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その4

「いやー! お見事でしたのう!」

「ありがとうございます」

「美人で、しかも謙虚であられる!」


 上機嫌な村長に声高に褒められて、ルーライは頭を下げた。

 村役場といっても、実の所は村長の私邸に近い。事務室や窓口、受付もあるとはいえ、元より小さな村、というか集落である。建物の敷地面積の半分以上は生活空間といっても良い。

 もっとも今ルーライが通された応接間を、生活空間と断じるのは少々はばかられたが。


「ささ、夕飯ですぞい。ご遠慮なくお召し上がりくだされ」

「はい。いただきます」

「お酒もありますぞ! 昔置いていた高級酒は焼けてしまったのじゃが、これも悪くはないでしょうの」

「そこまで気を使っていただかなくても」

「なになに、お気遣いなさらず。この酒も儂のような老人に飲まれるより、楽師殿のような美女に飲まれるほうが嬉しいでしょう」


 からからと笑って、村長はグラスを差し出す。断りきれず受け取ったルーライ、注がれる酒を眺め、心中そっと息を吐く。


 ……村長と一対一というのも、食べにくいですね。


 十分に稼いだし、やっぱり宿に泊まっておけば良かったかもしれない。ちょっと後悔したルーライだったが、今更言っても仕方ないことである。

 どうにも押しに弱いのは、ルーライ自身理解しているところであったが……結局は性分である。


「では我が村の発展と、楽師殿の旅の無事を祈って、乾杯!」

「乾杯。……はあ」


 酒場で飲む方が楽しかったかなあ、と、ルーライは昨夜のことを懐かしく思い返していた。








「んー?」

「どうした、ラルフ」

「いやー、気のせいじゃないかなー?」


 ふらふらと頭を振って、ラルフはホーカムに答えた。そんな様子に呆れたように、カザートは問う。


「……大丈夫かラルフ。何時から飲んでたんだよ」

「午前からー」

「はあ!?」

「仕事が休みだったらしい」


 おまえ二日連続でなにやってんだよ。

 カザートはふらつくラルフの頭を掴んで動きを止めた。あうー、とうめき声を上げるラルフ。


「おいホーカム、こいつもう駄目なんじゃないか?」

「昼からかなり飲んでたからな……」

「やだー、もっと飲むー!」

「おいこら落ち着け!」


 駄々をこねるラルフを押さえつける。細身な体格に見えて案外力は強く、カザートは手を焼いた。


「ホーカム! ドクターストップじゃないか、これは!?」

「俺はドクターじゃないが、そうだな、もう寝かせた方が良さそうだ」

「やだー!」

「ふごぉっ!?」


 振り回した頭に直撃されて、カザートは悲鳴を上げる。おいおい、とホーカムは呆れたように、


「制圧術がなってないぞ」

「俺が悪いのか!?」


 カザートは目を剥いたが、ホーカムは抗議する声を聞き流して、暴れるラルフの隣に立った。

 手本を見せてやろう――そんなことを言って、すっとラルフの右腕に両腕を絡める。


「――って、痛い痛いホーカム! なんで俺連行術食らってるんだよー!?」

「おや、痛覚はちゃんと残ってたか」

「そこまで無茶飲みしないよー!?」

「はいはい。……とりあえず宿舎まで送ってやる」


 そのまま引きずって酒場の外へ連れ出すホーカムを、カザートは呆れて見送った。


「……衛生兵すげえ」

「ああカザート! 席は取っておいてくれ!」

「分かってるっての」


 まったく、クライドもラルフもホーカムも、大概無茶な連中だ。

 そんな風にカザートはぼやいたが、まあ結局、彼も同じ穴の狢ではあった。








「眠れねえ……」


 明かり一つないあばら家の中で、毛布に包まってクライドは眠ろうとしていた。しかしどうにも眠れる気がしない。

 酒を飲まずに眠った所で、どうせ深くは眠れない。眠りが浅いだけならまだいいが、先の手紙の追伸文、あれがどうにもいけなかった。

 果たして夢を見るならば、一体どの悪夢を見るか。初恋の人が結婚した時の夢か、子供の頃よく遊んでくれた近所の兄ちゃんが戦死した時の夢か、それとも彼の遺品を持って帰り、その妻に泣きながら罵られた時の夢か――――


「吹っ切れたと思ってたんだがなあ……。メーラ姉、手強すぎるわ……」


 あるいは誰にとっても初恋の相手とは、そんなものかもしれないが。

 とはいえ数十分の後には、うとうとし始めたクライドであった。











 さて、過ごし方は人それぞれと言えど、夜は一律に更けていく。

 時の流れとはそういうもので、望むと望まざるとにかかわらず、その時はやってくる。











「……集まったか」

「へい、ボス」


 街道沿いに立ち並ぶ建設途中の建物。その影に隠れて、彼らの姿はあった。

 壁にもたれて立つのは、ボスと呼ばれた男。昼には行商人と名乗っていた彼の本名は、ディーン・ラグドナルといった。

 周りを囲む配下――半月ほど前から順次送り込んでいた、潜入担当者達――を見回して、彼は右手を軽く掲げる。薄闇の中、その甲に薄く光る魔術刻印――その無言の威圧感に、集まった部下は一様に身を震わせた。


 ――――これが俺の“力”だ。


 大仕事を前に、ディーンは己を鼓舞した。もちろん、同時に部下の引き締めも兼ねている。

 一類乙種王国陸軍制式魔術“勇者”。身体強化の上位魔術で、およそ“戦士”とは比較にならない効果を発揮する。

 その威力ゆえに士官、あるいは戦闘職種の下士官以上にのみ支給される魔術である。本来は戦闘用であるそれを、しかしディーンは部下の支配に利用していた。

 別にそれは決して間違った用途ではない。事実、『泥沼』と呼ばれた南方戦線では、現地徴用兵の掌握に魔術刻印をちらつかせるのが一般的であった。……ディーンが、“これしか出来なくなってしまう”程度には。

