夢と現実③
石畳が続く道路。
この街で唯一、舗装されている道路と言っていいだろう。
その両脇には果物やら野菜やら服飾品やらの店が出されていた。
ここはこの街の商店街だ。
―――またこの夢か。
そこに立っている俺は、昨日と同じ夢の中にいると自覚していた。
「ラインハルトさん?」
声を掛けられ、振り返ると純子が立っている。手に持った籠には食材が溢れんばかりに入っていた。買い物をした後なのだろう。
「やっぱり!ラインハルトさんは大きいから遠くからでも分かりますね」
純子が持つには中身が重いのだろう、一旦、籠を下ろし、「ふうっ」と、息を吐いてからにこっと笑ってラインハルトである俺を見上げた。
純子の顔が実菜とダブり、俺の心臓が跳ね上がった。
しかし、同時にラインハルトも顔を熱くしていた。いや、つまり俺なんだけど。
遠くからでも……分かる。
いや、本当は「大きい」ではなく、「背が高い」
とか言って欲しかったが、高望みはしない。
純子のその一言にラインハルトは歓喜で打ち震えていたのだ。
最早、どちらのどきどきなのか分からない程、テンションは上がっていたが、そもそもこれは俺の夢だ。ラインハルトも陽人も俺だ。
結局、俺が一人で舞い上がっている事には違いはない。
「それだけが取り柄なんでね……持ちますよ」
顔がニヤけそうになるのを必死に抑えながら、ラインハルトは純子が持っていた籠を軽々と片腕に抱えた。
「ふふっ。今日はラインハルトさんに会えるような気がしてたから、それを見越してたくさん買い物しちゃったの」
「会えなかったらどうしてたんですか。この荷物?」
わざと呆れた物言いをするが、その胸の内はふわふわとむずむずと、何とも言えない笑いが込み上げて来る。
「そしたら、必死で探したと思うわ。大声で呼んでいたかも。ラインハルトーっ!って!」
当然、純子は冗談で言っているわけだが。それは、分かっているのだが。
必死で探すって……しかも、呼び捨て。
彼女が呼び捨てにした部分だけ、脳内リフレインが止まらない。
ああっ!!もうっ!君に呼ばれたら、どこにでも飛んで行くのに!!
危うく籠を放り投げ、彼女を抱きしめてしまいそうになる。
彼女との時間は喜びでもあるが、同時に己の理性との戦いでもあった。
純子はくすくす笑いながら歩き出す。
林檎の木の下で出会ってから暫く経ち、気付けば季節を一巡りしていた。
こんな狭い街である。こうして偶然見かけることはよくあることで、その度に彼女は声を掛けてくれた。
お陰で今ではすっかり気安い仲になったのではないかと思っている。
こうして街で会う時は、家まで送るのが通常になるくらいまでは。
アレクの家に滞在している彼女だが、話を聞けばアレクの魔術により異世界から召喚されて来たのだという。
恋人ではなかった。
アレクは魔法バカの変人だとは思っていたが、とうとう人間を攫うような魔法にまで手を出してしまうとは。
アレクの恋人ではないことが分かり、俺は歓喜したが、突然、見知らぬ土地に連れてこられた彼女は大迷惑だったに違いない。
その話を聞いた時、アレクの代わりに純子に謝った。
だが、彼女はあっけらかんとした女性のようで、けらけらと笑うだけだった。
しかしよく聞けば、純子のいた世界は戦争をしていて、彼女は人間を兵器として育てる為の研究をしていたのだという。
こんなこと、もうしたくない。と、強く思ったところで、気が付いたらこの世界に来ていたらしい。
その仕事から離れられるなら、ずっとこの世界にいたいと言った。
なぜ彼女がそんな怖ろしい仕事をしていたのかは分からないが、この国にいることが彼女に取って苦痛でないなら、それでいい。
そんなこんなで、アレクと彼女が恋人同士ではないことが判明したのだが、仲の良い友人以上の関係を求めるのには躊躇していた。
彼女が自分の事を憎からず思ってくれているのではないか、とは思ったりはするのだが、何しろ彼女は誰とでも仲良くなってしまうのだ。
今では街の全ての住人と友人なのではないかと思うほどだ。俺もその内の一人にすぎない。
もし、俺が懸想していることが知られて、彼女から距離でも取られたら、俺はもう生きていけないだろう。
ならば、俺はいつまでも仲の良い街の人間の内の一人でいたい。
たとえ、彼女が俺のことを荷車扱いしていたとしても。
そんな事を考えながら、尚且、彼女の横顔を盗み見しながら二人で歩いていると、不意に彼女が立ち止まり、こちらを見上げた。
彼女と視線がぶつかり、心臓が飛び跳ねた。
見てるのがバレたかっ?!
