静加の元気教室②
ウォン家の応接室の窓は庭に面している。庭に出る事が出来る大きな窓だ。
静加は家主に確認する事なくその大きな窓に手を掛けると、何の躊躇いも無く窓を開いた。
「じゃ、実菜はその石の付与をお願いね!……ユウリンはこっちにおいで!あ、ストールは外してね」
こうなってしまえば、いや、だいぶ前からだったが、静加の独壇場である。戸惑いながらも言われるままにユウリンが静加の後について外に出て行くと、部屋には茶色い石を目の前に置かれた実菜と、リュート、メイメイが残された。
「ぅわぁっ!!世界ってこんなに明るく広かったのですね!」
文字通り憑き物が落ちたユウリンは、明るくなった視界で大きく広がる外の空気を思い切り吸い込むと、元々が明るく元気な娘なのだろう、理由も無くころころと笑った。
「そうよ!これからは、部屋に籠もっていなくて良いの!!」
静加がそう言うと、ユウリンは笑顔でこくこくと頷いた。静加が何故ドヤ顔でいるのかは分からないが、鼻息荒く胸を張っている。
そんなどうでもいい事でも今のユウリンには目新しく映るのか笑いは止まらない。
「じゃあ、もっと元気になる為に呼吸法を教えてあげるからね!」
「呼吸法?」
「そう、一番基本的なやつだから、凄く簡単よ。でも、今のユウリンの状態であればそれでも劇的に変化すると思うわ!!」
静加はやる気満々でユウリンの手を引いて庭の真ん中まで連れて来た。
「え……シズカさん。ここだと道から見えてしまいます」
「大丈夫、大丈夫。一回やってみるから良く見ててね」
何が大丈夫なのか。いくら蔓バラで目隠しされているとはいえ、柵の背は高くないのだ。何かしていれば丸見えであった。
しかし、静加は不安を抱くユウリンに構うことなく事を進めていく。
「先ずは真っ直ぐ前を見て……両手は自然に下げておきましょう。
そして……三秒で息を吸い込みながら……両手は円を描きながら頭の上に。太陽に手の平を翳すようにしてね。
んで、この状態で呼吸を止めて七秒。
最後は八秒かけてゆっくり息を吐きながら、手を元の位置に戻しまーす。ね、簡単でしょ?」
「息を……止めるの?」
「そうよ。やってみて!」
人に見られたらと、些か羞恥心が拭えないユウリンだったが、素直な彼女は言われた通りに腕を上げて……呼吸を止めて……とやってみる。
ふと、静加を見遣ると静加は明後日の方向に意識を向けていた。
何を見ているのかしらとユウリンがその視線の先を辿ると、どうやらカサブランカ邸を見ているようだ。
「あの……シズカさん?」
「ふふ、見てる、見てる。良い感じね……ああ、ごめん。続けて?」
静加の不審な行動を訝しく思いながらも、ユウリンはもう一度同じ動きをした。
したのだが……。
「……もう少し、ゆっくりよ!そう!!上手!!これを続ければ、健康を取り戻す事間違いなしよ!!」
突然、先程までの声より数倍大きな声で指導を始めた静加に驚き、思わず両手を上げた状態でユウリンは固まった。
「シ、シズカさん……そんな大きな声でなくても聞こえますわ。それでは近隣の方達にまで聞こえてしまいます」
これでは、たまたま通り掛かったご近所さんには漏れなく見られてしまう。ユウリンの顔に熱が集中した。
「しっ!聞こえる様にしてるのよ!」
大きな声を出したと思えば、今度は小声でユウリンを嗜める。
「……聞こえる様に?」
もうユウリンには静加がをしたいのか訳が分からず眉を顰めて静加を見つめた。
「そうよ。大丈夫よ、上手く行くから!……多分ね」
多分て何だ?と、ユウリンには不安しかなかったが、そんなユウリンを余所に静加はわざわざ道の方に向かって大口を開けた。
「健康だけじゃなくて、美容にも良いからね!!」
ほとんど叫ぶ様にしてそう言うと、静加はぽかんとしているユウリンに向かってウィンクした。