 部下の畏怖を見て取って、ディーンは魔力光を消す。今回の仕事の危険性は今までの物とは段違いで、少しでも浮かれていては命取りになるだろう。


「……よし。では配置を伝える。酒場に大勢が集まっていることを鑑み、当初の予定から変更した。命令された者は復唱しろ」


 ディーンは指示を出していく。急な予定変更に、思ったほどは動揺を見せない部下……しかしだからといって、彼らの遂行能力を過信してはいけなかった。

 事前のシミュレーションと異なる以上、確実に効率は落ちる――だがその落ちた効率を埋め合わせる程度には、今夜の状況は好都合だと、ディーンは判断していた。


「……以上、これまで呼ばれたものは二人一組で村の人間を監視し、何かあれば片方が報告に来い」


 はい、へい、分かりました。

 バラバラな返答に苛立ちを覚える。優れた部隊であったなら、打てば響くように返答は揃っていたはずだ。

 所詮クズ共か。ディーンは内心で吐き捨てた。元よりクズの寄せ集めである彼の『今の部隊』――その中でも潜入に用いた連中は、揃って愚鈍で頭の悪い者達である。

 これは自分達の無能さを一般の労働を通して実感させ、裏切りを防止するための方策であったが、しかし一人二人は頭の働く奴を入れるべきだっただろうか……。

 まあ、今更考えても仕方のないことである。


「ミール、オットー。お前達二人は俺と一緒に来い。金貨を運び出す大役だ」

「はい」

「へい」


 その一言に、他の部下が一瞬ざわつく。

 なんであいつらが……声なき声を聞き取って、ディーンは忌々しげに舌打ちをした。

 部下の間に緊張が走る。結局彼らはディーンの顔色を伺う以外能のない連中だった。ボスだ部下だと言ったところで、信頼関係などあるはずもない。

 あるのは恐怖だけだ。そしてそれは悲しいことに――たしかに彼にとって、やりやすい環境なのだった。


「勘違いするんじゃねえぞ。てめえらは無能だ。その中でも一等無能なのがこの二人だ。だから俺が直率する」


 ギロリと睨み付けて、ディーンは部下を恫喝した。

 こんなことも言わなければ分からないのか。そんな苛立ちを込めつつも、彼の理性は冷静に、部下の無能を計っていた。

 そもそも有能であれば、自分などに着いて来る筈もない。……そんなことは分かっている。


「段取りはこうだ。俺達三人が役場に向かう。特に小細工はない。行商人の立場を利用して玄関から尋ね、出てきた村長をふんじばって金庫を開けさせる。狙いは村の復興資金だ」


 臨時の出費に備えて保管されている現金、およそ金貨三百枚にはなるだろう。そうディーンは推測していたが、部下には何も言わなかった。余計な欲を書かれて浮き足立たれても困る。


「その間監視班は村人の監視を続けろ。何かあればすぐに連絡に来い。役場に向かう人間が居れば、なんとかして止めろ」

「“戦士”を使って、ですかい?」

「馬鹿か。根性なしの貴様らに、この村の大工連中が倒せると思うのか」


 いえ……。馬鹿な質問をした部下が口を噤むのを確認して、ディーンは続ける。


「金を確保したら、一度俺が役場から出て合図を送る。……リーガル」

「へい。そうしたら俺が東の別働隊に、ひとっ走り伝令に走ります」

「そうだ。そして別働隊が、東のあばら家に火を点ける。その後は監視班が扇動して衆目を東に引きつけろ。その隙に俺達は西に逃げる」


 合流場所は覚えてるか、とディーンは尋ねた。ぼちぼちと頷く部下に、一応の確認を取る。


「……で、合流して今回のヤマは終わりだ。何か質問はあるか?」

「へい」


 部下の一人が手を上げた。ディーンは顎で指して先を促した。


「質問というよりご報告なんですが。例の楽師が役場に入ってます。なんでも今夜は泊まるとか」

「……なんだと?」

「大したことはないと思いましたが、一応……」

「大したことないわけがあるか……っ!」


 押し殺した声から隠し切れない怒気に、部下がビクリと身を竦めた。

 しかしディーンはそんなことを気に留めている場合ではなかった。音属性魔法持ちの魔術師が現場に居る。その意味が理解できない部下の頭の悪さに腹が立つ。

 “増響”、あるいは“拡声”――軍隊でも様々な用途で用いられるそれは、特に隠密行動が基本の今回の仕事において、大きな障害になりえる。


「……村長より先に女を抑えるしかない。だがそれは、玄関先では無理だ」


 かつ、かつ。

 無意識に指が床を叩き出す。逸る気持ちを抑えつつ、ディーンは動き方をシミュレーションした。


「……ミール、オットー」

『へい』

「俺が合図するまで物陰に隠れていろ。先に俺が入って女を無力化する」


 それしかない。行商人の名乗りを利用して役場に入り、不意を打って楽師を殺す。

 そう宣言したディーンに、しかしミールとオットーは、


「殺すんですか? 勿体無い」

「折角だから楽しみましょうぜ」

「馬鹿か貴様ら!」


 珍しく口答えした配下に、流石に頭にきてディーンは強く叱責した。


「魔法の拘束不可能性、知らないとでも言うつもりか!」

「いっ、いえ」

「新兵訓練でやりましたッ」


 慌てて背筋を伸ばす二人を殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られる。しかしなんとか自制して、ディーンは呼吸を整えた。

