パン子の過去
ゴールデンウイークが明けて、広瀬先生が私に話しかけてきた。
雑談というもんだろうか。少し気になったことがあるらしく聞きたいことがあるということ。
「そんなになんで人を疑うのかなって思ってさ」
「まぁ、信用ならないからというのが一番ですよ」
「そんなにかい?」
「ええ」
人間は信用ならない。そういったことを私は念頭に置いて行動している。
「昔話してもいいですか? ちょっと重いというかめっちゃくちゃ重いんですよ」
「いいよ。話したくないならいいんだけど」
「いえ、別にいいんです。ただ、同情を買いたいわけじゃないのでそこらへんは」
「うん」
広瀬先生は信用できる人の部類に入っている。
こういう先生が珍しいのは事実だ。愚直に、生徒たちに真摯に向き合っている。その姿が尊敬できる大人という感じがする。
あまり過去を吹聴したいわけじゃない。ただただ、知っていて欲しい。なぜかそう思っただけだった。
「まず、私には親がいないということはいいですよね?」
「うん……。そうだね」
「親に関わることなんです」
「なんか不仲、とか?」
「いえ、両親は私を愛してくれましたよ」
私を愛して育ててくれていた。
だけど、そのシアワセは……すぐに崩れ落ちた。
「私は両親が目の前で死ぬのを目撃しました」
「……ふぇ?」
「私が小学校三年生の時です。父の会社が倒産してしまいました。ここまではまだよかったんです」
倒産したならばまた違うところに就職すればいいだろうとかそんな風にも思える。ここまではまだよかったんだ。
でも、問題はこの後だった。
「母が、詐欺に引っかかってしまい、借金を抱えました。三億円ほど……。母は気弱で、優しい人。だけど、自分のせいでと借金を家族に背負わせる羽目になって……父と一緒に自殺しました」
今でも鮮明に思い出す。
私の頭をなでる両親。そして、椅子に立って、そのまま……。
首を吊った縄の音が耳に残った。お母さんと呼び掛けても、反応はしなかった。我が子の目の前で死ぬなんてどうにかしている。追い詰められていたんだろう。もがいても、絶望しかなくて。
その瞬間、私は悟った。この世は悪人だけだと。そう思った。
「姉もいるんです。姉は中学生でした。でも、両親が死んで精神が病んで……今は田舎のおばあちゃんの家で引きこもっています」
壊れてしまったのはお姉ちゃんだ。
両親が死んで、何もしゃべらなくなった。目はいつも虚空を眺めて、死んでいるに等しくなっていた。ただ心臓が動いて、血液が流れている人体模型みたいになっていた。
私はそんな姉も見て、私が賢くなろうと決めた。悪人しかいないのなら、もう信じるもんかと。疑わなきゃダメだ、相手の心の内を読まなくちゃダメだ。そう決意した。
「お姉ちゃんは私とは違う意味で壊れています。私も壊れていますけどね」
「本当に壊れてるんなら自分で言わないよ」
「いえ、壊れてますよ。人類なんてもうどうでもいいんです。何かをなすためならば自分の命も差し出せますよ」
「…………」
広瀬先生は黙ってしまう。
わたしは、続けるように口を開いた。
「私はね、先生。正義のヒーローが嫌いなんです」
「なん、で?」
「だって、私が困ってるのに助けてくれないじゃないですか。なにが正義ですか。正義のヒーローなら私の両親だって救えたはずなんです。何かあってから助けるんじゃ正義のヒーローとは呼べませんよ」
「そう、だね……」
「独善的で独裁的で……困ってる人を平等に助けるわけじゃない正義のヒーロー。いや、理想を求めすぎだと思うんですけどね。でも、それでもやっぱり嫌いだな」
助けてくれだなんておこがましいとかそんなこと言えるわけがない。
でも、誰も助けてくれなかった。両親を助けてくれなかった。私とお姉ちゃんの心にたいへんな傷を負わせた犯人は今でも恨んでいる。
両親が死んだあと、可哀想にとかいう親戚にも腹が立った。なんでそんな泣けるんだ。泣いて絶望しているつもりか。
あの後犯人は捕まった。終身刑が言い渡された。
でも……やっぱり、私たちには禍根が残った。被害者の会というのもあるらしい。結構な数の人が騙されていた。けど、みんな生きている。生きて文句言えるんだからいいじゃないか。
私なんて……文句すら出てこない。
「すいません。重苦しかったです、ね」
「……泣いてる、の?」
「はい。だって、悲しいんです。ずっと寂しいんです。今は月乃の家から支援を受けて一人暮らししてますけど……親のぬくもりがほしかったんですね」
「……そう」
「もっと一緒にいたかったんです。口うるさく私に注意してほしかった。帰ってくると料理の匂いをにおわせおかえりって言ってほしかった。仕事で疲れたお父さんにお帰りって言いたかった。せっかくの日曜なんだからお出かけしようと言ってみたかった。お姉ちゃんと今でも喧嘩をして仲直りしたい。一緒に買い物だって行きたい! 私はっ……! 私にはやりたいことが多すぎるんです! 寂しいんです! なんでっ……! お母さんやお父さんがこんな目にあわなくちゃならないんだって! なんでっ……お姉ちゃんはこんなにも悲しまなくちゃならないんだって……! なんでっ……なんでっ……! 私がっ……! こんな寂しい思いをさせられなくちゃならないんだって……!」
思わず感情を吐露してしまう。
でも、あふれ出してくる。気が付けば泣きじゃくっていた。
詐欺師が悪いんです。
そのせいで人を疑って、人なんかどうでもいいと思うようになりました。誰も助けてくれなかったんです。周囲も。