*****
応接室の中では残された三人がゆっくりとお茶をすすっていた。
石の付与などは今の実菜には朝飯前の事で、暇を持て余していたのだが、そこへ静加の大声が聞こえてきた。
ギョッとしたリュートが思わず外へ行こうと、立ち上がったが思わず実菜はその腕を掴んで止めていた。
「ごめんね……私も、もちろん驚いているけど……多分、静加には彼女なりの考えがあっての事だと思うの。少しこのまま、様子を見てくれないかしら?」
「はあ……ミナさんがそう言うなら……うーん、でも……」
リュートは例のご近所さんを気にしているのだろう。少し考えていたが、結局大人しくソファに座った。
「ところで……今更ではあるのですが……」
リュートは実菜とメイメイを交互に見遣ると、首を傾げ、メイメイを見つめた。
「あなたは何者なんです?」
実菜は「ぶふっ」と、お茶を吹き出した。
そうだった……確かに今更ではあるけれど……結局、何者の設定なのかしら。
実菜とて、メイメイの登場は知らされていなかったのである。どうフォローすれば良いのか分からない。実菜もリュートと同じ様にメイメイを見遣った。
「ふぉっふぉっ。私かぇ?私は……言うた通りの者じゃがのぉ……仕方ない」
確かにメイメイは嘘を言ってはいないのだろう。信じ難いというだけで。
メイメイは「よっこいしょ」と、テーブルの上に身を乗り出すと、手の平をリュートの顔に近付けた。
これは、ロイドにしたのと同じやつでは?と、実菜はその時の事を思い返した。
この場合、忘れてもらうのが一番手っ取り早い。知り得た先祖の情報も忘れてしまうのは気の毒だが、こちらにとっては都合が良い。
「ほれ、私の手の平を見てみぃ」
「え……手を?」
リュートは素直に差し出された手の平を凝視した。メイメイの手の平はリュートの顔まで五センチ程まで近付いている。
「そしたら……ほれ、目を瞑ったらええ」
「……目を」
リュートは不思議な程、素直にメイメイの言葉に従っている。メイメイはそのリュートの耳元に口を寄せて行った。
「そうじゃ……そしたら……忘れろ!!」
メイメイがそう言って手を離すと、リュートはそのままソファに倒れ込んだ。
「改めて見ると……やっぱり怖いわね。まるでメイメイがリュートを操っているみたいに見えたわ」
「ふぉっふぉっ。似たようなもんじゃろ」
そう言って笑うと、メイメイはクッキーの乗った大皿を持ち上げ、まるで盃の様にその大皿を口元へ持っていった。
「ちょっと、何して……」
実菜は絶句した。
大皿に乗ったクッキーがメイメイの口に向かって滑り込む瞬間、メイメイの口がその大皿よりも大きく開いたのだ。そして、クッキーが全て口に入った事を確認すると、口は元の大きさへと戻り、もしゃもしゃと咀嚼音を響かせている。
「……こわ」
実菜は思った。口が開いた瞬間見えた大きな牙は見なかった事にしたい。と。
「人間の食い物は小さくてかなわん。喰った気がしないのぉ」
以前メイメイが鹿と猪を捕えて来た事を考えれば、一度の食事がそれ位という事なのだろう。
「メイメイって、エンゲル係数高そうね」
「えんげ……?何じゃそれは」
「食費がかかりそうね、っていう事よ」
「喰わんでも数百年は大丈夫じゃがな」
「……凄い、迷惑」
つまり、今ここでクッキーを平らげる必要は無かったという事だ。
私、一枚も食べてないのに……。
実菜は恨みがましい視線をメイメイに送った。
しかし、当のメイメイはおかしそうな笑い声を上げている。
「何が、おかしいのよ?」
実菜は更に口を尖らせた。
「私の先程の姿を見て、尚その様な態度を取る人間は今まで居なかったからのぅ」
メイメイは腹を抱えて笑っているが「そういえば」と、実菜は思い出した事を口にした。
「おかしいといえば、メイメイっておかしくない?」
「どういう意味じゃ」
