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その2

「う、うぅ……」


 うっすらと差し込む日光に、目を覚まして最初に感じたのは、全身の熱っぽさと節々の鈍痛。妙に働きの鈍い頭を軽く巡らせて、クライドは周囲を見回した。

 ここしばらく見慣れた風景。酒場の一角に、毛布を掛けられたまま放置されている――そう認識するまで数秒、軽く寝返りをうって、天井を見上げたまま伸びをする。あちこち腫れぼったい感はあるが、行動に支障をきたすほどではない。


「あー……、そっか、昨日乱闘かましたっけか……」


 四人伸した所までしか覚えてないなあ……などとぼやいて、クライドは身を起こした。

 妙に目覚めが悪いのは、おそらく回復魔法のせいだろう。服装を見るとあちこち血が付いており、軽くシャツをめくって見ると出るわ出るわ、腰だの肘だのに治りかけの擦過傷やら痣がある。

 おそらく袋叩きにされた後、治癒術の使い手に適当に治療されたのだろう。やった奴の技量はそれなりに高い。残念ながらそうクライドは認めざるを得なかった。


「いっそ治癒術を暴発させてくれれば、今日一日寝ていられたかもしれんのに……」

「おうクライド、目が覚めたか」

「……ああ、マスター」

「調子はどうだ?」


 奥から出てきたマスターに声を掛けられて、クライドはよっこらせと腰を上げた。

 掛けられていた毛布をたたむと、カウンター席に座る。心得たものでマスターも、何を言うより早く水を出す。

 ごくり、飲み込んだ水が口内や喉に沁みないことを確認して、クライドは喉を潤した。


「ああ、生き返った。昨日はすまなかったなマスター。この俺としたことがついカッとなった」

「備品は壊れなかったからまあいい。しっかしすげえ騒ぎだったな」

「よく覚えてないが、どうなったんだ?」


 尋ねるクライドに、マスターは溜息を吐いて答えた。


「おまえが四人失神させたところで、調子に乗って『まとめて来い!』とか言いやがったせいで、他の連中が一斉に襲い掛かった」

「うげ、マジか」

「最終的におまえを入れて失神六人、負傷者十二人だったなあ……ホーカムの奴が治療したが、さながら野戦病院だったぜ」


 お前はうちの酒場をどうしたいんだ、とマスターはぼやく。そんなマスターをスルーして、クライドは酒場を見回した。


「にしちゃあ、俺の他に寝てる奴も見当たらないが」

「そりゃおまえ、他の連中は周りの奴らが連れて帰ったからな」

「何故俺だけ放置されてるんだ。イビリか、シゴキか、イジメなのか!」

「おまえの寝泊りしてるところが村外れだからだろ」


 二杯目の水をどん、と置いて、マスターは言う。


「あんな辺鄙なところまで、わざわざ運ぶ物好きはいねえよ。大体おまえ、昨日は味方が居なかったじゃねえか」

「それもそうか。俺の女神は?」

「……ルーライちゃんなら宿に帰ったはずだぞ」

「じゃあまだ村に居るんだな? よし、会いに行こう」

「まだ早朝だぞ?」

「朝一で出立するかもしれんだろ。俺は今日も仕事なんだよ」

「仕事の前日に大乱闘ってどうなんだ……」


 呆れるマスターに水の礼を言って、クライドは腰を上げた。自然な動作で立ち去ろうとして、足を止める。


「おっと、勘定を忘れてたな。正直聞くのが怖いが、幾らになったよ」

「……ほれ」


 渡された請求書を見て、クライドは渋い顔をした。予想はしていたが、手持ちの金では到底足りない。


「……有り金は置いていく。残りは夕方で頼む」

「ツケててもいいんだぜ? 一応ルーライちゃんを連れてきてくれた分は負けてもいいし」

「いや、支度金の残りを崩せば支払えるはずだ……生きていくだけなら日当と野草でなんとかなるしな……」


 とはいえしばらくは酒の量を減らさなくてはと、クライドは溜息を吐いた。











 峠道の途中にあるこの村は標高が高く、従って気温も平野部より低い。

 早朝ともなればなおさらで、しかしルーライが朝も早くに散歩に出たのは、この肌寒いほどの涼しさを愛してのことだった。

 元来北国の出身であるルーライは、この程度の寒さならものともしない。それに子供の頃野山で遊んだ記憶のないルーライにとって、旅の中で自然の風景を眺めるのは、趣味の一つと言っても良い。バイオリンケースを肩に掛けたまま、取りとめも無く朝の街道を下っていく。

 山間部を走る街道に沿って発展したこの村は、峠側である西側がやや高く、平野に下りる東側がやや低い。例のラワン湖は北側で、南には街道と並行するように川が流れており、この川と街道の間がラワン村の居住区である。

 居住区は街道から二メートル弱ほど低くなっていて、土の崩れを防止するためか、コンクリートで補強されている。転落防止のための簡単な柵も設置されていた。

 とはいえ往時には発展していたであろう街道沿いの商店街も、現状はほとんど更地か工事現場と化している。住宅地も今は仮設宿舎が立ち並び、集まった労働者や戻りつつある村の人々に寝床を提供していた。


「……おや、花が」


 村から少し離れた辺り、山の緑の中に白い花が咲いているのを見つけて、ルーライは足を止めた。白く可愛らしいその花は、風が吹けば吹き飛びそうで……触れることを躊躇わせる可憐さが、ルーライの心を惹き付ける。


「高山植物でしょうか。見たことのない種類ですね」


 屈み込んでそっと覗き込む。小さな花と、それを差し引いても千切れてしまいそうな細い茎。線香花火のような儚さ、とルーライは感じて、いやいやと首を振る。

 如何に可憐に見えても野に咲く花である――決して侮ってはいけないのだ。

 そのことを、彼女は実感として知っていた。真っ白なルーライの外見は神秘的でもあったが、同時に酷く儚げな印象を人に与える。実際ルーライは虚弱な性質ではなく、むしろ今では思い切り逆であったが、人は氷細工にでも触れるように接するのが常だった。

 彼女自身元々人見知りする性格もあり、六年を越える旅の中で、彼女と深く関わる者もついぞ出ず――しかしそういえばそういえば、とルーライは思う。つい昨日、そんな自分に無遠慮に……もういっそ腹立たしいほど無神経なほどに触れてきた輩が居たなあ、と。


「…………」


 ならばよし、じゃあ私も軽く触れてみようかと、ルーライはそっと指先を伸ばす。

 そっと花弁を下から支え持つように、優しく撫で上げようとして――


「だーれだ!」

「ひぁあああああああ!!!!!!!」


 身も世もない声を上げて、ルーライは飛び上がった。

 勢いでガゴン、と頭上の“何か”に激突する。聞こえるぐげ、という声に、頭頂部の痛みも忘れて振り返る。勢いで()()を鷲掴みにしていた両手を振り払い、


「ごふぅっ!!」


 遠心力を効かせたエルボーが、不埒者の頭部、というよりは首の辺りを横からぶち抜いた。吹き飛ぶ不埒者は凄まじい勢いで横に倒れ、そのままゴロゴロと二転三転して止まる。

 両胸を押さえたルーライが倒れる変態の正体を……いや、確認する前から確信していたが、確認してもやっぱり“彼”だったので呆れたように溜息を吐く。


「……何するんですか」

「や、俺も目隠しするつもりが、胸の魔力に勝てず面目ない……」


 おっぱいには勝てなかったよ……などと倒れたまま呻くクライドに、早速頭が痛くなったルーライである。これは断じて二日酔いではない。


「いいから早く立った方が良いですよ。朝露に濡れてしまいます」

「朝一番で胸を揉んだ俺を心配してくれる貴女は本当に俺の女神だが、今の肘鉄すげえ良い場所に入ってて、正直気絶しなかったのが不思議なくらいなんですよ……」

「知りませんよそんなこと」


 実際反射的な迎撃で、急所に入ったかどうかなど知ったこっちゃない。まあ首の辺りに入ったのは事実なので、たしかに危なかったかもしれないが。

 仕方なくルーライはクライドに手を差し伸べた。この辺りの素直さと思いやりが、クライドを調子付かせている感は否めない。一応彼女自身自覚はしていたが、こればっかりは性分である。