 ふうー、と息を吐いて、改めて宣言する。


「今回のヤマは国の金に手を付ける事になる……。発覚したらタダじゃ済まん」


 分かるな、と、ディーンは念を押した。


「今までの火事場泥棒とは訳が違う。一つのミスが命取りだ。……計画に不満があるなら、今、言え」


 ディーンは部下の顔を一人一人、見据えていった。全員が目を逸らす。

 逸らしたら意味ねえだろう。部下の態度に苛立ちを覚えたディーンであるが、とにかく、釘は刺し終えた。これ以上は蛇足だ。


「では配置に着け。己の役割を忘れるなよ」

「あ、あの……」

「なんだ?」


 水を差した部下を睨み付け、ディーンは聞き返した。

 おどおどとした態度の彼は、数度、口を開きかけては閉じ……業を煮やして、ディーンはもう一度強く聞いた。


「……なんだ」

「……いえ、なにも……」


 なら言うんじゃねえ。

 不機嫌そうに言われたその一言に、気弱な部下は『はい……』と消え入りそうな声で答えた。




 ――――東のあばら家の住人がすでに戻ってます。クライドという元突兵の男です。


 もしこの一言を告げていたなら――あるいはこの先の展開も、変わっていたかもしれないのだが。











「…………んん?」


 不意に、クライドは目を覚ました。悪夢を見たわけではない。夢を見るほど深く寝入っていたわけではない。

 軽く身じろぎして、クライドは嫌だなあ、と寝たまま頭を掻いた。眠りが浅かった理由は分かりきっている。


 飲んでないからなあ……。


 そう納得して、クライドは二度寝しようとする。いつもの癖でつい、地面に耳を押し当てて、



 ――――複数の人間が歩調を揃えて歩く足音を察知。



「!!」


 反射的に顔の傷痕に触れる。

 夜襲。その二文字が頭に浮かび、クライドは音を立てず跳ね起きた。素早く戦闘の用意を取る。右手を毛布に突っ込んで身体強化を発動。これは夜間、強化魔術発動時の魔力光を漏らさないための措置である。

 次に衣服――は、特に音の立つ素材でもないのでそのまま。武器――は取り出す際に音を立てざるを得ない場所にあるので諦める。

 ならばよし、対象の危険性を判断するため夜闇に乗じて接近、場合によっては実力によって排除すべし――――!!


