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その5

 時間は多少前後する。


「んー……?」


 作業員宿舎の中、大部屋で一人ごろ寝していた陸軍予備役上等兵功六級ラルフ・ラザフォードは、遠くから聞こえる指笛の音に目を覚ました。


「敵襲……? ここって戦場だったっけ?」


 寝ぼけつつも、ラルフは起床準備を始める。服……は緩めてあるのを締めなおせばよい。武器……はまあ、適当にスコップでも持ってくか。

 そんなことを考えつつ、右手を毛布に突っ込んで“戦士”を起動。次に顔を掛け布団に埋めて“鷹の目”を発動する。瞼の向こうに魔力光が消えたのを確認して顔を上げる。


「バフ魔法は一度起動したら光らないのがいいよねー」


 嘯き、立ち上がって、音も無く宿舎を出る。とにかく状況を確認しなくてはいけない。

 敵襲を告げる笛の音は既に鳴り止んでいたが、鳴り止むまでの間、少しずつこちらに近づいてきていたことにラルフは気付いていた。


 クライドかなー?


 他に誰か居たっけか、と考えるラルフ。その視界の端、慌てて走り去る人影が見えて、おや、とラルフは目を向けた。

 どうも村役場から出てきたらしい。……村役場? とラルフは疑問を持った。


 敵襲信号を村長に報告に行ったのかなー。……でもうちにそんな殊勝な奴居たっけ?


 ラルフは首を傾げたが、まあ考えても仕方のないことである。役場の方向に足を向けた。

 酒場に目を向ける。流石に皆、聞き慣れた敵襲信号には心穏やかで居られなかったか、その喧騒は常のものとは一風違っていた。

 耳を澄ませる。偵察兵として鍛え上げたラルフの耳は、魔法など無くても遠方の音を聞き分けることが出来たが……どうやら酒場内は混乱が起きているようで、その内部の動きは判然としない。

 ただ、どうも数人が妙に声高に『東に行け』と叫んでいるようで――ああこれ流言だな、とラルフは判断した。


 指揮系統が明確じゃないからなー。でも栄えある王国軍人がみっともないなー。


 いや、あるいは潜入工作員かなー。ラルフはそんなことを思いつつふらふらと歩き、中央広場に着いたので。

 指笛を、吹いた。






 動くとなれば、実戦経験者たちの行動は早かった。

 唖然と見守る村人を尻目に、まず入り口に近かった人間が酒場に飛び込んで叫ぶ。


「敵襲! 敵襲ー!!」

「村の東だ!」

「総員起こし! 寝てる奴は叩き起こせ!」


 青天の霹靂になんだなんだと一斉に注目が集まり、一瞬で酒場が静まった。

 耳のいい連中が、気付く。


「……指笛か?」

「たしかに、鳴ってるな」


 慌てて男達が外に飛び出す。数十人が飛び出して、しかし混雑が起きないのは、昔取った杵柄というものか。入り口の前で立ち止まったりせず、半ば本能的に酒場の前に整列していた。

 そして一旦酒場から出てしまえば、もう全員が信号を確認できた。流石の酔っ払い共も一発で酔いが醒めて、今度は別の混乱が起きる。


「おいおいどういうことだ!?」

「山賊か?」

「馬鹿な、こんな内地に出るはずが……」

「この情勢だぞ? 絶対無いと言い切れるか?」

「それにしたって……」


 顔を見合わせて、男達は言葉を交わす。

 ……ここで問題が露見した。いくら兵士が経験豊富でも、指揮官が居ない。


「と、とりあえず“戦士”だ。発動しておこう」

『了解』


 誰かが言った一言に、とりあえず全員が賛同した。一斉に発動される“戦士”。脇の下に挟んで起動する者が大半なのは、彼らの錬度を物語っていた。

 さて発動したはいいが、次の行動に困って議論が巻き起こる。


「なあ、どうする?」

「見に行くか? この人数なら大丈夫じゃないか?」

「敵の武装レベルが分からないのにぞろぞろ行ってどうすんだよ。山間の街道だ、偽装した機関銃で山の斜面から掃射されたら全滅だぞ」

「いくらなんでも機銃はないだろ。……無いよな?」

「無いと言い切れないのが……。とりあえず俺、武器になりそうな物取ってくるわ」

「あ、俺も行く。……猟銃って何処にあったっけ?」

「夜の山なら銃より印字打ちだろ。小石集めようぜ」

「擲弾兵だけ投げてくれ。俺らはノーコンだ。……とりあえずスコップ集めるか」


 話し込んでいても埒が明かないと思ったか、数人が武器を取りに走り出す。

 また別の数人は、外に居た村人達を酒場に誘導していた。


「はいはいこっち! 民間人の方は、とりあえず酒場に退避していてください!」

「あ、あの……、大丈夫なんですか? 一体何が……」

「大丈夫ですよ。我々に任せてください」


 不安そうな表情を見せる若い女性に、青年は安心させるようにそんなことを言う。普段の柄の悪さは何処へやら、完全に軍人モードに入り込んだのか、言葉遣いが変わっていた。

 もちろん彼自身も状況は良く分かっていないが、しかし叩き込まれた軍人精神と、過酷な戦争経験で培われた使命感が、彼女の不安を取り除こうと口を動かす。


「銃後の民を守るのが、我々の仕事です」

「は、はいっ」


 自信ありげに言い切ったその態度に、女性は少し顔を赤らめた。

 そのようなやり取りを尻目に、酒場の前で会議は踊る。


「とにかく見に行ってみよう。確認しないと寝覚めが悪い」

「だからゾロゾロ行って伏撃されたらどうするんだ」

「とりあえず斥候出そうぜ」

「誰が行くんだよ。そう言うならおまえが行けよ」

「全員で行けば大丈夫だろ! 兵力を分散しないでさっさと叩くぞ!」

「だから敵の戦力が分からないのに全軍突っ込んでどうするんだ!」

「陽動の可能性もあるだろ! 馬鹿か!」

「じゃあ西にも斥候を……」

「だからてめえが行けよ!」

「とにかく東だ! 見に行こう!」

「だから誰を派遣するんだって話なんだよ!」


 喧々諤々。

 いくら元兵士とはいえ、指揮官教育を受けた人間は流石に居ない。そもそも今は現場作業員で、部隊としての連携訓練もしていない。誰を上官として動けば良いかも分からない状態では、意思決定に不備が生じる。

 何人か興奮のせいか喚き知らしている者も居て、内紛さえ起きそうな状況……カザートとホーカムは、そんな様子を少し離れたところから黙って見ていた。

 一昨日の狼狩りで戦闘行動をとったばかりだ。彼ら二人は精神的に余裕があった。


「曹長」

 カザートは戦友に声を掛ける。この混乱を収めるために必要な措置を取れ、と。

「階級を明示して指揮を取って下さい。おそらく曹長が最上位者です」

「……ああ、分かっている」


 頷いて、しかしホーカムは頷いただけで行動には移さなかった。

 何かがおかしい。違和感がある。それは直感と呼ぶには、いささか明確に過ぎる判断である。


 ……東にはクライドが居る。あいつが動かないわけがない。


 たかが魔物相手とはいえ、仮にも戦場を共にした仲である。その程度には、ホーカムはクライドを理解していた。

 そしてクライドが動いていたなら――まだこちらに対して第二のアクションがないのはおかしい。突撃兵の足ならば、とっくに姿を見せていてもおかしくない。

 もしこちらに来られない理由があるなら、信号は『救援求ム』になるはず……しかし実際は、その前に笛の音は鳴り止んでいて……。


 ……何かを待っている?


