アンジェの中に
『会ったことはございます。遠い・・・遠い昔です』
あれから数日、ヴァイクはその時のキスティの表情が頭から離れずにいた。
記憶力はいい方だ。 十剣家として恥ずかしくない教養を身に着けるため、幼い頃から厳しい教育を受けてきたのだ。
間違いなく、この学園に来るまで、キスティと会ったことはないはずだ。
しかし、胸の内から違和感が湧き上がってくる。
そもそも、一目見た時から異常な惹かれ方をした。一目惚れなどという陳腐な言葉では表現できない感情だった。
運命など信じない性質だが、そうとしか思えない。
もしくは、魂が惹かれているとしか。
(魂・・・)
演劇を観た時のキスティの顔が思い出される。
幸福な結末への、言いようのない違和感も。
魂が惹かれるとしたら、数多の輪廻転生の繰り返しの中でも、同じ相手を好きになるのだろうか。
例えば、呪われた歌姫と王子様は転生して出会ったとき、お互いを当たり前のように愛すのだろうか。
(そう、歌姫…。遠い昔…?)
まさかという思いとともに、ヴァイクの中に一つの思いが湧きあがる。
「キスティールさん、帰りご一緒しませんか?」
珍しくアンジェから誘われたとき、キスティはいつもの通り、無言で首を振るだけだった。
しかし、直後にヴァイクが近づいてくるのに気付いて、慌てて席を立った。
あの告白以来、ヴァイクから逃げ続けている。
擦り切れたはずの心が揺れ動き、平常心でいられないのだ。
アンジェはヴァイクに気付いて何かを言いかけたが、キスティはその手を引いて歩き出した。
「行きましょう」
ヴァイクが、何かを決意したような顔で見ていることになど、気付かなかった。
速足で学園を出ると、アンジェはガレッド車を呼んでいたようだった。二人で乗り込むと、すぐに発車する。
いつもはキスティの反応がなくとも、とりとめのない話をしてくれるアンジェだが、今日は無言だった。
言い知れぬ違和感を感じ、アンジェの顔を見あげると、そこには知らない女がいた。
顔はアンジェだ。
だが美しい碧い色の筈の瞳が、金色に輝いている。
朗らかな笑顔は消え去り、いやらしい顔でキスティを見ている。
この瞳は。
この不快な笑顔は。
「あ…ああ…」
キスティに呪いをかけた女王が、そこにいた。
王子様に国を滅ぼされ、長い時の中でも会うことのなかった女王。
自分たちが転生して巡り合うのだから、なぜ会わないのか不思議に思ってはいた。しかしあまりにも長い時間、会うことがなかったので、流石に今更なにかしてくるとは思わなかった。
「あの忌々しい大魔女に封じられてね。魂の清らかな乙女の中で浄化しようとしやがったんだ。しかもあんたらと縁の遠い魂でね。なかなか会えなかったさ。ずっと、ずっと待っていたんだ」
キスティは恐怖でなにも声を出せない。
こんなにも辛く苦しい呪いをかけておいて、これ以上なにをしようというのか。
「あんたも王子も、のうのうと人生を謳歌しやがって。今度こそ、地獄の業火に焼かれるがいいさ」
のうのうとなんて生きてない。
ずっと苦しんでる。
そう言いたかったが、やはり声が出ない。
馬車は速度が速く、とても逃げ出せない。戦ったところで、キスティのひ弱な力では、快活なアンジェの体を操るこの女王に勝てるはずもない。
恐怖に震えるキスティと女王を乗せたまま、馬車は走り続け、やがて郊外の古びた屋敷に入っていった。
屋敷の中は荒れ果て、人が住まなくなって長いことが分かる。女王はキスティを縛り上げ、二階に連れていく。
キスティはやっとのことで声を発することができた。
「アンジェはどうしたのですか?」
「今は眠ってるだけさ。この善人ずらした不愉快な小娘を殺したら、あたしまで転生先に連れていかれちまう。それに、待ちに待った機会のために温存した魔力も多くはない。あんたらを苦しめる以外に使う余力なんてないね」
「その魔力で大魔女様の封印から逃げられなかったのですか?」
「ああ、できたかもしれないね。だけど、あんたらへの呪いを完成させるのが先さ」
なんと性根の曲がったひとだろう。もはや自分の幸せや未来など何も考えず、ただキスティ達を苦しめることしか考えていない。
それとも、かの邪悪な女王も、転生を繰り返しても意識を保ち続け、狂ってしまったのだろうか。
女王はキスティを椅子に縛り付けると、周囲に魔法陣を描き始めた。
「幸い、あんたとあの男の魂は呪いも繋がってる。二人まとめて呪いを更新できる」
(ただ空虚なだけの二千三百年がこんなにも辛かった。これからもっと長い永遠を、業火に焼かれて苦しみ続けることになるというの?)
それはどんな拷問か。想像を絶する恐怖に、擦り切れたはずのキスティの心が震えあがり、身体も震えてくる。
自分はそれだけ憎まれるようなことを、このひとにしたのだろうか。それとも、どんな罪を犯せば、こんな恐ろしい罰を課せられることになるというのか。
怖い。
怖い。
やめて。
もうやめて。
これ以上苦しめないで。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
キスティの心が遂に壊れかけたその時、ドアが乱暴に蹴破られ、ヴァイクが飛び込んできた。