 ……ここまでやってただの通行人だったら馬鹿だなあ。


 そんなことを頭の冷めた部分で思いつつ。クライドはそっとあばら家を抜けた。






「……なあ」

「おい、声を出すな」

「誰も居ねえだろうがよ」


 街道を上りながら、男――別働隊の男達は口を開いた。

 人数は四人。いずれも年は二十代後半から三十代前半といったところだ。足取りと目つきに力はあったが、全体的に薄汚れた風体だった。

 何しろ朝に麓から上ってきて、夕方まで山に潜んで待機していたのだ。日中は街道に人通りもあり、下手に姿を晒しては不信に思われる可能性がある。


「蚊に食われて痒いぜ。ったくよう、うちの軍曹殿も人使いが荒いじゃねえかよ」

「あまり文句を言うな。この不景気に稼げてるのは、ボスのお陰だろうが」

「ハッ、俺達抜きで軍曹殿がやっていけるもんかよ」


 四人組の中、目つきの悪い小男が、しきりにボスの悪口を言っていた。

 余程鬱憤が溜まっているのか、はたまた蚊に食われた痒さを誤魔化すためか、口を尖らせて悪罵する。


「怒鳴ると殴るしか能のない“軍隊漬け”の下士官――しかもまともな戦闘の少ない南方帰りだ。俺達“東部帰り”を顎で使えるたあ、様様ってやつじゃねえのかよ」

「……それ、軍曹殿の前で言ったら殺されるんじゃねえ?」

「知るかよ。俺はあの軍曹殿が大嫌いだ。事あるごとに“勇者”振りかざしやがってよお」


 ぺっ、と唾を吐き捨てる。


「東部戦線だったらケツの穴を増やされてるぜ。ありゃあ魔法の格が絶対的戦力差だと勘違いしてるクズだ。格下苛めにしか使われないとは、ひでえ勇者様も居たもんだぜ!」

「まあ、な……。だが、ゴミみたいな連中を使うのは、たしかに上手い」

「そりゃそうだ。無駄に長い軍歴の、大半を阿呆の南蛮人苛めに費やしたような奴だ」


 その程度も出来ねえなら、とっくに殺して埋めてるぜ。

 そう吐き捨てて、小男は足元の小石を蹴った。ポーンと飛んで草むらに落ちる。

 そんな様子に苦笑いして、年かさの――おそらくリーダー格の男は歩きを止めた。目標のあばら家はすぐ近くである。


「さて。これからの行動は分かるな?」

「リーガルの野郎が連絡に来たら、そこのボロ小屋に火を点けるんだろ?」

「その通りだ。あとは潜入班が扇動して、消火のために人を集める」

「は。俺らがやる仕事にしちゃ楽すぎるぜ」

「てか効果あんの? このボロ小屋、すぐに燃え尽きそうじゃねえ?」


 伸びた髪の毛を後頭部でまとめた比較的若い男が、あばら家を指差して言った。

 リーダー格の男が答える。


「山火事の可能性もある。無視するわけにはいかんだろうさ」

「はん。ま、俺達は作戦とやらに従ってればいいのさ。軍曹殿の完璧で綿密な作戦とやらにな!」

「完璧かはさておき、今回の復興資金を狙う大胆さには驚かされましたねー」


 背が高く、目の細い男が言った。


「あれはただ威張りたいだけのボス猿だと思ってましたから。国の金に手を付ける意味、分からないほど馬鹿でもないですし」

「は。どうせ逆恨みだろ」

「多分そうでしょうねー」


 くつくつ、と目の細い男が笑う。性格の悪そうな笑い方だった。

 嫌そうな目で見て、小男が言った。


「くだらねえ男だ」

「そのくだらねえ男が、今の俺達の上官だ。……作戦の用意は大丈夫か?」

「何をだよ。今夜は晴れだ。ライター一つで済むじゃねえか」

「それはまあ、そうなんだが……」


 リーダー格の男が見上げた視線の先、星空とそこに流れる雲。

 三日月が雲に隠れて、辺りが少し薄暗くなった。


「山の天気は変わりやすい。にわか雨の可能性もある……先に小屋に入って、すぐに点けられる用意をしておこう」

「へいへい。誰か一人、外に残るか?」

「いらないんじゃねえ? 誰か来れば分かるしょ?」

「一応私が外を見てますよ。それより気をつけてください。住んでいる人も居るらしいですしねー」

「大丈夫だろ。こんだけ話してても気配一つしねえ」


 ガラリと戸を開けて、小男は中を覗いた。暗闇に目が慣れるまで数秒。

 ボロい外観を裏切らず、ボロボロの内装。囲炉裏もあったが、特に最近使われた形跡もない。

 唯一部屋の隅に置かれた毛布の山だけが、人が住んでいる気配を示していた。


「ほらな。もぬけの殻だ」

「うわ、こんなとこに人住んでんの? 馬鹿じゃねえ?」


 小男が入ったのに続き、ロン毛もズカズカと上がり込む。

 すっかり緊張感を失っている仲間達に、呆れたようにリーダーは溜息を吐いた。完全に観光気分である。どちらかといえばお化け屋敷か。

 とはいえ、内部がクリアされたのは間違いない。あの二人もふざけているようで、しっかりお互いの死角をフォローしつつ、天井や物陰に視線を走らせていた。

 じゃあ俺も入って待つか……そう思い、入り口から中へ踏み込んだその瞬間、


 どんっ。


 どさり。


 何かを殴るような音と、人が地面に倒れるような音。

 思わず振り返ったリーダーの胸元、伸ばされる腕が――――






「――――ッ!」


 掴み掛かる左手を、相手の男は払おうとした。

 その手首を、捕る。


「なっ――!?」


 掴むのではない。掴めば二動作になり遅くなる。

 左手をくるりと返す。鎌手と呼ばれる手形。蛇の絡みつくように引っ掛けて、相手の右手を引きずり落とした。

 どうやらあらかじめ魔術による身体強化を掛けていなかったらしく、抵抗する力は弱い。まるで空気人形を抱き寄せるが如く軽い感触。ガクンと相手は前のめりに崩れた。


 打つ。


 右の掌で顔を撫で上げる。筋力強化が掛かっていないことを考慮し、あくまで軽く、触れるような力加減。しかし強化の掛けられた掌とは、水銀の詰まった皮袋に等しい重さを持つ。

 前歯が折れ、鼻骨が砕ける。衝撃で脳が揺れたのか、膝の力が抜けて崩れ落ちる。バキリと嫌な音が頚椎から響いた。


 ……死んでねえだろうな……。


 まあいいや。

 意識を切り替える。残る敵手は二人、いずれとも距離は離れている。三メートル弱といった所か。

 反応が早かったのは、ロン毛の男の方だった。右手でナイフを抜いて、一気に飛び込んで突いて来る。


 ……なんで魔法使わないの? 馬鹿なの?


 その判断にドン引きする。引いたのは心だけではない。肉体も一歩、後退した。無論真っ直ぐは下がらない。左斜め後ろに下がり、上体を捻って突きの軌道、延長線上から胴体を退避させる。

 同時、右の下段回し蹴りが、相手の踏み込んだ右膝を、完璧なタイミングで捉えた。


「がぁぁあああーーー!!!????」


 着弾は相手の足の着地と同時。逃げ場を失った衝撃が最も弱い構造、膝関節に集中する。

 ごしゃり。皿を砕かれて崩れる右膝。体重を支えきれず倒れこむ上半身を、今蹴った右足を下ろさず再度蹴りこむ。

 無造作に繰り出された右足の裏に胸を打たれ、ごふっ、と肺の空気を吐き出してロン毛は倒れた。


「て、テメエ!?」


 残る最後の小男は、事ここに至ってようやく、己が王国陸軍兵士であったことを思い出したらしい。

 右手の甲から迸る赤い魔力光。その噴出す光の強さは、まさに彼の内心の焦りを表現していた。モンキーモデルである丙種魔術刻印には、規定量より多い魔力を流すと余剰分が魔力光となって放出されるリミッターがかかっている。

 もちろん、発動まで待ってやる義理などあるはずもなく。


「奇襲を受けてから魔法発動まで遅すぎる。やり直し」


 そんな講評を入れつつ、クライドは踏み込んで殴り倒した。






「……本当に東部帰りかこいつら。弱すぎるぞ……」


 襲撃? してきた男達を制圧し、クライドは頭を抱えていた。

 気配を隠そうともしない態度の時点で士気と練度はお察しだったが、しかしこの反応の悪さ。敵ながら恥ずかしいレベルだった。

 自分が強いという自覚はあるが、それにしたって同じ戦場を駆けた筈の元友軍の体たらくに、ほとほとうんざりする。こんな奴らがでかい顔しているようでは、東部戦線で死んだ戦友達が浮かばれない。


「第二軍団の三桁師団かなあ……。ヌルい戦ばっかりしてた奴ら……」


 それにしたってこれは平時でも検閲通らないんじゃねえかとクライドは思ったが、まあ、そんなこと今はどうでもいい。

 とりあえず一番脳へのダメージが少なそうな、ロン毛の男を叩き起こして話を聞くことにしたのだった。











「さあ! さささルーライ殿、もう一杯如何ですかのう!」

「いえ、私は結構です。……それよりそちらのグラスが空いていますよ、お注ぎしましょう」

「いやー! こんなめんこちゃんにお酌してもらえるとは、長生きはするものじゃなあ!」


 うるさいですね……。

 先ほどから隣に座って大声を張り上げる村長に、ルーライは頭を痛めていた。

 夕食後の酒の席である。まあ付き合わされるのは予想通りで、ルーライもそれなりに慣れてはいたが、しかし酔った爺の不躾な視線には不快感を禁じえなかった。


「おっとっとっと……。くぁーっ! 美味い! ルーライ殿は注ぎ方を心得ておられる!」

「はあ、それはどうも」


 言いつつも、村長の手が太ももににじり寄ってくるのを視線で制す。

 おおっ、と声を上げて手を引っ込める村長。……この攻防もそろそろ二桁になる。ルーライは神経をすり減らしていた。

 いくら敬老の精神に溢れ慈愛に満ちたルーライと言えど、こうも長々と爺のいやらしい視線に晒されていては辛いものがある。

 いっそ強引に迫られれば、対処も楽なのですが……そう思うルーライだが、中々そう安易な行動には移ってこなかった。流石エロジジイというべきか、女の子を嫌がらせるツボを心得ている。