内心、どきどきしたが、違うようだ。
「そうだった!忘れてた!ちょっと、こっち来て」
純子は俺の手を取ると、ちょこちょこと走り出した。
何が何だかよくわからないまま手を引かれながら、走るのに合わせふわふわと靡く彼女の髪に見惚れていると、彼女が急に立ち止まった。
「おばちゃん、これ一個、頂戴!」
止まったのは果物屋で、純子はそこの林檎を一個取った。
「あら、ジュンコじゃないの。良いわよサービスしてあげる」
「え、駄目よ。お金は払うわ」
「いいのよ、一個くらい。何しろ、あなたのお陰で売り上げが上がったんだから」
人の良さそうな果物屋の女将さんは、純子が手に取った林檎とは別の林檎をもう一個、俺が抱えている籠の中に入れた。
ちらっと意味深な視線を女将さんに向けられ、何となく居心地が悪い。
純子は「へへ。ありがと」と、女将さんにお礼を言うと、俺の方に向き直った。
「これ!何と!私が改良してとっても甘くなりました!」
物凄く得意気に胸を張って、鼻を膨らませた純子が「どやぁ〜!!」と、ばかりにラインハルトの鼻先に手にした林檎を突き付けた。
「あ、ああ……?」
そういえば、初めて会った時、林檎の実験がどうとか、甘いとか酸っぱいとか言ってたっけ?
「ふふっ。やっと、お店に並んだのよぉ!嬉しい!」
嬉しいと言う割に、先程、「忘れてた」とか、言っていなかったか?
思わず吹き出すと、純子もにこにこしながら、その林檎をかじった。
「うん!すっごく甘くなってる。食べてみて?」
と、純子は、その林檎をラインハルトに差し出した。
―――自分の口にした面を彼に向けて。
「え、それは……」
その意味はアレクに伝えてもらったはずだが?
もしかして、伝わってないのか?
その林檎を受け取るわけにいかず、どうしたもんかと、ひたすら視線を泳がせていると純子の顔から笑顔が消えた。
「……分かってる」
「へ?」
「意味……分かってるよ?だから……はっきり言って?」
戸惑う俺に、純子は消え入りそうな声で言うと、俯いてしまった。長い髪の間から見え隠れする耳が真っ赤になっている。
上目使いでちらちらと俺の様子を窺って……。
何だ?!目の前に、もの凄く可愛い生き物がいるぞっ?!
って、そうではなくて。えーと、それって……つまり??
この状況を理解する前に、条件反射のように身体が動いていた。俺は林檎を持っている彼女の手ごと掴むと、それにかじり付いていた。
ぱっと顔を上げ、ぽかんと口を開けた純子の瞳が、みるみるうちに潤んで見開かれていく。
「……やっ」
やっ?
「やったーっ!!おばちゃん!やったわ!」
純子は俺の手を振り解き、果物屋の女将さんに抱きついていた。
林檎を咀嚼しながら、現状を把握するべく整理する。
彼女が林檎を一口食べた→その林檎を俺に差し出した→俺もその林檎を食べた→求婚成立。
本当か?!俺の勘違いでなく?
ジュンコが……俺を?
意味を分かってるって、本当に分かってるんだよな?
てか、それなら何で俺でなく、おばちゃんに抱きつく?
女将さんは「よし、よし、良かったね」と、言って純子を抱きしめたまま、ラインハルトを睨み上げた。
「かーっ!!女に言わせるなんて、あんたそれでも男かいっ?!騎士の名を返上したほうが良いんじゃないのかいっ!!」
こういう事……求婚も、想いを告げる事も、男性からするのが通例であった。女性はひたすら待つのみ。
そこは面目次第もないのだが。
「……まさか、俺を想ってくれているとは、思わず……」
半ば茫然とし、ふわふわとしている俺が純子に引き寄せられるように近付くと、女将さんが純子を庇うように俺から遠ざけた。
じっとりと俺を見つめると、純子の顔を覗き込む。
「ジュンコ、あんた本当にこんな鈍感な男で良いのかい?あんたがラインハルトを好いてる事は、この街の人間なら誰でも知ってる事なのにさ、そんなことにも気付けない男なんて……あたしゃ、あんたが不幸にならないか心配だよ。」
ん?何だって?色々と俺、言われてないか?
「あんたを嫁に欲しいっていう男は、他にもいっぱいいるんだよ?今ならまだ間にあう」
おい、女将!!何を不穏な事を吹き込んでるんだ?!
彼女の気持ちが変わったらどうしてくれるんだ!
慌てて彼女を女将から引き剥がすようにして、自分の腕の中に仕舞い込む。
「俺は、ずっと前から彼女を愛しているんだ!他の男には渡さない!!俺が幸せにする!!」
驚くほど素直に言葉が出てきた。
「……本当に?」
彼女が俺の腕の中で、俺を見上げた。
「本当だよ。だから……俺と、結婚して下さい」
ぎゅっと抱きしめると、彼女もそれに応えて腕を俺の背中に回して、こくこくと頷いていた。
左腕で彼女の腰を抱いたまま、右手で彼女の頬に触れた。自然と彼女が俺を見上げる。その黒い瞳が涙で濡れていた。
ああ、俺が泣かせたんだな。女からの求婚なんて、醜聞になりかねないのに……。
こんな事なら、もっと早く想いを告げていれば良かったんだ。俺がフラれるのなんて、大した恥でもなかったんだから。
右手の親指で彼女の形の良い唇をなぞると、彼女の頬が赤く染まった。
手の平を彼女の頬から後頭部に滑らせ、彼女の唇に吸い込まれるように顔を近付けると、どちらからともなく瞳を閉じ、そして――――。
―――――覚醒。
って、何で、そこで目が覚めるんだっ?!