流石に実菜のこの発言に、メイメイの笑いは止まった。
「メイメイは、まじないの里の長老として帝国に居たのよね?」
「そうじゃ」
「でも、まじない師の一族は処刑の対象だったのよね?生きてるの、おかしくない?」
メイメイがリュートに語っていた一部始終を聞いていて違和感があったのだが、話の辻褄が合わない事が違和感だったのだと気付いたのだ。
「そりゃあ、そうじゃ。あの事件は無かった事になっておるからのぉ」
「……へっ?どういう事よ」
「まじないの研究は無かった事にしてじゃな……しかし、死んでしまった者は死んでしまったからの。その死んでしまった兵士たちを反対勢力という事にしてじゃな、王を討ち取る……」
「待って、待って。よく分からないわ」
「話は最後まで聞かんか」
元々、無駄に戦をしかける王の戦好きにはついていけないと感じている者も多かった。実際に反対勢力もあった。
そこでミイラにされた兵士たちは全員反対勢力部隊として、王の側近をその主導者として思い込ませ、王を討ち取りに行ったところで、その主導者に兵士たちを斬らせた。
そして、それは反対勢力を削ぎ落とす為に王が仕組んだ事だと思い込ませた。
メイメイの説明としてはそういうことなのだが……。
どこかで聞いたような話ね。誰に聞いたのだったかしら。
「えっと……つまり、その兵士たちはミイラにされて死んだのではなくて、王の側近に殺されたという事になっているという事?」
「そうじゃ。大変じゃったんじゃぞ?その幻影を見せるのは。人数も多いしじゃな、面倒臭いしじゃな……流石の私も三日三晩、意識が飛んだわ。
じゃが、そのお陰で王の失脚まではいかずとも支持は失速したのぉ」
メイメイは遠い目をしてお茶をすすった。
支持率が下がったのが良い事のように言う所をみると、あまり良い王ではなかったのだろう。
「何でそんな面倒な事をしたのよ」
「拝借する姿が追われる身では面倒ではないか」
別に姿など好きにすればいいはずである。それに、そんな事が出来るなら、わざわざ亡命させる必要もない。
「人間のする事は、よく分からないって言っているけど……メイメイのする事もよく分からないわ」
メイメイは横目でちらりと実菜を見遣ると笑った。
「そりゃ、そうじゃ。私らの様な生き物は気紛れで生きておる」
「……ふーん?」
「……リンリーは身の丈に合わぬ男と恋仲であった。元々、駆け落ちする算段じゃったのじゃよ。
こちらの国に来てすぐ、男はこの世を去ったようじゃがのぅ」
実菜はまじまじとメイメイを見つめると、その手をがしっと掴んだ。が、簡単に振り払われた。
「な、何じゃ?!」
「大変な思いまでしてリンリーの恋を応援するなんて!メイメイって良い人だったのねっ?!」
メイメイを人と呼んで良いものか悩むところだが、そこまで肩入れするリンリーとの間柄が気になるところである。
もしかしたらメイメイは今まで悪い事は何もしてきていないのではないかと実菜は思い始めていた。
「良いも悪いも、そんなつもりはない。言うたじゃろ、私らは気紛れで生きておると」
「呪いを跳ね返す石まであげてるのに?」
「……気紛れじゃ」
「何で自分を悪者と思わせようとするの?もしかして……照れてるの?」
「うるさい!!この話は終いじゃ!!」
やはり照れているのか、メイメイはぷいっと横を向いてしまった。
そのメイメイの声で目が覚めたのか、リュートが小さく呻き声を上げ起き上がり、ぼんやりとした表情できょろきょろと周りを見渡す。
「……あれ?俺、いつの間に寝てたのでしょう?」
「疲れが出たんじゃないかしら」
何の疲れかは不明だが、実菜が適当な事を言っているとそこへ丁度、静加とユウリンが部屋へと戻って来た。
「あ!お兄ちゃん!!見てみて!」
ユウリンは部屋に入って来るなり嬉しそうにリュートの手をぎゅっと握った。
