~ナマイキ陰陽師と鬼の王~
第二幕です。冒頭は、静明の一の式神、天一の過去。メインは、第一幕の一年前。生意気少年陰陽師、宵乱と、吸血鬼の王、紅月の出逢いです。
第二幕
百年前の春の夕暮れ。
夕日に染まった、朱い桜が、はらはらと散る中で。
天一の同胞たる十二神将は、主たる静明の手のよって、一条戻橋の下に封じられた。正確には、橋の下に作られた異界の中で、永き眠りについた。
「わしを恨むか?天一。」
しわがれた声に宿る深い悲哀に、天一はゆっくりと首を横に振る。
「いいえ。皆、静明様以外の者に仕える気はありませんから。」
静明が十二神将を創りだしたのは、二十歳の時だった。長い間、共に戦場を駆けた仲間であり、唯一無二の主。十二神将は、他の誰にも膝を折る気はない。たとえ、彼の血を引く子孫であっても。
制御できない力は、静明が守ってきたこの京を滅ぼしかねない。封じる他ない。
「天一。答えをはぐらかしたな。」
しかし、静明は、何もかも見透かす瞳で、天一をとらえた。
「わしが聞いておるのは、おぬしの心だ。ただ一人現世にあって、約定の番人を務めることを、どう思っておる?」
「それなら心配無用です。」
にこ、と天一は、心からの笑みを見せた。
「ボクは、静明様の、一の式神にして十二神将の長。静明様の最後のご命令を果たせるのは、この上ない喜びです。」
胸を張って、そう答えたあの春から百年。
天一は静明の子孫の傍にあり、約定と彼らの両方を見守ってきた。すでに、安倍家の当代は、静明の曾孫であり、静明の死後に生まれたため、当然、曾祖父がどれほど凄まじい力を持っていたか、直接は知らない。
陰陽師の才は、程度の差こそされ、どの子孫にも受け継がれているが、静明を超える者はいない。
(ああ、当代様の弟君は、静明様の再来と騒がれてはいるか。でも。)
と、天一は、優しい色合いの瞳に、そぐわぬ感情を乗せて、一人、呟く。
「力だけでは、真の陰陽師とは言えない。あの子には、正義も信念もない。」
☆
同じころ、鬼の王の屋敷にもどった紅月は、杯を酒で満たし、そこに月を映していた。くいっと杯をあおると、すぐさま、傍らに控える紫紺の瞳の鬼が、そこに酒を注ぐ。
「楽しそうですね、我が君。」
冷静沈着というより、感情が備わっていないかのように、常に無表情な青年の声に、わずかだが皮肉や非難が含まれているのを感じ、紅月は微苦笑した。
「されど、戯れもほどほどになさってはいかがです?結界の傷は、小さなものなら勝手に修復されるとは言え、こちらに入り込んでくる時点で、安倍の宗主の弟は、明らかに約定に反しています。殺しても、構わないのでは?」
その端正な顔立ちに、氷のような本気の殺意を感じ、紅月は思わず
「竜胆。」
と、呼ぶ。諌めるつもりはなかったのだが、竜胆はかすかに肩を震わせる。けれど、言葉を止めはしなかった。
「我が君。いまだ、約定に不満を持つ同胞もおりますが、陰陽師の力はもはや侮れぬもの。約定は、我らを守るものでもあるのです。」
種族として血気盛んな者が多数を占める鬼族だが、鬼の王の腹心だけあって、竜胆は賢明で、大局を見極める目を持っていた。
「同胞の身を危険にさらしてまで続ける戯言ではございますまい。…そろそろ一年になりますが。」
「そうか、そんなになるか。」
けして、話を反らそうとしたわけではない。純粋に驚いた。
くっきりと脳裏に刻み込まれた記憶は、昨日のことのよう。あまりにも鮮やかで、あれがら季節が一巡していることに無自覚だった。
(そう言えば、あの日も桜が舞っていたな。)