何で、セオリー通りだっ?!
どうせ、夢なら最後まで見せろ!!
覚醒した途端、剣持は布団の中で暴れた。
暫く暴れた後、どちらにしても、今の自分にとって何て都合の良い夢だと枕に突っ伏した。
己の希望をそのまま夢にしてしまったようで恥ずかしい。
昨夜目撃してしまった兼元と実菜の姿が蘇る。
いや、待て。夢のように、二人が付き合っているというのが誤解だということも有り得る。
そもそも兼元は実菜さんに全く興味無さそうだったじゃないか。
ふと、枕から顔を上げた。
「俺、社長じゃん」
もし、仮に二人が付き合っていたとして、社長と副社長だったら……俺を選んでくれるんじゃないか?
かといって、彼女が相手の役職で恋人を乗り換えるような人間だったら嫌だ。
でも、選んでもらえなければ意味がない。
相反する思いが交差し、剣持は唸った。人はそれを葛藤と呼ぶ。
知らなかった……俺、けっこう性格悪いんだな。
親友の彼女を奪おうとか考えるとか。
少し落ち着いたところでスマホを確認する。
兼元からの着信とメール。
昨夜は自宅まで運転して帰る気力がなく、仕方なくビジネスホテルに泊まった。そのホテルのベッドに腰を掛け、メールを開こうとした丁度その時、兼元から電話が来た。
『メール見たか?』
開口一番がそれ、という事は大事な案件だったのか。
「すまん。これから見るところだった」
電話口でため息を吐かれた。最近、こいつのため息を聞く事が多いな。
「解雇書類云々は送っただろ?」
『ああ、それは確認したよ。それとは別で……森本を部長に据えようと思ったんだよ。それの相談も昨夜しようと思ってたのに……』
……昨夜。
その台詞に手に汗が滲んだ。
「ああ、悪かったよ。良いんじゃないか?でも、前に断られてるじゃないか」
そんな事より、聞きたい事がある。
『まあな。でも、今回の件を伝えれば、引き受けてくれるだろう。要は上司の管理能力の問題だったわけだし』
「そうだな。彼女は責任感が強いし、引き受けてもらえればありがたい」
うーん。どう切り出せば良いんだ。
『そうそう、神倉さんだけど、どうやら彼氏はいないらしいぞ』
それだっ!!聞きたかった情報は!
ん?て、ことは、二人は付き合っているわけではないのか。
良かった。やはり、誤解だったか。
じゃあ……昨夜は何で?
『だが、残念だったな。彼女には想い人がいるらしい。ご愁傷さまだな、剣持』
はは。と、笑いながら報告する兼元に、初めて殺意なるものを抱いた。
『昨夜だって、折角、俺が彼女を誘い出してあの店に連れ出したのにな』
「……へ?」
つまり、俺のために二人が一緒にいたというのか。
『なんか、神倉さんのサラダの食べ方、ウサギみたいで可愛かったぞ?』
再び、はは。と、笑いながら報告する兼元に、二度目の殺意なるものを抱いた。
つまり、二人で一緒に食事をしたと、そういうことか。
その状況を作り出したのは剣持自身なのだが、それは分かってはいるが、腹立たしい事には変わりない。
「もう一度、誘い出してもらえないだろうか?」
『……自分でやれよ、そのくらい。めちゃくちゃ、そういうの得意そうな顔してんだから』
得意そうな顔とは、どんな顔だ?!
それに、そんな事が出来たらとっくにやってる。
『誘われる側は慣れてるけど、誘うのは慣れてないってか?モテる男の悩みは分からんね』
何だ、急に嫌味か?
俺は、のべつ幕なしに誘われて嫌だったぞ?だからこそ、相手が迷惑じゃないかとか考えてしまうんじゃないか。
「いきなり社長に誘われたら驚かせちゃうだろ?」
『まぁ、それはそうだが……社長と知られるの嫌だったんじゃないのか?一度会ってるなら、会社とか関係なく会えば良いじゃないか』
兼元の言うことはもっともだが、正直にいえば、一人で会う勇気がない。
それに、彼女が役職に靡くとは思わないが、俺にはそれくらいしか武器がない。
自分がこんなにヘタレだとは思わなかった。
彼女には想い人がいるらしい。そのことはとてもショックだが、それはまだ恋人ではないということだ。今のうちに何とか手を打たなければ。
『お前……必死だな』
何かを悟ったのか、兼元が電話の向こうで引いていた。
お読み頂き有難う御座いました。