 ともあれなんとか手を引っ張って――クライドが凄く嬉しそうな顔をしていてちょっと嫌になった――起こし、ルーライはクライドに一声かけた。


「とにかく、女の人にみだりに触れるのはいけないことです。自重してください」

「いや、普段は自重してるんですよ? 貴女だからこそ自制が効かないだけで」

「さようなら」

「待って!? 今立ち去られると追いかけられない!」


 だったら足腰が回復する前にさっさと立ち去ってしまえと思ったルーライだが、考えてみればここは村外れ。人通りも少なく発見が遅れる可能性はある。死にはしなくとも、朝露に濡れた服で風邪を引く位の事はあるかもしれない。

 なんとなく後ろめたくなって、クライドの隣に屈み込んだ。


「多分十分以内には回復すると思うんで、その間お話しましょう」

「はあ……」

「溜息を吐くと幸せが逃げるそうですよ?」

「誰のせいですか」

「勿体無いので私が貴女の吐き出した幸せを吸い込みましょう。これぞ幸せの再利用……!」

「やめてください」


 ゴッ、とこめかみに肘を打ち込む。結構強く打ったはずだが、クライドは痛い痛いと笑うだけである。どうにもタフで始末に終えない。

 ……そういえば、と昨日のことを思い出して、ルーライはクライドに尋ねた。


「昨日の怪我は大丈夫だったんですか? ボロボロになって倒れてましたけど」

「ああ、あれなら衛生兵上がりのホーカムって奴が治してくれたようで、特に今は問題ありませんよ」


 あっけらかんとクライドは答えたが、どうも納得がいかず、首を傾げてルーライは聞く。


「治療されているのは見ましたが、補助機材なしの治癒魔法って、たしか被術者の体力を大きく消耗するのでは……」


 専用の設備や薬剤があるならともかく、そんなもののあるはずがない村の酒場。傷の回復を促進する治癒魔法は、単純に被術者の体力や栄養を消費して傷を治すのが常道である。

 そんな基本的な知識に従ったルーライの疑問に、クライドはあっさりと答えた。


「ああ、それは単純に完治させた場合の話です。現場の治療は、傷の回復量と体力消費のバランスを見極めてやるんですよ。」

「え、でも治療院では……」

「それは“後方”の話でしょう」


 遮ってクライドは説明する。


「“うち”の衛生兵は優秀ですからね。傷病兵を半死半生のまま行軍させ続けるくらいは造作もない」

「ええとそれは……軍隊の?」

「前線では良く見る光景でした。というより、衛生兵の主任務と言っていい」


 あっけらかんとクライドは頷いたが、存外えげつない内容である。

 返す言葉が見つからないルーライを気遣ってか、クライドは話題を切り替えた。


「そんなことより、先ほどは何をしていたんですか? 道端で屈み込んでいましたが」

「ええ……花を見ていたのですが」

「ほう、絵になりますな」


 ほうほうとしきりに頷くクライドに、ルーライは苦笑の一つも浮かべたくなったが、ふと気になって尋ねてみた。


「あの花なのですが、知っていますか?」


 特に答えを期待していたわけでもなかったが、指差された花を見てクライドは意外にも、ああ、と一つ頷いた。


「ナツノハツユキですかね」

「……夏の初雪?」

「地元じゃそう呼んでました。その名の通り夏の初めに咲く花で……へえ、この辺だとこの時期に咲くのか」


 しばらくぶりに見た気がするな、とクライドは一人ごちる。


「珍しい花なんですか?」

「ここいらでは珍しいかもしれませんね。まあ群生する花でもないですし……それに内地だと高く売れるんですよね」

「そうなんですか?」


 まあ綺麗な花だし、好事家に売れるのでしょう。

 でも勿体無いな、花は野辺に咲いているのが一番綺麗なのに……などと思ったルーライであったが。


「ええ、根っこに毒があるんですが、珍しい毒なんで検出しにくいんですよ」

「…………え?」

「なので、歴史的に内地の貴族の暗殺には稀に使われたとか……どうしました?」

「……いえ、なんでも……」


 なんとなく夢を壊された気がして、ルーライは少し肩を落とした。

 野に咲く花を侮っていたつもりはないが――しかしこれもどうなんですか、と。






 結局断る理由も思いつかず、回復したクライドと連れ立って歩きながら、はいはいと相槌を打つルーライであった。

 早朝の散歩に同伴される羽目になったのはルーライのお人よしが所以ではあったが、しかしクライドも意外と博識で、道端の植物からこの村の歴史まで、尽きることなく話し続けていた。

 こういうマメさがあるからこそ、なんだかんだで嫌いになれない。こうしたあたりはたしかに大した男である。


「――そしてこの村に拠点を築こうとしていた敵の先鋒を破ったのが、当時少佐だったミルトン・レイジー大佐です。夜間密かにラワン湖畔に展開した彼の率いる砲兵大隊は、山の稜線を超越しての無観測射撃を実行。見事に先鋒部隊を撃破しました」

「大砲って、見えなくても当てられるんですね」

「いや、普通は難しいんですが、彼は色々と普通じゃないので……ルーライさんも西から来たので分かると思いますが、峠の向こうは大きな都市があります。なのでかなり危うかったんですよね」


 ルーライは今までの旅程を思い出した。たしかに数日前に滞在していた都市は、結構な規模であった。


「ここの峠が事実上の最終防衛線でした。もし峠を超えられていたら、最終的に勝てても王国の国力は相当に落ちていたでしょう……」

「そうだったんですか、知りませんでした」


 結構有名な話だと思うけどなあ、とクライドは呟いたが、ルーライの穏やかな微笑みに追及する気を失った。

 ……この男、すっかり骨抜きにされている。


「てなわけで、ここの村は反撃の嚆矢となった記念すべき戦場なのです。……と、そろそろ朝飯の時間になりますね。食事はもうお済みですか?」

「いえ」

「では食堂でもご案内しますか。まあ酒場や宿でも食えないことはないんですが、私お勧めの飯屋がこっちにあるんですよ」


 ルーライの手を取って、クライドは道を指差す。

 女性の手を取るのが上手いんですね、と、改めてルーライは思う。思えば初対面から手を握られていたが、不快感や違和感を感じさせられたことがない。

 あるいは繰り返しに慣らされているだけかもしれない――などと考え、ルーライは軽く首を振った。自分は流浪の楽師である。そう簡単に篭絡されてなるものか。


「? どうしました?」

「いえ、何も」


 首を傾げるクライドに、誤魔化すようにルーライは言った。

 そんなルーライの葛藤は露知らず、クライドは楽しげに手を引くと、街道沿いの小さな民家――にしか見えないが食堂なのだろう、多分――の暖簾をくぐって声を掛ける。


「よう親父! やってるか!」

「……掛かってる暖簾が見えねえのか、タコ」


 こいつは手厳しいな、と笑って、クライドは中に入った。続いてルーライが入店すると、客たちがおお、とうめき声を上げる。


「なんだ、朝っぱらから女同伴か」

「おう、いいだろう? なにしろ釣ったのは俺だからな」

「私は魚ではありません」


 ぶっきらぼうに言う店の親父に、軽く返すクライド。一応釘を刺してルーライは席に着いた。外見を裏切らず店内は狭かったが、しかし客の入りは悪くなく、早い時間にもかかわらず店内は満席に近い。自然、隣に座るクライドとは肩が触れ合うほどに近くなる。