 その結論にホーカムが達したその時。


 ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ……


 第二の信号は、中央広場から発せられた。






「おー、凄い勢い。流石に皆訓練されてるなー」


 一斉に柵を乗り越え段差を飛び降り、中央広場に殺到する男達。中々に壮観な眺めに、ラルフは感心して頷いた。

 『集合』を意味する三単音の連続。予め持ち場が明確になっていない場合、敵襲されたらまず集合して上官に指示を仰ぐ――兵隊の習性を利用したラルフの策であった。

 やっぱ優秀な奴が集まってるんだなー。そう思うラルフの目前、到着した男達は怪訝な顔を浮かべつつも、とりあえず着いた順番に、役場を背にするように整列した。


「あ、十列横隊ねー! 多分それくらいで丁度いいから!」


 『多分ってなんだ』『というかラルフかよ』『なんであいつに命令されなきゃならないんだ』『いや、まあいい判断だったと思う』『あのままじゃ埒が明かなかったしなあ』『だなあ……』

 ガヤガヤとぼやきつつも、大人しく整列する皆の衆。一通り集まった所でラルフが口を開く。腹に力を込めて、


「注目ッ! 只今よりラルフ上等兵が指揮を取る! 異論ある者は手を挙げよ!」


 普段の態度からは想像もできない威圧的な声色に、ほう、と集まった者達は感心した。

 兵士というものは、上官に従うものである。実際の戦場を知る者達――この場のほとんどはそうであった――にとって、それは理屈を超えた生き残るための本能と言ってよい。

 敵弾飛び交う最前線では、指揮官が負傷、戦死した場合、真っ先に声を上げた人間が指揮官代理になる。激戦の混乱では階級は意味を成さず、兵士達はその声に込められた戦意によって、彼が指揮官に足るかどうかを判断する必要があった。

 そしてこの場に集まった彼らの兵士としての経験から判断するに、ラルフの今の態度はなるほど、指揮官として仰ぐのに不足はない――そう思わせるだけの覇気はあった。

 沈黙。それを回答と判断して、ラルフは発言した。


「……異論無いようだな。ではまず最初にカザート一等兵! 村長に伝令! 『村の東より敵襲信号あり。対応の許可求む』 復唱!」

「待ってくれ!」


 んー?

 ラルフは目を向ける。東の方角、走ってきたのか息を切らせながら、若い男がふらふらと近づいてくる。

 ……誰だっけ? 疑問に思ったラルフは聞いた。


「所属と姓名を明らかにせよ!」

「だ、大工のリーガルだ!」

「発言を許可する!」

「そ、村長に連絡するのはやめてくれ!」


 ………………。


 怪しい。その場に居た全員がそう思った。紛れ込んで整列していたリーガルの仲間達もそう思った。

 もちろんラルフも思った。なので聞いた。


「理由を述べよ!」

「そ、その、もう寝てるんじゃないかと!」


 ………………。


 馬鹿じゃないのか。

 皆そう思った。リーガルの仲間達さえそう思った。

 もちろんラルフも思った。なので言った。


「起こせばいいだけだ! もういい! 黙って指揮下に入れ!」

「い、嫌だ!」


 なんだって? ラルフは首を傾げ……そうになるのを我慢した。今は指揮官である。指揮官には威厳というものが必要だった。

 面倒なので恫喝することにする。


「抗命する気か!」

「抗命もクソも、最初から俺は指揮下に入るなんて言ってないだろ!」

「ならば貴様の意見を聞く理由はない! カザート一等兵! 伝令に行け!」

「待ってくれラルフ上等兵!」


 ここでようやく、ディーンの手下達が声を上げた。


「空気に呑まれて肯定したが、よくよく考えてみたらあんたの指揮下に入る理由はない!」

「そ、そうだ! もっと上位者が居るはずだ!」

「なんで上等兵如きが偉そうにしてるんだ!」


 一斉に上がるブーイング。困ったなー、とラルフは頭を掻きたくなった。


 ……あー、やっぱりこれあれかなー。


 抗議する連中は、どうも馴染みの薄い面子で、ラルフは不審を抱いた。飲兵衛のラルフは酒場の常連連中は大体把握していたし、この村にもそこそこ長く居るため、出稼ぎ労働者達は大体把握している。

 そのラルフがよく知らないということは、酒場に寄り付かず、村に来て日が浅いということで……やっぱり怪しいな、とラルフは確信した。

 でもどうするかなあ。対応策を考えるラルフの視界、その端で。


 ……ん?


 何かが動いた気がして、ラルフは眼球だけで視線を向けた。

 目を凝らす。“鷹の目”は既に発動させている。暗闇でも十分に見通せる。

 二メートル近い高さのコンクリートの壁面の上、酒場の横の暗がりに、にょっきりと生えた二本の腕。その間にクライドの顔を確認して、ラルフはおっ、と思った。

 クライドもまた目があったことを確認したか、地面に伏せたまま手を動かす。

 王国陸軍式のハンドシグナル。内容は、


 『目標内部』『敵指揮官アリ』『背後ヨリ』『我突入ス』


 ……へえ、なるほどね。

 ラルフは一度視線を戻し、くいっ、と小さく顎を引いた。

 視界の端でクライドが頷き返すのを確認。


 『警告』『其方』『間諜アリ』


 知ってるよー。

 視線を戻し、もう一度顎を引く。


 『援護無用』『足留メ』『求ム』


 ……うん、まあクライドなら単独の方が動きやすそうだねー。

 顎を引く。連絡を終えて、クライドは音も無く立ち上がった。段差を飛び降りようとする。

 タイミングを合わせて、ラルフは叫んだ。


「注目ッ!!」


 一斉にブーイングの声が止み、視線が集まる。もはやこれは兵隊の習性である。

 クライドが役場の裏に滑り込むのを確認して、ラルフは心の中でふう、と息を吐いた。

 あとはここで間諜達を引き付けておけば、役場内の敵指揮官をクライドが確保して、工作員達に投降を呼びかけて終わりになるだろう。

 …………だが。


「諸君の意思は分かった! では我に代わり指揮を執らんと望むものは名乗り出よ!」


 ――――クライドばっかりに活躍されるのも、武人として業腹だよねー。









 ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ……


「――くそっ!」


 三短音の連続。『集合』を意味するその信号を、もちろんディーンは知っていた。

 王国陸軍式のトンツー信号である。陸軍軍人として二十年を奉職してきた彼が聞き違えるはずもない。

 酒場から聞こえていた声が一斉に沈黙し、ドドドド、と大勢の男達が段差を飛び降り、役場前の広場に集合する音……ああくそ、とディーンは今度こそ舌打ちした。


「うちの兵隊共より優秀じゃねえか……!」

「ボ、ボス!? これは一体……」


 慌てて寝室から戻ってくるオットー。ディーンは苛立ちを込めて、目線はルーライから外さず叱責する。


「金庫は見つけたのか!?」

「へ、へい!? み、見つけました!」

「村長! 番号を言え!」


 左手で後ろ手に回した村長の手首を締め上げる。ミシミシと骨が鳴り、ぐうぅ、と歯を食い締めて呻く村長。

 もはや時間が無い――ディーンはそれを悟っていた。やはり先ほどの混乱時、楽師に構わず、金を諦めて逃げるべきだったのだ。


 集合がかかった……混乱はすぐに収束する……時間が経てば経つほど状況は悪化する……。


 それは分かっている。だが、役場前に戦力が集中してしまった今、下手に出て行けば袋叩きになりかねない。

 ディーンには“勇者”がある。“戦士”持ちの兵隊が単純に五人十人集まったところで、物の数ではない。

 しかし一度指揮官を定め、戦力として編成されてしまったなら、これを打ち破ることは容易ではなくなる。まして役場の前に集まっている人数は、四十人でも足りないはずだった。


 いや、監視班の連中はあの中に紛れ込んでいるはずだ……奴らに撹乱させれば……。


 ディーンはそう考え、しかしすぐに打ち消した。そんな器用な真似が自分の部下に出来るはずがない。

 奴らの実力では限りなく捨て駒に近い役割になる。いくら馬鹿な連中でもそれくらいは分かるはずで、ディーンを逃がすためにそこまでする義理は彼らにはない。


 ……待つしかない。命令が発令され、集団が動く、逃げるならその瞬間だ。


 その場合、ミールとオットーは邪魔になる。ディーンはそう割り切った。

 足手まといはいらない、部下は全員置いて逃げる……ならばせめて先立つものが欲しい。金貨が一枚でも手に入るならそうするべきだ。

 歯を食いしばる村長の手首に、更に力を込める。


「ぐ、ぐぉぉおおお……」

「言え!」

「に、265315……」

「聞いたかオットー! すぐに行って金庫を開けろ!」

「も、もう一度言って貰えますか!?」

「265315だスカタン!」


 に、265315、265315……そう呟きながら寝室に向かうオットー。頭の悪い部下に辟易しつつ、ディーンはルーライを睨みつけた。

 女の子座りでぺたんと座り、真っ直ぐに見上げる姿は場に似合わず可愛らしかったが……しかしディーンはそのすまし顔を吹っ飛ばしてやりたくて溜まらなかった。


「やってくれたな……」

「自分の判断の結果を、他人のせいにしないでください」


 ディーンはかなりイラッと来た。

 それにしても腹の据わった女である。ディーンが見つからないように逃げられる可能性は下がっていて、それは彼女の生存可能性を下げている……彼女の視点では、そう判断できるはずだった。

