夢と現実④
「九条くん!」
会社の廊下で呼ばれて、一瞬、誰のことか分からず無視してしまったが、肩を叩かれ振り返ると森本がにまにましながら立っていた。
あ、九条って、俺か。
剣持姓で仕事をしているからだが、九条と呼ばれることはほぼない。つまり、慣れていない。そう呼ばれる事にくすぐったくすら感じてしまう。
森本は学生時代からの友人だ。養子の件も知っているし、名前も知っている。だが、今までその名で呼ばれた事は数える程度だ。急にどうした。
しかも、嫌らしいほど、にまにましている。
部長に昇進したからか?
イベント企画部を起ち上げた時は断わったのに、実は部長になりたかったんだろうか。
挨拶も忘れて黙っている俺を、森本がぐいぐいと押して社長室へと押し込む。
いや、この状況、誰かに見られたら絶対勘違いされるんだけど?
「何だよ?いきなり」
「何よ。お久しぶりの人がいたから声掛けたのに、無視するってどうなのよ。
それより!神倉さんの件、剣持くんが気付いたんですって?」
二人しかいない社長室なのに、森本は何故か内緒話のようにこそこそしている。
「あ、ああ。直接、彼女から話を聞いたからな」
「ふぅーん……でも、神倉さんはあなたが剣持社長だってことは知らないんだってね?」
兼元のやつ、喋ったな。どこまで喋ったんだ。
少し焦った。
実菜に懸想していることを兼元に知られるのでさえ恥ずかしいのだ。それを女友達に知られるのは、更に気恥ずかしい。
しかし、どこか楽しそうにしている森本は、悪戯を企てている子供のようにも見えた。
「ねぇ、九条っていう名字は、全国にどれくらいあるのかしら?」
「は?何だよ、急に。知らないよ、そんなこと。少なくとも周りにはいないけど?」
「ふぅぅーん?」
質問の意図が見えない。しかし、森本の嫌らしい表情は変わらない。
「本当に、何しに来たんだ?」
「部長にしてくれてありがとう。って、お礼を言いに来たのよ」
嘘くせー。
「ついでに、お祝いして欲しいなって思ったのよ」
なんだ、たかりに来たのか。森本にしては珍しい。そういう事は嫌がるタイプだと思っていたが。
「今日は部署で飲み会することになっちゃったから、明日いつもの店で食事しましょうよ」
「まあ、いいけど。久しぶりだしな、三人で食事するのも」
数年前までは、よく兼元と森本と三人で食事をしていたことを思い出す。
「あら、三人ではないわよ?」
「へ?兼元と三人じゃないのか?」
てっきり、いつもの感じでいたが。そういえば、森本と二人きりということは今までなかったな。
「ええ、もう一人呼んで四人よ」
「……もう一人?」
「そう、神倉さん」
「へっ?!」
森本な口から出た、思わぬ名前に森本をガン見してしまった。
「もしかして、私と二人きりかと期待した?」
「不思議なことに、全く期待らしい気持ちは沸かなかった」
「いっそ、清々しいわね」
森本は、あはは。と、笑う。
「でも、何で神倉さんを?兼元から何か聞いたのか?」
彼女を誘ってくれるのは有難いが、内情を知っているなら、それはそれで恥ずかしい。
「だって、彼女のお陰で私は部長になれたようなものだし?お礼みたいなものよ。それより、何でそこに兼元くんが出てくるの?」
森本はきょとんとした仕草をするが、すぐに「あっ、もしかして」と、わざとらしく両手で口を塞ぐ。
「兼元くんが、神倉さんを食事に誘ったのって剣持くんの為だったのかしらぁ〜」
知ってんな、こいつ知っててわざとやってんな。
「兼元から、何をどこまで聞いたんだ?」
「何も聞いてないわよ。私が知ってるのは、兼元くんが剣持くんを食事に誘ったのにドタキャンされた事と、神倉さんが剣持くんのことを九条くんだと思ってるんだろうな、ということくらいよ。……あ、そうだ!明日、神倉さんと二人きりにしてあげようか?」
色々、知ってんじゃねぇか。
最後まで嫌らしい笑みを浮かべながら、森本は社長室から出て行った。
森本の態度は気になるが、実菜を誘ってもらえるのは素直に嬉しい。会社に出社していて良かった。
いや、出社していなくても、仕事はしてるし、誘ってもくれるだろうけど。
自分が浮かれていることは、その後、兼元から鼻歌を歌っていることを指摘されるまで気付かなかった。
次の日、俺の姿を見た兼元は爆笑した。
何がおかしい。少し髪をセットして、スーツを着て、身なりを整えただけだ。
「いや、いいよ……必死さが伝わって」
いいと言う割に、腹を抱えて笑っているのは何故だ?!