 僅かに感じる彼の体温に不快感を感じない自分に気付き、やっぱり慣らされてるんでしょうか、鳴らすのは私の仕事のはずですが――そんな思考も頭をよぎるが、一先ず置いておいてルーライは礼を言った。


「案内していただきありがとうございます」

「誘ったものとしてこれくらいは義務ですよ……親父、定食二つ!」


 さっそく注文するクライドに、無言で頷く店の親父。どうも無口な性質のようである。

 フォローするようにクライドは言う。


「無愛想でも腕の良い親父です、ご安心ください。なにしろ砲撃によって更地にされたこの村の復興の際、一番に再建されたのがあの酒場なら、二番目はここの食堂ですからね」

「二番目に、ですか?」

「ええ、宿場や役場より優先に、です」


 計画上はそちらを優先にするようになってたはずなんですけどね、と、クライドは笑って言った。


「なにしろ飯の旨さは現場の士気に影響するもんで。現場判断で調理設備が最優先に再建されたという……ま、そういうこともあるんですよ」

「……なるほど」


 ルーライは頷いた。


「では私も皆さんの慰労のため、今日も演奏を頑張らなくてはいけませんね」

「楽しみにしていますよ」


 あと何度聞く機会があるか分かりませんし……。そう寂しげに呟いたクライドに、なんとなく同情を誘われて、ルーライはついこう言った。


「なんだかんだでお世話になりましたし、クライドさんにはお礼の一つくらいはいたしますよ?」

「おっぱ」

「それ以外で!」


 即答するクライドも大概良い根性だった。

 言わなきゃ良かったかとルーライは少し後悔したが、クライドは数秒考えて、今度は真面目な口調でこう言った。


「じゃあ旅の同道を認めてください」

「いえ、それは……」

「駄目ですか? 昨日も言いましたが、私は本気なんですが」


 真面目な顔で見つめられて、ルーライは言葉に詰まった。

 好意を向けられること自体は嫌ではない。むしろ好ましいくらいである。今まで旅をしてきて、これほど親しくなった相手も居なかった。この目立つ容姿と女の一人旅という都合上、煩わしい事も多くあって、たしかに彼のような同行者を持つのも悪くはないかもしれない。

 しかし問題は、むしろ彼女自身にあって――――


「……ごめんなさい」

「やはり駄目ですか」

「はい」


 結局、出る結論は一つしかない。

 心苦しく思いつつも、ルーライは多くを語らなかった。ただ一言にて断る。

 聞きようによっては失礼な物言いではあったが、その内心を斟酌したか、クライドは気を悪くした風もなく、ただ肩を落として溜息を吐いた。


「ではせめて別れる前に、日向で膝枕でもしてくれませんか?」

「……膝枕、ですか」


 これはこれで中々にハードルの高い要求ではある。しかし躊躇うルーライに、クライドは続けて言葉を掛ける。


「私の初恋は、四つ年上の村の女の子でした。結局彼女は他の男と結婚してしまったわけですが――子供の頃、後に夫となる少年に膝枕する姿を見て、幼い私は憧れを募らせたものです」


 真剣な目で、クライドはルーライを見つめた。


「いつか好きな人が出来たら、膝枕してもらいたい、と」

「……それは」

「駄目、でしょうか」


 そんなことを言いつつも、何時の間にか再び手を握っている。

 抜け目の無い行動に少しばかりルーライは躊躇したが、しかしここまで言わせておいて断るのも、流石に女が廃るのではなかろうか――


「……わかりました」

「おお、では!」


 ただ、とルーライは言葉を続けた。


「あまりこの村に長くも滞在できませんので、できれば早目にして欲しいのですが……」

「では朝食後にでも!」

「はあ、では、それで……」


 よっしゃあ! とクライドは小さくガッツポーズした。その姿が微笑ましくて、ルーライは少し目を細めた。

 いい年した男が無邪気に喜ぶ姿というのも、中々にレアというか、いろんな意味で胸の熱くなる姿である。多分に下心が含まれている気もするが、それはそれで悪い気分ではなかった。

 これも人徳というものなんでしょうか。そんなことを思うルーライに、喜色満面、クライドは礼を言う。


「ありがとうございます! 子供の頃の誓いがようやく叶いますよ!」

「いえいえ。しかし今まで佳い人は居なかったんですか?」

「縁が無かったもので。まあ軍隊暮らしが長かったから、仕方ないっちゃ仕方ない!」


 生きて帰って良かったー! そうクライドは喜んでいたが、そんな時ふと暖簾が揺れて、大柄な男が店を覗き込んだ。

 日に焼けた肌に角刈り頭。いかにも強面のその男は、見回すほど広くない店内を一瞥する。目が合ってクライドは笑顔を消すが、対する大男はおっ、と声を上げた。


「おお、ここに居たかクライド」

「……親方? ……どうしたんですか?」

「はっはっは。昨日おまえに今日の現場について連絡するのを、すぅっっっかり忘れててなあ!」


 そう肩を揺らして笑う大男に、うげえ、とクライドは嫌そうな顔をした。


「ああ、そういえば……またですか親方。一昨日も連絡が無くて、昨日は二度寝できなかったんですが」

「ありゃあ仕方ない。なにしろおまえが帰ってきた頃には俺は寝てた!」

「胸を張られても困るんですがね」


 がっはっは、と豪快に親方は笑う。

 まあ体が資本の仕事である。早寝早起きはたしかに褒められたことであろう。少なくとも毎晩毎晩酒場で安酒をあおっているクライドより遥にマシである。


「で、現場は何処なんです? 食ったら行きますよ」

「いいや、今から来い!」

「はあ!?」


 クライドは目を剥いた。


「ちょちょちょちょっと待ってください! 俺まだ朝飯食ってないんですが!?」

「女房が作ったおにぎりがある! 心配すんな!」

「いや、俺もう定食注文してて!」

「なにィ!?」


 クワッ! と親方もまた目を剥いた。


「うちの女房の飯が食えないってのか!」

「いや、そういう問題ではなくですね!」

「いいから来い! 今日は早めに上がりたくて、皆もう集まってんだ!!」

「連絡忘れたの親方のせいじゃないですかー!!」


 膝枕してもらうまで俺はここを動かないぞ! そんな覚悟でクライドは座席にしがみついたが、ここで先ほどのやり取りを聞いていた客たちが親方に加勢する。

 『仕事じゃあ仕方ねえな!』『そうだな、仕事じゃ仕方ねえ!』『ここは俺に任せて先に行け!』『おまえにだけいい思いさせられるかよ!』

 一斉に引っぺがされて、クライドは悪態を吐いた。


「くそ、嫉妬か! 兵隊上がりの団結力はこれだから……!」

「あんまり抵抗するなクライド! 抗命罪でしょっぴくぞ!」

「憲兵居ねーよ!? くそ、除隊したはずなのに、娑婆に戻った気がしねえ!!」


 わっしょい、わっしょい。

 客たちに抱えられて、クライドは店から運び出された。またしてもぽつんと残されたルーライである。


「ええと……」


 約束はどうなったんでしょう……困り果てるルーライの前に、どん、とお盆が置かれる。


「……食え」

「あ、いただきます」


 今日の主菜は、川魚の塩焼きで。

 ルーライは知る由もないが――クライドの好物であった。











 意外な健啖振りを見せ付けて二人前の食事を平らげたルーライは、暇をもてあまして昨日の酒場に足を運んだ。

 いや、最初は村の散策を続けようと思っていたのだが……女一人ふらふらしているのもなんだかみっともなかったし、それにあちこちで工事をしている今の状況、余所者が歩き回っていても邪魔にしかならない。