 にもかかわらず落ち着いていられるのは、果たして如何なる理由によるものか――


「――――!」


 考えて、ディーンは気付いた。

 状況の変化が早すぎて考える暇が無かったが――そもそも、


「貴様――本当に“増響”か?」

「……へえ」


 問いかけに、ルーライは感心したような声を上げた。その反応に、ディーンは確信する。

 魔術師の才能は先天的なマナの大きさに因る。あれだけ巨大なマナの持ち主が、“増響”などという、便利だがありふれた魔法だけしか持っていないのはおかしい。

 そんなディーンの結論を、しかし否定も肯定もせず、ルーライはこう言った。


「ならばどうするのですか? 私を殺しますか? それとも村長を殺しますか?」


 ディーンは言い返す言葉を見つけられなかった。

 この反応、間違いない。楽師は攻撃用の魔術を持っている……少なくともそう考えた方が良い。だがそうなると、これはもう八方塞がりだ。

 村長を殺せば、攻撃魔術が飛んでくる。村長を人質にしたままルーライを殺そうとしたなら……おそらく、飛んでくる攻撃魔術をかわせないだろう。

 村長を捨てて一気に飛び込めば、発動より早く倒せる可能性はある。しかしこれは博打と言っていい。場慣れした雰囲気からしてこの楽師、高速起動もこなせるだろう……。

 思案するディーン。彼が思考に没頭したのを見て取ったのか、ルーライはよいしょ、と立ち上がる。

 見咎めてディーンは村長を突き出した。恫喝する。


「! 動くな!」

「はいはい。……で、この『だるまさんがころんだ』、何時までやればいいんですか?」

「ぐうぅ……っ」


 余裕綽々の態度に、ディーンは村長の腕でも折ってやろうかと力を込めて、


「この村には治癒魔法の使い手が居ますよ」

「だからどうした!」

「ル、ルーライ殿ぉ!?」


 機先を制してルーライは言う。しかしディーンは問答無用、苛立ち紛れに村長の腕を折った。

 バキリといい音がして、村長が声にならない悲鳴をあげる。


「……すいません村長」

「はあ、はあ……どうだ、思い知ったか!」


 流石にルーライも少し後悔していた。

 さて、これで少し頭が冷えたディーンである。息を整え、逃げる算段を立て直す。

 目の前の女に気を取られていたが、いい加減金庫が開いていてもいい頃だ。ミールとオットーに金貨を持ってこさせ、持てるだけ持って隙を見て脱出する。

 その為には目の前の楽師――というより魔術師の動きを制限するため、村長を盾にする必要もある。

 そこまで考え、ディーンは左手で紐を取り出し、村長の腕を縛り上げた。折れた腕を縛られる激痛に、悲鳴を上げようとする村長の首を締め上げ、寝室の方に声を掛ける。


「おい、ミール、オットー! 金庫は開いたか!」


 ………………。


 返事がない。


「……おい、ミール! オットー!」


 背筋に走る悪寒。ディーンは再度声を掛ける。

 ……やはり返事はない。


「……なんだ、一体……」


 ディーンは村長を抱え直した。右腕一本で村長をホールド。うめき声を上げる口を押さえ、右半身をカバーするように構える。同時に身体の向きを変え、村長が寝室の入り口側に来るようにする。

 もはや楽師に構っている余裕は無かった。一応視界の端で捉えてはいるものの、意識は完全に寝室の方を向く。


「おい、変な動きを見せるなよ!」


 一応ルーライを言葉で牽制して、ディーンはジリジリと寝室に近づいていく。

 寝室のドアまで五メートル、四メートル、三メートル…………


 くそ、なんだってんだ……。


 心の中でそう吐き捨てて、ディーンはポケットから束ねられたパラコードを取り出すと、片端を引き出してドアノブに投げつけた。

 丸まっている側を重しに上手く引っ掛ける。そのままぐいと引くと、ドアノブがガタリと音を立てて、


 ――――瞬間、()()()()()()()爆発した





 南無三、外したか。


 手応えがない。ベッドを破城槌に壁を突き破ったクライドは、そのままの勢いでベッドを投げ捨てた。

 先ほどの会話の位置から動きを予測し、ドアを開ける体勢を想像してベッドをぶち込んだのだが、どうやら相手のほうが一枚上手だったようである。

 多少の悔しさを覚えつつも、すぐに気持ちを切り替える。突き破った壁から応接間に入り、敵の姿を確認。年は四十手前、よく鍛えられた中肉中背――その顔つきと姿勢の良さから察するに、軍人としてのキャリアはそれなりのもの。

 格闘戦へ移行する。武器を抜くのも面倒で、クライドはそのまま素手で突っ込んだ。


「くそっ、なんだってんだ!」


 喚きつつもディーンは応戦する。ベッドがドアを突き破った瞬間、咄嗟に後ろに飛んだのは長年の経験の賜物だった。

 ディーンの従軍していた南方戦線は派手な戦場こそ少なかったが、民衆に紛れたゲリラ兵からの奇襲攻撃は日常茶飯事である――この程度は造作ない。

 右手の村長を振り回し、敵の方向に向ける。しかしこれで安心してはいけない。


 ――“大盾”!!


 発動。村長を避けて左側に回り込もうとしたクライドの打拳が、魔法防御に阻まれて止まる。

 王国陸軍において、盾系防御魔術は原則的に左手甲に入れられる。故に右半身を何らかの障害によってカバーするのは、陸軍兵にとっては近接戦闘の基礎だ。ディーンはその基本に忠実に従った。

 従わなかったのは、ここからである。ディーンは体を旋回させた。

 村長を掴む右腕を、振るう。


「――何ッ!?」


 クライドは仰天した。

 人質であったはずの村長が、横殴りに襲い掛かってきたからである。否、この場合は盾か――だとしたら、あるいはこれもおかしくはない。

 シールドバッシュ。盾を用いた殴打の技術は、中世期には珍しくなかった。実際その用途を想定して、盾自体に攻撃用の衝角を付けた物も存在する。

 髪の毛の薄くなった村長の頭部が、クライドの顔面に飛んでくる。咄嗟にクライドは頭突きで合わせた。額の硬い部分で村長バッシュを受ける。


「ガハッ」


 ガツン、と硬い物同士を打ち合わせる音がして、村長の残り少ない髪の毛がはらはらと宙を舞う。流石にこの衝撃には耐え切れなかったか、村長は泡を吹いて失神した。

 クライドもまた額に走る痛みに、勢いに逆らわず後方に吹き飛ばされる――直前に、ちらりと脳裏に部屋の間取りを思い出し、飛ぶ方向を調節。狙うのは、応接間のテーブル。高級品らしく重厚な天板を持つそれの脚を、倒れこみながらひっ掴んだ。

 地面に倒れこんだまま海老のように体をくねらせ、テーブルを振り回す。上に乗せられていた酒瓶や食器が慣性で吹き飛び、地面に落ちてガシャンと割れた。

 構わず、ぶん投げる。


「――くっ」


 素早くディーンは地に伏せた。フリスビーのように投げ放たれたテーブルがその頭上を通過し、しかし行き過ぎる前に壁に当たって止まる。

 頭上から落下してくる重量級のテーブルに、ディーンはクソッタレと思いつつも対応した。


 ――派手な戦い方をしやがる! 南方なら始末書モノだぞ!


