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その3

「いやあ、見事な演奏でしたのう」

「ありがとうございます」


 褒める村長に、ルーライは折り目正しく頭を下げた。

 調子は上々。ちらほらと寄ってきた村の人々が、バイオリンケースに銅貨を投げ込んで行ったくらいである。リハーサルのつもりが、とんだ臨時収入であった。

 特等席で聞いていたラルフが調子に乗って銀貨を投げ込み、『あ、待って。やっぱ今のなし! なし!』などと叫んで回収する珍事もあったが、それはさておき夕方の演奏の予行としてはまずまずである。

 しかし昨夜、昼に続き夕方も演奏して、飽きられないでしょうか……そんなルーライの心配をどう取ったのか、村長は、


「夕方の演奏の報酬は、村の予算から出しますぞ。ご心配なく」

「ああ、それは構いませんよ」


 昨夜の演奏で既にそれなりの稼ぎにはなっている。この上更に“村”という大口の依頼となれば、欲をかく必要は全くない。

 そもそも元よりルーライとしては、夕方の演奏会は戦災地慰問のつもりであったのだ。確実な報酬が出るというのは、むしろ予想外の喜びである。

 そんなルーライの心中を知ってか知らずか、村長は嬉しそうに頷き、次に少し申し訳なさそうな顔を作って言った。


「さて、では夕方まで役場でもてなしを……と言いたいのは山々じゃが、これから人と会う約束がありましてのう」

「一向に構いませんよ。この村は見る所もありますし」

「それはそれは、楽しんでいってください。儂としては、正直残念なんじゃがのう……」


 はあ、と村長は溜息を吐いた。聞いて欲しそうな雰囲気を察してルーライは聞く。


「お仕事ですか?」

「ええ、まあ。新規で来る行商人との顔合わせですじゃ」

「行商人?」

「ええ。この村は元より宿場町で、行商人は一番の顧客。そしてこの混乱期、ここぞとばかりに販路を開拓しようと、顔つなぎに来る新顔が多くてのう」

「たくましい話ですね」

「儂らとしては、正直、古馴染みだけで十分なのじゃが……」


 なにしろ新しく来る連中は性質が悪い、と村長はまたしてもぼやいた。


「なにしろまともな男達は召集や徴用で動員されましたからの。今内地では戦時中のさばったヤクザ者と、復員した元兵士達の縄張り争いが起きていてのう……。いわゆる徴用の傷痕というやつじゃのう……」

