悪の話
善と悪を兼ね備えた存在。(つよそう)
悪とは即ち己にとっての損害、またはそれを与える存在である。よって己が悪であるとする者がいるならば必ず自殺をするだろう。
だが、そう自負する者の中には自ら命を絶つことが出来ない者もいる。そのような彼らは善である。
なぜなら、己が己にとっての完全な損害になりきれていないからである。ならばそうした悪のなり損ないは他の有象無象よりも善である。
なぜなら、自分が善であると疑いもせず生きる者は他者の悪となるからである。
無論、今の時代ではその様な者は既に淘汰されているであろう。
では、善になるにはどうすればいいのか。
簡単な話だ。身勝手に生きればいい。己1人にとっての善で満足できるというならば。
だが、もしも己自身のみの善では足りないというのならば、その強欲さ、傲慢さを償う為にも他の善にもなればいい。
隣人を愛する前に己を愛せよ。という話である。
もうひとつ、他者の悪になるな。
己の善であるのはいい事だ。だがしかし、もしもそれが他者に対する悪の上に成り立つのであればそれは偽善である。
上辺をつくろうとかそういう話ではなく、悪だと思うことをしている時点で既に善ではない。
他者の善であれというのではない。悪になるな。その上で真の善であれ。
正しいことは理由になる。だから正しく生きれば自分の肯定材料になる。常に義は我にあり。と胸を張って言えるように行動を選んでいけば自ずと変わる。
大罪を認め、そのうえで美徳をなせ。
人間は生きるだけで罪であり、悪である。故にどう足掻こうともそこから変わり得ない。
ならば償う姿勢だけでも見せるのが我々罪人の生き延びる理由である。
善であると思い込んでいる悪者