「え、見るって何を……て、あれ?ユウリン?」
リュートが何かに驚いてユウリンの手を握り返している。
「そうなの!!手が暖かいの!足もよ!!もう寒いと感じないの!」
そう言って「うふふ」と、笑うユウリンはすっかり健康的な少女へと変貌していた。
「じゃあ、ユウリン。大丈夫だと思うけど、念の為これをいつも身に着けておいてね」
静加は実菜が付与した石に手早くワイヤーをくるくると巻くと、そのワイヤーに紐を通しペンダントにしてユウリンに渡した。
「すごい素敵です。ありがとうございます!」
ユウリンは早速、そのペンダントを首に掛けた。
少女が身に着けるにしては地味な色合いだが、意味がある石なのだから仕方がない。それでもユウリン本人は気に入っているみたいなので良しとする。
「ありがとうございます」
リュートもお礼を口にしたが、その表情は複雑なものだった。そんなリュートの肩を静加がぱしぱしと叩く。
「そんな顔しなくても大丈夫よ!……臭いおばさんの方が大丈夫かは分からないけどね〜……でも、もし、見知らぬおばさん達が訪ねて来ることがあったら、私の所に来るように伝えてくれれば良いから」
「……夫人の方が?……見知らぬ……?」
リュートは静加の言っている意味が分からず、更に何とも言えない表情になった。
「てな訳でさ、もう心配事はないわけだからこれ以上、仕事を休むとずる休みになりまーす」
その瞬間、リュートの表情が固くなった。
「いや、でも……陛下も当然、俺のした事はご存知でしょうし……」
「ああ!そうだった。忘れてたわ!!陛下からの伝言!!」
静加がリュートの言葉に被せるように言うと、リュートに緊張が走った。
「これは国家機密だから!」と、言うと静加は青い顔をしたリュートの腕を掴み、部屋の隅へと連れて行く。
「あの魔導具。会議で使いたいからもう少し小さい物に出来ないか。だそうよ?」
「は?……え、それだけ?」
リュートは拍子抜けし、間の抜けた表情をした。
静加はそんなリュートを壁に押し付けると、覆い被さるように壁に手をついた。
壁ドンのようにも見えるが、リュートが静加より頭一個分ほど背が高いのでいまいち決まらない。
「そうね……本来ならあなたも殺人教唆で捕まってたかもね。でも、ほら……陛下って、ああ見えて甘いじゃない?」
静加は小声でそう言うと、リュートを睨み上げた。
「あの……シズカ?目が座って……ぅぐっ!」
静加がリュートの胸に勢い良く人差し指を突き立て「ぐぐ……」と、めり込ませる。静加の鬼気迫る迫力にリュートはたじろいた。
「よく聞け……あんたが一人で出来る事なんてたかが知れてんだよ、もっと己を知りな。一人で悶々と悩んだ結果がこれだ。
更に悩んだところで何が出来る?
どうせ、あんたが思い付いた事なんて、国外に逃げるか、心中するかくらいなもんだろ。どっちみちユウリンは死んでただろうけどな。
悶々として出した答えなんてな、後ろ向きなもんしか出て来ねぇんだよ。
正義感だか、プライドだかは知んねーけどな。そんなくだらねぇもんはいらねぇんだ。
とっとと周りにゲロってりゃ、良くも悪くも今よりマシな結果だったんじゃねぇのか?
周りを巻き込んで、大いに迷惑掛けときゃ良かったんだよ。
いいか……これ以上、あんたも含め人を殺すな!」
静加は小声の早口で捲し立てると突き立てた指を離し、代わりに親指を立て後ろに向かって指した。
「手遅れにならなくて、良かったな」
その先には、実菜と笑い合ってはしゃいでいるユウリンがいた。
「シズカ……あなたは本当に、ガラが悪いです。でも……ありがとう」
助けてくれの一言が、どうして言えなかったのか。
ずっと後悔していた事ではあったが、改めて言われると胸に突き刺さった。
リュートは天を仰いで目を瞬いた。
お読み頂き有難う御座いました。