「……大変なんですね」

「うちのように辺鄙な村では、自衛するにも限度がありますからのう。早く駐在に戻ってきて貰わなくては……おや、話をすれば」


 村長が目を向けた先、東の方向から一人の男が歩いて来る。

 短く刈り揃えた髪に中肉中背、年の頃は四十手前といったところか。何処にでも居そうな旅装の男……しかしその傲慢そうな雰囲気に、ルーライは違和感を覚えた。

 商人というには、少しばかり不遜に過ぎる――そんな不信感を抱くルーライであるが、男は部外者に気を止めず、村長に話しかける。


「よう、村長。終わったか」

「ええ。演奏はお聞きにならなかったので?」

「聞こえはしたが、俺は音楽には興味がない。……おや」


 バイオリンを掲げるルーライにたった今気付いたように、男はルーライを見た。不躾な視線で全身をじろじろと嘗め回され、ルーライはムッとする。

 露骨に嫌そうな顔をするルーライに、しかし男は好色げな笑みを浮かべて声を掛けた。


「ほう。こんな良い女が演奏していると知っていれば見に来たものを。勿体無いことをしたな」

「見に、ではなく聞きに来てください。夕方も演奏しますので、よろしければ」

「はは。ではそうしても良いな」


 それだけ言って興味をなくしたのか、男は村長に向き直った。振る舞いの節々に威圧感がある。


「では村長、いいか」

「はい。……それでは楽師殿、失礼しますぞい」


 そう言い残して役場へ向かう村長を見送って、ルーライはふう、と溜息を吐く。

 どうも嫌な感じだった。旅芸人という職業柄、あのような目で見られるのは慣れてはいたが……しかし昼間の屋外で、ああも露骨な視線を向けてくるのは碌な人種ではない。

 村長も大変ですね。同情しながらおひねりを回収するルーライであるが、


「ねー、おねえちゃん」

「はい?」


 話しかけられて顔を上げる。

 そこに居たのは小さな女の子だった。五、六歳くらいだろうか? 軽くはねた髪の毛が可愛らしい。

 少女は両手を握りしめて、興奮したように言う。


「さっきの、すごかったね!」

「ありがとうございます」


 礼を言うルーライ。

 村の子だろうか。周りを見回すルーライだが、保護者らしき人物はいない。ラルフも何時の間にか居なくなっていたが、ルーライとしてはかなりどうでもよかった。

 仕方なく、女の子に聞く。


「あなたは何処から来たんですか?」

「あっち!」

「……なるほど」


 西側の仮設宿舎を指差したので、ルーライはとりあえず頷いた。たしかあれは村人の宿舎である。

 演奏に誘われて出てきたのだろう。それにしても、子供が一人でうろうろしているのはよろしくない。早く保護者に引き渡さなくては……ルーライは質問を続ける。


「お母さんは?」

「いなーい」

「……そうですか。お父さんは?」

「んっとねー、げんば!」


 ……工事現場でしょうか。

 ルーライは首を捻ったが、近くに保護者らしき人が居ない以上、さっさと宿舎に連れて行ったほうが良さそうである。

 しかし女の子は興味津々、ルーライの持つバイオリンを見つめて、


「それすごいね!」

「ありがとうございます」

「さわっていーい?」

「いえ、それは……」


 ルーライは困った。安物とはいえ商売道具である。夕方に演奏を控えている今、万が一壊されると困る。ある程度修理の用意はあるが、この田舎では物資の補充が利かない。

 心苦しく思いつつも、ルーライは断った


「すみませんが、それは駄目です」

「えー!」

「駄目なものは、駄目です」


 そう言って、ルーライはさっさとバイオリンをしまった。隠してしまえばいじられる心配はない。

 女の子は残念そうに指をくわえていたが、しかしルーライにその気がないと分かると、今度はくいくいとドレスの裾を引っ張って言った。


「ねー、おねえちゃん。あそぼー?」

「お友達は居ないんですか?」

「いなーい。みんな『まち』だもん」


 ……避難先から一足先に戻ってきた、ということでしょうか。

 察するに片親。父親の仕事の関係で、復興途上の村に帰ってきて、日中は暇を持て余している……そう推察してルーライは、女の子の頭を撫でた。

 ビクッと震える女の子。しかしルーライの笑顔を見て、緊張が解けたのかにっこりと笑った。


「あそんでくれるー?」

「ええ、いいですよ。私も暇でしたし」

「じゃー、かくれんぼしよー!」

「かくれんぼ、ですか」


 ルーライは考えた。山の中の田舎村、小さな女の子とかくれんぼ。

 妙なところに隠れられて見つけられなくなったら……そう危惧してルーライは別の提案をした。


「……鬼ごっこでは?」

「えー、それだとおねえちゃんのかちじゃないー?」

「手加減はしますよ」

「えー、それはそれでやだー」


 ぶんぶん腕を振って、女の子は拒絶した。

 仕方ないですね……とルーライは考える。もっとこう、小さな女の子と平和的に遊べる方法は……。


「では、おままごととか」

「いいよー。じゃあ、おねえちゃんがおかあさんね」


 言われてルーライははっとした。しまった、少し無神経だったか。

 しかし一度言ってしまった以上、ここはしっかりお母さん役を務めてあげなくては。そう決意するルーライの前、役に入りきったのか女の子は、


「いまかえったぞー。めしー」

「お父さん!?」


 ……ともあれ、しばらく女の子に付き合うことにしたルーライであった。











「あきたー」

「そ、そうですか……」


 小一時間ほど経った頃、ようやく女の子はそんなことを言った。

 流石に疲れたルーライである。おままごとなんて一体何年ぶりだったか……思い出そうとして空しくなり、ルーライは頭を振った。

 そわそわする女の子に、ルーライは言う。


「では、そろそろ宿舎に戻りましょうか?」

「えー。もっとおそとであそびたいー」

「はあ……。ではお散歩でもしましょうか」

「おさんぽいくー!」


 子供は元気なものである。ルーライも体力は相当にある方だが、子供と遊ぶのは勝手が違う。はっきりいって、慣れていない。

 ともあれ散歩であれば、目を離さなければ楽な方だろう。そう思ってルーライは女の子の手を取る。またビクッと女の子は震えたが、すぐに安心したのか握り返してくる。


「では、行きましょうか。何処か行きたい所はありますか?」

「んとね、あっち!」


 街道の方を指差して、女の子は言った。

 午後の作業に入ったのか、街道沿いからは今も作業の声が聞こえている。

 仕事の邪魔にならないでしょうか。少しルーライは考えたが、手を繋いでいれば大丈夫か、と頷いた。


「分かりました。行ってみましょうか」

「わーい! げんば! げんば!」


 喜ぶ女の子の手を引いて、ルーライは歩き出す。

 階段を上って街道へ出ると、トンカントンカン、様々な音が聞こえてくる。

 幾棟もの建物が組み上げられている様子に、女の子は目を輝かせて見入っていた。


「すごーい、いえつくってるー!」


 はしゃいでそんなことを言う女の子。ルーライもまた感心して見ていた。家を建てる現場を見たことがないわけではないが、しかし右から左へ見回して、作業途中の建物が林立している様子というのは中々見られるものではない。

 基礎工事中の建物、骨組みだけの建物、壁の漆喰を塗っている途中の建物、中にはレンガ作りの建物もあり、中々に壮観な眺めである。


「すごいねー!」

「はい、凄いですね」

「おじさんたちがんばってるねー!」

「そうですね」


 おじさんというには若者が多数を占めていたが、この年頃の女の子からするとおじさんなのだろうか。

 そんなことをルーライは思ったが、自分は『おねえちゃん』なのでまあいいか、と訂正するのはやめておいた。薮蛇で『おばさん』呼ばわりされたら立ち直れない。


「あ! あっちあっち!」


 ぐいぐいと手を引っ張って、女の子は駆け足で、まだ骨組みだけの建物に向かおうとする。

 今まさに組み上げられている最中のその建物は、柱と梁がむき出しで、縦横にめぐらされた筋かいが、大工の丁寧な仕事ぶりを語っていた。

 作業の指示を出している角刈りの大男に見覚えがあって、ルーライはああ、と頷いた。ここがクライドさんの現場ですか。


「すごーい!」

「はいはい。面白いですか?」

「うん! いえのがいこつだね!」

「骸骨……」


 穏やかならざる表現に、少しばかりルーライは面食らった。

 なにしろ少し町を離れれば本物の骸骨が転がっていてもおかしくないご時勢である。ルーライは訂正させるべきか迷ったが、逆説的に考えるなら、この子はあまりそういうものを見ていないのだろうか……。


「おねえちゃん、あっちあっち! 変な木がある!」

「って、あっ!」


 そんなことを考えていたせいか緩んだルーライの手をすり抜けて、女の子は駆け出した。

 組み上げられている家の横、建築用の資材が並んでいるスペースがある。どうやら、そこに置かれた加工済みの材木に興味を惹かれたらしい。


「へんなかたちー!」

「ちょっと待ってください! 危ないですよ!」


 ルーライは慌てて追いかけようとする。しかし折悪しく突風が吹いて、巻き上げられた砂が目に入り、一瞬駆け出す足が止まった。

 そしてその風は、積み上げられた資材の山に、何故か立てかけられていた材木を揺らし――――


「――危ない!」


 倒れこむ材木。届かないと分かりつつも反射的に手を伸ばしたルーライ。

 隣で作業をしていた大工たちが『あっ』と声を上げて――――


 ――――第二の突風が吹いたのは、その時だった。






 発動する魔法が、全身を駆け巡った。

 強化される肉体、そして地面に()()()()足裏。一般に難しいとされる魔法の二重起動は、しかし“彼ら”にとっては基本技術である。

 強烈なグリップを背景に、踏み切る足はその肉体を前方へ撃ち出す。『三秒で三十メートルを駆ける』――それはあくまで最低基準であって、彼個人の限界を示すものではない。

 ほら、もうすぐにでも届いて――――


 ……いや、このままの勢いで突っ込んだら女の子に怪我させるな。


 土壇場でスライディングを選択。

 同時、“走駆”の魔術をカット。地面を滑走しながら左手の魔術刻印に魔力を流す。


 ――――発動、“大盾”






 何が起こったのか、ルーライは一瞬理解できなかった。

 恐ろしい速度で突っ込んできた影、それが人間の形をしていると気付いたのは、まさに接触の刹那、掲げた左手に灯る緑色の魔力光を見た時だった。


 ――――“大盾”


 発動する魔術に、左手の周囲の空間が歪む。

 バーン、と倒れてきた木材が、発動した魔法に接触して――しかし不可視の盾に激突。その倒れる勢いを減殺されて、そのまま横に流れて倒れた。

 ……減殺されなかったのは、突っ込んできた男の方である。

 スライディングでも勢いを殺しきれなかったのか、右手で女の子を掻っ攫い、そのまま更に五メートルほど滑走して止まる。巻き起こる砂埃に、見守る大工たちからどよめきが漏れた。


「大丈夫ですか!?」


 真っ先に動いたのはルーライであった。驚く間もあればこそ、先に駆け出そうとした勢いを再度、倒れる二人に駆け寄った。

 倒れる男がよいしょ、と体を起こす。おお、と大工たちが今度は驚嘆の声を上げ、やっぱりクライドさんですか、とルーライが安堵の息を吐く。

 助かりました、ありがとうございます、今の凄かったですね……そんな声を掛けようとして――



「――――現場にガキ連れてくるんじゃねえ!!!」



 見知った男の尋常ならざる剣幕に、ビクッとルーライは身を震わせた。

 思えば初対面以来、ルーライの知るクライドは、大体が笑っているか、おどけているか、あるいは寂しそうだったり……総じて彼女を脅かさないよう、気を使って振舞う姿ばかりであった。

 故にここまで露骨な怒気をぶつけられたのは初めてで――慌ててルーライは頭を下げる。


「す、すいませんでした! 軽率でした!」

「……大丈夫か、お嬢ちゃん」


 そんなルーライをどう思ったのか、特に反応も返さず、クライドは女の子を抱き起こした。

 先ほどの怒気に当てられたのか、はたまた猛スピードで掻っ攫われたのが怖かったのか、泣き出しそうになっている女の子を立たせ、クライドは膝を着いたまま目線を合わせてこう諭した。


「怖かったか?」

「ひぐっ……うん……」

「俺も怖かったよ」


 おじさんも? と、女の子は意外そうな顔をする。目は潤んでいたが、泣き出す気配が消えたのを確認して、クライドは穏やかな声で言葉を重ねた。


「怖かったよ。人が怪我しそうになるってのは、怖いことだ」

「けが……?」

「ああ。見てみなさい」


 クライドは女の子を振り向かせる。倒れた木材、その幾つかが折れているのを確認させて……クライドは右目の下の傷痕に触れて、静かに言った。


「折れてるだろう?」

「うん……」

「もし君があのままあそこに居たら、どうなっていたと思う?」

「ばたん、って……」


 女の子は、右手をパタンと倒す素振りをした。今更ながらに危なかったことを理解したのか、その顔が歪む。


「ああ、そうだ。あの固くて太い木だって折れるんだ。君も下敷きになっていたら、潰されて死んでいたかもしれない」

「ひっ……」

「分かるかい?」

「えぐっ……うん……」


 だったら、とクライドは続けて言った。


「危ない場所には近づいてはいけないよ。もし少しでも危ないと思ったら、絶対に大人から離れちゃ駄目だ」

「うんっ……」

「分かったら、お兄さんと指切りしよう。もう現場には近づかない。もし来る時は絶対に大人と手を繋いで、離さないこと。分かったね?」

「うんっ」

「いい子だ」


 軽く女の子の頭を撫でて、クライドは女の子と小指を絡めた。

 ゆーびきーりげーんまーん。そう唱えて、女の子を開放する。


「マリー!」

「あ、おとうさん!」


 ちょうど騒ぎを聞きつけてやってきた女の子の父親が、少女を抱きしめるのを確認して、クライドはよっこらせ、と立ち上がった。


「……で、ルーライさん」

「は、はいっ」

「怒鳴って申し訳ない。しかし不注意は不注意です」

「はい……ごめんなさい……」


 恐縮するルーライに、はあ、とクライドは溜息を吐いた。


「まあ私も数秒前まで、『子供の手を引く姿、母性的で美しいなあ』とか暢気なこと考えてたんでこれ以上は言いません。でも子供は突拍子もない行動を取るので、反省して以後気をつけるように」

