料理人と吸血鬼
「離しなさいよっ」
小説を読んでいたあなたの耳に女性の叫び声が聞こえました。
「うるせぇっ! 誰が離すかよっ!」
あなたはA級開拓者です。
風来坊きどりの自由人ですが、それでも無辜な人の危機を見過ごすことはできません。
本を棚に戻し急いで、しかし慎重に駆け付けます。
幾つかの棚を通り過ぎます。
見えました。
蹲る人影とその頭部に手を伸ばす人物の背中が見えます。
とても苦しそうな声が聞こえてきます。
あなたは制止の声を上げます。
彼らがあなたへと振り返りました。
とても怒った表情の少女と、涙目の大柄な男。
あなたの速度が急速に落ちていき、彼らから随分離れた所でとまりました。
* * *
「この女が俺の本を寄こせと突っかかってきたんだよ」
「この男が目の前で私が探していた本を取ったのよ!!」
あなたはもうどうでもよくなりました。
勝手にしてくれと離れようとしたあなたの裾が握りしめられます。
男がそのオーガのような瞳を涙で潤ませていました。
「助けてくれっ! 礼ならするから!」
とても切羽詰まっています。
「何? あなたも私の敵?」
黒いドレスを纏った黒髪赤眼の少女。
とても美しいですが、厄介事の臭いしかしないので、どうでもいいと思います。
自分が第三者であることを告げ、必死に立ち去ろうとしますが、男が離してくれません。
諦めの境地になり、彼らに向き合います。
あなたは彼らに本を順番に読んだらどうだ、と当たり前の提案をしました。
「できない!」
「いやっ!」
知るかっ! とあなたは叫びそうになりました。
「おれはベルパスパ王国で開拓者をしている。聞いて驚け特S級だ!!」
「私はある国の王女よ」
二人の胡散臭い自己紹介をどうでもよさそうに聞きました。
「疑ってるな? あの青騎士、開拓者の青燕剣を倒した事があるこの俺を」
睨みつけるように男が言ってきます。
泣きべそかいて女の子にやられるこの男が、どうやって生ける伝説を倒したのでしょうか。
馬鹿馬鹿しいです。
「何よ。私は……国のれっきとした王女よ。この溢れる気品が理解できないの?」
ぎらつく赤い瞳。
口の端で鈍く輝く犬歯。
そして聞いた事も無い国の名前。
警戒心が溢れてきます。
少女に種族を問います。
「何? 吸血鬼族も知らないの。あんた馬鹿なの?」
田舎種族がよくも言ったなと、心の中で反論します。
* * *
話しが進まないので、あなたは彼らにじゃんけんを提案します。
怒った少女が殴りかかってきます。
『警告です。図書館内ではお静かにお願いします』
あなたの前に魔術障壁が現れ、少女からあなたを守りました。
少女はカウンターで放たれた電撃で痺れています。
少女の頭に現れた数字が『1』になりました。
二回警告を受けたら強制退館です。
* * *
「私はね、料理の本を探しに来たの」
血の味に飽きたそうです。
「俺は新しい境地を拓くためだな」
男の手に持った辞典ほどもある厚さの本の名前は【ある旅人の料理】。
この世界、そしてあらゆる異世界を旅してきたと言われる人物が書いた本、だそうです。
「俺は料理が得意でな。今じゃもっぱらそっちが専門だ」
あなたはこの男にワンパンチで勝つ自信があります。
彼が料理の道を進むなら、その方が良いと思いました。
ふと、あなたは此処にコピー機があるのを思い出しました。
彼らにそれを使ってはどうだと提案します。
「俺は機械はダメだ」
「私も。蕁麻疹が出る」
もう知らん、と強く思いました。
投げやりに『男が料理して少女に望むものを食べさせればいいのでは』と言いました。
「それだ!」
「それよ!」
……
……
……
「で、あなたは私を満足できるものを作れるんでしょうね?」
「愚問だな。言っただろ、開拓者の頂点の一角、青騎士を倒したって」
彼の青騎士(開拓者としては青燕剣の名前で登録しています)が料理を得意とするとは聞いた事がありません。
彼が妻帯しているのは有名な話ですので、家庭で料理する機会があるなら嗜む事位はあるだろうな、とあなたは思いました。
それが本職の料理人と比較できるかは不明ですが。
あなたはそれを男に問い掛けてみます。
「王都の料理大会の一回戦でな。青騎士も包丁は見事だったが、ふっ、俺の敵じゃなかったぜ」
勝った時に【星の聖女様】に物凄く睨まれたがな、と震えながら話す男。
特S級という男の称号は【開拓者特別S級評価】というものであり、特定の分野に秀でた開拓者に与えられるものだと言う事だった。
「まあ俺の開拓者のクラスはCだけどな。特S級を持っているんでほぼA級の待遇だ」
あなたは特S級という言葉を聞いた事がありませんでした。
ベルパスパ王国は自分の国と開拓者のシステムが違うのだろうかと首をかしげます。
「さあ着いたわ。あなたの実力を見せて頂戴」
図書館の各要所には自炊用の厨房があります。
備え付けの電話で注文すると、空間魔法で食材が届けられるのです。
決済は到達時にそれを届けた籠に入れます。
「材料費はお前も出せよ」
「何ケチくさい事言ってるのよ。全額私が出すわ」
「おお」
あなたも少女と一緒にテーブルに付きます。
「じゃあ始めるぜ」
* * *
男の腕前は圧倒的でした。
「おいし~」
少女も男の料理に舌鼓を打ちます。
子羊のソテーも、サラダも、そしてこのパンも。
あなたと少女は男の料理を絶賛します。
「喜んでくれて何よりだ」
男もあなた達を見て嬉しそうにしています。
「ねえ、私の城に来ない?」
「いいのか?」
「是非!!」
少女の提案に男が頷きました。
彼は少女が自分の料理をとてもおいしそうに食べる姿を見て、彼女の為に働きたいと思ったそうです。
そう話した男の顔に、一瞬影が差しました。
貴族の抱える料理人は、その職務のストレスから倒れる者もいると聞いた事があります。
主から無理難題を課せられたり、時には毒殺を疑われたり、謀反の冤罪で死刑に処されることもあるとか。
全てがそのような貴族という訳ではありませんが、人格的に問題の在る人間は、身分の貴賎に関係なく存在します。
彼も、もしかしたらその様な酷い人物に仕えていた事があったのかもしれません。
* * *
「迷惑掛けたわね。暫く此処にいるから、何かあったら言って来て。私に出来る限りで力になるわ」
「すまんかったな」
男と少女が去っていきます。
「ねえ、青騎士ってどんな人? 私会った事が無いの」
「瑠璃色の髪に朱目をした男だ。無茶苦茶イケメンで公爵をやってやがる」
「あら、あなたに比べたら誰もがイケメンだけど?」
「うるせえな、もう」
くすくすと少女の笑い声を残して彼らが去って行く。
あなたは男の話が引っ掛かりました。
青騎士。
彼は王族に生まれたが、平民に落とされたはずでした。
故に貴族法によって青騎士が貴族位を回復しない限り公爵になれるはずも無く。
あの『大災厄』の討伐を成しても叙勲されてない以上どうすればいいか見当もつかない話ですが。
まあ、聞き間違いだろうと思う事にしました。
そうして、あなたは読みかけの小説を取りに戻って行きました。