物語の結末は
「大丈夫か?ヴァッセル嬢」
なぜここに。
たった今までの恐怖とヴァイクが現れたことへの驚きで、茫然とするキスティ。
返事をしなければと思うが、声が出ない。
「…見たところ、怪我はなさそうだね」
「あんた、何故ここに?」
キスティも思っていたことだが、女王が問いただす。
「音楽のアルトラヴィクタ先生に言われたのさ、クラエル嬢は邪悪なものに乗っ取られている、とね。半信半疑だったが、こんな古びた屋敷に入っていくのを見れば、疑念も膨らむというものだ」
「アルトラヴィクタ!あの忌々しい大魔女め!」
そうだ、あのレイアがアンジェの中の女王に気付いていないわけがない。なのに何故彼女は何もしなかったのか。何故今もヴァイクを差し向けるだけで、ここに来ないのか。
キスティが疑問に思う間にも、ヴァイクは腰の剣を抜き、女王にじりじりと詰め寄っていく。
「クラエル嬢の体を傷つけるわけにはいかないが、多少手荒になるのは覚悟してくれたまえよ」
「ふん、いくら衰えていたって、あんたみたいな若造に後れをとるものかい」
それはその通りだ。
助けに来てくれたことは嬉しいが、女王も魔女の一人だ。
この世界の魔法は物質に何かしらの性質を付与するもので、何もないところに何かを発生させたりはできないし、付与できる性質も大きなものはない。せいぜい矢に火をまとわせるとか、そういった程度だ。
だが、魔女は違う。魔女が使うのは魔術だ。
何もない空間に炎や風を作り出し、人の魂にまで干渉し、永遠を生きる、人ならざるものなのだ。
女王が手を挙げると、部屋の上部に氷で出来たと見える槍がいくつも出現した。
その手を振り下ろすと、ヴァイク目掛けて飛んでいく。
「ま、魔術か!実在したとは!」
始めはアンジェに配慮したのだろう、鞘に入れたままの剣を振るっていたヴァイクだったが、すぐに剣を抜き、氷の槍を次々に叩き落していく。
だが、女王は次々に氷の矢を生み出していく。
女王の余力がどのくらいかは分からないが、このままではヴァイクの体力が先に限界になるだろう。
(どうすればいいの?どうすれば…)
キスティには何の力もない。
そもそも、あの女王に勝てる者は、今この国にいる人間にはいない。大魔女であるレイアくらいだ。
(どうしてレイア様は来てくれないの?)
レイアは女王の干渉を好まなかった。キスティ達と女王の件に関しては、キスティ達の味方のはずなのだ。そして彼女が今のこの状況を把握していないはずはない。ヴァイクをここに向かわせたのも彼女なのだから。
なのに、何故助けてくれないのか。
(このままじゃ、ヴァイク様が…!)
その時、ふと先ほどの女王の言葉が思い出された。
(アンジェさん!)
