黒い森
その後は何事も無く、少し暗くなった頃アガギア領の領主の屋敷に無事到着する事が出来た。
討伐期間中、滞在するのは領主の屋敷だという。馬車が屋敷の門を通り、門から屋敷までの道が500メートルくらいある。元は並木道になっていたのだろうが、今は真っ黒になった幹が残っているだけだったがその幹も今にも崩れそうに朽ちている。その並木の奥には宿舎の様な建物もみえる。兎に角、とても広い、という事が窺えた。
屋敷の入口まで馬車が到着すると、御者が扉を開け、降ろしてくれて討伐隊が全員揃うと、領主であろう初老の男性が使用人と共に出迎えてくれる。
「ようこそお越し下さいました。アガギア領領主リーノ・サイモンと申します」
サイモン伯爵を始め、使用人一同深々とお辞儀をする。顔を上げると、皆、笑顔ではあるのだが一様に深く影が差していた。
「サイモン伯爵、来るのが遅くなって申し訳無い。まさかここまで酷いとは思っていなかったんだ」
セシルが苦い顔で伯爵と握手を交わす。
「いえ、ここまで酷くなったのは、ここ2週間程での出来事なのです」
そう言うと伯爵は、はぁ、と溜息をつき肩を落とす。
「ワン、ワンワンッ!」
そこに同行させていた白ワンコ達が吠え出した。
伯爵がそのワンコ達を見て瞬いた。
「……ポチ?タマ?」
そう呟くと、信じられないと言ったように目を見開いた。
元々伯爵邸で飼っていた犬で、瘴気により変わり果てた姿になると人を襲うようになり、致し方無く処分しようとしていると、何処かに逃げて行ってしまったのだと言う。
って、ポチとタマって!!偶然かしら。
「シロは……いや、詳しい話は後にしましょう。先ずはお部屋へ案内させて下さい」
シロ……きっと、死んでしまったあの1頭の事ね。
伯爵は使用人に声を掛け、それぞれが師団員達を案内する。実菜とデイジーは同室、セシルとロイも同室、他は2人と3人に分かれる様だ。
部屋で寛いでいると、晩餐に呼ばれデイジーと共にメイドの後について行く。途中、セシルとロイも合流する様な形でダイニングに入ると、細長いテーブルに5人分の食器がセットされていた。
あれ、5人分?伯爵と、私達だけ?
「いつもは師団長と私だけ打ち合わせも兼ねて伯爵と食事を取るんですけど、今回は実菜とデイジーも一緒にしてもらっています。他の者達は別の部屋に用意してありますので、ご安心下さい」
食器を見て不思議そうな顔をしている実菜に、コソッとロイが耳打ちで説明する。
成程、師団長補佐と聖女、だもんね。一応、だけど。
伯爵が迎え、席に着く。伯爵の左右の足元にはポチとタマがちょこんと鎮座していた。
「先ずは聖女様。ポチとタマを助けて下さって有難う御座いました。母親のシロは残念でしたが、それでも2頭が元の姿で戻って来たことが本当に嬉しいです。家族の様なものですから」
食事が始まり、頃合いをみて伯爵はそう言うと微笑み、涙ぐんで足元を見る。
「お役に立てて光栄です。ところで、酷くなったのはここ最近の事だと仰ってましたが?」
実菜の言葉に、伯爵の窶れた顔が更に暗くなる。
「ええ、そうです。領地の奥に森があるのですが、以前は魔物が森から出る事も無く、近付か無ければ襲って来ることも稀で。ああ、畑は食い荒らされる事は度々ありましたが」
「何かきっかけ等は無かったですか?」
「はい。2週間程前に森に黒い霧の様な物が出始めて、多分瘴気なのでしょうが、今では森の上空は真っ黒になっていて、領地全体がその瘴気に包まれてしまっているようです。魔物も森を出て人を襲うようになってしまい、領民は家から出られない状態です。それに瘴気はポチ達のような動物だけで無く、私達にも影響が出ているようで、常に身体が怠く酷い者は寝込んでしまう程なんです」
伯爵や使用人の酷い顔は瘴気が原因のようだ。
「瘴気が強くなった頃、他に変わった事は無かったですか?例えばこの領地に、誰か来た、とか」
デイジーは『誰か来た』を強調し、じっと伯爵を見つめる。
「うーん、2週間前……そうですねぇ。セバス、何か聞いていないか?」
伯爵は思い出すように唸ると、後ろに控えた使用人に問う。セバスも顎に手を当て首を傾げると「ああ、そういえば」と、何か思い出した様だ。
「夜の巡回をしていた者が、森に向かう馬車を見たと言っていました。確かそれが2週間程前ではなかったかと」
「ああ、そう言えばそんな事があったな。忘れていた」
それを聞くとデイジーとロイは何か考え込む様に押し黙った。