「はい……、分かりました……」

「あまり落ち込まないで下さい。……落ち込みたいのはこっちなんですよ」


 クライドは、倒れた木材に目をやった。

 先ほどの女の子への説教の間に、被害確認に近づいていた同僚の大工たち。彼らに向かって声を掛ける。


「どうですか親方……!」

「…………どうもこうもあるかぁぁぁああああああああああーーーーーーっっっ!!!!!!!」


 先のクライドに倍する怒号に、再度ルーライはビクリと肩を震わせた。

 なにしろ元から角刈り強面の大男である。目を三角にして怒る様は、地獄の悪鬼もかくやといわんばかりの風采である。

 しかしそんな親方の怒気に当てられてなお、大工たちの落胆した様子は拭えない。それはそうだろう。なにしろ、


「三分の一近く折れてやがる!! 割れが入ったのも入れたら半分以上だ!! クソ、加工済みの材木立てかけて置いた馬鹿は誰だぁぁぁああああああああ!!!!!!!!!!!!!」

「ああ、俺の半日分の仕事が……」


 覗きこんでクライドも肩を落とした。

 回復魔法の反動に、疲労の抜けない体を鞭打って鑿を振るった梁材。その大半が駄目になったと言われては、この反応も仕方ない。


「おいクライド! 誰だよこんな馬鹿な真似したのは!?」

「カザートに聞いてください。俺は今日こっちに来てません」

「俺!?」


 一斉に怒りのこもった視線を向けられて、カザートは狼狽した。慌てて手を振って弁解する。


「俺だってこんな馬鹿な真似やりませんよ! ただ俺は、リーガルの奴に持ってけって指示しただけで」

「リーガルだとぉ!? あの新米、あいつがやったってぇのか!?」


 『うわ、あいつかよ』『親方、あいつもうクビにしません?』『邪魔にしかなってないじゃないですか』『態度も悪いし、飲みにさえ付き合わないんすよ?』

 一斉に大工たちが文句を言い出して、場が騒然となる。親方はカザートに向かって言った。


「で、そのリーガルの馬鹿は何処行きやがった」

「知りませんよ!? てか、あいつの持ち場って何処なんですか!?」

「……雑用だな」


 『まともな技能持ってねえからな』『なんでうちの現場にいるんすかあいつ』『港で荷下ろしでもやってりゃいいのに』『ここが戦場だったら、ケツの穴を増やしてやるんだがな……』

 剣呑な会話である。

 『いや、あいつ飛び込みだろ? 軍の名簿に載ってないし、やれないか?』『警官居ないし』『山も川もあるからな』『穴掘りなら任せろ』『紐一本で余裕』『俺は素手でやる自信がある』『“戦士”で撲殺。楽勝だな』…………

 見かねた親方が手を叩いた。


「おい静かにしろ! カザート! おまえさっさとあの馬鹿探して連れて来い!」

「つ、連れて来るだけでいいですか!?」

「そんなわけねえだろ馬鹿野郎!! 連帯責任だ!!」


 『まあ、先任だしなあ』『命令の通達に問題があったというか、指導責任というか』『正直俺も、あいつを指導する自信ないけどな……』『運が悪かったと諦めろ、カザート』


「ちくしょぉぉぉおおおおおおおおお!!!!!!!!」


 泣きながらカザートが駆け出して、大工たちがご愁傷さまー、と手を合わせた。

 見送ってクライドも呟く。


「大丈夫かなあいつ。……あれ、どうしました?」


 顔面蒼白になったルーライに、クライドが怪訝な顔をした。

 しかし、怪訝な顔をしたいのはルーライの方だった。震える指でクライドを指差して、彼女は言った。


「あの、それ」

「ん?」

「大丈夫なんですか……?」


 言われて、クライドは肩越しに背中を覗き込む。

 先ほどのスライディングの際、地面に擦れた部分。尻、背中――


「ち――血まみれじゃないですか!!」


 砂の破片に引っ掛けたのか、所々裂けた作業服。その中でも地面と擦過した部位が真っ赤に染まっていて、クライドはうわあ、と声を上げた。


「あー、やっぱこうなってたか。見たくなかった」

「……痛くないんですか?」

「痛いのは痛いが、確認したくなかったなあ……。まあ、“盾”を上方に展開してたから、分かってはいたんだが……」


 擦過面を保護できなかったからなあ……そうぼやくクライドに、しっし、と手を払って親方は言った。


「クライド、おまえはもう上がれ。ホーカムのところに行って止血してもらってこい」

「あれ、いいんですか?」

「どうせ俺たちも早上がりだ。材木が足りないから仕事にならん!」


 その前にカザートとリーガルは〆るが。そう言って顔を顰める親方に、クライドは、カザートは勘弁してやってください、と一応フォローする。


「なにしろ今夜奢ってもらう約束をしてるんですよ」

「そんなこと知らん。……ま、腕立て二百回ってところか」

「その程度でお願いします」


 それでは、と軽く頭を下げて、クライドは歩き出した。慌ててルーライが追いかける。


「肩を貸しましょうか?」

「いえ、結構です。両足にダメージはありませんので」


 実際、怪我人とは思えないほどしっかりとした足取りである。しかしルーライは気が済まず、側に寄って腕を支えた。


「……服が汚れますよ」

「構いません。むしろこうしなくては、私の気が済みませんから。……そんなにお嫌ですか?」

「いや、嬉しいのは嬉しいんですけどね……」


 ああ、くそっ、とクライドは悪態を吐いた。


「痛みに気を取られて、柔らかな感触に集中できないなんて……っ。悔しくて悔しくて仕方ない……!」

「元気になってくれたようで、良かったです」


 そう言った微笑んだルーライの言葉は本心だったが、クライドは少しバツが悪そうに口を閉じた。











「……一昨日は無傷で乗り切ったくせに、何故昨日今日と俺のところに来る?」

「知るかよホーカム。畜生、啖呵切ったのが台無しだ」

「『おまえの世話にはならない』か? あれは狼狩り限定の話だろう」


 桃色の魔力光が傷口を癒す。体力と栄養を消費する感覚に、クライドは悪態を吐きつつも、ふらふらと頭を揺らしていた。

 例によって酒場の中である。ホーカムは今年で二十八歳になる、逞しい体格の男だった。先にも述べたように戦時中は衛生兵で、最終階級は曹長と、討伐隊の四人の中で最上位である。