 再度ディーンは“大盾”を発動する。不可視の盾に保護された左拳。“勇者”による強化も乗せられたそれを頭上に振り上げる。

 強烈な打撃音が響き、バキリと音を立てて厚さ五センチはあろうかという木製の天板が真っ二つに割れた。

 両脇に落ちるテーブル。ディーンは立ち上がって敵を見る――同時、クライドもまた立ち上がっていた。


「何者だ」


 誰何の声に、クライドは答えた。


「王国陸軍伍長勤務上等兵、クライド・マクライン」

「東部帰りか」

「如何にも。そちらは南方帰りか」


 問う、というよりは確認の声に、ディーンは露骨に顔を歪めた。

 吐き捨てる。


「陸軍予備役軍曹“功六級”ディーン・ラグドナル。如何にも南方帰りだ――東部の、“英雄”殿」


 嫌味混じりの――いっそ憎悪さえ乗せられた声に、クライドは渋い顔をした。

 東部帰りと南方帰りの確執は知っている。『泥沼』の南方戦線、『地獄』の東部戦線――同じ王国陸軍人でありながら、戦った戦場によって差別される理不尽。

 たまらず、クライドは口を開く。


「南方鎮定の功が、東部防衛の功に劣ると私は思いません、軍曹殿」

「フン、どうだか。たとえ貴様がそう思っても、世間はそう思うものか」


 事実だった――だからこそ、クライドは言葉を重ねる。今度は吐き捨てるように、忌々しさを込めて。


「ああ、そうだろうさ。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()





 ……忘れられている気がします。


 部屋の隅に退避したルーライは、ソファーの陰に隠れて状況を見守っていた。

 ベッドが壁を突き破った時、びっくりして物陰に隠れてしまったが……そうしていて正解だった。元の場所にいたら、先ほどのテーブル投げに巻き込まれていたかもしれない。


 というかクライドさん……。村長ごと殺す気満々じゃないですか……。


 いや、ルーライも一度は見捨てようとしたのだが。

 それにしたってベッドアタックもテーブルアタックも、普通の人間が直撃したら即死する程度の勢いはあった。もし村長に当たっていたら、命は無かっただろう。

 これはクライドが、敵が“勇者”持ちであることを知っていたが故の措置だったのだが、傍から見れば単に人質度外視で攻撃しているようにしか見えなかった……いや、実際に度外視していたことは事実だ。

 激戦地帰りのクライド・マクライン伍長勤務上等兵――人命に対する価値観が色々と雑であった。

 さて、見守るルーライの視線の先、クライドはディーンを糾弾する。


「かかる国難の時節、いやしくも王国陸軍に籍を置いていた者が、何故夜盗などに身を落とす」


 抑えてはいるが、怒りのこもった口調。ルーライは身震いした。

 恐ろしい。そんな感情が湧き起こる。ルーライは二度、彼が怒ったところを見ていたが、これはそのいずれとも違う。

 “義憤”である。個人の感情を超え、大道と正義に従って現れる怒り――すなわちこれは彼個人の怒りではなく、国家の道徳規範そのものが、クライドの口を借りてディーンを糾弾しているのである。


「挙句の果てに御国の金に手を出すだと? ふざけるなよ軍曹! 南方帰りの武名を傷つけているのは貴様の方ではないか!」


 言い放って、クライドはディーンを睨みつけた。

 その鋭い眼光を受けて、しかしディーンは怯まなかった。胸を張り真っ向から受け止める。


「なるほど、たしかに貴様の言うとおりだ上等兵。……だがな、世の中には正論で立ち行かぬこともある」

「ほう、国賊風情が吠えたものだ。……ならば聞こう。貴様のこの行動の所以はなんだ」


 これにディーンは、明確に答えた。


「戦後の論功行賞。そこで生まれた不平等――我々南方帰りには、そこで受けた損失を補填する権利がある」





「知らんとは言わせんぞ東部帰り。国土復興計画に伴う終戦後の軍の大量解雇、そのあおりを最も食らったのが、我々南方の下士官だったことをな」


 ディーンは語りながらも、目の前の男を観察した。

 その黒髪黒目は、明らかに南方民族のものである。しかし顔立ちは王国人に似ていた。おそらく混血であろう。

 先の苛烈な奇襲攻撃から、その性格は伺える。果断にして強引。しかも先の発言を聞くに、王室への忠誠と王国士魂は、最近の都会の若者とは一線を画す。

 忌憚ない感想を述べるなら――荒武者。


 なるほど、このような男が多く戦ったのなら、東部帰りが畏怖されるのも分からんでもないな……。


 悔しいが、ディーンはそう認めざるを得なかった。南方にいた連中は、自分も含めて……仕方ないとはいえ、目が腐っていた。

 だが、それは決して自分が悪いわけではない。

 そう、そうなのだ。……そのはずだったのだ。


「十二年続いた南方戦線。派手な戦が無かったことは事実だが、決して楽な戦場ではなかった」


 ディーンは語り出す。己の戦歴、その殆どを占めた戦場を。

 民衆に紛れ込んだゲリラ兵、服の下に爆弾を抱えての、民族独立派の自爆攻撃……最初は愛想が良かった南方人も、情勢が変化すると態度を変えた。

 語りながら辛い記憶を思い出し、ディーン軍曹は歯を食いしばる。

 仲良くなった現地民も居た。だが、そう思っていたのは自分の方だけだった……。


「そんな戦いを十二年……俺はその最初期から鉄道警備の任務に従事していた。……俺には妻も子も居たが、軍人として任務に当たることは当然だと、生まれたばかりの娘を抱いて、妻は送り出してくれたものだ」


 そう、そうだった。それは彼の人生で最も暖かく、誇らしかった時の記憶。決して忘れるはずのない思い出。

 だがその後――ディーンを待ち受けていたのは、戦争の過酷な現実だった。


「しかし戦争が一年続き、二年続き、三年四年……内地の新聞は俺達を罵倒し始めた。国民は俺達を無能と蔑み、新規に来る兵隊共は不平不満ばかりだ」


 その状況で下士官に出来ることは何だ?

 ディーンの問いかけにクライドは答えた。伍長勤務上等兵であるクライドは、その職権において下士官と変わらない。


「たとえ状況がどうあろうと変わらない。下士官の任務は一つ、兵の監督だ」

「その通りだ。だがなクライド上等兵、最初から任務に対する忠誠心がない連中――どうやって監督する?」


 方法は幾つか浮かんだが、先を促すためにクライドは沈黙した。

 ディーンは自嘲気味に語る。


「俺は最も単純な方策に出た。恫喝して支配する。最初は色々策も講じたが、あまりにも効率が悪かった。それに俺の任務は現地徴用兵も使う必要がある。連中は内地の餓鬼共より性質が悪い……」


 それは下士官の責任ではなく、将校が悪かったのだろうな、とクライドは思った。あるいは彼らさえ、停滞した状況に疲れてしまっていたのだろうか。

 ああ、くそ。ディーンは悪態を吐いて視線を落とす。忌々しい記憶に、自然、入っていた肩の力を抜く。


「休暇で内地に帰った時、妻と大きくなった娘は、変わり果てた俺を見て驚いた。だがそれでも、あいつらは俺を温かく迎えてくれた……受け入れられなかったのは俺の方だ……」


 憔悴したその風体は、とても先ほどまで威圧的で粗野な言動を取っていた盗賊の親玉とは思えない……ルーライをしてそう感じさせるほどだった。

 黙って見つめるクライドに、分かるか上等兵、とディーンは聞いた。


「数年間女手一つで娘を育て、俺を待ち続けてくれた妻の愛情を、俺は信じられなくなっていた! 戦地に戻った俺の元に、離縁を告げる手紙が届いたのは、決してあいつが悪かったんじゃない……!」


 思いの外昂ぶる感情に、涙が滲みそうになるのを堪える。

 仮にも戦闘中であり、表には数十人の敵部隊が待機している――身の上話をしてどうなるものでもなかったが、しかしもはや、ディーンは止める気を失っていた。

 全く以って思い通りにいかなかった今夜の作戦、せめて恨み節の一つくらいは、この東部帰りにぶつけてやらねば気がすまなかった。


「だがそれでも――俺は任務に忠実だった。軍人として国家に奉職する、そのプライドがあったからだ。……だがそのプライドも、東部の戦端が開かれたことで傷つけられた」


 クライドは、ぴくりと表情を動かした。彼にとっては、『それ』こそが戦争である。

 ――王国本土に侵攻してきた共和国の軍勢。焦土と化した国土と、そこからの大反攻。

 『地獄』……その形容は、たしかに伊達ではなかったのだ。


「悪夢のような大戦争。自らの馴染みある風景を蹂躙された国民は、東部戦線の勇士を讃えた……引き換えに俺達は、短期間で南方を鎮定できず、二正面作戦を陸軍に強いた無能と蔑まれ、戦後の論功行賞でも不当に低く扱われた……」