 素面では普通の老人だったんですけどね。酔っ払いの残念さにげんなりするルーライである。


「……そろそろ瓶も空になります。いい加減眠りませんか」

「おや、では寝室に行きますかな?」

「……。グラスが減っていますよ。どうぞ」


 これである。

 女一人旅の旅芸人である。まして男受けのする外見のルーライ、この手の勘違いは結構日常茶飯事だったが、しかし演奏で十分な報酬を得ていると分かっていながらこの態度。つくづく頭の痛い状況だった。

 まあ、遊ぶ所のない田舎村。しかも妻を亡くして長いという村長の状況を考えれば、同情の余地はないこともないのだが……。


 ……でも、そろそろ眠らせてしまいましょう。


 ルーライはそう決心した。女を誘うのが男の権利なら、セクハラに対して自衛するのは女の権利である。

 ついでに慰謝料と接待料も頂こうかと、ルーライは実行する前に一言尋ねた。


「村長、次のワインはありますか?」

「お、飲む気になりましたかな?」

「ええ。美味しいお酒を期待します」


 だから高いのを寄越しなさい。

 言外にその意を含ませて、ルーライはニコリと微笑んだ。コロリと騙されたのか、おねだり上手じゃのう! とえらく上機嫌に村長が立ち上がる。


「足元、気を付けて下さい」

「いやー、儂はまだまだ大丈夫ですぞい!」


 ふらふらとした足取りでワインセラーに向かう村長に、一応一声掛けるルーライは、実に心の優しい娘だった。











 騒々しい、という言葉でも足りないような喧騒の中、ホーカムとカザートは酒場の隅で、壁にもたれかかって酒を飲んでいた。

 ホーカムはクライドの治療で、カザートは先の連帯責任で、疲労が溜まっている。あの騒ぎの中に何時までも混ざっているのはきつい。


「なあ、ホーカム」

「なんだ?」

「まだ春先なのに暑くないか……?」


 酒場の中は宴もたけなわ。集まる人の多さに辟易したジェーンの提案により、既に会場は立食パーティー化していた。席を確保してくれと言ったホーカムも、これには苦笑いである。

 全ての椅子と大半のテーブルは酒場の前の通りに出され、残っているのは少数のテーブルのみ。

 収容能力はたしかに上がったが、しかし下手に広くなったことで外飲みの連中も中に入り、人口密度は大変なことになっている。はっきり言って、暑い。

 ……もっとも当の提案者はそんな客達の事情を省みず、カウンターに運ぶだけで客が勝手にテーブルまで持って行くシステムを構築できたことを、喜んでいたのだが。


「まあ仕方あるまい。酒場としては儲かるように営業するものだ」

「そりゃそうだけどよ……。つーかルーライちゃんも居ない所か、演奏会の話題さえ出てこないんだがどういうことだよ」

「あんなものはただの口実だろう」

「そりゃ分かってるが、それにしたって薄情すぎやしないか?」

「……どうしたカザート。酒量が足りないんじゃないか」

「どういう意味だよ」


 不満そうにカザートはホーカムを見た。怪訝そうな目で見られ、あーもう、と顔を顰めて白状する。


「さっきの会話が引っかかってるんだよッ」

「どの会話だ。それだけじゃ分からんぞ」

「ルーライちゃんが村長に持ち帰られた件だ」


 ぐいっとジョッキを傾ける。今日も今日とてビールであった。


「あいつらはああ言ってたが、どうにも釈然としねえ。なんでクライドはああも彼女を信用できるんだ」

「……クライドが手を握ってるのを見なかったか?」

「は?」


 カザートはきょとんとした顔をした。おや、と思いつつもホーカムは説明する。


「皮膚接触によるマナ反応感知法、習ってないのか?」

「へ? いやいや、習ったけどよ……」

「だったら分かるだろう」

「いやいや分かんねえ……え、もしかしてルーライちゃん、そんなに凄い魔術師なのかよ?」

「もしかしてというか、……見て分からないか?」

「いや、わかんねーよ。見て分かるとか何処の達人だよ」


 いやいや、カザートは首を振ったが、これにホーカムは意外そうな顔をした。

 どういうことだ、とカザートは疑問に思う。たしかに魔術師の実力、というより潜在能力は『触れば分かる』が、見て判断できるとは聞いたことがない。

 しかしホーカムは、カザートにこう答えた。


「そもそもマナ感知法の原理は、相手のマナと自分のマナの間に発生する引斥力で相手のマナの大きさを判断する、というものだ。一般的には触らなければ分からんが、極端にマナのでかい相手ならその限りではない」