 少し歩き回ってそれを実感したので、避難のために酒場に逃げ込んだのである。なにしろ村の中心にあるこの酒場はアクセスが良い。

 ……そんなことを言う本日の客一号に、マスターは深々と溜息を吐いた。


「……いや、たしかに店は一応朝から空けてるけどよ。ガラガラの酒場で女一人座ってるってのもどうなんだ……」

「居場所がないんですよ」

「そりゃまあそうかもしれないが……湖でも見に行けばどうだ?」

「この時間帯では昨日と同じ風景しか見れません」


 はあ、と気のない返事をして、マスターは床を掃く手を止めた。

 昼の仕込みは終わったとはいえ、基本は掃除の時間である。来る者拒まずが信条のこの店であるが、二日連続で午前から客が来るのは想定外だった。

 その想定外のお客さんは、不貞腐れたようにテーブルに肘をつき、物憂げに冷やのグラスを傾けている。足元に置かれたバイオリンケースが哀愁を漂わせていた。


「慰問のために演奏しようにも、仕事中では邪魔にしかなりません……ああ、音楽は時に無力です……」

「……そうか」

「ここに来たら誰か居るかと思ったんですけどね……」

「平日の昼間っから飲んでる奴がそうそう居てたまるか」


 マスターは反射的にそう突っ込んだが、ルーライは自分のことを言われたのかと、ムッとしたように言い返す。


「昨日は居たじゃないですか。てっきり交代で休みを取っているのかと思ったんです」

「あれは昨日が特別だったんだ」


 あいつらの名誉のために言っておくとな、そう前置きしてマスターは言った。


「峠道に狼の魔物が出てたのは知ってるだろ?」

「ええ、まあ……一昨日まで足止めされていましたし」

「あれを討伐したのが昨日の四人だ」


 は? と疑問符を浮かべるルーライ。

 まあその反応も仕方ないか……などと嘆息し、マスターは解説する。


「正確には、うちの村から討伐隊に参加したメンバーだ。クライドとラルフは志願、ホーカムは衛生兵で半ば強制参加、カザートは……呑み負けた罰ゲームだったが……とにかくその手柄で、昨日はそれぞれ休みだったんだ」

「……そうだったんですか」

「ああ、だから一応、あいつらはうちの村の精兵ってことになる。単なる呑んだくれの駄目人間じゃない」


 いやまあ、呑んだくれなのは間違いないんだが。

 内心マスターはそう思っていたが、口には出さない。なんだかんだで彼らが貧乏くじを引いてくれたお陰で、他の者が助かったのは事実である。

 そう、だから胸を張ってマスターは、こう自らの店の擁護ができるのだ。


「この酒場はたしかに柄の悪い連中が集まってるが、ちゃんと昼間働いた男たちが集まる硬派な酒場だ。昼間っから失業者が集まるような、そんな腐った酒場じゃ――」

「へいマスター! 今日も朝から飲みに来たよー!」


 ズバーン! と酒場のドアが開いて、マスターは固まった。


 ……………………。


「……腐った?」

「腐ってない!」

「あ、ルーライちゃんも居たのか。おいおいマスター、クライドの奴に断り入れたのかー?」


 小首を傾げるルーライ。慌てて反論するマスター。ヒューヒュー冷やかす赤毛の青年。

 ともあれ正午を待たずして、ルーライの暇つぶし相手は見つかったようであった。






「まずは駆けつけ一杯ーっと。ルーライちゃん、飲む?」

「いえ、私は要りません」

「つれないなーっ」


 そうは言ったものの気を悪くした風もなく、青年は出てきたビールのジョッキを口に運んだ。

 ヒャッホウ酒だ酒だーっ! そんな感じで楽しげに飲み干す――間違いない、飲兵衛である。


「おいラルフ。俺は今さっきルーライちゃんに、おまえらのことをフォローしてやってたんだぞ?」

「んー?」

「昨日おまえら四人が昼間っから酒を飲んでたのは、一昨日の討伐隊の参加者だからで、ただの呑んだくれじゃないんだと――」

「マスター! 旨い! もう一杯!」

「聞けぇっ!!」


 ああくそ、結局こういう奴らなんだよな……頭を抑え、マスターはおかわりを持ってくる。金を払っている以上は客である。

 そんなマスターの様子を斟酌せず、青年――ラルフはルーライの方を見た。


「そうそう。俺、一昨日の狼狩りに参加してたんだーっ。凄い? 凄いでしょ?」

「はあ。まあ、それなりに……」

「褒めて褒めてー!」


 ぐいっと癖っ毛頭を突き出してくる。

 どうしましょうか。ルーライは少し悩んだが、結局彼の頭に手を伸ばし――


「えい」


 冷やのグラスを置いてみた。


「…………」

「…………」

「…………」


 三者三様の沈黙。

 突き出した頭に水の入ったグラスを乗せられた青年、乗せた女、傍観する初老の男。

 静止した空間の中、客観的にこの状況を見るなら、一体どのように見えるのか――そんなことをルーライは考えたが、


「ちーっす。……うわなんだこれ」


 ちょうど出勤してきたジェーンの微妙な反応に、凍っていた空気が動き出す。

 居たたまれなくなって、ルーライはグラスをどかした。


「……なに? どうしたの?」

「いえ、別に」

「いや、なんでもないよー」

「ああ……」


 顔に疑問符を浮かべたジェーンが厨房に入って、三人は溜息をついた。反省会の時間である。


「無茶振りしてすいませんでした……」

「いえ、私もちょっと対応を誤ってしまったようで……」

「ああ、ボケるならもっと分かりやすく、突っ込むならもっと激しくやらないとだめだ、嬢ちゃん……」


 三人揃って頭を下げる。

 白けた空気に、クライドさんのようにはいきませんね……とルーライは胸の内で反省した。


「と、とにかく、俺は一昨日の狼狩りに参加してたんですよ!」

「え、ええ、さぞや活躍されたことなんでしょう」

「もちろん!」


 気を取り直したラルフは、胸を張って討伐のエピソードを語る。


「このラルフ・ラザフォード、連隊では二偵にその人ありと謳われた男! もちろん鬱蒼とした山の中、魔狼を見つけて追い込む作業、見事果たしてみせました!」

「昨日も思ったが、偵察兵だったのか、おまえ」


 こんなうるさい奴がねえ、と呆れたように言うマスターだが、ラルフはあははと笑い飛ばして、自らの両目を指差した。


「はははっ、マスター! このラルフ・ラザフォードの両眼、どっからどう見ても鷹の目だろーっ!」

「発動してねえとわからねえよ」

「いやいや、魔法のことじゃなくてさ、こう、その、猛禽的に!」


 バッサバッサー、と両手を広げ上下するラルフ。

 そんな彼に、ね? ね? と同意を求められたので、ルーライは曖昧に頷いた。


「はあ、まあ、鷹の爪なんじゃないでしょうか」

「それ唐辛子だよルーライちゃーん!」


 勢いよく突っ込まれて、あれ、とルーライは首を傾げた。


「……マスター、何か間違えましたか?」

「おいおい天然か」

「鷹の爪じゃなくて! た・か・の・め!」


 魚の目でもないよ! と聞かれてもいないことを叫びだすラルフ。そろそろエンジンがかかってきたらしい。馬鹿っぽい口調で説明し出す。


「鷹の目ってのは偵察兵の技能魔術でね! 暗くても遠くまで良く見えるんだよ!」

「は、はあ……」

「あー、技能魔術ってのは軍隊で入れられる魔術刻印でな……」

「つまり! こういうこと!」


 説明しようとしたマスターを遮り、ラルフはくわっと目を見開いた。



 ――――魔力が、魔術刻印に流れ込む。



 見開かれたラルフの両眼、その周囲に隈取の如く浮かび上がる、白みがかった赤い魔力光。その光跡は複雑な文様を描き、その配列に従って僅か、世界を変容させる。

 注ぎこまれた魔力は微量。しかしそれでもラルフの体に馴染んだ“それ”は、注がれた魔力に相応の効力を発揮した。


 即ちその効果は――視覚強化、視覚補完。


 二類丙種王国陸軍制式魔術刻印――“鷹の目”