「何だ、必死って。俺はただ社長っぽくしようとしただけだ」
「ぽくって……じゃあ、普段のお前は何なんだよ。社長じゃねぇのかよ?」
兼元の笑いは収まる気配がない。涙まで流し始める始末。
確かに普段の俺は、髪はそのままだし、スラックスにトレーナーやらパーカーやら、およそ社長には見えない服装だが。
兼元は散々笑った後、「じゃあ、時間までしっかり仕事しろよ」と、およそ社長に言う台詞とは思えない言葉を残し、去って行った。
だがしかし、気持ちが浮ついて仕事が手に付かないでいることは否めない。
流石、付き合いが長いだけはある。
しかし、普段、だらだらと家で仕事をしていたせいか、いつもより早く仕事が片付いてしまった。
兼元の仕事でも手伝うか。
この時の俺は失念していた。浮かれていたということもあるのかもしれない。うっかり社長室から出てしまったのだ。
「あっ、社長?!」
秘書課の女子が一人、廊下の向こうから目ざとく俺を見付けて走り寄って来た。
「あのっ、分からないところがあって、確認して欲しいんですけど!」
なぜだか頬を赤らめた女子が、上目使いで言う。
俺は学校の先生じゃないんだけど?
「あー、上司に相談してみてくれる?」
「上司だと不安なんです。直接、社長に確認を取りたくて」
両手を組合せ、お願いポーズで迫ってくる女子。
「あんたんとこの上司は、そんな頼りない上司ではなかったはずだが?」
不意に野太い声が割り込んだ。兼元だ。その声に女子はびくっと肩を震わせた。
社長室の隣が副社長室なわけで、今のやり取りも聞こえていたわけで。
睨みを効かせた兼元の顔は俺でも怖い。そんな兼元に睨まれた女子は逃げるように走り去った。
「何で、勝手に部屋を出るんだよ?」
兼元は、睨みを効かせた顔のまま、俺を見た。
「久しぶりで忘れてたんだよ」
そうだ、今は一人だったから簡単に追い払えたが、これが二人が三人、五人、六人と増えていくのが厄介なのだ。
なぜだか、皆、社長に直接確認を取りたがる。
当初、そんなに仕事が出来ない人間ばかりを雇ってしまったのかとうんざりさせられた。
だが、結局のところ、皆、誘い出す口実なのだと分かってからは俺だけ自宅で仕事をするようになったのだ。
うっかり一人の女子のデスクに行ってしまった時は、ただそれだけなのに次の日にはその女子と付き合っている事になっていて……。
……あの時は、鬱陶しかったな。
遠い目になっていると、「お前は部屋で大人しくしていてくれ」と、社長室に押し込められた。
俺、社長なんだよな?一応。
ソファの上で体育座りすると、ため息が出た。
「……なんでキノコが生えているんだ?」
仕事が片付いたのか、兼元がノックもせずに社長室に入ってくるなりおかしな事を言う。
「キノコなんて生えてないぞ?」
兼元は無言で、体育座りしている俺を立たせた。
「今ならまだ就業中だから、見つかりにくいだろ。先に下に行ってろよ」
「……分かった」
何で、こそこそしなくちゃいけないんだ。俺、社長なのに。……一応。
浮かれた気分はすっかり消えていた。
ビルの階段を下りると、やはり見知った顔はちらほらいる。特に、女子には見付かりたくない。やり過ごそうと、階段の影に隠れた。
ほとんどの者がエレベーターを使用するので、ここなら意外と見つからないのだ。
だが、人がいなくなるのを見計らっているうちに、実菜がやって来てしまった。
初めて会った時よりも髪は短くなっていたが、すぐに分かった。彼女は待ち合わせているのか、入口の端で佇んでいる。
ここで、出て行けば良いんだ。簡単な事じゃないか。「やあ、実は俺、君の勤めている会社の社長なんだ」とか言って。
よし。と、思ったが、やはりうじうじと階段の影にいると、兼元が先に実菜のところへ来てしまった。
俺を探しているのか、きょろきょろしていたが実菜と話し始めた。
「……へ?何してんだ、あいつ?」
普通に話しをしているかと思ったら、急に実菜に顔を近付けている。
あれでは、まるで……。
焦って飛び出した。
兼元はすぐに実菜から離れて顔を背けたが、その顔が赤い。
「おい!」
怒り任せに兼元の肩に手を置いたが、同時に実菜の驚いた顔が視界に入り、しゅーんと、怒りが収まっていく。
事の次第を追及する機会を逃してしまった。