「ルーライちゃんがそうだってのか?」

「ああ。『触れがたい雰囲気』があっただろう」

「……え、あれってそういうものだったのか?」


 カザートは耳を疑った。てっきり神秘的な雰囲気とか、高貴なオーラとか、そういうものだと思っていたが……。

 にわかには信じられず、なんで分かるんだよ、とカザートは訊く。

 これにホーカムはあっさりと答えた。


「前線にはな、居るんだよ。そういう化物が。……一度そいつらに遭遇したことがあれば、絶対に見誤らない」

「そう、なのか? ……てかそれが分かるあいつら、何処の部隊だったんだ?」

「クライドとラルフなら、第三軍と第七軍だ」

「東部戦線の最先鋒じゃねえか!」


 驚いてカザートは声を上げた。視線を向けられて、慌てて声を潜める。


「初耳だ。何時聞いたんだよ」

「討伐の打ち合わせで少しな。ちょうどおまえが席を外してた時だ」

「……それは気を使ってくれたつもりか?」

「おまえに、ではなくあいつらに、だ。本当の激戦地帰りは、あまり語りたがらない」


 クライドも、アレで相当はぐらかしてるはずだ、とホーカムは言った。

 そのことについては薄々気付いていたものの、しかし感情的に釈然とせず、カザートは言う。


「そうなのかねえ……そりゃまあ、俺は東部第二軍団だったけどよ」

「具体的には?」

「三○八歩兵戦闘団。終戦時は第百三十六師団の与力だったか」

「……おまえも結構苦労してたんだな」

「現役兵だったからな……」


 召集兵だらけの第二軍団じゃ貧乏くじだったよ、とカザートはぼやいた。

 ともあれ、


「だからまあ、心配は要らん。ルーライさんが望めばともかく、俺の見る限り彼女はそういうタイプじゃないしな。適当にあしらって終わりだ」

「そうか、なら安心しとくかね」


 やれやれ、とカザートはジョッキを空けて、カウンターの上に置いた。マスターが受け取って声を掛ける。


「代わりはいるか?」

「あー、少し風に当たってくるわ。今はいい」

「そのまま帰るんじゃねえぞ?」

「帰んねえよ……ってか、今夜の飲み代は全員で割り勘か? 伝票ないぞ?」

「…………どうするかな」


 おいおい考えてなかったのかよ、と呆れて、カザートはカウンターを離れた。











 カランカラーン


「……む?」

「おや?」


 ワインを取って戻ってきた村長がルーライの隣に腰を下ろそうとして、そんな村長を眠らせようと、ルーライが魔法の用意をした瞬間のことである。

 不意に玄関の呼び鈴が鳴って、ルーライと村長は首を傾げた。


「お客さんですか?」

「いえ、そんな予定は……。まったく、一体誰じゃ……」


 ぼやきつつも、ふらふらと村長は応接間を出て行く向かう。

 役場へのお客さんなら、私の出る幕ではないでしょう。そう判断したルーライは、ワインのラベルを確認してみた。


「ほう、これは中々……」


 それなりのグレードの品だった。流石に村長、というか役場ともなれば、来客用にそれなりの蓄えはあるものだ。

 持ち出して明日辺り、クライドさんにでも差し上げましょう。そんなことを考えるルーライだが、そんな時応接間のドアが開き、入ってきた人間にルーライは目を向けた。

 昼に会った行商人の男である。例によって不遜な態度を隠そうともせず、ズカズカと入り込んでくる。ルーライの姿を見て、ニタリ、と露骨にいやらしい笑みを浮かべてみせた。

 ふらふらと追いすがる村長を気にも留めず、ルーライに向かって声を掛ける。


「よう、楽師。お楽しみ中かと思ったが、まだのようだな」


 またですか。

 にやにやと、先の村長が可愛く見えるほどのあからさまに下卑た笑みに、ルーライは露骨に顔を顰めた。

 まったく誰も彼も……ルーライは悲しくなった。ここまで来ると、むしろ頑なに貞操を守り続けている自分がおかしいのではないか、とまで思えてくる。


 ……クライドさんはどう思ってるんでしょうね。


 ふとそんな思考が頭をよぎり、ルーライはブンブンと頭を振った。考えない、考えない。

 その様子をどう解釈したか、行商人の男はくっくっ、と喉の奥で笑った。露骨な視線でルーライの身体を舐めまわす。

 身震いして、ルーライは己の身を抱いた。こういう仕草が男を調子付かせるのは知っているが、幾らなんでも我慢がならない。嫌悪感を込めて問う。


「一体何の用ですか」

「何、しょぼくれたジジイより、まだしも俺のような男の方が良かろうと思ってな――――幾らだ、楽師」

「生憎と、その商品は扱っておりません」


 睨み付けて言った。そんなルーライの視線に、ほう、と男は眉を動かす。

 好機と見たか、ここで村長が口を挟んだ。


「そうそう、楽師殿には夕の演奏で、十分な報酬を与えておるのじゃ。貴様が考えるような事など無い!」

「…………村長」


 おまえが言うなとルーライは思った。呆れた視線を受けて村長がうっ、と呻く。

 しかし男は何か思うところがあったのか、先のいやらしい笑みを消して、不思議そうな顔をした。


「……本当か?」

「はい。私は演奏の腕一本で世を渡る流浪の楽師です」

「ふむ、それは失礼したか」


 心無いことを言ってしまって申し訳ない。そう謝る男にルーライは困惑した。

 一体何がやりたいのか。強引に押し入って来たにしては、諦めが良すぎはしないか。そんな考えも頭に浮かんではいたが、一先ずルーライは警戒を解いた。お人好しである。


「いえ、特に実害があったわけでもありませんので」

「そうか。いや、すまなかった」


 男はルーライに近づいて、深々と頭を下げた。背筋を伸ばした角度三十度の敬礼。

 意外に決まったその様に、元軍人かな、とルーライはちらりと思ったが、手を振って男を許した。


「いえいえ、良くあることです。お気になさらず。……それより村長に、無礼を謝罪してください」

「まったくじゃよ!」


 ぷんすか怒って、村長はばしばしと男の背中を叩く。


「久しぶりに女の子とお酒を飲んでおったというに!」

「……申し訳ないことをしたな」

「ふん!」


 肩を怒らせて鼻息を荒くする村長に、ルーライは苦笑いした。

 付き合わされていた身としてはたまったものではないが、まあ、老人らしいわがままである。ある意味では微笑ましい。

 ルーライは村長に声を掛けた。


「まあまあ村長。あまり怒っては身体に悪――――」






 ――――タイミングは、完璧であった。


 ただ一つの誤算は“白い髪のルーライ”の正体を、この瞬間まで、とうとう看破できなかったことである。






 女の耳の下を打撃した瞬間、ディーンは全身を総毛立たせた。

 強力なマナの反応。巨大なマナの引力に、表面魔力が一斉に動き、体内魔力までが流動する。


 こいつは――――!!!


 急激な魔力の移動にバランスを崩し、反射的に緩む腕の力。威力の減衰を感じ取り、しかし後悔している暇はないと、迅速に第二撃の用意をする。

 右手の甲の“勇者”が赤く発光。大量の魔力を充填されて、漲る魔法効果が全身を駆け巡る。

 だが、遅い。

 強烈に頭を揺らされて、しかしルーライは体の制御を失わなかった。バックステップ。殴られた勢いを殺さず、斜め後ろへ飛び下がる。


 ――――くそ!