と、紅月は目を細めた。
☆
一年前。
黄昏時の、一条戻橋に、人気はなかった。
昼間は、賑やかに人や牛車が行き交う、聖安京の交通の要所の一つ。
さらに、橋のたもとには、桜の大木が、今を盛りと咲き誇っており、この季節、命短いその美をめでる都人も多い。
しかし、青い薄闇が、刻一刻と藍に、そして黒に変わりゆくこの時間になれば、人の往来はぱったりと途絶える。
橋は、端。つまりは現世の果て。
さらに、時刻は昼と夜の境。逢魔の時。
二重に境界が危うくなるのだから、大抵の者は避ける。
それでも、数日前まで、橋を通る者が、全くの皆無かと言えばそうでもなかったのだ。たとえば、主に、急ぎの文を届けるよう命じられた下働きであるとか、夜盗の類であるとか。
しかし、数日前、どこぞの貴族の屋敷に仕える男がこの橋を渡り、そして無惨な死体となって発見された。男の死体は、全身に鋭利な牙の痕が残っていたが、血は一滴も残されていなかった。野犬に襲われたのではなく、鬼の仕業と噂された。
この聖安京には、稀に鬼が出る。血をすする鬼が。
それ以来、この時刻になれば、人影は絶える。
しかし、よほど切羽詰まった事情があるのか、それとも命知らずなのか、淡い影が一つ、橋に落ちた。
二十歳ほどの、おそらく中流どころの貴族だろう。宮中を歩けば似たような背格好の若者は、いくらでも見つかりそうな、これといって特徴のない、平凡な。
しかし、橋に落ちるその影には。
いくら黄昏時の、かぼそい光が作り出す影であっても、見間違うはずもない、二本の角が。
「ようやくお出ましかよ。待ちくたびれたぜ!」
突然、澄んだ声が響き渡った。風を切って飛んだ矢が、カン、と突き刺さったように。
同時に、声の主が跳ぶ。
桜の枝から、橋の欄干にひらりと、危うげなく跳び乗る。
数瞬遅れ、桜の花弁が舞い散る。
桜吹雪をまとって登場したのは、十を一つ二つ過ぎたばかりであろう子どもだった。
童狩衣をまとっているので、おそらく少年だろう。しかし、男装した少女と言っても通じてしまいそうな、可憐な美貌だ。大きな漆黒の瞳も、白い頬に影を落とす長いまつ毛も、桃花の唇も。だが。
その唇をつり上げ、ニヤリと、不敵に笑うその表情で、少年とわかる。さらに、年齢不相応な傲慢さで、彼は言ってのける。
「さあ、勝負しようぜ、静明の結界を超えるほどの鬼の力ってやつを見せてみな!」
刀印を、胸の前で構え、一気に横に薙ぐ。
「オン・バサラ・サトバ・アク!」
金剛薩埵の真言とともに、群青の空を裂いて、一筋の雷が落ちる。
鬼は、わずかに眉をひそめ、跳躍した。
雷は、鬼のいた場所を直撃する。
少年は、同時に欄干を蹴って跳んでいる。
轟音とともに崩れ落ちる一条戻橋。
わずかの距離を置いて、岸に着地する鬼と少年。
鬼の両目がぎらっと輝いた。
「血ヲ…ヨコセ…。」
それは既に、凡庸な容姿の若者のそれではない。瞳のない、薄墨色に塗りつぶされた目。
こめかみからは、二本の角が伸びている。
化け物でありながらも、その姿は美しい。人の中に埋没しそうな凡庸さなど、今は欠片もない。人に混じるためにかけていた術を解き、本性を晒している。
しかし、少年には怯えた様子は微塵もない。逆に、爛々と目を輝かせた。まるで、獲物を前にした狩人さながらに。それよりも、血に飢えた獣が近いか。
それに触発されたのか、鬼が、ガアッと歯を、否、牙をむきだしてうなる。
「疾風斬!」
鬼の手から、突風が吹き荒れた。
少年が、後ろに大きく上に跳ぶ。まるで体重を感じさせない軽やかさ。そのまま、