彼女は眠っているだけだという。
あの心優しい少女が、この状況を知ったらきっと悲しむ。
キスティたちを自分の体が害したと知ったら、自分の責任がなくても苦しんでしまう。
そして、彼女はこの状況でただ眠っているほど、か弱い人ではない。
キスティは思い出す。アンジェがキスティに話しかけることで、彼女が周りから色々言われていたときのこと。
持ち前の快活さで皆に好かれ、すぐに収まったが、何を言われても動じず、話しかけてくれた。
キスティに優しくする信念に従って、自分を貫いていた。
「アンジェさん!!!」
力の限り、キスティは叫ぶ。
ここ何十年、何百年も、大声を出すことなんてなかった気がする。
けれども今は、声を枯らしてでも叫ぶべき時だ。
「アンジェさん!目を覚まして!あなたはこんな人に負ける人じゃないはずです!」
ヴァイクも意図を察したのか、襲い来る氷の槍を躱し、叩き落しながら叫ぶ。
「クラエル嬢!私も知っている!君は強い人だ!眠っているなら、この邪悪なるものに負けないでくれ!」
「無駄なことを!このあたしがかけた魔術を、こんな小娘に破れるとお思いでか!」
「小娘なんかではありません!アンジェさんは強くてかっこいい人ですわ!わたくしは知っています!だって…友達ですもの!」
すると突然、女王が苦しみだした。
「ぐぅ…ううぁあああああ!なんだと!こんな!こんな小娘なんぞに!」
頭を押さえて苦しむ女王。
「ああ…やめろ!やめろ!あたしが!あたしが消える…!!」
やがて、女王はその場に倒れこんでしまった。
「アンジェさん!」
キスティはアンジェに駆け寄る。もう女王ではないと確信していた。
アンジェの体を抱き起すと、弱弱しいうめき声をあげる。
やがて眼をあけ、アンジェは微笑んだ。
「ふふふ、友達って言ってくれて、嬉しいです」
「馬鹿…当たり前ではないですか。こんな暗い女に話しかけてくれるの、貴方だけですわ」
「ええ、私が沢山話しかけていたじゃないか」
「殿方のことは、今はどうでもいいのです」
「そうですよ、これは女の友情ですよ」
ヴァイクはやれやれと、おどけて見せる。
キスティは百何十年ぶりに、心から笑った。その目からは涙がこぼれていた。
アンジェも涙をこぼした。
「ふー、ちょっとばかし危険な賭けだったけど、うまくいったようね」
突然声がして振り向くと、そこにはレイアが立っていた。
「大魔女様…なぜ今まで出てきて下さらなかったのですか」
「アンジェの心の清らかさは数百年に一人…世が世なら聖女に祭り上げられるくらいだからね。あの女を浄化しきるには、少々の荒療治も必要だったのよ。ちゃんと安全を確保できるように見守っていたわ」
悪びれもなくそういうレイア。言いたいこともあるが、この偉大なる大魔女がそう言うなら、これが最善だったのだろう。
キスティはそう納得したが、二人は微妙な顔をしていた。
「大魔女って、世界に二人しか確認されてないんじゃなかったでしたっけ」
「先生がそんな人だとはね。それに、ヴァッセル嬢はやっぱり知り合いなのかい?」
「ええ、まぁ、昔…」
そういえば、以前ヴァイクに知り合いなのか聞かれたときはごまかしたのだった。
「キスティは、このあたくしが目をかけている数少ない人間の一人よ」
「ふむ…先生は、歌姫の話に出てくる大魔女…『女神ももてあます大いなる魔女』ですか?」
「そうよ。大魔女と聞いて、君には想像がついたでしょう?」
レイアは意味ありげに、にやりと笑った。
「やはり、そうなんですね」
キスティとアンジェは話についていけない。
二人で顔を見合わせる。
すると、ヴァイクがこちらを見た。
既に彼は、全てを確信していた。
彼にかかっていた『歌姫を思い出せない』呪いは打ち破られ、全てが記憶の奔流となって、彼に流れ込んでいた。
そんなヴァイクのまなざしは、キスティにとって、あまりにも懐かしいものだった。
魂が同じとはいえ、それでも記憶のない、今までのヴァイクや、過去の転生した王子からは向けられなかったまなざし。
キスティの心が震える。
ありえないはずの予感に、知らず知らず、涙があふれてくる。
まさか。
ああ、まさか。
「…たくさん、待たせてしまったのだろうか」
これは夢だ。
こんなこと、あるはずがないのだ。
ヴァイクはまっすぐにキスティを見つめてくる。
守れなかったひと。
それからも、何度も出会ったのに、助けられなかったひと。
何度も愛し合って、何度も悲しませてしまったひと。
「…待たせて、すまなかった…」
もはやヴァイクも、流れる涙を止めることはできなかった。
「いいのです…。もう、いいのです…」
「マリエーラ…もう、離さない。これからは、何度生まれ変わっても一緒にいよう」
「はい…はい…エストリッド様…」
「え?え?マリエーラ?エストリッド?え?待ってください、歌姫??王子??」
困惑するアンジェと、優しく笑うレイアの前で、二人は抱き合い、口づけをした。