そんなことより、長かった綺麗な髪が短くなってしまったのが残念だ。いや、短くても可愛いが。
「……九条……さん?」
彼女が丸い目を一層丸くして俺を見つめた。。
彼女に見つめられて、一気に熱が顔に集中していくのが分かる。
「髪……短くなっちゃったね」
彼女は俺がここにいることに戸惑っていたが、その説明よりも先に、思わずその短くなった髪に触れると、彼女は目を瞬かせてから、うろうろと視線を彷徨わせていたが、頬を赤らめて俯いた。
うわっ。何だ。今、胸がきゅーっ、て。
物凄く小さい声で「……マジか」と、ドン引きしている兼元の呟きが聞こえたが、何に引いているのか分からない。
俺が彼女に声を掛けようとしたところへ、兼元が咳払いなんかしながら割って入って来た。
「俺の存在を忘れて二人で雰囲気作るのやめてくれませんかねー」
雰囲気とは何のことだ?
嫉妬しているのか?やはり、兼元も……?
「兼元、男の嫉妬は醜いぞ?」
「……お前が言うんじゃねーよ、剣持」
兼元を軽く睨むと、睨み返された。何でだ。
「へ?けん、もち?……あ、あれ、あれ?……九条さんじゃ?」
実菜が混乱した様子で兼元と剣持の顔を交互に見ていた。
そうだ、彼女はまだ知らないのだった。
「あー、はい。九条なんですけど……剣持でもあるんです。会社を作った当初は剣持姓だったから、会社ではそのまま剣持を名乗っているんだよ。色々面倒だから。驚かせちゃったらごめんね」
実菜はぽかんとしていたが、その表情は次第に曇っていく。
あれ?この反応は、どういう解釈をしたらいいのだ?
落胆しているようにも見えるけど?
……はっ!!もしや、騙されたと思って怒っているのかっ?!
違う、それは違うぞっ?!確かに言わなかったけれども!騙したわけではない!
「実菜さん?」
「えっ、きゃあっ?!」
誤解を解こうと恐る恐る声を掛けたのだが、それが思いの外、彼女を驚かせてしまったらしく、驚いた拍子に彼女は段差を踏み外し転げそうになり、その腕を宙に彷徨わせた。
咄嗟にその腕を引き寄せると、はずみで彼女が俺の腕の中に収まった。
ぅわぁっ!
思わぬ役得に心が踊ったが、彼女は色んな意味で心臓に悪い。
そこへ兼元の二度目の咳払いが聞こえた。
「君ら、これ以上イチャつくなら、他でやってくれないか?」
半目になっている兼元に気付き、実菜が弾かれるように身体を離した。
「違います!!イチャついてなんていません!!社長は助けてくれただけで……イチャつくのは……恋人同士がする事で……ええと……」
一生懸命、実菜が何か言っている。
もう……その辺にしておいてくれないか。
兼元を見れば、笑いを堪えているのは明らかだった。
こいつ、絶対楽しんでるだろ。
「ほら!社長も困ってます!全っ然!!そんな事じゃないんですから、からかわないで下さい!」
分かってる。分かってるよ。勘違いされたくないんだよな。だって、好きなやつがいるんだもんな。
―――『全っ然!!』―――
でも、そこまで言わなくても……。
つまり、彼女の中で、俺は無しだということだ。
地位があれば……なんて、セコい事を考えた俺が恥ずかしい。
ハンマーで殴られたような……殴られたことはないが……衝撃を受け、頭の中が真っ白になった俺の横で、兼元が盛大に笑っていた。
俺の気持ちを知りながらこの態度。殺意とはこうも気軽に沸くものだろうか。
兼元も、この短期間で俺に、三度も殺意を抱かれているなど、よもや思うまい。
だが、しかし。彼女に好きな人がいることは分かっていた事だ。こんな事で挫けてはいられない。
何としてでも彼女の気持ちをこちらに向かせなければ。
とは、言うものの。かなりの衝撃を食らった後だ。気持ちを上げる事が出来ない。
結果、彼女と会話すら出来ずに店まで到着してしまった。
共通の話題というのも、他人がいるところでは少々話しにくい内容であるから尚更だ。
兼元とどうでもいい話をしていたが、このままでは埒が明かない。どうしたものかと、一旦トイレに立った。
一旦、気持ちを落ち着かせよう。
しかしあまり長く席を立っているのもおかしい。
それに、彼女と兼元を二人きりにさせておくのも、嫌だ。
意を決して席に戻ると、それに合わせるかのように、実菜が走り寄って来た。
「っ?!」
何だ?何が起きている?!