 召集兵の癖に何故下士官なのかというと、これは元々看護士としての職歴があったことに由来する。手に職を持っていると強い。それは軍隊でも同じことだった。

 更に共和国との開戦から終戦までの四年間、従軍延長を重ねて戦い続けた功績により、最終的に功四級を叙勲された――というのは、この村の誰も知らない事実である。

 そんな武功華々しい彼だが、この村には何故か左官工として派遣されている。なので怪我人が出る度に呼び出されては、こうして酒場に場所を借りて治療をしていた。


「いや、なんで毎回うちの酒場で治療するんだよ、ホーカム……」

「スペースとアクセスとアルコールの都合だ、マスター」

「うちの酒は消毒薬でも強壮剤でもないはずなんだがな……」

「でもそういう風に使えるからねー」


 グビグビとビールのジョッキを傾けながら、ラルフは言った。ルーライの演奏が終わってから、宣言通りずっとここで飲んでいたらしい。


「そうなんですか?」

「そーだよルーライちゃん。治癒魔法の栄養補助剤に、アルコールは代用として使えるんだよー」

「使えるが、あくまで代用品だからな?」


 魔術を維持しながら、ホーカムは注意した。クライドの肩を後ろから支えるルーライに向かって、説明する。


「単純にカロリーの都合だ。手に入るなら砂糖の方がマシだ」

「なるほど」

「……そろそろいいんじゃないか、ホーカム。薄皮張ってるくらいだろ、今」


 言われて、ホーカムは傷を確認する。


「流石だな、分かるか」

「それくらい分かるっての。戦中に何度治癒魔術食らったと思ってる」

「知るか。しかし流石にダメージが蓄積してる。親方には言ってやるから、明日は休め」

「やめてくれ。今夜飲めなくなるじゃねえか」

「たまには肝臓を休ませろ。昨日も散々飲んでたろう」

「タダ酒のチャンスなんだよ」


 ほう? とホーカムは目を光らせた。なんだかんだで彼も飲兵衛である。

 カウンターで聞いていたラルフも、これには反応した。


「クライドー? それは俺たちもおこぼれに預かれるタダ酒なのー?」

「いや、俺は知らんぞ?」


 警戒心を露にするマスター。露骨なラルフの発言に、クライドは苦笑いして言った。


「んなわけねえだろ。むしろおまえらも俺に奢れよ」

「どういうことさー?」

「今夜は俺の失恋記念だ」


 けほっ、とルーライがむせこんで、えー!? とラルフが声を上げた。マスターが驚いたように目を剥いて、騒ぎを聞きつけたのかジェーンが裏から顔を出す。


「え、クライド振られたの?」

「そうなんだジェーンちゃん。ああ、今の俺には君のその尻を愛でる余裕さえない……出来るのは美辞麗句を以って称えるだゲフッ!」

「死ね!」


 飛んできたお絞りが顔面を直撃して、クライドは仰け反った。おいこら動くな、とホーカムが前髪を掴んで引き戻す。

 あの、とルーライが言葉を発した。


「違っていたら物凄く恥ずかしいですが、振られたというのは私にですか?」

「他に誰が居るんですか」

「そんなことを言った記憶は……」


 ――瞬間、クライドの目がギラリと光ったことに、背後のルーライ以外の全員が気付いた。

 振り返る。毎度毎度の真剣な目に射抜かれて、しかしルーライは息を呑んだ。


「ルーライさん」

「はい? って、名前……」

「改めて言います。結婚してください」

「あ、あの……」


 今度はルーライは即答で断れなかった。一貫性の原理。先の一言が彼女の返答を鈍らせたのである。

 ここぞとばかりにクライドは攻めた。なりふり構わぬ攻勢に、周りの連中が息を呑んだ。


「何度でも言います、結婚してください。私がこんなことを言った相手は貴女が初めてで、そしてきっと最後になります。それくらい貴女に惹かれている」

「しかし、私は……」

「ええ、何か事情があるのでしょう」


 頷いてみせて、クライドは言葉を続けた。


「しかし私は、それを知りたいとは思いません。それは貴女が望まないからというより、そんなこととは無関係に、私が貴女を好きになったからです」

「で、でもそれは」

「本気で恋焦がれた一瞬があるならば! その一瞬の胸のときめきのために、人生を捧げても構わない!」


 力強く、クライドは宣言する。すでに体ごとルーライに向き合って、真正面からその銀色の瞳を見つめている。

 ……ホーカムが治療を打ち切ってカウンター席に退避していたことに、少なくともルーライは気付いていなかった。


「私にとってその一瞬は、あの時、湖に続く高台で、太陽の光に照らされながら、バイオリンを弾く貴女の姿を見たその時だったんです。だから――結婚してください、ルーライさん」

「い、いえ、その……」

「私は貴女を、好きになったんです。叶うならば逃がしたくない。捕まえて腕の中に閉じ込めたい」

「あ、あうっ」


 想像したのか、ルーライは真っ赤になって目を泳がせた。


 最初はクール系かと思ったが、赤くなったり青くなったり、案外表情豊かだなあ。


 ……歯の浮くような台詞を並べつつ、冷静にそんなことを思うクライドは、間違いなく大物だった。






「あいつ、あんなに口説き文句のレパートリー持ってたんだな」

「昨日のポエムもそーだけど、やっぱクライド半端ないねー」

「……治療の続き、どうするかな」

「尻を触るのと下ネタ系ギャグだけが能じゃなかったのね……」


 一方こちらは外野陣。なんだかんだで観戦ムードの彼らであるが、流石に恥ずかしくなってきて、誰とはなしに視線を逸らした。

 ホーカムが問う。


「……飲むか?」

「飲むよー!」

「飲まなきゃやってられないわね」

「いやジェーン、おまえは厨房に入って夜の仕込みをやれよ。今夜は忙しくなるぞ」

「えーっ、あんな面白い見世物があるのに……」


 文句を言いつつも、ジェーンは奥に引っ込んだ。

 本来ならマスターも仕込みに入るべきなのだろうが、なにしろホーカムはともかく、ラルフは目を離しておくには不安に過ぎる。


「……昼間っから揃って飲んだくれやがって。少しは店の都合も考えろ」

「そんなことを言われても、暇になったんだから仕方ない。……ところでラルフ、おまえの仕事はどうしたんだ?」

「資材が足りなくてねー」

「さっき聞いたら搬入が滞ってるらしい。ホーカム、おまえの所はどうなんだ」

「うちはまだ大丈夫だ。むしろさっさと家を建ててくれないと、溜まっている石灰を消費できない」

「そりゃ、順序的に左官の出番は後の方だしねー」


 ジョッキを傾けながら言うラルフに、ホーカムは頷いて答えた。


「それに土壁だって構わないからな。このあたりで取れる土でも出来る」

「木だって、この辺の山に一杯生えてるのにねー」

「乾燥の足りない木を使って大丈夫か?」

「急場しのぎだしウチとしては問題ないよー。てか、何で駄目なんだろうねー」

「そりゃ所有権とか山崩れとか、その手の問題なんじゃないのか?」


 マスターは口を挟んだ。これにホーカムは異論を述べる。


「いや、この村は優先復興指定地域で、特別予算が組まれてる。補助金の使途が決められてるんだろう」

「んー? そういうのってやっぱりあるの?」

「国から金を貰うってのはそういうことだ。おまえも覚えがないか?」

「……あー、うん。なるほどねー」


 やっぱホーカムの兄貴は詳しいなー、とラルフはテーブルに突っ伏した。

 頭の痛い話に、マスターは呻くように言った。


「おいおい、うちの酒場の再建、本来なら役場に使うはずだった資材を流用してるんだぞ……」

「そーいえばそーだったねー」

「それはまず大丈夫だ。順番は前後したとはいえ、役場は既に出来ている」


 役人が視察に来ても問題ない、とホーカムは言って、なら安心だねー、とラルフは暢気に笑う。

 しかしマスターはこめかみを押さえ、


「待て。ってことは、役場の再建前にお偉いさんが視察に来てたら……」

「別にマスターに咎は行かないはずだ。村長の首は飛んだかもしれないが」

「そもそも復興の現場監督者って、居ないからねー。何かあったら誰が責任取るのか、結構不思議に思ってたんだー」


 出稼ぎ労働者は能天気なもんである。

 なんだかもうどうでも良くなって、マスターははあ、と酒瓶を開けた。グラスに注いで一口飲む。


「旨そうな酒じゃないか、マスター。一口味見させてくれ」

「誰がやるか……って、クライド? 話はどうなったんだ?」


 ルーライを引きずるようにして近づいてきたクライドに、興味津々マスターは尋ねる。ラルフとホーカムも同様に身を乗り出したが、しかしクライドは首を横に振った。


「ギリギリで振られた。ガード固いわ」

「当たり前です。昨日の今日でプロポーズなど、いくらなんでも非常識です」


 …………ああ…………。


 すまし顔で言うルーライに、三人は生暖かい視線を向けた。一瞬ルーライは怯んだが、遮るようにクライドが前に出た。


「まあそんなわけで。心配させたお詫びに甘いものでも奢ろうと思うんだ。マスター、ケーキか何かあるか?」

「おまえ、またその戦法か」

「お詫びを名目にして女の子を立てつつ、口説く取っ掛かりを作っていくその手口、今度真似させてもらってもいいかなー?」

「ケーキなんてあるわけないだろうが。それとラルフ、ジェーンには多分通じないからやめておけ」

「聞こえてるわよー!」


 厨房から声が飛んできて、ラルフは肩をすくめる。

 いや、別に砂糖じゃなくてもいいんだよ、とクライドは言って、カウンター席に座った。


「甘いものなら何でもいい。何かないか?」

「いえ、クライドさん。別に無理しなくても」

「あー……、干し柿ならあるな、うん」

「じゃあそれだ。ナイフとフォークも頼む」

「あの」

「おう、待ってろ」


 何か言いたげなルーライを遮って、マスターは倉庫に引っ込んだ。

 事ここに至っては、もはやクライドを応援することに迷いはなかった。おそらくそれは今酒場に居る他の者達も一緒だろう。なにしろこのご時勢、めでたい話には皆飢えている。

 半ばおせっかい焼きな親戚のおじさん的な心境で、マスターは甘味を用意した。綺麗な小皿に盛り付けると、店にある中で一番可愛らしいナイフとフォークを探す。とはいえ戦災でことごとく焼けてしまった今、大したものはないのだが。