「オン・バサラ・サトバ・アク!」
再び放たれた雷撃は、さきほどよりも速い。少年は見切ったのだ。鬼の動きを。先ほどのいかづちで。
「ギャアアアアアア!!」
直撃したいかづちに、鬼は断末魔の絶叫を放ち、一瞬で黒焦げになった。
「へえ、たいしたもんだ。やるなあ、チビ。」
笑みを含んだ声。
少年が、ハッと身構える。
いつの間にか、反対側の岸部に、もう一人の鬼がいた。遠目にも、紅の二本の角が、目を射るほどに鮮やかだった。
(…格が違う。)
少年は、ぎりっと奥歯をかみしめた。
これだけ距離を隔てているのに、空気が重い。
のしかかるような、圧迫感。
そして、何より。
ひょいっと、軽く跳んで、新たなる鬼はこちらの岸に着地する。
間近に姿を見て、その美貌に戦慄した。
均整のとれた長身の、背の中ほどまでを覆う髪は、光り輝く純銀。双眸は、角と同じ、鮮血の真紅。
「鬼は、高位の者ほど美しい。鬼神、という言葉があるだろう。最高位の鬼は、神と同格なのだから、美しいのも当然だ。」という、兄に教えられた知識が正しかったことを知る。
しかし、少年は、不遜なほどの豪胆さで、鬼をにらみ上げた。それはむしろ、勇気というより無謀に近い。
「何者だ、おまえ。」
鬼は、くくっと、喉の奥で笑う。
「ずいぶん威勢のいいガキだ。安倍の一族にしちゃ珍しく礼儀知らずだな。人に名前を聞くんなら、自分が先に名乗りな。」
「おまえは、人じゃなくて鬼だろ。」
「!」
鬼は、真紅の目を丸くした。腹を抱えた爆笑する。
「そう来るか。面白いガキだぜ。まあいいや、オレの名は紅月。で、こっちはおまえを知ってるんで、実は名乗ってもらう必要はねえのさ。」
少年は、大きな目をさらに見張って、紅月を凝視する。
精悍な、堂々たる美丈夫のくせに、紅月の浮かべる笑みは悪戯が成功した悪童のものだ。
「安倍宵乱。安倍静明の再来と呼ばれる天才児、だったよな?静明の再来は言い過ぎじゃねーかと思ってたけど、この目で見りゃ納得だ。おまえ、強いな。」
紅月の、含むところのない、いっそ無邪気な賞賛に。
宵乱は、すうっと目を細めた。空気が冷えたと紅月が感じるほどに、冷たい目つきだった。まだ多分に幼さを残す顔立ちにはそぐわないほどの。
「そうやって、高みから見下ろして面白いか?」
馬鹿にするなと、言外に叫んでいる、そんな目。
紅月は、かすかに目を見開く。
(このガキ、全部わかって、かみついてくるのか。)
それは純粋な驚きだった。
宵乱は、自分と紅月の間にある彼我の差に、気づいている。それなのに吠える。
誇りでも何でもない。ここまでくると、もはや愚かとしか言えない。
「おまえ、オレがその気なら、一瞬で殺されるぜ?それ、わかってるよな?」
敢えて挑発する。宵乱は、凍てついた眼差しを、ぴたりと紅月に据えて、言い放った。
「やってみなきゃ、わからねーだろ!」
宵乱は、素早く胸の前で印を結ぶ。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン!」
唱えたのは、不動明王の真言。瞬時に生まれた、炎の矢が、紅月に向かって突き進む。
だが、紅月は、薄く笑った。
「煉獄花炎。」
真紅の桜吹雪が吹き荒れた。それは、炎でできた花弁。美しく舞い踊る様は、華麗でありながら、強固な壁となって炎の矢を食い止め、包み込んでーそのまま勢いを消さずに宵乱へ向かう。
「っ!」
宵乱は、懐から呪符を引っ張り出す。わしづかみにした、無数の紙を、全てばらまいた。
「式神招来!急急如律令!