 舌打ちする。

 相手は魔術師である。万が一察知されることを考えて“勇者”を発動しないで望んだが、それがどうやら裏目に出たようだった。所詮女の細首、素の腕力でも昏倒させるくらいは出来る、そう踏んでいたのだが。

 とはいえ流石に足をもつれさせたルーライが床に倒れこむ。しかしその全身に、仄かな魔力光が浮かび上がり――――


「動くな!」

「――っ!」


 咄嗟の判断で、ディーンは村長を引き寄せた。左手で拘束し、右手で喉笛を掴む。

 “勇者”が喉元で魔力光を放ち、村長は恐怖で全身を震わせる。それを見たルーライは、魔術の発動を停止した。


「……身体強化魔法」

「ああ、このジジイの首くらいなら、一瞬でへし折れるぜ」


 ぐ、と力を込めてみせる。顔面蒼白になる村長、口元を引き攣らせて言った。


「な、何が狙いじゃ……」

「それに答える前に……。ミール、オットー! 入って来い!」

『へい』


 部屋の外に声を掛けると、ミールとオットーはすぐに入ってきた。

 ディーンは、ルーライから目を離さずに二人に告げる。


「おい、女を()()()()()

『へい』


 事前の打ち合わせ通りの命令に、二人は一瞬残念そうな表情を浮かべてルーライに近づく。

 ルーライがディーンに言う。


「……何をするつもりです?」

「俺達の狙いは金庫の金だ。大人しくしていろ。命までは取らん」






 ……嘘ですね。


 揺れる視界に、ルーライは吐き気を堪えながらも考える。流石に事ここに至っては、いくら温厚で心優しい旅芸人のルーライでも、目の前の男を信用するわけにはいかなかった。

 先ほどの一撃、完全に不意を打たれた。一度緊張と警戒を与えてから一歩引き、相手の弛緩と油断を誘う、心理戦の手管。

 しかも、言葉を発している瞬間を狙うという念の入れようである。流石のルーライも反応できず、しかしそれでも気絶に至らなかったのは、衝撃でマナの制御が乱れたせいだろうか。

 一応身体の強健さには自信があったが、すぐには立ち上がれそうにない。


 朝のクライドさんじゃありませんが、凄くいい位置に入りました。……気絶しなくて良かったです。


 思い出して笑いそうになり、しかし頚部の鈍痛に顔を顰める。

 気持ちを引き締め、ルーライは思考を続行する。

 さて、これほどに慎重に行動した人間が、自分を縛っただけで無力化出来たと判断するだろうか?


 ……そんなわけがありません。魔法には、『拘束不可能性』があります。


 拘束不可能性――この世界で現在最も一般的な魔法形式である“魔術刻印”は、体内の魔力を移動させるだけで発動できる。

 そして体内の魔力移動を制限する手段は事実上存在しない――つまり、『思うだけで発動できる』のである。


 そして私の所有魔術は“増響”……だと、彼は考えているはず。見つかってはまずい状況で、これほど敵に回したくない魔法はありません。


 故に、目の前の男が考えるのは、間違いなくルーライの確実な無力化――要は、殺害である。

 『縛る』『命までは取らない』と発言したのは、『殺す』と宣言した場合、自棄になったルーライが“増響”で助けを求める危険性を危惧してのことだろう。徹底して慎重な男である。

 ここまで考えて、ルーライは目を閉じた。この結論が意味するところは、つまり。


 私の命と村長の命、天秤に掛ける必要がありますね……。


 いや、仮にルーライが大人しく殺されたところで、別に村長が助かる保証はないのだが。

 しかし少なくとも、ルーライには村長を助ける手立てが浮かばなかった。

 魔法の発動には予兆として魔力光の発光がある。仮にルーライが魔法を使えば、この場に居る全員を一瞬で無力化できるが……しかしその場合、前兆の発光現象の時点で、村長の喉は握りつぶされてしまうだろう。