「ほれ、これでいいか」

「サンキューマスター。ルーライさん、少々お待ちを」


 クライドはナイフとフォークで干し柿を一口サイズに切り始めた。意外に様になった、隙の無い手つきである。

 そんなクライドを横目に見ながら、ラルフはマスターに言う。


「いいなー。マスター、俺にも頂戴よー」

「看護士として言わせて貰うが、糖尿になるぞ」

「兄貴は固いなー。どーせ人間なんて鉛弾一発で死ぬんだし、甘いものくらい食べたっていーじゃんかよー」

「何時まで戦争気分で居る気だ、ラザフォード上等兵」

「……結局食うのか食わないのかどっちなんだ」

「食べるよー!」


 やれやれ、とマスターは干し柿を取りに行った。

 一方のルーライである。なんだかんだで流れに乗せられて、気付けば甘味を奢らされそうになっている。先ほどの会話を参照するまでもなく、クライドの手口は理解してはいたが……でも甘いものは食べたいなあ、と、ルーライは自分を納得させていた。

 しかし流石に、切ってもらうのはなんだか気が引ける。ルーライは言った。


「あの、自分で切れますので」

「いえいえ、やらせてください。好きでやっていることです」

「なんだか子ども扱いされているような気になるのですが……」

「いえいえそんなことはありませんよ……はい、どうぞ」


 言い募るルーライを軽くあしらって、クライドは一口サイズに切った干し柿をフォークに刺すと、すっ、とクライドはルーライに差し出した。

 反射的にパクッとルーライは口に含む。


「あ。甘い」

「美味しいですか?」

「これは中々……」


 もっちゃもっちゃと噛みしめて、ルーライはちょっと感動した。干し柿とやらを食べるのは初めてだが、こんなに甘いものだとは知らなかった。

 そんなルーライを見て嬉しそうに、クライドは次の一切れを差し出す。


「どうぞ。まだ在庫はあるようなので、どうか遠慮なく」

「……ん。ありがとうございます」


 あーん。

 疑いなく口を開けるルーライ。そんな彼女の耳に、マスターたちの会話が聞こえてくる。


「持って来たぞラルフ。……どうした?」

「……マスター、悪いんだけどちょっと、甘いものはもういいかなー、って」

「ああ……あんなものを見せ付けられてはな……」


 ――――!!

 餌付けされてます!


 はっとして、ルーライは身を引いた。フォークが空振りして、あれ、とクライドは残念そうな顔をした。

 そのフォークが引き戻される前にはっしと掴み、


「自分で食べられますので、フォークを渡してください」

「いやいや、ご遠慮なさらず」

「あまりクライドさんのお手を煩わせるのも申し訳ないのです」

「煩わせるなど。どうか私めにお世話させてくださいよ」

「私は老人でも子供でもありません」

「いえいえ滅相もない。そんなつもりは」


 何故かフォークの争奪戦が発生。

 恥ずかしがる姿を見せたら負けとばかりに、ルーライは作り笑顔でクライドの手を引いた。クライドもわざとらしい笑顔で応じる。

 そんな二人の様子に、周りの衆は。


「……お似合いだよねー」

「……ああ」

「……この干し柿どうすんだよ……」


 そんな感想を漏らすのだった。






「ところでクライドさん」


 激戦の末奪ったフォークで干し柿を食べながら、ルーライは改めて話を切り出した。

 糖分補充のためこちらも干し柿に齧り付いていたクライドが、ん? と目を向ける。珍しいことに水を飲んでいた。素面でルーライさんの演奏を聞きたい! だそうである。健気な話だ。


「先ほどは本当に助かりました。凄い動きでしたね」

「あんなのは突兵なら基本ですよ。大した業でもありません」

「その前提条件が、既にして凄さを物語ってるんだけどねー」


 俺も見たかったなー、とラルフが口を挟んだ。

 結局干し柿を食べることにしたのか、クライドと同じように素手で丸齧りしていた。男連中にナイフとフォークなんて気の利いたものは必要ないのである。


「突兵というのは、凄いものなんですか?」

「だねー。『魔法適正乙種以上ニシテ戦闘的性格ヲ持ツ者』ってのが選抜条件で、しかも転科訓練で王都教育隊から教導受ける、戦闘職種じゃバリバリのエリートだねー」

「嫌なことを思い出させるな」


 教育隊とは二度と関わりたくない……水を飲みながらぼやくクライド。彼にしては珍しく、本気で嫌そうな顔をしていた。

 物珍しさも手伝って、ルーライは質問を重ねた。


「王都教育隊って凄いんですか?」

「すごいよー。『鬼の一教、悪魔の二教、行って発狂今日逝く隊』って言ってねー」

「やめろ! その話はするな!」


 顔色を変えるクライドに、ラルフは口をつぐんだ。よほどトラウマがあるらしい。

 ルーライも気を使って話題を変える。


「……ええと。じゃあ……あの時凄い勢いで走ってきましたけど、あれはやっぱり魔法を使ってたんですか?」

「ええ、まあ」


 教育隊の話題が終わったことに露骨に安堵して、クライドは答える。嫌な思い出を振り払うためか、妙に饒舌な語りだった。


「“戦士”で筋力強化をかけてから、“走駆”で地面を掴みつつ“大盾”を展開して突撃。突兵……まあ突撃兵とも言うんですが、我々はこの“走り”が最重要で、兵科の命なんですよ。魔法適正乙種が必須なのは、ここで二重起動の必要があるからです」

「たしか一番最初の訓練が、『タコツボから飛び出して三秒以内に三十メートル先の遮蔽物に飛び込む』なんだっけ? 練習してるの見たことあるよー」

「ラルフ、そいつは歩兵科の軽突撃兵だ。本物の突兵科と一緒にしたら怒られる」

「いや、怒りはしねーよ。突兵は基本的に全員、軽突撃兵出身だし」


 頭に『?』を浮かべるルーライに気付いて、クライドは慌てて補足した。


「突撃兵には二種類あって、『足の速い歩兵』である軽突撃兵と、昔で言う『騎兵』と同じ働きをする重突撃兵があるんです。普通『突兵』と略称で呼ばれるのは後者の方だけなんです」

「騎兵……騎士だったんですか、クライドさん」

「突兵は馬に乗らないで自力で走るんですけどね……。うちの陸軍は()()()()人使いが荒いからな……」


 ぼやくクライドに、ラルフとホーカムは『だねー』『まったくだ』と口々に同意した。


「まあ、飼料を輸送しなくてすむんで当たり前の判断ではあるんですが。……せっかくなので、ついでにこいつもお見せしましょうか」


 すっ、とクライドは左手を掲げた。同時、緑の魔力光が手の甲に灯る。

 浮かび上がる魔術刻印。描かれる紋章は盾に似た形をしている。


「一類乙種王国軍制式魔術“大盾”。陸軍の戦闘用魔術刻印には士官下士官用の乙種と兵卒用の丙種がありますが、例外として突兵の兵士はこいつを持てます。これで何度命を拾ったか……」

「いーなー! 俺偵察兵だし、“小盾”なんだよねー」


 いーなー! いーなー!