「兎に角、行ってみないことには始まらないな。早速明日その森へ行こう」
セシルがそう言うとその後は皆、粛々と食事を終えた。
次の日の朝、屋敷の外に出たところで、昨夜の伯爵の言っていた事を理解することになる。
昨日屋敷に到着した時は薄暗くなってきていたので気付かなかったが、この辺一帯の上空が晴れているのに薄黒い。それは森の方へ行く程黒さが増していくようだ。
森へ到着すると、思わず寒気がする程の瘴気の濃さだった。木々が鬱蒼としているが殆どが真っ黒になっている。
「師団長!!あそこに馬車があります!」
師団員の指差す方を見ると、木の陰に隠れる様に1台の馬車があった。伯爵の言っていた馬車だろうか。師団員が2人、様子を見に行く。「誰も何も乗っていません。馬車も一般の物で、個人の特定は出来そうにないです」とのことだ。
「しかし、瘴気が濃すぎる。このままでは僕達もここにいるだけでやられてしまう」
「私!やってみます!」
セシルの言葉に実菜が声を上げる。これには実菜本人も驚いたが、やはりセシルもデイジーも驚いた顔をしている。
「全部浄化するのは無理でも、す、少しは無くせるかも…と」
実菜はその場の全員の視線を受けて自信が無くなり、後半尻つぼみになってしまう。
「よし!ではミナ。森の浄化を頼む」
セシルの言葉にほっとし、実菜は全員の見守る中目蓋を閉じた。
いつもの様に実菜が光を放ち始めたが、実菜は違和感を感じていた。というのも、いつもであれば直ぐに流れが均一になる感覚があるのに、この時はいつまでもボコボコしている感じが消えない。一旦緩やかになるが元に戻る。そんな感じだ。
何か変だわ。こちらの力を押し返すような…何かある?
実菜は薄っすら目蓋を上げると、森全体を見る。
森全体に白い光が降り注ぐ中、黒い渦の様な物が森の中央辺りに見える。
違和感はあれだわ。何か気持ち悪い感じがする。
「実菜、もう良いよ!」
デイジーの少し焦った様な声に実菜は我に返る。デイジーに「飲んでおきな」と回復薬を渡された事で自分が貧血の様な状態になっている事に気付いた。
「いくら魔力量があったとしても使い過ぎれば枯渇するよ。森の瘴気は殆ど無くなっている。ミナ有難う。君はここで少し休んでて」
「セシル。森の中央!そこに瘴気を出している物があるみたい。私も行くわ!」
「瘴気を出している?」とセシルが片眉を上げる。
「セシル。私が実菜を守るから大丈夫よ」
デイジーがそう申し出ると「う〜ん、瘴気を出しているというなら、そうだな」とセシルも思い直した。
しかし、本当に誰も森へ踏み入っていなかったのだろう。森の入口を探したがそれらしい所が見付からない。やっと見付けたのは本当に獣しか通っていないであろう獣道。
「全員で行くには逆に危険だな。ロイ!」
「分かった。私はここに残ろう。ジョン、トイ、2人は師団長に続け、他の3人は私とここで待機だ」
「デイジー、悪いが後ろを頼む」
セシルがデイジーを振り返ると「任せて」とデイジーが頷く。
ロイ、ジョン、トイ、実菜、デイジーの順番で森へ入って行く事になった。ロイは剣を抜き、シュパシュパと木の枝や草を斬りながら先を進んで行く。
セシル、帯刀してたんだ。いつもローブ着てるから気付かなかった。よく見ると皆、帯刀してるわ。あれ、でもデイジーはしてないわよね。
「セシル!1時の方向にキメラの大群!ジョン!10時の方向からマンイーターが狙って来てる!トイ!セシルの援護!」
ボーッとしていた実菜の後ろからデイジーが叫ぶ。
ああ!ボーッとしている場合じゃ無かった!すみません!!
といっている間にも実菜のすぐ近くで何かの消滅する音がする。実菜は冷や汗が止まらなかった。
「実菜、大丈夫?」
デイジーの気遣う声が後ろからする。なんとか「大丈夫よ」と返事はしたが、全然大丈ばない。
どの位進んだ頃だろうか、少し開けたような場所に出たところで実菜は悪寒に襲われた。
「実菜?もしかして、ここ?」
相変わらずデイジーの言葉は少ないが、あの気持ち悪い感じをここに来て凄く感じた実菜は頷くのが精一杯だった。
「セシル、気を付けて!ここよ!」
デイジーが叫ぶのと同時に幹の太い木の陰から黒い人影の様な物がのっそりと出てくる。
「え、これは、どういう?え?ウォ、ル?」
目の前のその者に動揺した声を出したセシルに、それが襲い掛かる。
「セシルッ!!」
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