 クライドは、反論しようとはしなかった。反論できる立場に、彼はなかった。

 知っているからだ。それこそが、この国が今抱えている大きな歪みの一つだと。


「そして俺は、首だ。……手切れ金代わりの功六級白鷹勲章が、俺の二十年の軍歴の集大成だ……」


 ディーンは肩を落とした。その姿には、己の人生を否定された男の哀愁が漂っていて、不覚にもルーライは同情しそうになった。

 だが、


「何を腑抜けたことを言っている、軍曹」


 クライドは、まったくもってほだされていなかった。

 彼は兵隊とはいえ元軍人である。軍隊がらみの悲喜こもごもは嫌というほど目にしていた。

 冷たい目でディーンを睨め付け、静かな声で言う。


「たかがその程度か。その程度で――王室に唾を吐いたのか」



 ――――反応は、劇的であった。



「それは違う!! これは王室への反逆ではない!!」


 王国臣民として、越えてはならない一線がある。ましてディーンは『崩れ』とはいえ軍人だ。流石にこの一言には激怒した。

 燃えるような眼光でクライドを射抜く。射抜かれたクライドは、しかし動じることなくこう怒鳴った。


「何が違う! そもそも復興予算とは、困窮する臣民に対し陛下が下された恩恵である! しかもそれを略奪するために陛下より下賜された魔術刻印を使うならば、これは軍人宣誓に対する背信だ!!」


 尋常ならざる音声に、空気がビリビリと震える。ソファーの裏でルーライが、ビクッと身を震わせた。


「違う! 陛下は詔によって我々の功を労って下さった! 反逆の意思などあろうはずがない!!」


 これに対し、ディーンもまた言い返す。これだけの怒気を叩き付けられて動じないディーンも、また一角の猛者であった。


「ならば釈明してみろ軍曹! 貴様とて今この国の国民が、国王陛下の臣民が、一体どのような状況に置かれているのか! 知らないわけではないだろう!」


 完全にヒートアップしたクライドは、怒りのままにぶちまける。


「親を失った子、夫を失った妻! 家を焼かれ故郷に帰れず、今も避難先から戻れない者達を! 復興予算は彼らの希望だ! これを奪うことの何処に正義がある! 陛下への忠誠に懸けて答えろ! 軍曹!」


 言い切ったクライドは荒い息を吐き、眼に炎を燃やしてディーンを見た。

 言い返せるものなら言い返してみろ――そのクライドの挑戦を、しかしディーンは迷いのない声で、



「これは陛下も認めた我らの名誉を、不当に傷つけた国民への懲罰である!!」



 クライドは絶句した。

 呆れたのではない――それほどまでに根が深い憎悪に、愕然としたのである。


「軍人には名誉というものがある!!」


 ディーンは叫ぶ。奪われたもの――奪った者達への憎しみを。


「それは命を懸けるのに最も大切なものだ! 傷つけられた名誉に対し、報復を行うことの何が悪い!!」


 睨み付けるディーンに、クライドは咄嗟に言い返せなかった。

 彼もまた、戦友たちの……死者の名誉を背負う人間である。そして南方帰り達の置かれている辛い立場を、実際に見聞した経験もある。その気持ち自体は痛いほど分かった。

 悪意に対して反撃しない人間は愚かである。血みどろの戦場で生きた者としての共感が、クライドの口を閉ざし――――



「いえ、クライドさん。さっき自分で言ってたでしょう。『南方帰りの武名を傷つけているのはおまえ自身だ』って」



 冷静に反論したのは、ルーライであった。





 視線を向けられて、ルーライはふう、と一息吐いた。


 ……ようやく会話に入れました。ちょっと寂しかったです。


 しかし一体、この状況はなんなのだろうか。戦闘が始まったと思ったら身の上話、一体何処の演劇か。

 演奏家とはいえ、カテゴリー的には芸人のルーライ。この手の批評は結構厳しかった。


「誰がなんと言おうと、犯罪は、犯罪です。そして犯罪者は悪い人です。犯罪者を生んだ『南方帰り』という集団も、悪い集団だと見なされます」


 唖然とした男二人に、ルーライは滔々と語った。

 何故こんな単純な理屈が分からないのか。熱くなりすぎて人間社会の基本通念を忘れている。馬鹿な連中だった。


「で、いいですね? クライドさん」

「……はい。というか、そこに居たんですねルーライさん……」


 アザラシのようにひょっこりと、ソファーの裏から顔を出したルーライに、クライドは毒気を抜かれた声を出した。

 やっぱりクライドさんは、優しい声のほうが似合いますね。満足したルーライは、そのまま二人に声を掛ける。


「では私のことは気にせず、続きをどうぞ」





「…………」


 横槍を入れられて、ディーンは少し冷静になった。

 そうだ。そもそも今は戦闘中である。ついヒートアップしてしまったが、基本的に目の前の男は、理屈ではなく実力で排除すべき相手だった。

 状況を省みる。これだけ大声で遣り合っていても、目の前の上等兵以外が踏み込んでくる気配はない。

 それは果たして、目の前の男一人で十分だと思っているからか、それとも監視班の連中が、やけっぱちの攻撃に出て、そちらに対処しているのか。

 あるいは既に包囲を完了して、出てくるのを手ぐすね引いて待っているのか……。


 いや、考えるだけ無駄か……。


 既にクライドが踏み込んできた時点で、状況は間違いなく露見している。かくなる上は包囲を食い破り、実力によって突破する以外に道は無い。

 分の悪い賭けではあるが、やらないよりはマシである。腹を括るしかない。

 ちらり、とソファーに視線を送る。例の楽師が背もたれに顎を乗せて暢気に見物していたが、攻撃魔術が飛んでくる様子はない。あるいはハッタリだったのだろうか。


「……まあいい」


 ディーンは言葉に出してそう言った。ちらちらとルーライの方を見ていたクライドも、敵手の雰囲気が変わったことを察して表情を消した。

 やはり、強い。軍人の優秀さは切り替えの早さに出る。目の前の上等兵の力量を、ディーンは相応に高く見積もっていた。

 だが――


「たしかに話しても仕方ないことだった。――そろそろ黙ってもらうぞ」


 意識を失ったままの村長の首に右手を回し、“勇者”に魔力を充填する。煌々と灯る赤の光に、浮かび上がる魔術刻印。それは二十年の軍隊生活を経た今、紛れもないディーンの力だった。

 強化のレベルを上げていく。丙種魔術刻印と乙種魔術刻印の間には越えられない差がある。それがこの、リミッターの有無だ。

 特に身体強化のような魔術において、この特性は大きく出る。“戦士”の使い手が束になったところで、単純な膂力で負けるはずがない。それは大人と子供ほどの差だ。


「……やる気か、“軍曹”」

「ああ、やるさ“上等兵”」


 そう――王国陸軍において、下士官と兵の間には、越えることのできない壁が存在する。


「貴様の“戦士”では“勇者”に勝てん。特に一対一の格闘戦なら、決してな」


 それに、とディーンは思う。

 軍歴二十年を誇るディーンは、格闘技術の練度においても、兵卒に劣るものではない。

 目の前の上等兵は間違いなく強い。いかにも東部帰りらしい荒っぽい戦い方は、たしかにディーンの肝を冷やした。

 だが、既に奇襲という実戦における最大の好機を逃している――


「先の奇襲は確かに見事だったが、しかし俺はまだ立っている……技量、経験においても、俺の方が貴様より上だ」


 そのディーンの侮りに、しかしクライドはそうだろうな、と頷いた。

 そもそも東部戦線では、このような屋内戦闘のシチュエーションはほぼありえなかった。

 『敵が屋内に居る? じゃあ建物ごと潰せ』……そんな戦場で戦を覚えてきたクライドは、そもそもそういった器用さを必要としたことがあまりない。

 対してディーンは南方で、敵味方の区別さえ困難なゲリラ鎮圧戦を潜り抜けてきた男である。屋内近接戦闘にも慣れていたし、人質を取ったり取られたりする状況も経験していた。


「精神力では、まあ貴様の方が上かもしれん。だが力と技、この二点で勝る俺を、どうやって倒す」


 クライドは答えない。

 答える必要は、無い――その意思を示すように、すぅっと両腕を下げた。

 僅かに背中を丸めた前傾姿勢。虎の飛び掛るに似たその姿勢に、ディーンは微かに目を細めた。


 ……まさか突兵か?