 やかましいラルフをホーカムが引っ叩いて黙らせた。むぎゅっ、と悲鳴を上げて倒れこむ。

 そんな様子を笑いながら、クライドはルーライに聞いた。


「……とまあ、調子に乗ってざっと説明しましたが。聞いて面白い話題ですか?」

「面白いですよ? 魔法については私も嗜んではおりますし、それに一般兵士が魔法を使うのは、外国ではまず見られない話ですので」

「まあ、そうでしょうね。王国はそれで帝国化したようなものですから」


 クライドは胸を張った。自国の歴史を誇らしげに語り出す。


「他国に先駆けた国民軍の設立。そして平民への魔法技術の開放。魔術刻印による魔法の量産化を背景としたこの大改革こそ、我が国飛躍の発端です」

「へえ、浅学にしてこの国の歴史は知りませんでしたが、そういう事情があったのですね」

「ええ。元はエクト帝国の諸侯の一つに過ぎなかった我が王室が、西海岸に覇を唱えたのは、まったくこの魔法開放のお陰ですよ」


 王国万歳! クライドがグラスを持ち上げた。王室に栄光あれ! ラルフとホーカムが後に続く。

 ルーライは感心してそんな様子を見つめる。この国の王室は慕われているんですね、と、少しばかりの疎外感を感じつつ、疑問を口に出す。


「しかし、他の国では一般兵が魔法を使うというのは聞いたことがありません。なんでなんでしょう」

「魔術刻印の量産が技術的予算的に難しいというのもありますが、魔法技術の独占は支配層の特権ですから。怖くて中々踏み切れないんですよ。うちの国でも一般兵に与えられる丙種刻印は、ダウンスペックのモンキーモデルですし」


 とはいえ、と前置きしてクライドは言う。


「基本的に国民皆兵の我が国で、部分的とはいえ一般兵に魔術を開放するなんてのは簡単に出来ることではありません。これも王室と国民の間の信頼関係があってこそ。一衣帯水、それが我が国の真の強味です」

「なるほど、大国には大国の理があるんですね」

「もちろん! 貴族が魔法技術を独占した挙句、進化した火器によって革命起こされるような無様な国とは訳が違――」


 胸を叩いてそう言って、しかしクライドは口を閉じた。顔を引き攣らせてルーライを見る。

 ルーライは、


「…………なにか?」

「……いえ」

「あーあー、クライド気をつけて発言しろよー」


 やかましいわ、とラルフに言い返して、クライドは気持ちを切り替えた。


「とにかく、我が国はそんな感じです。この話はやめにしましょう。もっと建設的な話をしなくては」

「そうですね、そうしましょうか」


 ルーライがそう頷いて、クライドは安堵した。このご時勢、どこに地雷があるか分かったものではない。

 自分のことを棚にあげて、クライドはそう思ったのだった。






「そういえばルーライちゃん、さっき魔法使ってたよねー」


 失態に気を落としたクライドをフォローするように、ラルフが話題を振った。

 ええ、まあ。気持ちを切り替えたルーライが応じる。


「楽師ですので。音に関する術は色々と嗜んでいます」

「……ああ、そういえばさっき不思議に思ったんだ。昼のあれ、“増響”ですか?」


 気を取り直したクライドの問いに、ええと、とルーライは言いよどんだ。

 そんな彼女の様子に、クライドは慌てて、


「いや、言えないなら構わないですよ。魔法関係は色々と難しいですし」

「気を使っていただいてすみません。ただまあ……商売道具ですので……」


 やっぱり言えないですごめんなさい、とルーライは頭を下げた。


「いえ、頭を下げなくても……。おいラルフ、おまえが話を振ったせいでルーライさんが困ったぞ。どうしてくれる」

「えー! さっきのクライドの発言の方が問題じゃーん!」

「その失言を誤魔化すための人柱になってもらおうと思った」

「ストレートだなー!」


 ケラケラと笑って、ラルフはからかうように言う。


「ルーライさん、こんな事言ってるけど、こういう男どう思う?」

「そうですね、少々姑息かと」

「そんな! 俺はルーライさんに隠し事をしたくないから正直に白状したのに!」

「正直に言えば良いというものではありません」

「妻に隠し事をしない理想の夫像というものをですね……」

「誰が貴方の妻ですか?」


 うわーん、とわざとらしくクライドはテーブルに突っ伏す。その後頭部を見つめて、ふと気になってルーライは聞いた。


「……夫婦夫婦とやけに結婚にこだわりますが」

「はい?」

「何故、そうも急いで事を進めようとするのですか」


 この問いかけに、クライドはのそりと顔を上げてルーライの顔を見た。


「単純な話ですよ。流浪の貴女を繋ぎとめるのに、それが一番手っ取り早い」

「繋ぎとめるといわれても、私には旅をやめるという選択肢はありません」

「そうなんでしょうね……」


 付いて行ければなあ……と溜息を吐くクライドに、ルーライは疑問を浮かべた。

 短い付き合いだが、彼の性格はある程度理解できている。ちょっとやそっとの障害で諦めるような人ではない。ルーライに断られても着いて行くと、何故言い出さないのか。

 薮蛇かなあと思いつつも、ルーライはつっついてみた。


「クライドさんの性格なら、無理にでも着いて来る、とか言いそうに思いますけど」

「……それがその、契約期間が切れてないから無理なんですよ」


 ルーライさんが出立を遅らせてくれるか、合流場所を打ち合わせないと無理です、とクライドは答えた。


「契約?」

「ええ、大工の……なにしろ支度金を前払いで受け取ってるんで、違約金が発生するんですが、これを払う現金の持ち合わせが……」

「うわー、クライドひでー」

「おい、そんな理由だったのかよ」

「……軍隊時代の蓄えはどうした?」


 知りたくなかった裏事情に、外野三人もドン引きである。

 ルーライもルーライで、なんだかちょっとだけ傷付いていた。着いて来られなくて良かったと思うべきなのだろうが、乙女心は複雑である。


「違約金……」

「い、いや、ルーライさん、口座には若干の蓄えもあるんですよ! でもこの村銀行無くて!」

「お金と恋心を天秤にかけるような人だったんですね……がっかりです」

「うわぁー! 金回りを正直に告白したら嫌われたぁあああーーー!!!」


 金がないのは首がないのと同じなんですよー! とクライドは半泣きでルーライにすがりついた。

 ルーライとてお金の大切さは分かっているが、しかし女の子には言っていいことと悪いことがある。

 本当に正直は美徳と限りませんね……ルーライは溜息を吐いてクライドを押し返したが、ここでホーカムが口を挟む。


「いや、金回りについて相談するのは悪いことじゃない。隠すよりいい」


 年の功としてフォローする。開戦前から社会人として働いていたホーカムは、その手の事情にシビアだった。金銭問題が男女の関係に密接に絡んでくることも知っている。

 思わぬ援護に、おお、とクライドは喜んだ。喜んで、そして言った。


「流石婚約者に逃げられた男は言うことが違うな!」

「貴様なんで今俺の古傷抉った!?」


 席を立ったホーカムがクライドを引きずっていき、酒場の隅で尋問を始める。

 そんな様子を眺めながら、


「……逃げられたんですか?」

「らしいねー」

「戦地から帰ったら別の男と結婚してたって話だ。よくある話だな」


 それはそれは、と、ルーライは再度溜息を吐いた。

 つくづくこのご時勢、誰しも触れられたくない過去というのはあるものだった。











 日も傾く頃になると、仕事終わりの作業員たちが、ぼちぼち酒場にやってくるようになる。

 演奏会の話は村中に通達されていて、どこの現場も今日は早めに上がったようだった。

 そういえば朝親方が呼びに来たのもそれが原因でしたね、と、クライドは事情を聞いてそう笑い、そういえば朝の約束はどうしましょうか、とルーライが返した。

 なに、いつでも構いませんよ――そう言ったクライドの魂胆は透けて見えてはいたものの、不思議と不快な感じもせず、分かりました、とルーライも応じる。

 そんな中村長がルーライを呼びに来て――さて、演奏会は始まったのだった。











 村の中央から聞こえてくる演奏に、今は行商人と名乗っている――男は軽く目を細めた。


「……ああ、そういえば言っていたな」


 昼に会った、白い楽師を思い出す。どうやらこれは彼女の演奏か。

 男は音楽には興味が無かったが、たった一人で、これだけの音響を奏でる技には驚嘆した。おそらく音声増幅系の魔術か。単なる旅芸人かと思ったが、なるほど、“ただの”ではなかったらしい。