 魔力光が消えて視界が明るくなる。発動させた己が後天の眼に、鼻高々ラルフは胸を張った。


「――ねっ!」

「え?」

「……ん?」

「…………あれ?」


 発動させた魔術、強化された視覚。

 しかしその瞳に映る光景が期待していたものと違っていて、ラルフはあれーと首を捻った。


「……凄くない?」

「いえ、その……」

「傍から見て効果が分かる魔術じゃないからな……」

「――あ! そうか!」


 しまったー、こんなことなら“戦士”にしておけば良かったー……そう嘆くラルフのフォローに、ルーライは声を掛ける。


「まあまあ……その魔法で峠道の魔物を倒したんですから、十分それを誇るべきでしょう」

「そ、そうだよね!」


 ルーライちゃん優しい! そう素早く調子に乗るラルフに、呆れたようにマスターは言う。


「で? その肝心の狼退治、一体どういう顛末だったんだよ」

「あれー? マスターには昨日話さなかったっけ?」

「聞いたら三人でグダグダ武功争い始めやがったじゃねえか……」

「あー、そっか」


 昨日のことを思い出したか、ラルフはそう頷いた。


「ホーカムの兄貴は衛生兵の癖に前に出たがるし、カザートの奴は沢に落ちそうになって助けられるし……あの二人に言わせりゃ、俺たち斥候は狼の発見が遅かったらしいしなー」

「そんなようなことを言ってたな。まあ俺は、終わりよければ全て良しだと思うんだが」

「だよなー。軍隊じゃないんだから固い事言うなって話だよねー」


 出てきた漬物をボリボリかじりながら、天井を見上げてラルフはぼやく。

 軽薄な態度ではあったが、しかしこの時、低く呟かれた声色は決して軽いものではなかった。


「あー、ヤダヤダ。せっかく復員して娑婆に戻ったのに、就いた仕事は軍の斡旋、同僚はどいつもこいつも戦場帰り……戦争が終わった気がしないねー」

「実際、全ての講和は終わってないぞ」

「嫌なこと言うなよマスター。仮にまた戦争になったら、多分俺は真っ先に赤紙だぜー? なにしろ居場所が軍に割れてて、上に三人も兄貴が居るからなー」


 何が再就職プロジェクトだ、ちくしょーめ。

 悪態を吐くラルフに、気になったルーライは尋ねてみた。


「あの、この村は妙に軍隊帰りが多いとは感じていましたが、何か事情が?」

「復興特区だからだよ、ルーライちゃん」


 ラルフはうんざりと首を振って答えた。


「戦争が終わって、荒廃した国土があって、戦時動員で肥大化した軍隊と軍事予算があって……で、その元兵隊を安い賃金で復興に当てようってのが国土復興計画。要は体の良い飼い殺しよー」

「あんまり不穏なこと言うなよ、ラルフ」

「でも事実だろー」


 はあぁーっ、と深々溜息をついて、ラルフはジョッキを傾ける。


「なーんであの時斡旋所に行っちまったのかなー……。無視して故郷に帰ってれば、今頃勲章で女の子にモテモテだったのかもしれないのに……」

「勲章?」

「うん、功六級白鷹勲章」


 ルーライの疑問にあっさり頷いたラルフに、噴出したのはマスターであった。

 飲んでいた水が気管に入ったか、ゴホゴホとむせこんでいる。


「ちょ、……ごほっ、おまっ、功級持ちだったのかよ!?」

「まーね。一応国王陛下への拝謁資格、あるんだぜー」


 軽く答えるラルフ。どれくらい凄いのかよく分からず、ルーライは疑問を重ねた。


「ええと、凄いんですか?」

「いんや、全っ然」


 あっさりとラルフは首を横に振る。なんというかこの男、全体的に仕草が軽い。

 復活したマスターはそんなラルフをたしなめるように反論した。


「いや、凄くないってそんなことないだろ。最下位の功七級でも兵隊じゃ中々貰えないのに、六級だろ?」

「何時の常識だよマスター。……ああいや、そっか」


 マスター、実戦経験は? ラルフは問いかける。いいや、と首を振って、マスターは答えた。


「兵役には行ったが、前の戦争の時は子供だったし、今回は年齢に引っかかった。戦時中は避難してたな」

「だよねー。いや、別に責めてる訳じゃないんだけどさー」


 平時と戦時だと基準が違うわけよ、とラルフは言う。


「従軍を半年延長すると七級、これが最低ライン。要は実戦経験のある古参兵を逃がさないための方針ね?」

「……そんなことになってるのか」

「で、俺は一年延長してそこそこ活躍したから六級。そんな感じ」

「いや、軽く言ってるが、前線で一年って……」

「慣れたらへーきへーき。なんてことないって」


 敵襲に怯えながら眠るのを365回繰り返すだけさー、などと冗談交じりに嘯くラルフ。

 反応に困って、ルーライとマスターは顔を見合わせた。


「……そんなマジにならないでよ、俺はただ思ったままに言ってるだけなんだからさー」

「そうなのかもしれんが、なあ?」

「ええ……。ちょっとこの国の認識を改めるべきかと思いました」

「そーかなー?」


 銃後の人からしたらそうなのかなあ、と呟いて、ラルフは漬物を齧った。ボリボリと音を立てて咀嚼する。


「まあ、延長する奴はたしかに尊敬されたけどねー。俺からしたら、戦場に慣れるか慣れないかの違いでしかないと思うんだけど」

「その差はかなりでかいと思うが……」

「そーかな? ただの向き不向きじゃね?」


 だから俺は別に、クライドが勲章貰ってても驚かないよー、そうラルフは言う。


「一々言わないけどさー、この村に集まってる奴らは結構居るよ? 勲章持ち。だって俺、王都の叙勲式の後にそのまま近衛の下士官に引率されて、軍の斡旋所でここの仕事紹介されたもん」

