劇と現実
「まあまあまあまあ、お二人で!殿方と!まあまあまあまあ!」
シャーリーが狂喜乱舞して、あれこれと支度をしてくれた。
今日ばかりは言うことを聞いてもくれない。
ここぞとばかりに精一杯の化粧技術を注ぎ込み、これでもかとばかりに着飾った。
昔からキスティに仕えていて、一切着飾らせなかったのに、なぜこんなに技術があるのだろうか。
服装や小物は流行の先端をいくものらしいし、なのにキスティの魅力が最大限引き出されるものだった。
これも何かの時のために、季節毎に作られていたのだという。
子爵家の財力で用意できるものなので、高いものではないが、キスティが質素な生活をしていたこともあり、購入するのに困ることはなかったようだ。
「お嬢様が、いつかその気になってくださるのを信じて勉強していたのです!」
全く余計なお世話である。
しかし、キスティとして生まれてから初めて完全におめかしをした自分を姿見で見てみると、すり減って消えたはずの感情がほんの少し、熱をもつのを感じる。
彼に出会ったからだ。
何の色もない人生が、急に彩られてしまう。
何度生まれ変わっても、同じように恋してしまう。
永い永い時をうつろい、灰色になっていたキスティの心が、色鮮やかに輝きを帯びていく。
けれども、どうせ最後はまた泣くことになるのだ。
別れが辛く、灰色の世界がもっと、もっと濃くなるだけなのだ。
分かっているのに、逃れられないのもまた、キスティの心が暗く染まり切っていない証拠でもあるのだろう。
そして今、キスティは王立劇場の前にいる。
もちろんアンジェは、キスティが二人でと言った直後、キスティが二人を望むならと、あっけらかんと辞退を申し出た。
ヴァイクはわざわざ最新の魔道自動車で迎えに来て、乗り降りから卒なく歓待してくれている。
当然のごとく、会った途端に、自然にキスティのおめかしを褒める口上も見事だった。
前世から隙のない男だったが、いつ出会った生まれ変わりも、総じて出来る男である。
どうせ呪いが解けるわけでもなく、また別れが辛くなるだけと分かっているのに、何故つまらぬ嫉妬心など出してしまったのか。
誘いを受けたことを後悔するも、時すでに遅し。
さらにキスティを憂鬱にさせるのが、演目である。
なにしろ、呪われた歌姫の話なのである。
題名になっている、遙か昔の己の名前を掲げられた看板を見て、小さくため息をついた。
演目の名前として、かなり未来でも残っているお陰で、自分の名前を忘れずにいられるのは、いいことなのか、それとも悪いことなのだろうか。
貴賓席に座り、演目が始まる。
流石に評判の劇団なだけあり、見目麗しい役者達は演技も真に迫る。
歌劇仕立ての劇だが、歌声も素晴らしい。
また、アンジェの言っていた通り、ライエルンも見事な音色だった。
キスティと違い、たった一度の短い人生であれだけの極みに到達するのには、一体どれだけの過酷な研鑽が必要なのだろう。
とはいえ、キスティの心が揺らぐことはない。
この物語は本来、起承転結の結が完成されていない物語なのだ。
実話を元にしているのに、結末だけが脚本家の創造になってしまう。
それなのに後世まで語り継がれるのが滑稽で仕方ない。
歴史の大部分では、この物語は悲劇として描かれる。
歌姫は王子の生まれ変わりに出会えず、いつしか魂がすり減って転生できなくなってしまうというのが、長い歴史で最も多い、一般的な最後である。
ところがちょうどこの時代から、斬新な結末として幸福な最後が描かれるようになってくる。
今回の劇では、歌姫は幾度も迎えた生まれ変わりで王子の生まれ変わりに出会い、そうと知らぬまま惹かれあっていき、最後は幸せに添い遂げた。
役者達の笑顔を氷のような無表情のまま最後まで観覧し、キスティはヴァイクを急かし、拍手喝采の劇場を足早に後にする。
何故来てしまったのだろうか。
何百回見たか分からない話。
その中でも幸福な終わり方の話は特に心がざわつく。
ただただ虚しく、心の隙間に冷たい風が吹き抜ける。
現実では幸せに添い遂げても、また目が覚めれば記憶を持ったまま幼児になるだけだ。
「お気に召さなかったかな?」
「いえ、素晴らしい劇でしたわ。特に主役のお二人は存在感も演技力も滅多にいない本物でしたね」
「そうだね。ただ・・・いつもより暗い顔に見えたから」
帰りの魔道自動車の中、ヴァイクに言われてどきりとした。
最初から最後で無表情で、感想の一つもないとすればつまらなかったと見えて当たり前ではあるが、キスティの無表情はいつものことである。
ところが、ヴァイクにはいつもと違って見えたらしい。
「そんなことございませんわ。ライエルンに聴き惚れていたから、そう見えたのかもしれません。ヴァイク様はいかがでしたか?」
なるべく自然に誤魔化し、ヴァイクに水を向ける。
「うん、主役の二人も、話の作り方も歌も演奏も、素晴らしかったよ。我が帝国は芸術面ではレングテックに及ばないところだが、少しは追い付いて来れたかな」
「もちろんですわ。我が国も、もっと手厚く支援しないといけませんわね」
「お手柔らかに。ただ・・・結末はどうにもすっきりしなかったね。この物語は、あんなにあっさりと都合よく、幸福で終わってはいけない気がする」
「脚本家の解釈は多種多様ですから」
「そうだね。でも、いや・・・」
ヴァイクはその先は口をつぐんだ。
ちょうど、ヴァッセル家に蒸気自動車が到着する。
「楽しかったですわ。お誘い頂きまして、本当にありがとうございました」
「楽しんでもらえて何よりさ。また学園で」
屋敷へ歩くキスティの後ろ姿を見ながら、ヴァイクは誰知らず呟いていた。
(あんな、ご都合主義の甘い終わり方などではない。何故こんなにもやり切れない気持ちになるんだ?)
唐突に閃く。
胸の中に湧き上がる思い。
魂が確信している。
事実だと叫んでいる。
(そうだ、あんな終わり方ではない。まだ終わってはいない。二人は出会っていない)
胸が苦しい。
ヴァイクは何かに堪えるように目を閉じた。