 今、男が居るのは宿場の二階であった。窓から見下ろす景色は、気付けば街道沿いから人が消えていて、女楽師の集客力を物語っている。


「…………」


 かつ、かつ。

 緩やかなリズムで床を叩く指先。これは考え事をする時の男の癖であった。

 これは吉兆か、否か――逸る思いが指先に乗り、僅か、叩くリズムが早くなる。

 ――と。


「ボス」

「……リーガルか」


 部屋の外から聞こえる声に、男は低く声を出した。

 入れ。許可を得てリーガルは室内に入る。動きが少しぎこちないのは、負傷によるものだろうか。


「その怪我はどうした」

「大工の同僚にやられました」

「……ヘマしたわけじゃないだろうな」


 男の右手に僅か、赤い魔力光が光る。


 ――――“勇者”


 魔法……魔術刻印には、絶対的な優劣が存在する。

 暴力的な力を背景にした、その無言の圧力に、背筋に恐怖が走る。なんとか押し殺してリーガルは答えた。


「その点は大丈夫です。……むしろアレから逃げる口実になりました」


 顎で窓の外を指し示す。アレ、とは楽師の演奏会のことだと、男もすぐに気付く。


「どうなってる」

「村人から作業員まで、ここに暮らす連中は、ほぼ全員集まってますね」

「今夜の動きをどう見る?」

「間違いなく、二次会です」


 リーガルは答えた。


「この村の作業員は軍隊帰りばかりで、例によって宴会好きです。今夜は村人も混ざって大騒ぎでしょうね」

「朝まで飲み明かすということは?」

「いえ、明日は平日です。零時前には皆眠るかと」

「間違いないか」

「はい」


 かつ、かつ。

 指先で床を叩いて、男は考えを巡らせた。リーガルの報告は信用に値するか否か。

 男は部下をあまり信頼していなかった。彼の『部隊』は寄せ集めで、強固な信頼関係など望むべくもない。そもそも最初から彼らの集まった目的を考えるなら、信じるほうが馬鹿である。

 まあそれはいい、と男は考えていた。どうせ軍に居た頃も、信頼に値する部下を持てた事は無かったのだし――――


「リーガル、他の連中はどうした」

「情報収集中です。大方アレに混じってるでしょう」

「飲みすぎないように伝えておけ。その代わり、村の奴らにはガンガン飲ませろ」

「無茶言わないで下さい。俺ら、基本的に信用されてないんですよ?」

「当たり前だ。おまえらみたいなのを信用する奴が居るか」


 こいつは痛いところを突かれました、とリーガルは頭をかいた。

 ふん、と鼻を鳴らして、男は言う。


「だがな、酒が入っているのは良い。実に好都合だ。仕事がやりやすくなる」

「……ほんとに今夜、やるんですか?」

「怖気づいたのか」


 ドスの利いた声に、リーガルは身を震わせた。


「滅相もない。ようやくのデカいヤマです。『火事場泥棒』なんぞより、余程いい」

「……言うじゃねえか」


 何がデカいヤマだ、貴様らのような骨のない連中、火事場泥棒だって上出来だ――そう喉まで出かかったのを飲み下す。

 作戦前に士気を下げる意味はない。釘を刺すに留める。


「浮かれるなよ、今夜の動きは隠密性が第一だ……信用がないならなおのこと、可能な限り村の奴らとの接触は避けろ」

「へい。……作戦は事前連絡どおりで?」

「ああ。……いや待て」


 かつ、かつ。

 考える。今夜の二次会、村の者たちが集まって騒ぐとなれば、結構な賑やかさになるはず。


「……酒場のすぐ裏が役場だったな。……そして高低差で死角がある」

「へい。それが何か?」

「連中が寝静まってから動くより、宴会の音に紛れて動く方が好都合だ」


 男は決断した。これは好機だ。ならば利用するべきである。

 すぐさま行動に移す。目の前のリーガルに、


「作戦の変更を伝える。おまえはひとっ走り、東の別働隊に連絡に行け。時計合わせも忘れるな」

「……分かりました」


 頷く部下。男は“戦”を前にした昂揚感に、軽く目を細めた。

 軍を首になって一年近く――今夜が俺の山場になる、と。











 山の稜線を夕日が撫でる。西からの日差しは人々を照らし、その影を地面に長く伸ばした。

 彼らの視線の先、即興で用意された演台の上、白い楽師が――今は赤く染め上げられて、バイオリンを奏でる。

 奏でる楽曲は、恋人同士の別れをテーマにしたものだという。胸を引き裂くような悲しみと、出会えて良かったという喜び。そして過ぎ去った時への郷愁が渾然となっていて、聴衆の胸をざわつかせた。


 日が、沈む。


 しずむ、しずむ――演奏するルーライの背後、沈んでいく太陽が、まるで別れる恋人のように感じられて、彼らは息を呑む。

 切なさが胸を締め付ける。いや、聴衆の感じる寂寥は、単に旋律に導かれたものではない。演奏の終わりを予感してのものだ。

 演奏の終わりを。もう戻らない過ぎ去った時を。西へ消えていく太陽を。別れを惜しむ旋律が、しかし日没の間際、赤が黒へと変わる瞬間に、バイオリンの弦が高く鳴る。

 過去への感謝と、未来への希望の色を示す――そう、それは別れの挨拶だった。


 ――――さようなら、お元気で。











「いやー! 凄かったねー! ルーライさん!」

「だろう? 俺の耳に狂いは無かった!」

「……なんでクライドが誇るんだ?」

「ちくしょー、なんで俺がぁー……」


 演奏が終わると、聴衆が一気に酒場に流れ込んだ。昨日に引き続いての大入り満員で、立ち飲み客まで出る騒ぎである。

 そんな中討伐隊の四人衆は、酒場の端のテーブルに集まって座っていた。この席は彼らが狼狩りの打ち合わせに使っていた席で、その功績を盾に席を空けさせたのだ。

 大はしゃぎするラルフにやたらと偉そうなクライド。いつも通りちびちびと飲んでいるホーカム。散々しごかれたのか、カザートはテーブルに顎を乗せて突っ伏していた。

 この四人、元はそこまで仲が良かったわけでもないのだが、どうやら戦場を共にしたことで連帯感が生まれたらしい。なんだかんだで二日連続、同じメンバーで飲んでいる。

 通しで出てきた蒸かし芋を、フーフー吹きながらラルフが言った。


「でも残念だったねー。ルーライさん、村長にお持ち帰りされちゃって」

「お持ち帰り言うな。まあ下心はあるだろうけどな」

「おいおい、いいのかよクライド。惚れた女が他の男の家……じゃねえけど、一つ屋根の下だぜ?」


 演奏会の後、今夜は役場に泊まっていきなされ、と村長はルーライに申し入れた。ついでに昼間もてなせなかった分、今夜の夕飯は奢りますぞと、割と強引に誘ったものである。

 どっちがどっちを接待するんだよエロジジイ、などと聴衆からは野次が飛んだが、まあ宿代が浮きますし、とルーライが頷き、注目のクライドも特に文句を言わなかったため、不承不承周囲も納得した。

 ……実に恐るべきは、クライドの外堀の埋め方である。


「別に。彼女も慣れてるだろう」

「えー……それでいいのかよクライド。そりゃあ彼女は旅芸人だし、()()()()()も仕事かもしれないが……」


 芋を齧りながらそう言うクライドに、カザートは失望した声を出した。

 元々このメンバーの中でも、同僚として一ヶ月を共に働いた仲。カザートはクライドが嫌いではなかった。先日の討伐で見せた活躍に、ルーライへの果敢なアタックを見た今、むしろ男として尊敬しているといってもいい。