夢を見ているのだろうか、彼女が真剣な表情で俺の腕を取ってぐいぐいと引っ張った。
「社長、私たちはここに居てはいけません」
「へ?何で?」
「何でもです!出ましょう」
「は?兼元は?」
「副社長は良いんです」
「へ?何で?」
「……何でもです」
一瞬、兼元に何かされたのかと思ったが、兼元を見ても、ぽかんとしながら、こちらに手を振っているだけだ。多分、やつも訳が分からないのだろう。
黙って彼女に腕を引かれていると、不意に、先日見た夢が蘇った。
あの時は、果物屋まで走ったんだっけ。
流石に果物屋に行くことはないだろうけど。
夢を思い出したお陰で、急に楽しくなって来た。
と、思っていたら店の植木の裏に押し込まれた。
何だっ?!
俺に抱きつくようにして一緒に植木の裏に隠れる彼女は気付いているのだろうか。俺の腕に触れる柔らかい感触に、意識が一点集中していることに。そしてその意識を分散させようと抗っていることに。
いや、気付いていないだろう。真剣な表情で店の入口を見つめていた。
何があるんだ?と、そちらを見ると、森本が入店して来たところのようだ。
まさか、驚かすとかか?と、思ったが、そうではないらしい。目の前を森本が通り過ぎると、ほっとした表情を見せた。
どうやら、森本に気付かれずに外に出たいらしかった。なぜだ。
目的はよく分からないが、彼女がそうしたいなら合わせよう。
「ターゲットは通過しました。さあ、外に出ましょう」
取り敢えず、外に出てみたが特に行き先はないみたいだ。
もしかして、こういう遊びが流行ってるのか?
「これ、何ごっこ?」
「え……と、脱出ごっこ?……でしょうか?」
言った彼女が困惑している。しかしそこで彼女は俺の腕にしがみついていることに気付いたのか、「すみません!!」と、言って離れていった。
「……えー……」
……そこは、気付かなくていいのに。
そうは思ったのだが、彼女との距離が近付く度にこれは危険だと気付いた。
「じゃあ、そろそろ戻らないとだね」
もう既に薄暗くなってきたこの時刻。
俺は自分の理性に自信が持てなかった。早く、二人と合流した方が安全だ。下手な事をして嫌われたら元も子もない。
……なのに。
「ここで決めないと男じゃありません!」
彼女から爆弾が落とされた。
もしかして、彼女は俺の気持ちに気付いているのか?
愕然としながも、そこへタイミングよく現れた自転車の所為にして、自分から離れようとする彼女を抱き寄せた。
『女に言わせるなんて、あんたそれでも男かいっ?!』
夢に出てきた女将さんの声が、妙にリアルに脳裏に、耳元に響く。
でも、あれは、単なる夢であって……。
胸の内で言い訳しかけて、思い直した。
「でも……確かにこのままにしておくのは男じゃないよね」
よく考えたら、俺がフラれているのは兼元にも見られているんだ。
だったら、ちゃんと伝えてしっかりフラれた方がすっきりするだろう。
「分かった……少し、話そうか」
大人しく俺の腕の中に収まっていた彼女が俺を見上げた。
出来れば、これを定位置にしたい。
次回から実菜視点に戻ります。
お読み頂き有難う御座いました。