呪符は、一枚一枚が純白の鷹へと姿を変え、炎から宵乱を守る盾となる。しかし、花弁のひとひらに触れただけで燃え尽き、もとの呪符にもどる。十数羽の鷹が、全て焼け焦げた呪符と化すまで、瞬き数回ほどの時間しか要さなかった。
「へえ。あれだけの式神を瞬時に呼ぶたあ、やるじゃねーか。」
紅月は、腕を組んで、感心したように言う。
対する宵乱は、肩で大きく息をして、今にも崩れ落ちそうな四肢を、気力だけで支えているようだった。白い額に大粒の汗が浮かんでいる。
「まあ、霊力だけじゃ足りなかったみてーだけどな。」
足りない分を、体力と気力で補ったため、宵乱は倒れる寸前だった。けれど、表情は、ふてぶてしいほど生意気なままだった。
それを、満足そうに眺めやって、紅月はおもむろに手を伸ばした。
宵乱は、とっさによけようとしたが、膝が砕けて座り込んでしまう。
紅月は、ぽんと宵乱の頭に手を置いた。
さらりとした感触を楽しむように髪を撫でて。
「肝の据わったガキは嫌いじゃねーけどな、命大事にしろよ。」
面白がっているような軽薄そうな表情だが、紅の双眸には慈愛の光が瞬いている。
宵乱は、力を振り絞って、紅月の手を払いのけた。
「情けかけんな。殺せ。」
「おまえ、オレがたった今命大事にしろって言ったばっかりだろーが…。」
流石にあきれる紅月。はあ、とため息をつく。
「オレは、おまえに借りを返したんだよ。」
この、常軌を逸しているとしか思えない子どもが、納得するとは思えなかったが、紅月は言ってみる。
「おまえが殺したあの鬼は、本当ならオレが始末するはずだったんだよ。」
「…なんだと?」
宵乱が虚をつかれた顔をする。
「あいつが、数日前、どっかの貴族の下働きの人間を殺したのは、おまえも知ってるだろ?」
だから、再び、同じ場所に姿を見せるかもしれないと思って、おまえはここで待っていたんだろうと、紅月は言い添えた。橋は異界との接点。それゆえに、結界もほころびやすい。特に、大禍時には。
鬼が、異界から最初に現れる場所は、夕暮れ時の橋の上である可能性が高い。
「静明の結界を越えて、こっちに侵入し、人間を殺すのは約定に違反する行為なんでな。罰するのはオレの役目なんだよ。結界を越えられるのは、高位の鬼だけだ。実力ねえ追手じゃ返り討ちにあっちまうから、オレがやるんだ。」
「約定?」
「おいおい、静明の結界のことは知ってても、約定については知らねーのか。道理でオレのことも知らねーわけだ。夕蓮は、なんでこう中途半端に教えたんだ?」
兄の名を出され、宵乱は不愉快そうに眉をつり上げる。
紅月は、勝手に納得した。
「まあ、おまえの性格じゃ、何しでかすかわからねーから、教えるのは躊躇うか。夕蓮は賢いやつだから、当然の選択だな。」
夕蓮と面識があるらしい。その不可解さに、宵乱はますます険しい表情になっていく。
「帰ったら、夕蓮に聞いてみな。じゃあな、また会おうぜ。」
紅月は、唐突に話を切り上げた。最後に
「乱。」
と、勝手に呼び、ひらりと身軽く跳躍する。ザッと流れた銀髪が、いつの間にか登って来ていた月の光を弾く。
「待っ…。」
待ちやがれ、という言葉は声にならず、宵乱の視界は真っ白になった。
(殺してやる。いつか、必ず。)
遠ざかる意識の中で、煮えたぎるような怒りが渦巻く。
圧倒的な実力差で、余裕の笑みを浮かべていたあの鬼を。おまえは無力だと突きつけてきた、初めての相手を。
読んでくださった奇特な方がいらっしゃったら、とてもうれしいです。第三幕も近日中に公開します。