 南方の作戦には突兵はあまり参加しておらず、ディーンは確信を持てなかった。しかしその戦闘姿勢は、たしかに昔、演習で見た突兵の雰囲気によく似ている。

 だとしたら面倒だな……。ディーンはそんな感想を抱いた。突兵の持つ“大盾”は乙種魔術で、“勇者”をもってしても簡単には破れない。

 細めた目で、クライドの構えを観察する。目を細めるのは眼球の渇きを押さえ、瞬きの回数を抑えるためであり、同時に意識を集中する意味もある。集中した思考でディーンは思う。


 突兵は速度が命……一気に踏み込んで死命を決する気か。


 馬鹿な真似を、とディーンは内心で嘲った。たしかに突兵の速度と突破力は戦場では脅威だが、屋内戦闘では大した意味を持たない。

 そもそも突撃兵の突撃速度を支えるものは、“走駆”による悪路走破性と“戦士”によって強化された脚力によるものだ。近接格闘にどれほどの意味があるか。

 ディーンは村長を支え直した。頭の中で戦術を立てる。


 余計な小細工は無用だ。村長を投げつけ、突進の勢いを殺してから格闘にて倒す。


 そう心中に決したディーンの前、


 ――クライドは動いた。





 固唾を呑んで見守るルーライの視線を、クライドはひしひしと感じていた。

 手伝ってくれればいいのに。そう思わないでもなかったが、まあ男として燃えるシチュエーションではある。

 ……というか。


 まずい、滅茶苦茶見られてるぞ……。


 目の前の軍曹を『この場で』『確実に』倒す方法を、クライドは一つしか思いつかなかった。

 時間を稼げば外のラルフ達が援護に来てくれるかとも思ったのだが、どうやら援護無用の指示を忠実に守ってくれているらしく、全くこちらに来る気配がない。

 不穏分子を中に含んだ部隊など脆いもので、下手に動けば多数の犠牲者を出す可能性もある。故にあの指示自体は決して間違っては居なかったが……しかしクライドの見込みは、甘かったと言わざるを得ない。


 ボスを捕縛してみせれば、下っ端は大人しく投降すると思ったんだけどなあ……四人組はあんなに雑魚だったのに、なんで頭目だけこんなに強いんだよ……。


 いやまあ、王国陸軍の先任下士官は、割とこんな連中ばかりではあるのだが。

 しかしそれにしても、人格に問題があるとはいえ、これだけ出来る男がどうして首になったのか。

 陸軍上層部で南方組と本土組に対立があったという話は聞いたことがあるが、よもやそのせいなのだろうか。軍曹という階級も、年齢の割に低すぎる。


 ……まあ、どうでもいいか。


 今更同情したところで、今や彼は単なる逆賊である。

 大体、二十年勤めた軍を首になったといっても、彼らに対する保障はちゃんと用意されていた。下士官の再就職支援は、兵卒よりも優遇される――世間の評価はともかく、国は一応の義理を果たしているのである。

 それに名誉など、地道に回復するしかないものだ。ルーライの指摘通り、犯罪に走るなど本末転倒であった。


 思い出したら腹立ってきたな……冷静にならないと。


 右目の下の傷痕に触れたくなるのを我慢する。すでにしてお互い必殺の間合。余計な動きは見せられない。

 クライドは前を見る。目の前の軍曹は、虎視眈々と、こちらの動きを注視していた。

 果たして如何なる手管をもって迎撃するつもりか――いいや、そんなことはクライドにはどうでもいいことだ。

 なぜならクライドは――突兵である。



 ――呼吸を消す。

 ――目の焦点を外す。

 ――意識を外界に拡散する。


 ――――思考を止める。



 高速の戦闘走法を駆使する突兵は、意識の使い方に特徴がある。

 最高速度六十キロを超えるその疾走。しかも敵弾飛び交う中で、高速で流れる地面を正確に捉え、それだけの速度を維持するには、脳の処理を徹底的に肉体制御に振り分ける必要がある。

 言語思考では追いつかない超高速の情報処理。それを実現するために、戦闘中の突兵は自我を消す。これこそが突兵をして、戦闘職種最強と言わしめる由縁であった。


 ……とはいえその程度のことは、歴戦の下士官たるディーン軍曹にもできるのだが。





 ――――来るか。


 言葉を捨て単純化された高速思考で、ディーン軍曹はクライドの動きの予兆を確認した。

 僅かな体軸の傾きにそれを見る。刹那、ディーンは村長を軽く左斜め前に押し出した。

 クライドは右足から踏み出す。その最初の一歩が狙い通りの軌道を描いたことに、ディーンはほくそ笑む――暇などあるはずも無く、村長を右に振った。

 ディーンの右側に回りこもうとするクライド、その正中線ど真ん中に村長を押し飛ばす。完全に進路を塞いだ。

 クライドの踏み出した二歩目、左足が村長への突撃コースに踏み込もうとする。


 回避するか、払いのけるか……どの道突進の勢いは落ちる。


 ここまで事前の作戦通り。ディーンは拳を握り、左足から踏み出す。

 クライドの動きを見極めたうえで、渾身の右ストレートを叩き込む、絶好の位置に入ろうと――――



 それを察知できたディーン・ラグドナルは、間違いなく一流の兵であった。



 ――――!?


 左足で踏み込んだはずのクライドの右肩、それが己の進路上に入り込まんとしたことに、間一髪でディーンは気付いた。

 左手の“大盾”に魔力を充填。移動慣性を乗せて撃ち込まれる肘鉄砲を、受け止めんとして展開する。

 ここにラルフが居たならば、まさしく拳を振り上げて歓喜しただろう――王国古流剣術“陰踏”の、拳術応用であった。


 ――だが! 間に合ったぞ!!


 ディーンは勝利を確信する。“大盾”で肘打ちを受け止めた瞬間、確実にクライドの体勢は居着く。

 そしてディーンの右手は温存されている――完全なる右ストレートの好機である。

 故にディーンは、“大盾”の強度に絶対の自信を持ち、逆にクライドを押し返そうと前に出て、



 ――――その右手に、黄金の輝きを見た。





 陸軍伍長勤務上等兵――陸軍退()()伍長勤務上等兵“功究極”クライド・マクラインは感嘆した。

 虎の子の“陰踏”、その一手が破られたからである。


 ああ、やっぱり通じなかったかあ……。


 野戦であればいざ知らず、室内近接戦闘では到底及ばない――なんでこんな奴が野放しにされてるんだと、クライドはつくづく陸軍上層部を恨んだ。

 ――だが、まあ。


 すまんな軍曹。“これ”がある以上、俺は負けられないんだよ。


 武人としては、悔しいことではあるが。

 軍人としては――“元”軍人としては、果たさなければならない義務がある。






 充填される魔力が、“それ”を目覚めさせる。

 魔術刻印によって発動される魔術の威力は、注がれた魔力量に比例する――子供でも知っているその理屈を、しかし“それ”は易々と飛び越える。

 境界面を超える。瞬間、充填された魔力はそれ自体がマナとして機能を始める。発生した引力が周囲の魔力を吸引して肥大化。肥大化により増大した引力が更に魔力を吸引して肥大化。

 吸引して肥大化。吸引して肥大化。吸引して肥大化。吸引して肥大化。吸引して肥大化。吸引して肥大化。吸引して肥大化。吸引して肥大化。吸引して肥大化。吸引して肥大化。吸引して肥大化。吸引して肥大化。吸引して肥大化――――

 無限に続く魔力の圧縮に、その魔力光は黄金の輝きを放つ。



 ――そう、“それ”は魔術刻印ではない。



 ――その黄金の輝きは、“この世界本来の魔法”の証明。



 ――神から与えられし最高神秘、その一つ。



 ――そして下界において、これはその名をもって呼ばれる。



 ――王国陸軍指定甲種魔術、第一類。



 ――――“英雄”







 全身に鳥肌が立つのを、ルーライは感じた。

 この感触は魔力流動――久しく感じたことの無かったその感触に、ルーライはゾクリと身を震わせる。

 巨大なマナを持つルーライは、自身の発する魔導干渉力の強さゆえ、周囲の魔力の動きに鈍感である。しかしそのルーライをして感じさせるほどに、この場の魔力の流れは異常であった。

 例えるならば、風呂桶の栓を抜いたように――その一点に向かって流れ落ちていく魔力。その中心に黄金の輝きを見て、ルーライは目を見開く。


 ――――“魔導紋章”!?


