09 ネクロマンサー
死霊術の天才、そう言われていた。とはいえ、その言葉には様々な感情が含まれていた。この国、いや、交流のあるなしにかかわらず知る限りのすべての国において、死霊術はあまりよく思われていない。そのような術に才能があっても、良くてもったいない、一般的には邪法にのめりこむ異常者といった扱いにしかならない。ほかの術に適性があればまだ良い。実際多少の死霊術が使える術者というのは様々な分野で活躍している。それでも、わざわざ公言するものは少ないが。
「凡愚どもが……」
地下深くにある施設。研究所とでも呼ぶのが適切かもしれない。複数の部屋を持つその施設の、所長室と言えそうな部屋で男はうめくような声を漏らしていた。男には死霊術以外の適性が無かった。彼の発表した理論は受け入れられなかった。理解されなかったのではない。そもそも読まれることもなかった。読む価値もないと言われた。実際には直接そのような言葉をかけられたわけではない。ただ扱いのすべてがそう物語っていた。“そんなもの”は見るにも値しない、と。
「死体とは資源だ。数十年かけて作り上げられた体、その中でも特に利用価値のある部品までまとめて燃やすだの埋めるだの……」
若くして死んだ体、特に女性のものに彼は強い興味を示した。最初はそのまま、しかし次第に、より価値の高い部品を集めてつなぎ合わせるようになった。その過程で様々な研究成果を得、そしてそれを発表しようと考えたのは研究者としては至極まっとうな判断だったと言える。が、人類社会に生きるものとしては些か想像力の足りない行為でもあった。死体というのはつまり人なのであり、その人生が終わるに至るにはそれぞれの生きてきた軌跡があり、新鮮な死体というのは周囲の記憶もまだ新しいのである。資源だと割り切られて気分の良くない者も多い。特に日々の生活に追われていない、それなりに裕福な層。言い換えれば研究にうつつを抜かすだけの余裕のある人たちには特にその傾向が強い。しかし彼にはその方向への想像力はあまり働かなかった。かわりに、こう思った。世の中には死霊術を使うものが少ない。成果として人の目につくものもほとんどない。その技術が高くてもそれを判断できるほどの知識もない。ならば、その蒙を啓かねばならない。人々にわかりやすく。美しく、滑らかに動き、なんでもできる、そんな生ける屍を。
「奴らは直接見ないと理解できないのだ」
故に彼は作り上げた。誰が見てもわかる彼の技術の集大成を。他の誰よりも自分がすぐれていることの証明を。美しい継ぎはぎの死体を。