「はあ!? 初耳だぞ!?」

「皆言いたくないんだよ。だって、勲章貰っといてこんな仕事してるってのも恥ずかしいしさー」


 クライドみたいに開き直ってればいいんだけどねー、とラルフは笑った。

 そんな様子に、気になってルーライは尋ねる。


「昨日も色々自慢してましたが、クライドさんはいつもあんな事言ってるんですか?」

「お、ルーライちゃん、やっぱりクライドのことが気になる? 気になるのかなー?」

「茶化さないで下さい」

「ごめんごめん。でもまあ、そうだねー、クライドの自慢話は凄いよねー、マスター?」

「ああ、あれは酷い」


 しみじみと、マスターは頷いた。


「捕虜を救出するために敵軍の駐屯地に潜入しただの、敵の防御陣地に突撃して一番槍取っただの……一番多いのは連隊の剣術大会で優勝したってアレだが……」

「そもそもうちの兵は捕虜にとってもらえないはずなんだけどねー。勲章貰ったなんて可愛いもんだよねー。あれ全部本当だったら、殊勲褒章何個貰えるんだろうねー」

「まったくだ。“銀剣”だって貰えそうだ」

「だねー。でも一昨日の狼退治の活躍を見ると、剣術大会で優勝したのは事実じゃないかと思うんだよねー」

「ほう?」


 ようやくそこに話が戻るのか。マスターとルーライはそう思って、ラルフに先を促した。


「うん。昨日三人で飲んでた時、俺たちお互いに貶しあってたけどさー、クライドの悪口は言ってなかったはずだよねー?」

「……よく覚えてないが、たしかに言ってなかった気がする」

「そりゃそーだよ、だって戦功一番だもん」


 おかわりー、とジョッキを差し出してラルフは言った。ビールを注ぎ足しながら、マスターは問う。


「戦功一番、クライドが?」

「うん。あれには文句の付けようがないねー」


 くいっとあおって語り出す。


「この前の狼狩り、まあ普段なら冒険者がサクサクやるような仕事なんだけどさー。俺たち討伐隊は魔物退治のノウハウ持ってないから、正攻法でやったのさ」

「へえ、つまり?」

「斥候で位置を特定して、本隊で包囲してから別働隊が逆側から奇襲、斉射して本隊に追い込む」

「……普通ですね」


 頷くルーライに、意外そうにラルフは彼女を見た。


「分かるの? ルーライちゃん」

「一応は。一時期は冒険者の真似事をしていたこともありましたので」

「え、そうなの?」

「それくらいでなければ女の一人旅なんて出来ません。……そんなことより続きを」


 えぇっ!? と男二人は驚いていたが、ルーライに自分について語るつもりがないと知ると、諦めてラルフは先を続けた。


「クライドは別働隊に居て、まあ俺もそっち側だったんだけど、群れの立ち直りが思ったより早かったんだ。つまり猟銃で射かけて本隊の方に追い込んだんだけど、反転してこっちに戻ってきた」

「魔物の知能を甘く見てはいけません」

「甘く見てたつもりはないんだけどねー、でも本隊をもう少し接近させて配置してれば……いや、連中の練度じゃ無理だ。気付かれる」

「話が逸れてるぞ」

「ああ、うん」


 ジョッキを傾け、ごくりと喉を湿らせる。気を取り直してラルフは続ける。


「まあ、戻ってきたのは仕方ないんで白兵戦に移行したんだ。すでに本隊も動き出してて、発砲したら味方に当たるリスクがでかい。王国陸軍伝統の抜刀突撃だね」

「銃剣じゃないのか」

「猟銃に着剣できないだろー? それに狼相手なら槍より剣だよ。人間と違って刺突面積が狭すぎる」

「たしかに、剣による振り下ろしの斬撃の方が当たり易いですね」

「そういうこと。で、俺たちは剣を抜いて狼群の突撃に身構えたんだけど、そこでクライドが前に出た!」


 興が乗ってきたのかゴクゴクとビールを飲んで、ラルフは声を弾ませた。


「『抜けた奴を頼む』――そう一言言い捨てて、クライドは群れの方に突っ込んだ。クライドは突兵だったらしいけど、この時の前進は静かなものだったね。ただ、決して遅くは無かった」

「どういうことだ?」

「滑るような足捌きで、一気に群れの中央目掛けて走り込んだ。というか早歩きかな? なんにせよ山の中であれほど静かに、素早く動ける奴は偵察兵でも中々居ない。見事なもんだったよ」

「へえ……」


 感心したように声を漏らしたルーライを、ラルフはちらりと見た。意味深な視線にむ、とルーライは眉間に力を入れたが、マスターは話が逸れないよう先を促す。


「狼の群れに突っ込んだクライド、たしかに大した勇気だが、それでどうなった?」

「ああ、これからが本当の見ものだったね! クライドは抜いた剣を下段に構え、突撃する群狼の先頭、リーダーと思しき大柄の狼の真正面に滑り込んだ!」


 ラルフは椅子から立ち上がって、身振りでその時の様子を再現する。

 両手で剣を持ち、だらりと下げた地摺りの下段。足幅は狭く右足を前に、およそ剣術の構えとは思えない無防備な棒立ちから、す、と僅かに右足を踏み込む。


「そう、右足から踏み込んだ。そういう風に見えた――でも違った、この右足はフェイントで、本命はこっち、左足だ!」


 余程興奮しているのか、はたまた酔いが回っているのか、ラルフは朗々と声を張り上げた。

 再現する身振りにも熱が篭る。一足長、三十センチに満たない右足の踏み込みから、瞬時に切り替わる足運び。左足を左前方に、体を入れ替え、左肩が一気に前進する。

 たんっ、と軽く踏み込む音を立てて、ず、と滑り込むようにラルフは腰を深く落とした。右肩が左肩の陰に隠れる真半身。何時の間にか振り上げたのか、両手は目線の高さまで掲げられている。剣を持ってはいないが、仮に持っているならば、その切先は後方を向いているだろう。


「――この動きだ。この動きで、クライドは斬った」


 目を輝かせ、興奮したようにラルフは語る。


「突撃する狼の群れ。その鋭鋒たるボス狼。それに真っ直ぐ臆することなく踏み込んで、接触の刹那、クライドはこの動きで交錯した――突撃の勢いで鍔元から切先まで撫で斬りにされて、ボス狼は二つに裂けた」

「裂けたって……」

「実際、裂けた。裂けた腹から腸をぶちまけて、ぶちまけてから地面に落ちた。凄い光景だった……」


 しみじみと、目を閉じてラルフは言う。瞼の裏にはその時の光景が映っているのか、僅かに口元を引き攣らせていた。


「俺はこれでも故郷にいた頃、剣術をそれなりに学んでたんだ。だから分かった。あれは本来ならば斬り下ろす太刀の下を潜り、のみならず敵の脇の下まで潜り、その脇を引き切りに後ろに抜ける――古に“陰踏”と呼ばれた一手。それに相違ない」

「いや、相違ないて」


 キャラがぶれてるぞ、と指摘するマスターだが、しかし興奮するラルフは気付かない。


「俺も戦場帰りだ。前線で二年半、鉄砲抱えて暮らしてた。実際の戦場ってのは泥臭さの極地で、殺し合いってのは美しくもなんともない――実際に森で敵と遭遇した時、俺は短剣を抜くこともできず、何とか組み敷いた敵兵の顔面を、落ちていた石で殴りまくって殺したもんだ」

「あの、あまりそういうことを放言するのはどうかと……」

「だがなー! あの時のクライドの技はたしかに美しかった!」


 聞こえているのかいないのか、ラルフは声高にクライドを賞賛する。


「磨きあがられた戦闘芸術! 剣術に没頭した子供の頃、憧れた“機能美”が、たしかにそこにあったんだ!」


 両の拳を突き上げて、ラルフは天を仰いだ。その瞳に一体何が映っているのか――それを理解したいと思うほど、ルーライとマスターはイカレてはいない。

 目を見合わせて譲り合う。どうぞどうぞ。いやそちらこそどうぞ。ここはマスターの酒場ですよ――――


「……あー、頭イってるとこ悪いが、ちょっと落ち着けラルフ」

「んー……ん? なんか聞き捨てならない台詞があったよーな」

「気のせいですよ」


 そーかな? とラルフは首を捻ったが、二人は生暖かい視線で見守るだけである。藪を突くほど馬鹿ではない。


「んー……まあいいか。まあそんなわけでクライドはボスを仕留めたんだけど、本当に凄いのはここからだった」

「おいおいまだあるのかよ」

「まだあるっても、言葉にしたらすぐだよ。つまりボスを失った群れは混乱して、一番近くにいる『敵』に次々飛び掛ったんだ」

「なるほど。クライドさんですね」


 すぐに理解したルーライに、ラルフはさっすがー! と拍手する。


「あいつは多分、最初から狙ってやってたんじゃないかなー。次々飛び掛ってくる狼を、片っ端から右に左に、体を入れ替えて飛び違えながら、引き斬りに引き斬りに捌いていった。最終的に群れの数は三十八頭と判明したんだけど、クライド一人で十三頭斬ったからね」