 そして見守るルーライの前で、

 決着は、着いた。




 展開した“大盾”が、まるで石を投げられた蜘蛛の巣のように破れるのを、ディーン軍曹は唖然として感じた。

 完全なるカウンターのタイミングである。右手を砕き、クライドの肘が胸元に飛び込むのをかわすことは、流石に不可能である。


「ガ、」


 強化された大胸筋をもってしても衝撃を殺しきれず、肋骨が砕ける。

 そのまま打ち切れば、肺も潰れただろう――しかしクライドはそれをせず、踏み込んだ右足でブレーキ。体を捻って右肘を引いた。

 反動で繰り出される左手で、突き飛ばす。


「ハ、ッ」


 ドン、と音を立てて吹き飛んだディーンは、そのまま壁にぶつかり、壁に亀裂を入れて崩れ落ちた。

 倒れ伏す軍曹を静かに見つめ、クライドははあ、と息を吐く。

 やってしまった――今の自分の立場を考えると、外国人のルーライの前でこれを見せるのは、いささか問題があるのだが……。

 ともあれクライドは、ソファーの背もたれで生首状態のルーライに声を掛けた。


「大丈夫でしたか、ルーライさん」

「ええ、まあ。……私より村長を心配してあげてください」

「……それもそうですね」


 クライドは突き飛ばされたまま倒れ伏していた村長に近づくと、そのまま抱え起こした。

 脈を計りながら、クライドはルーライに言う。


「すみませんがルーライさん、さっきのアレ、見なかったことにしておいてください」

「わかっています。……言ってどうなるものでもありません」

「助かります」


 クライドはほっと一息吐いた。

 まあ実際、言いふらされたところでどうなるものでもない。奪えるものでもないのだし、最悪でも王都に出戻りで済む。


「それよりクライドさん、村長はどうですか?」

「生きてますよ。殺しかけた俺が言うのもなんですが、タフな老人です」

「それは良かった……」


 ルーライはほっと一息吐いた。

 村長には色々と迷惑もかけられたが、その報いにしても今夜の災難は酷すぎた。というか片腕を折られたのはルーライのせいではなかったか。

 死んでいたら流石に寝覚めが悪い。そう思いながらもルーライは、ソファーの陰から出てクライドに近づいた。

 村長を見る。額にこぶが出来ていて、首にアザが出来ていて、あちこち擦り傷とおそらく打撲だらけで、あと右前腕が折れてはいるが……。


「放っておいても大丈夫ですね、これなら」

「いやルーライさん、手当てくらいはしてあげましょうよ」


 骨折放っておくのはまずいでしょうと、とりあえずクライドは後ろ手に縛られたロープを切らなければと、服の下から簡素な木鞘に入った短剣を取り出す。


「……武器として持って来たはずなんだがなあ」


 抜く。

 その刀身の独特の輝きに、ルーライは息を呑んだ。

 間違いない――聖銀鋼である。

 刃渡り二十センチほどの片刃の直刀。刀身に刻まれた古代文字と、蒼銀と白銀の織り成す独特の輝きに、ルーライは目を奪われて、


「銀、剣……? 国家最高勲章が何故、ここに……」


 呻く声に、振り返った。





「……あんたもあんたでタフだなあ、軍曹」


 呆れたようにクライドも振り返った。

 てっきりもうしばらく寝てると思った。そんなことを言うクライドに、ディーンは自嘲――しようとして痛みに顔を歪める。


「まさか本物の“英雄”とは思わなかったぞ、上等兵……。いや、“功究極銀剣佩用”」

「そりゃそうだ。俺だって田舎の出稼ぎ大工が実は銀剣持ちだったらビビる」

「いやまったく、冥土の土産になった」


 くくく、と笑おうとしたのだろうか。しかし折れた肋骨の痛みか、笑い声はひひひ、としか聞こえなかった。


「いっそそいつで刺し殺してはくれないか。地下で戦友に自慢したい」

「朝敵の誅殺はたしかに銀剣五誓の一つだが、生憎お断りだ。あんたは憲兵に引渡す。市中引き回しの上、陸軍の恥として陸軍軍人五百万から石を投げられて死ね」

「石打ちか。まあ、鋸引きよりマシか……」


 ぼんやりと、諦観を滲ませて、ディーンは呟く。

 ええと、どういうことなんでしょう……。ルーライはきょろきょろしていたが、とりあえず大人しくしていることにした。

 クライドは溜息を吐いた。生気を失ったディーンに近寄り、その横に正座して座る。


「“銀剣佩用”様からのありがたいお説教、聞くか?」

「……ああ、『臣民の善導』、か」


 ディーンは、口の端を吊り上げて笑った。

 何故だろうか――その笑いはまるで子供のようだと、ルーライは感じた。


「折角だ、聞こう。普通に生きていても、機会なんてなかっただろうし、な」


 それを聞いてこほん、とクライドは咳払いした。

 軽く傷痕を撫でて、威儀を正して語り出す。


「ならば三道に照らして理非を顕としよう。我が王国に三道あり。大君是を以て臣民の規範とす。では三道は如何に?」

「王国武道、王国士道、それと……軍人精神、か」

「然り。そも王国武道は八方を斬り従え、王室の威光を聞こし召すにあり。軍人精神は国家への忠誠と敢闘の精神にあり。ならば王国士道とはなんぞや?」

「士道、士道か。士とは人の上に立つ者……即ち、威儀、威厳、威風だ」

「間違いではない。だが貴様は、重要なことを忘れている」


 それはなんだと、ディーンは目で問うた。

 “銀剣佩用”は答える。


「人の上に立つならば、決して忘れてはならぬもの。あるいは異国異民を征するに当たり、決して忘れてはならぬもの――そう、“慈悲”だ」


 ああ、とディーンは呻き声を上げた。

 そうだった――下士官であるディーンは、正式な身分として『士』であった。王国士道についても、下士官教育で叩き込まれた覚えがある。

 なのに何故、それを忘れてしまったのか――


「異郷の地で疲れ果て、現地の民への慈悲を忘れてしまったこと……これはまだ仕方ないとしよう。しかし我が王国臣民の苦境を見てこれを楽しみ、挙句陛下の赤子たる臣民に対し、私怨から懲罰を行うこと、断じて許しがたい」


 淡々と言い聞かせるクライド。その奇妙に透き通った在り様に、ルーライは奇妙な感覚を覚えた。

 もしかすると。あるいはそれは――


「我らは王国の武の担い手である。故にこそ、その行使には慎重と細心が必要だ。武とは決して、無秩序に振るわれてよいものではないのだから」



 …………えっ?