 だからこそ失望したのだ。お前の彼女への想いはそんなものだったのか、と。

 それは男として理解できない態度である――そんなカザートの様子に、しかしクライドは眉を顰めた。


「……おまえ、なんか誤解してないか?」

「え?」


 クライドはラルフを見た。目線で問いかけられて、ラルフが答える。カザートに向かって、


「大丈夫だよー。あの村長には無理だから」

「……どういうことだよ?」

「おまえが危惧するようなことは無い、ということだ……そうだな?」


 ホーカムの問いかけに、クライドとラルフは頷いた。

 疑問符を浮かべるカザートであるが、考えても仕方ないと悟ったか、諦めて芋を手に取る。


「って、あちィッ!」

「何やってんだカザート」

「ははは、馬鹿だなー」

「フォークを使え、フォークを」


 まったく、この粗忽者は……。

 呆れたホーカムがフォークを渡す。受け取ってカザートは芋を突き刺し、小さく割って食べ始める。

 クライドはぼやく。


「しかし芋は美味いんだが、酒はまだか、酒は。俺は今日一滴も飲んでないんだが」

「珍しいねー。いつもは浴びるように飲むくせに」

「おまえだって変わらんだろ」

「そりゃ、飲まないと眠れないしねー」


 やっぱり熟睡するには酒飲むか女の子抱くかだよねー。そんなラルフの発言に、給仕中のジェーンがサイテー、と言い捨てる。

 軽蔑の声に、ラルフはケラケラと笑って、


「ジェーンちゃーん! 一日分の酒代で相手してよー!」

「誰がするか!」


 スコーン、と生のジャガイモが飛んできて、ラルフの顔面を直撃した。近くの席の若者がゲラゲラ笑って、ジャガイモを拾い上げた。

 ああもうこれだから兵隊上がりは……そう言って奥に引っ込むジェーン。

 そんな彼女を見送り、溜息を吐いてホーカムは言った。


「ラルフ……それは典型的な戦闘疲労の症状だぞ……」

「知ってるよー。一応カウンセリングも受けたし」

「そうか……」


 疲れたように、ホーカムは芋を突く。

 世知辛い世の中に溜息が増えたのはむしろ戦後になってからで、……看護士の仕事に戻れるのは何時になるやらと、ホーカムはつくづく悲しくなった。


 ――と。


「おーい、クライドォー! 居るかぁー!?」

「……親方?」


 あれ? とクライドは入り口に目を向けた。日焼けした角刈りの大男。紛れもない親方である。

 なんとなく既視感を感じて、クライドは嫌そうな顔をした。朝に膝枕の約束をぶち壊された恨みは忘れていない。

 あの約束、果たされるのは何時になるのか……思い出して心配するクライドの眼前、やってきた親方は開口一番、


「すまんクライド、またしてもすぅっっっかり忘れててなあ!!!」

「……おいホーカム。二日で三回連絡事項を忘れたうちの親方を、ちょっと診てやってくれないか」

「クライド、俺は頭は詳しくない」

「おいおいクライド! 俺はまだボケちゃあいないッ! なあカザート!」


 カザートは目を逸らしたが、親方は気にも留めずに先を続けた。


「そんなことより、これだ、これ。こいつを昼預かってたのを、すっかり忘れてたんだ! すまん!!」

「……手紙ですか?」

「ああ!」


 大きな声に頭を痛めつつ、クライドは手紙を受け取る。

 しかし手紙とは。貰うのなんて一体何時ぶりだろうか……そんなことを考えながら、ひっくり返して差出人を確認し――


「……すまん、俺、今日は帰るわ」

「はあ!?」


 そんなことを言い出すクライドに、カザートは仰天した。

 ラルフもホーカムも、ついでに親方も驚いて声を上げる。


「折角のタダ酒なんだよー!?」

「おいおい明日は槍が降るのか!?」

「クライドがタダ酒前にして帰るだとォー!!?」


 『なにィ!?』『マジかよ!?』親方の大声に反応したのか、一斉に酒場がどよめいた。

 何しろこの村に来て以来、一日も欠かさず飲み続けてきた飲兵衛のクライドである。そうでなくとも同じ酒飲み。タダ酒を前に撤退する異常さはよく分かる。

 ……雑貨屋の親父に至っては、『今日も賭けは不成立かよ!』などと叫んでいたが、彼はむしろ勝ち逃げできることを喜ぶべきではなかろうか。

 外野のそんな動揺を、しかしクライドは聞き流し。


「故郷の知り合いだ。……悪いな、付き合えなくて」


 そんなことを言って、酒場を後にする。

 その顔は微妙に申し訳なさそうだったが……残された酒場の皆の衆、彼らを代表してカザートが言った。


「……いや、別におまえ居なくても困らんし。むしろ俺は助かるし」

『ですよねー』


 ……案外、討伐隊の結束も脆いものかもしれなかった。











 街道沿いを東に下り、人の気配が消える頃、半ば山の緑に埋もれるように建つあばら家が、クライドの寝床である。

 なんでこんな辺鄙なところに、と疑問を呈したのは酒場の看板娘であったが、しかし酔っ払いの連中は、大して気に留めていなかった。

 それが何故なのか、クライドは確認したことがない。まあ戦場帰りのシンパシーなのだろうと、適当に片付けている。

 もしかすると真の理由に気付いている者も居たかもしれないが――しかし()()()()いない以上、気にすることはなかろうと割り切っていた。


 ……と、灯りがないな。


 しくじったなー、とクライドは頭を掻く。どうせなら一人で静かに読みたいと、寝床に戻ったのは良かったが、灯りくらい持って来ればよかった。

 やむを得ず、右手に魔力を流す。煌々と灯る魔力光。文字を読むのに不足はない。

 しん、と静まり返った夜に、カサカサと紙の擦れる音が響いて、クライドは無意識に息を詰めている自分に気付いた。


「戦場じゃないってのになあ」


 あえて声を出し、クライドは苦笑を浮かべた。

 夜は遠くまで音が聞こえる、留意すべし――そんなのは昔の話だ。

 今のクライドは、復員兵士である。


「さて、と」


 封筒から便箋を取り出して読み始める。時候の挨拶を省略した率直な書き出しに、幼い頃を思い出して、クライドは頬を緩める。

 それは、こんな感じに書き出されていた。


『前略。貴方の軍功と残してくれた財貨により、村の一同、恙無く冬を越せましたこと、大変ありがたく思っております――』


 ああそうだ、率直さは彼女の美徳であった。

 読み進める。間違いなく彼女の筆跡によるその手紙は、しかし内容は複数人によるらしく、所々で文体が変わり、話題もまた取りとめも無く錯綜していた。

 纏めた彼女は大変だったろうなあ、と、手紙が書かれた状況を想像して、クライドは目を細める。……涙腺が緩むのは、果たして単に懐かしさによるものだったろうか。

 誤魔化すように声を出す。


「そうか、ミヤンダさんの所の子供は、今年から小学校か……」


 俺が兵隊に行った時は、まだ赤ん坊だったのにな……。

 知らぬ間に過ぎた時の流れに、クライドは強烈な郷愁を覚えた。七年前の年末、十四歳で軍に志願した日――あの時送り出してくれた人たちと、後にした故郷の風景。

 それはもう、二度と戻らない。……戻らないのだ。


「……年を取ると涙腺が脆くなるって本当だな。お袋を馬鹿に出来ねえわ」


 ぐす、と、とうとう涙ぐんで、クライドは呟いた。

 本土に帰り両親と再会した時、泣いていた母を思い出す。クライドはその時、何故母が泣いているのか理解できなかったものだが……今思えば、あの時の自分が異常だったのだ。

 よくよく思い返してみれば、父も少し目が潤んでいた気もする。姉は……大して変わりなかったが、アレはまあ姉だから仕方ない。

 忙しさにかまけて挨拶もほどほどに仮設宿舎を飛び出してしまったが、あの日家族の時間をもっと持っていたとしたら……。


「もうちょっと粘れば、親父の泣き顔も見れたのかなあ……いや、あんまり見たくないな……」


 ……ともあれ。

 手紙に書かれているのは喜ばしいニュースばかりで、同郷の皆の再出発が、素直にクライドには嬉しかった。

 ああ、今夜は久しぶりに良い夢を見れそうだと、クライドはそう思って最後の便箋を捲り――




『――追伸。

 夫の遺品を持ち帰ってくれた貴方に辛く当たってしまったこと、大変申し訳なく思っています。

 いつか、直接謝らせてください。

 元気で帰ってきてね、クライド君』




「……メーラ姉、気を使ってくれたつもりなんだろうが……」


 頭を抱える。その声には決して、恨みや怒りの感情は込められていなかったが、


「今夜は悪夢だ。間違いない」


 ああもうあの人はしょうがないんだから、と――ほとほとクライドは困り果てた。


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