 男の手元が狂う可能性も、もちろんある。しかし少なくない可能性で、ルーライの行動が村長の死の引き金となるだろう。


 ……しかしまあ、“私”の命には代えられない、です、ね……。


 ルーライは覚悟を決めた。入ってきた部下二人は、既にルーライのすぐ近くまで迫っている。

 おそらく背後に回りこみ、後ろ手に縛り上げると見せかけて視界の外からズドン。いや、銃ではなくナイフだろうか。もう悩んでいる時間は無かった。


 すみません村長。お墓参りくらいはしますので、どうか苦しまずに。


 そしてルーライは、魔術を発動しようと――――











 カザートがホーカムと連れ立って外に出ると、酒場の前にも何人か、同じように涼んでいる者達が居る。今夜は村の人間も混ざっているのか、ちらほらと女性の姿もある。

 そういえば中には、暑さにかまけて半裸になっている連中も居た。避難してきたのだろうか。

 まあいいや、と伸びをして、カザートは深呼吸した。


「あー、こうして外に出ると、酒場の中が如何にうるさかったか分かるな」

「そうだな。あの中に居たら外の物音なんか聞こえん。役場が爆発しても分からないかもな」

「ねーよ」


 しかしまあ、随分と耳が鈍感になっていたことは否めない。

 カザートは風の音に耳を傾ける。山の木の葉が擦れる音。日頃は気にも留めないが、しかし改めて耳を澄ませば、結構な音量である。

 虫の音……は、まだ聞こえてこない。人間の生活音も、今はほとんど聞こえなかった。


 ――――と。


「……ん?」

「……なんだ?」


 ホーカムも気付いたのか、あれ、と首を巡らせた。他の者達も気付いたのか、酒場の前がにわかにざわつく。

 風の音に紛れるように、しかし決して聞き違えるはずもない高音の音階。


 ピッ。ピーピッ、ピーピッ。

 ピッ。ピーピッ、ピーピッ。


 短音と長音を組み合わせた一定のリズム。おそらくは指笛であろう。細いが、しかし明確に“人為的な”音だった。

 そしてそのリズムが意味するものを、カザートもホーカムも――他の男達も知っていたのだ。

 即ち、


「……敵襲……?」


 唖然と、誰かが呟いて。

 一瞬の後、一斉に動き出した。











「――――ボス!!」


 突然監視班の一人が飛び込んできて、ディーンは視線はルーライから離さず、しかし眉間に皺を寄せた。ミールとオットーは驚いたように顔を上げる。

 ルーライは判断に困り、魔術の発動を停止する。ギリギリのタイミングであった。


「何事だ!」

「村の東からトンツー式の敵襲信号です! 軍隊帰り共が大騒ぎしてます!」

「東だと……?」


 耳を澄ませば、たしかに裏から聞こえる喧騒、先ほどまでとは質が違う。

 『敵襲!』『総員起こし!』そんな懐かしい単語が聞こえてきて、ディーンは顔を引き攣らせた。


 別働隊め、しくじったか。


 舌打ちの一つもしたくなったが、しかし状況のまずさを思い、くそ、と忌々しげに吐き捨てる。


「監視班に伝令。騒ぎを煽って東に連中を誘導しろ。予定の前倒しだ」

「はいっ、……その後は?」

「俺達は西に脱出する。貴様らは予定通りだ」

「はいっ。……あの、金庫の金は」

「早く行け!」

「は、はいっ!」


 慌てて部屋を飛び出す部下を見送り、ディーンは即座に撤退の判断を下した。

 こうなっては仕方ない。速やかに楽師と村長を始末し、混乱に乗じて逃げなくては。

 目的の金が手に入らないことに部下達は文句を言うだろうが、いざとなれば全て捨ててもう一度やり直したって良い。そのノウハウはある。

 そんなことを考え、ディーンは動きを止めてこちらを見るミールとオットーに行動を促そうと、


「――状況が変わったようですね」


 機先を制せられ、ディーンはルーライを睨みつけた。






 ……あまり頭を使うのは、得意ではないのですが。


 ルーライは内心の不安を押し隠し、よいしょ、と上体を起こして座り込んだ。

 こういった動きを見せても、ディーンは村長を殺そうとはしない。間違いない。彼の意識は、魔力光の発現を捉えることに集中している。


 ……ある一点に意識を集中してしまえば、それ以外は虚となるものです。


 楽師であるルーライは、そのことをよく熟知していた。演奏において重要なのは、一部に集中せず、全体を全体のまま扱うことだ。

 そんなことを思いつつ、ルーライは口を開いた。


「貴方は、私を殺すつもりですね」


 ズバッと核心を突いて、ルーライは相手の反応を伺った。

 流石にディーンは反応を見せない。しかし部下二人は明らかに動揺して、忌々しげにディーンは舌打ちした。

 最初からこうしていれば良かったんですね……ルーライは溜息を吐きたくなった。それをこらえて、続ける。


「私の魔術は“増響”。その気になれば、すぐに人を呼べます。……生かしておけるわけがない」

「……なんのことだ?」

「とぼけても無駄です。そこの二人を遠ざけなさい。無意味ですよ」

「何が言いたい」


 ディーンの疑念に、ルーライは答えた。


「私を油断させて殺すことが出来なくなった、ということです。殺されると分かっているなら、助けを呼ぶ事を躊躇う理由はないでしょう」

「ならば何故そうしない?」

「村長を人質に取られているからです」


 きっぱりと、ルーライは答えた。


「私の動きを封じているのは、村長と、貴方のその魔術の力です。二人を遠ざけなさい。彼らには他に、“やるべきこと”があるはずです」


 ルーライの言わんとすることを理解したのか、ディーンは目を見開いた。

 つまりこういうことだ。死に駒となった二人を、本来の仕事に使えと――


「いや、違う……。貴様は時間稼ぎをしようとしている!」

「だからなんですか? 今こうしている間にも、時間は刻々と流れていきますよ」


 ディーンは躊躇った。ルーライに意図を看破されたこの状況、もはや安易な行動は命取りである。

 前提としてこちらの敗北条件は、ルーライに人を呼ばれることだ。

 『殺される』と確信した時点で、ルーライは助けを呼ぶ。ミールとオットーをこれより一歩でも近づければ、即座に悲鳴を上げられるだろう。

 今ルーライが助けを呼ばないのは、ディーンが村長を人質に取っているからだ。ならば部下二人は、ルーライに近づけない限り自由に動かしても問題ない。

 そして魔術師であるルーライの動きを牽制しながら村長を連れて逃げるのは……すぐ裏手の酒場に男達が集まっている今の状況では、難しい。状況の変化を待つべきかと、ディーンは迷った。

 金は欲しい、たしかに欲しい……ディーンは逡巡し、しかし悩む時間も惜しいとすぐに気付き、とにかく拙速に行動することにした。


「……おい、村長」

「な、なんじゃ……」

「この村の復興用資金があるはずだ。保管場所を言え」

「き、貴様……」

「言え」


 ぐ、と軽く力を込めると、喉の軟骨がミリミリと軋む。


「ぐぅぅ……、し、寝室じゃ……」

「ミール、オットー、聞いたか。行け」

『へい!』


 急いで動き出すミールとオットー。元より欲しかった金貨である。その動きは早い。

 ルーライから目を離さず、ディーンは頭の中で段取りを立てていく。


 急いで金貨を確保して、即座に脱出……楽師は逃げる直前、一か八かで攻撃してみるか。


 上手くいけば、助けを呼ぶ前に倒せるかもしれない。

 それに監視班が上手く作業員共を東に誘導できれば……ミールとオットーを連れて十分に逃げられるだろう。

 仮に助けを呼ばれて“戦士”持ちが殺到してきたとしても、“勇者”のディーンの脚力ならば……自分一人なら、振り切れる。その位の算段はあって、今回の計画を実行したのだ。

 そこまで計算して、ディーンは逃走路を頭に描く。




 だがこうしている間にも、状況は大きく動いていたことに、彼はまだ気付いていなかったのだ。

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