「とんでもねえ話だなおい……」

「首級十三は討伐隊で文句なしの一等賞だったよ。それにそもそも最初の奇襲で一頭か二頭は撃ち殺してるはずだから、実際のキル数はもう少し多いねー」

「それだけできれば、専業冒険者として暮らせますよ」


 ルーライは唸った。

 狼の群れ三十八頭、討伐依頼に即興のパーティーを組んで向かって、仕留めた数が十四、五頭……報酬と分配率を考えると、半月は生活できる額になる。

 今時討伐依頼などそうそうあるものでもないが、これだけの腕なら十分暮らしていけるはずだ。そもそも冒険者の依頼は魔物討伐だけではないのだし、わざわざこんな田舎で大工をやる必要は――――


「……いや、国の政策でやってるんでしたね」

「ん? なに? クライドとの将来設計?」

「違います」


 ぴしゃりとルーライは言ってやったが、またまたー、とラルフは笑って相手にしない。

 まずいですね、なんだか外堀を埋められている気がします……ルーライは冷や汗を掻いたが、まあ、これも旅立つまでの辛抱である。一々気に留めるのはやめよう。


「でもさー、クライドとルーライちゃんってお似合いだと思うんだけどなー」

「どの辺りがですか」

「凄腕剣士と美人楽師。吟遊詩人が放っておかない題材だと思うよー?」

「おいおいラルフ、あんまり他人の恋路に口を突っ込むな」


 ……早く旅立った方が良さそうです。

 危機感を募らせるルーライだったが、元凶のラルフはそうだねー、と頷くと、


「ところでルーライちゃん、握手してもらっていい?」


 ニコニコと笑ってそんなことを言った。


「……はい? なんでまた唐突に」

「いいからいいから。可愛い女の子と握手したいんだよー」

「おい、ラルフ。どうしたんだ急に」


 マスターとルーライは怪訝な顔をしたが、ラルフは右手を差し出したまま笑みを崩さない。

 なにがやりたいのかよく分からず、しかしルーライはそれに応じた。


「はあ。まあ、構いませんが」

「やった! はい、握手ー!」


 ぎゅ、っと手を握られて、ルーライは眉を顰めた。クライドにこそ散々手を握られていたが、長い間他人と握手をする機会から離れていたルーライ。嫌悪感まではないが、どうも落ち着かない心地である。

 そんなルーライの違和感が通じたのか、握った瞬間びくり、と肩を震わせるラルフ。さっさと手を離して、ぷらぷらと手首を振りながら言った。


「ありがとねー、ルーライちゃん。この手は一生洗わないよー!」

「ちゃんと洗ってください。病気になりますよ」


 あははー、とラルフはわざとらしく笑ってみせる。どうも考えが読めず、ルーライは内心首を捻ったが……問い詰める間もなく酒場のドアが開いて、意識をそちらに持っていかれる。


「やあ、やあ! マスター、お邪魔するぞい! それに楽師殿、ここに居られましたか」


 威勢よく入ってきたのは、そろそろ腰も曲がろうかという年頃の老人であった。

 髪の毛はまだ一応残ってはいるが、そろそろ時間の問題だろう。樫の杖を突き、しかし案外かくしゃくとした足取りで店に入ってくる老人に、ルーライは見覚えがあった。

 たしか彼は――――


「おや、村長。どうかしたか?」

「そちらのお嬢さんに頼んでいたことがあってのう。おまえさんも知ってるはずじゃが」

「……ああ、そういえばそうでしたね」


 ルーライは思い出して手を打った。マスターも思い出したのか、ああ、と納得した声を上げた。

 首を傾げるラルフを余所に、三人で話を進める。


「夕方の演奏会の段取りが出来ましたか」

「うむ。結局色々考えたが、中央広場でやってもらうのが一番ではないかと思ったのじゃが……」

「構いませんよ」


 場所などは何処でも。そう事も無げに言うルーライにマスターは聞く。


「バイオリンは室内楽器じゃないのか?」

「私は流浪の楽師です。どうとでもできますよ」


 なんならすぐにでもお聞かせしましょうか――そういってバイオリンケースを持ち上げるルーライ。

 ほっほ、と笑って村長は言う。


「どうせなら、実際のステージでお聞かせ願いたいものですなあ。これから現場も昼休憩でしょう、リハーサルに軽く一曲、如何ですかな?」

「良いですね。働いている皆様の慰めにもなるでしょう」

「え、ルーライちゃんこれから演奏するの? 俺も行くー!」


 調子良く言って、ラルフは席を立った。

 おい清算していけよ、とマスターは声を掛けるが、いやいや午後からも飲むし昼飯も食うしー、などと返されて言葉に詰まる。二日連続で一日中酒場に入り浸る生活……碌なものではない。

 若者の生活を心配するマスターを尻目に、ラルフは残っていた酒を飲み干して、意気揚々と酒場を出ていった。


「……昨日もそうだったが、一体どんだけ飲む気だよ」

「とりあえずマスター、こちらもお会計お願いします」

「嬢ちゃんは嬢ちゃんで水しか飲んでないだろうが」


 それもそうですね、それでは。そう言い残して立ち去るルーライに、マスターはしみじみ思った。

 ……今度から、水も有料にするべきだろうか。











 中央広場――といっても、村の住宅地がほぼ更地となっている現在、はっきり言って単なる中心部分のスペースでしかない。

 とはいえ既に再建された村役場――今は実質村長の自宅である――の真向かいという位置関係に、その名称の所以は感じられる。いずれこの村の復興が成った暁には、村民の集会場となるのだろう。

 ちなみに役場と酒場は高低差こそあるが背中合わせの関係で、街道側が酒場、その裏手が役場である。村の中心に酒場が再建されたのは完全に作業員たちの心意気で、マスターは結構感謝していた。

 閑話休題。


「旅の方から見て、どうですかな。この村の様子は」


 酒場のすぐ裏手とはいえ、下に下りる階段が無く、広場へは少し遠回りする必要がある。歩きながら村長は聞いた。

 ルーライは率直に答える。


「活気があってよろしいかと。他の町や村では、戦災の傷痕がくっきりと残っているところも珍しくありませんでした」

「ほっほ。これもコートランド様のお陰ですな」


 顎を撫でて、村長は言う。


「領主であるコートランド男爵様が、復興予算をもぎ取ってきてくれましてな。優先復興支援地域に指定されたのは、いやはやまったく、かつての殿様のお陰ですじゃ」

「はあ、なるほど」

「とはいえ、これはこれで苦労がありましてのう」


 最近では、飛び込みで入ってくる労働者も多い。そう村長はぼやいた。


「当初は軍の斡旋で来る者ばかりで、身元にそう不安を持つ必要も無かったのですがのう。どこからか話を聞きつけて雇ってくれと言って来る者、それ自体は別にありがたいのですが、疎開した村人たちが戻り始めている現状、受け入れすぎて摩擦が起きるのも……」


