療に関しては17世紀か18世紀くらいの知識っぽいのよね。
どの程度の知識なのかと患者の確認。
それと、町の人達の様子、どんな生活をしているかの確認よ」
成程。徒歩にも意味があると、そういう事か。
しかし……。
実菜は、どれだけ自分が運動して来なかったかを痛感していた。
日本にいた時は自宅から会社までの往復は電車と徒歩でしていたので、少し歩くくらいなら大丈夫だったが、もうかれこれ一時間程歩いている。
「静加……少し、休まない?」
「嘘でしょ?!」
静加が実菜を振り返ると、実菜は道端にしゃがみ込んでいた。既にヘトヘトの実菜に対して、静加はピンピンしている。
実菜のそんな様子に静加は嘆息すると「仕方ないわね。じゃあ、5分だけね」と言い残し、自分はさっさと路地裏に消えて行った。
「え?ちょっと?どこ行くの〜」
と、実菜は声を掛けはしたが追い掛ける事はしなかった。何故なら足が棒になっていたから。
「……置いて行かれたわ」
町人が行き交う中、実菜は道端に転がっている少し大き目の石を見つけると、人目も憚らずにそれを椅子にして改めて景色を眺めた。
街の中心を少し離れただけで、随分と田舎っぽくなるのね。
街中の豪華な住宅街と比べると、この辺りの住宅や行き交う人達の装いも少し貧相に見えた。
これが格差というやつか。こう言っては語弊があるかもしれないが、アガギア領を思わせる。
でも、いつも王宮に居るから分からなかったけど、こちらが一般的な庶民という事なのよね。
実菜がぼんやりと、そんなことを考えていると静加が戻って来た。
「目的地もすぐそこだし、そろそろ出られそう?」
「うん、大丈夫。それより何しに行っていたの?」
静加はA4くらいの鞄を持って来ていたのだが、その中にノートとペンを仕舞いながら帰って来たのだ。
「ちょいと、下水の様子を見に行ったのよ〜」
「下水?」
この国では下水道もあるのだが、王都の中心地だけなのだ。つまり、中心地から少し離れたこの辺りは生活水と下水が混ざっているという事だ。
「下水工事もしてるけど、まだ全然なの。だから魔導師団の浄化能力を持つ団員が全国を回っているんだけど、数人しか居ないから大変なのよ。
しかも、浄化能力も実菜の力の十分の一にも満たないから時間も掛かるし」
しかし、実菜が国中を浄化して回った時は下水も浄化されていたのだとか。
「それなら、私が定期的に浄化して回れば良いのかしら」
「下水道が完成されるまで実菜に頼むっていう考えもあったみたいだけどね。お偉いさんの中には異世界人に頼りきりになるのを良く思わない人達もいるんだよ。面倒くさいね〜」
異世界人に国を乗っ取られるのでは、と思う人もいるらしい。実菜からしたら、乗っ取るなど面倒くさい事この上ないのだが、偉い人の考え方はよく分からない。
足の痛みに耐えながら、そんな話をしていると目的地の病院に到着した。
休憩した場所からここまで2時間程かかっている。静加の言う「すぐそこ」は信用出来ない事を実菜は学んだ。
しかし……。
「ここ、王都なのよね」
実菜は静加に確認した。
「正確には、王都近郊だけどね」
静加がそれを訂正した。
「何で、森の中なの」
到着した病院は森に隠される様に建っていた。
「精神病院だからでしょ」
「こんな所に?」
休憩場所からここに来る途中、しだいに住宅が少なくなり、周りに木々以外は何もない道をひたすら歩いて来たのだ。
「こんな所だからでしょ。静養という名目で人目から遠ざけたいのよ」
まあ、精神を病んでいるなら、静かな所の方が良いのだろうが……。
次に来る時は、絶対に徒歩は断ろう。実菜は心に誓った。
病院の中に入ると、意外と広々としており、白衣を着た中年の男性が二人を迎えた。
「視察で来ました。魔導師団の者です。今日は宜しくお願いします」
静加が男性に挨拶すると、その男性は首を傾げた。
「魔導師団とは。はて、今日は何をしに?」
男性の返答に静加は眉を顰め、こめかみに人差し指を当てながら男性を見据えた。
視察の件は伝えて貰っていたはずだが、伝わっていなかったのか、それとも……。
静加が口を開こうとした時、白衣を来た女性が慌てた様子で走り寄って来た。
「ジジさん!また医師の白衣を着て!」
「はは……やっぱりか」静加は呟いて、連れて行かれるジジを見送った。
「え?何?どういう事?やっぱりって?」
事態が分からず戸惑う実菜に、静加は乾いた笑いを返した。
ジジと呼ばれた男性は患者なのだが、自分は医師としてこの病院にいるのだと思い込んでいるらしい。
その後、本物の病院長が出て来て、そう説明してくれた。
この病院は精神科と感染症の専門で、病室や調薬室等を説明を受けながら案内して貰ったが、その辺は静加に任せ、実菜はしたり顔で頷くだけに留めた。
下手に口を開くとボロが出る。実菜は己を理解していた。
一通り案内されると、静加は満足したのか、色々メモしていたノートを鞄に仕舞う。
「大体は理解しましたので、何かあれば伺っておきますが」
二人は応接室に案内され、そこでお茶を頂きながら静加が病院長に問う。
「出来れば体力のある体格の良い男性がいれば紹介して欲しい。というくらいでしょうか」
病院長はハの字眉で、そう答えた。
患者の中には暴れ出す者もいるらしいが、従事者には女性が多く、取り押さえるのが大変なのだそう。
かといって、鉄格子の中にずっと患者を入れたままなのも治療上、良くない。
「なるほど……人材不足という事ね」
通うのが大変な上、賃金は宜しく無く、それが男性従事者が遠のく理由の一つでもあるらしい。
薬屋とは関係ない事案ではあるが、報告しておく旨を伝えて二人は病院を後にした。
また、3時間以上を歩くのね……。
実菜は知らず溜息を吐いていた。そんな実菜の背中を静加が軽く叩く。
「まあ、次は馬車にするから、今日は頑張って」
しかし、不思議なもので掛かる時間は同じ位なのに、帰りは何故か早く感じた。
「お腹空いたね。食堂に行ってから報告に行くか」
王宮に着いた所で静加がそう言ったことで、実菜は自分が空腹である事を思い出した。
疲れ過ぎてお腹空いている事も忘れてたわ。
「私、今日は間違いなく、ぐっすり眠れるわ」
サンドウィッチセットを乗せたトレイを持って食堂の席に着くと、実菜はそう言ってテーブルに突っ伏した。行儀が悪いとは思いつつ相向かいの椅子の上に足を乗せる。
「実菜……」
「だって、足がパンパンなのよ〜!」
「え?ああ、それは別に良いわよ。他に人も少ないし」
静加が話し掛けた事を、勝手に足の事だと思い込み、急いで言い訳したのだが、どうやら別件の様だった。静加は笑って隣の椅子に置かれた実菜の足を叩く。
「そうじゃなくて、これからの事よ。
遠方の領地は病院も少ないから、先に行った方が良いかな、とも思うんだけど、どうする?アガギア領に行ってみる?」
静加がアガギア領を出してきた意図は分からないが、確かに実菜はあの領地が気になっていた。
あの領地というよりは、デイビッドの事だが。
あれから、二ヶ月……三ヶ月か、経ってるけど、どうなっているだろう。
「うん、行ってみようか」
私が言い出した事だ。経過や、結果を確認するのも私の仕事だろう。実菜は覚悟を決めて頷いた。
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