 ルーライは室内を見回した。破壊された家具、ぶち破られた壁、真っ二つになったテーブル……ついでに大怪我して倒れている村長。

 あ、村長のロープまだ切ってない……。今更そのことに気付いたルーライであるが、しかし無秩序の権化の如きこの惨状、大体クライドのせいであった。

 そんな中クライドは、締めに入る。


「貴様が断罪されるべきは、慈悲の心を忘れたこと。そして三道を外れ、武を私欲のままに振るったこと。以上である」


 す、とクライドは目を閉じて、一つ大きく深呼吸した。途端、先ほどまでの厳粛な空気が雲散する。

 突っ込み待ちなんでしょうか……悩むルーライであったが、別にこれはボケではない。


「さて、じゃあ来て貰うぞ。外にあんたの部下が待ってるんでな」


 そんなルーライをさておいて、クライドは外の騒ぎを鎮めようと、ディーンを片手で引っ立てた。








 もう鎮まってた。


「あ、クライド。終わったー? それにルーライちゃん、無事ー?」

「ええ、まあ」

「……え、どうやったんだこれ」


 膝を付き両手を頭の後ろに組んで整列するディーンの部下達と、その後ろで猟銃やらスコップやらを突きつける作業員達。

 完全に鎮圧された状況に、クライドは唖然として聞いた。完全に間諜に入り込まれ、敵味方の区別も困難なあの状況から、一体どうやって制圧したのか。

 問うクライドに、ラルフはニヤッと笑って、


「怪しい素振りを見せた奴らをチェックしておいてねー、班分けで分類して、後ろから攻撃したのさ」

「命令を出したのは俺だ。ラワン防衛小隊小隊長と呼んでくれ」

「ちなみに俺は隊付伝令兵だ。ラルフは第一分隊長として、あいつらの選出をやった」

「おまえらノリノリだな」


 折角だしな、と頷くホーカムとカザート。呆れつつもクライドはディーンに確認する。


「一応聞くが軍曹、あれで全員か?」

「答えても意味がないと思うが、多分全員だ。……どういう観察眼してやがる」


 それともうちの兵が馬鹿過ぎるだけなのだろうか。

 頭を抱えたくなるディーンであるが、今は拘束中で出来なかった。“勇者”で振りほどけないこともないだろうが、肋骨が折れた状態で逃げ切れるわけもない。

 ともあれラルフの勲功に、感心したクライドであった。こんなことを言う。


「凄いなラルフ。後で殊勲褒章をやろう。手作りのやつ」

「折り紙で作るやつー? 懐かしいなー!」

「小学校のテストで満点取ると貰えるあれか」

「ああ、あったな。運動会で活躍すると色画用紙製の頑丈なのが貰えるんだよな」

『あるある』

「あの、何の話をされてるんでしょう」


 王国小学校あるあるネタに、付いていけなかったルーライが口を挟んだ。

 あ、とクライドが気まずそうな顔をして、他の三人がはははと笑う。


「おいおいクライドー、ルーライちゃん仲間外れにしちゃ駄目だろー?」

「やかましいラルフ。それよりも、中にこいつの部下が二人と大怪我した村長が寝てる。運び出してくれ」

「怪我の程度は?」

「右前腕の骨折と首の内出血が酷い。あと頭も強く打ってる」


 結構な重症だな、とホーカムは呟いて、役場の中に入っていった。ラルフとカザートも後に続く。

 さて、とクライドは一つ息を吐いて、


「ようやく今夜の騒動も一段落ですね。ところでルーライさん、今夜は何処に泊まるんです?」

「……宿が空いていると良いのですが」

「まあ、ガラガラでしょう。復興地に好き好んで滞在する旅行者もそうそう居ませんし」


 流石に俺の住んでるボロ小屋には誘えないしなあ、と残念そうにクライドは言った。


「ボロ小屋?」

「村の東にあるんですよ。そこで私は寝泊りして……ああ、そういえばあいつらも処置しないと」


 まだまだ眠れそうに無いなあ、と、クライドはぼやく。

 聞きとがめて、ディーンは聞いた。


「連中、どうなった?」

「確認してないが、生きてるとは思う。……あいつらすげえ弱かったんだが、なんであんな奴ら使ってたんだ」

「……他の奴らよりはまだマシだった。それだけだ」


 あっそ。興味なさげにそう言って、クライドはディーンの腕を逆に極める。

 クライドが無造作に力を入れると、ゴキリと音を立てて肩関節が外れ、ディーンは呻き声を上げた。

 あまりに自然な流れに、ルーライはぎょっとした。


「クライドさん!?」

「拘束処置です。魔術師の拘束は刻印の切除が基本ですが、うちの軍人は基本的に強化系魔術だけなので、こうやって」


 バキ、と音を立てて肘が折れる。脂汗を浮かべるディーンに構わず、逆の腕を取ってクライドは同様に肩を外し、肘を折る。


「手足を折ってしまえば無力化できます」

「は、はあ……」

「……あ、女性に見せるものじゃなかったですね!」


 やべえ! と焦るクライドに、ルーライはいえいえ大丈夫です、と手を振った。

 戦闘で昂っているのだろうか。なにやら細かい気配りの足りていないクライドであった。






「……クライド」

「お、戻ったか。ホーカム、村長の様子は?」


 ディーンの処置が終わった頃、負傷者を背負って外に出てきたラルフ達に、クライドは声を掛けた。

 なおルーライは明後日の方を見て耳を塞いでいた。一応は元冒険者のルーライ、暴力沙汰にはそれなりに慣れてはいたが、無抵抗の人間の手足を折るシーンはちょっと見ていられなかったらしい。

 それはさておき、村長を背負ったホーカムがクライドに答える。


「とりあえずの処置はした。……そんなことより」

「ん? なんだ?」


 顔を顰めたホーカムの剣呑な雰囲気に、クライドはおや、と首を傾げた。


「何か問題でもあったか?」

「問題というか、だな」


 大工のカザートが言う。疲れ果てた声色だった。


「寝室のドア、枠と柱ごとぶっ壊されてたんだが」

「……あ」


 やっべ。

 露骨にそう顔に書くクライドに、左官工のホーカムが言った。


「外壁にも数箇所、亀裂が入ってるんだが」


 無茶したからなあ。

 そう思い返すクライドに、実は家具工だったラルフが言う。


「ベッドとテーブル、あれどうしたらいいんだよー……」

「あー……」


 テーブルは高級品だから、ラルフの仕事とは関係ないんじゃないか……とも思ったが、新しいのが来るまでは応急処置して使うしかない。その作業はおそらくラルフ達の仕事だ。

 戦闘中は基本的に自制心が消し飛ぶ突撃兵のクライド、今更ながらに惨状を思い出して青ざめた。

 ああやっぱり、何も考えてなかったんですね。そう思ったルーライ、クライドに言う。


「慎重と細心?」

「ルーライさんやめて!」


 慌ててクライドは、地面に横たわるディーンを指差した。


「あいつに請求してくれ! 俺は知らんぞ!」

「待て上等兵! 貴様の戦い方のせいで被害を拡大したのだろうが!」

「俺はCQB訓練受けてねえんだよ!」


 訓練してないことが出来るわけないだろうが! とクライドは逆切れした。

 勿論そんなことは軍人なら常識である。訓練していない仕事をやらせて失敗しても、それは兵の責任ではない。


「でも突入しての指揮官確保を自分から志願したの、クライドだったよねー?」

「あの状況で俺以外の誰がやれたよ!?」

「それにしたっておかしいだろ!? なんで壁が崩壊してるんだよ!?」

「“勇者”持ち相手に加減できるか!」

「……まあ落ち着け」


 パンパン、と手を叩いて、ホーカムが二人を抑えた。

 彼としても思うところはあるが、しかしここでクライドを吊るし上げても何にもならない。


「クライドの言うとおりだ。結果的に俺達は盗まれるはずだった金を守り抜き、更に夜盗どもの財産を押収できる立場にある。差し引きじゃプラスだ」

「でも役場直すの俺達だぜ……」

「作業に対して賃金が支払われるなら、普段の仕事と変わらんだろう」

「いやー……、再建と修理じゃ大分違うと思うなー……」


 まあ気分的にはな、と、ホーカムは溜息を吐いた。

 カザートとラルフが消沈する。そのタイミングを見計らって、クライドが言った。努めて明るい声で。


「夜盗の捕縛に成功したとなれば、報奨金や褒章が出るんじゃないか?」


 えー、とラルフが懐疑の声を上げた。ホーカムとカザートが顔を見合わせる。

 平時であれば、まあ、そうだろう。しかし今の時代、この手の夜盗は珍しくない。

 大体『軍隊帰り』が特区に派遣されているのは、元よりこういった事態を見越してのことである。先日の狼狩りもそうだが、この程度のことで一々報酬が出るのだろうか……。

 そんな彼らの疑問に、しかしクライドは胸を叩いた。


「大丈夫大丈夫、きっと出る! というわけで俺への追及はここまでな! さあ、あいつら拘束して明日憲兵に突き出そうぜ!」


 俺、ひとっ走り麓の街まで行って連絡して来るから! そう宣言して走り出すクライド。

 物凄い勢いで小さくなるクライドを見送って、


「……逃げたな。いや、連絡に行ってくれるのはありがたいんだが」

「……逃げたねー。まあ、クライドが一番足速いけど」

「……逃げやがったな。つーかあいつ、明日仕事だって覚えてるのか?」


 溜息を吐く三人。

 そんな彼らを見て、ルーライは思った。


 狼狩りに夜盗退治、なんだかんだで凄い人たちのはずなんですけど……。


「……なんでこんなに軽いんでしょうね」


 というか、いい加減寝たい。

 ルーライはそう思って、可愛らしく欠伸をした。


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