 まあ、復興の目処が立っていない地域の人にしてみれば、贅沢な悩みなのかもしれませんがの、と村長は呟いた。

 なんとなく気になって、ルーライは聞いた。


「不安に思うということは、何かすでに問題が?」

「ええ、まあ……半月ほど前から、どうにも態度の悪い者が来るようになりましてのう」

「半月、ですか」


 じゃあクライドさんは関係ないのかな。そんなことをルーライは思った。


「まあ、人が居ないより居るほうが良い。それも間違いないのですがの……」

「ルーライちゃーん! 遅いよこっちこっちー!」


 会話しながらゆっくり歩く二人に、段差を飛び降りて先行していたラルフが大声で呼びかけた。

 両手を振り回す仕草が妙に子供っぽく、ルーライは苦笑する。……一応彼も二十歳前後のはずなのだが。

 しかし村長はほっほ、と笑い、


「ああいう若者が居る限りは大丈夫、と思っておきますかのう」

「……まあ、そうかもしれません」


 流石に年の功ですね、とルーライは感心した。











「……ああ、しんどい」

「文句言うなクライド。自業自得だ」


 同僚にたしなめられて、クライドはほぞ穴を切る手を止めた。

 いずれは商店なり宿屋なりが建つであろう街道沿いの土地も、現状はただの空き地である。

 現在は資材置き場と化しているこの場所で、現在クライドは材木加工に勤しんでいた。


「たしかに乱闘は俺の自業自得だがな、カザート。袋叩きに参加して俺のダメージを増加させたおまえに言われたくはない」

「おっ、覚えてたか」

「カマ掛けだこの野郎!」


 クワッと目を見開いて、クライドは吠えた。うっかり者の同僚に言う。


「テメエそれでも軍人か!? 最初のタイマンの時に来るならともかく、袋叩きに参加するとは武士の風上にも置けねえぞ!」

「無茶言うな。一昨日のアレを見せられて、おまえと喧嘩したいなんて思えるかよ」

「だったら袋叩きにも参加するんじゃねえ」

「いやー、だって折角だったし、ねえ?」


 同意を求められても困る。

 クライドは憤懣やるかたなかったが、作業が遅れて困るのは自分である。だるい体に鞭打って、ノミを取り直し作業を再開した。


「……おまえが俺を殴った分、おまえに俺の仕事を分担してやろうと思うんだが、どうだ」

「断る。上官なんだから示範しろよ、上等兵」

「上官に対する口の聞き方がなってないぞ、一等兵」


 つーか兵同士で上官もクソもあるか。

 諦めて作業に没頭しようとするクライドだったが、そんなことはお構い無しにカザートは話しかける。


「しかしあれだな。例のおっぱいちゃんとはどうなったんだ?」

「作業の邪魔しないでもらえるか?」

「もうすぐ昼休憩だろ、少しサボったって問題ねーよ」

「そういう気の緩みがミスを引き起こすんだ。作戦行動中沢に落ちるとか馬鹿じゃねえのか」

「落ちてない! 落ちそうになっただけだ!」

「友軍の手を煩わせておいてその言い草はあるか貴様!」


 思わず掴み合いになりかけたが、しかしここで離れた現場の親方が、


「おいノミ! しっかり働けぇーっ!!」

『……へーい』


 怒鳴られて、二人は作業を再開した。玄翁を振るう。

 手を動かしながら、小声でカザートは聞く。


「……で、結局どうなったん?」

「ちったあ懲りろ馬鹿」

「いやいや、こんなチャンスは中々無いからな」

「恋愛話をする機会がか?」

「それもあるが、おまえのことだよ」


 カカカカカカッ。

 お互い高速で木屑を飛ばしながら、


「おまえは酒びたりのセクハラ野郎だが、根っこの部分はえらく真面目だ。さっさと結婚して所帯を持て。それがおまえの為だ」


 いたって真面目な忠告のつもりであったが、これにクライドはムッとして言い返した。


「分かったようなことを言うな。ジジイか」

「心配して言ってるんだ。あと俺は既婚者だ」

「え、マジで? 嫁さんどうした?」

「結婚生活に色々と先立つものが必要でなあ……」


 地元から近い復興特区のここに出稼ぎに来てるんだ、とカザートは言う。


「軍にいた頃は軍隊なんざ碌でもねえと思ったもんだが、なんだかんだで特区は働きやすい方だぜ。軍人上がりは最低限、組織のルールを理解してる」

「おまえの地元は?」

「峠の向こうだよ。物的被害は無かったんだが……人が、な」

「……徴用の傷痕か」


 思わず暗くなる雰囲気に、あー! やめやめ! と、カザートは声を上げた。親方に睨まれて肩をすくめる。


「過去を悔やんでも仕方ない! とにかく今は明るい話題だ。俺は愛する嫁さんの為に出稼ぎでこうして元気に働いてる。それでいいじゃないか」

「まあな。頑張れ」

「おう。そしてクライド、おまえも早くいい人見つけろ。おまえたしか俺と同い年だろ? 娑婆に戻ったんだから結婚しろよ。今ならお得だ」

「産めや増やせの人口倍増政策は知ってるが、支援を受けたくても相手がいねえよ」

「そこでおっぱいちゃんだろ」


 真剣な表情でそう言うカザート。クライドは少し呆れたように言った。


「いい年した男がおっぱいおっぱい言ってるのってみっともないな……」

「おまえが言うな!? おまえのせいだよ!!」

「おいこらカザートォー!! 昼休憩無しにすんぞぉーっ!!」


 勘弁してくださーい! 叫び返してカザートはクライドを睨んだ。


「おまえは俺を陥れたいのか」

「もう一度言うが仕事の邪魔だ」

「上等兵殿は真面目なこって……。で、どうなんだよ楽師様とは」


 懲りない同僚に、もう反発するのも面倒くさく、クライドは玄翁を振るいながら答えた。


「振られた」

「マジで? 満更でもなかったように見えたが……」

「心が落とせればなんとかなるってもんでもないだろう。人にはそれぞれ事情がある」

「あ、いけそうとは思ってるのね……」


 ちょっと感心したカザートだったが、睨みつけてクライドは釘を刺す。


「そんなわけで傷心中だ。この話題は掘り返すな」

「はいはい。でも勿体無いなあ。あんな美人で可憐で胸が大きくて優しげでバイオリンも上手い娘、貴族のお姫様にも居るかどうか……」

「おまえが貴族の令嬢に幻想を持ってるのは分かったが、一応言ってやる。居ない」

「だよなあ。ホントもう女神様って感じだもんな」


 うんうん、と頷いて、カザートは木材をひっくり返す。


「神々しすぎて俺なんかじゃ近づくのも躊躇われるからなあ。おまえは凄いよ、クライド」

「まあ、揉んだからな」

「……。うん、凄いわ……」


 と、その時。


「……ん?」

「……お?」


 不意に弦の音が聞こえてきて、二人は揃って手を止めた。

 深い音色を響かせるバイオリンの音。不思議なことにその音は、同じ音の中で音量を変化させながら村中に響き渡る。

 なんだなんだ、とざわつく現場の作業員たち。そんな彼らの注目を余所に、バイオリンの音は途切れ、


『あーあーテステス。こんにちは皆さん、流浪の楽師、白い髪のルーライです。今から一曲弾きますので、どうかお手を止めてお聞きください』


「……“拡声”の魔術?」

「いや、バイオリンも増幅してたから“増響”……いや、それにしてはノイズが無さ過ぎる気が……」

「どっちでもいいだろ。考察してないで聞けよクライド」


 流れ始めた楽の音に、言われてクライドは顔を上げた。

 正午の時間に合わせたか、全体的に躍動感に溢れた、軽やかな旋律である。

 こりゃもう仕事にならないなあ! と、親方が昼休憩の号令を掛けるのを聞き流し、クライドとカザートは呟いた。


「……いいよな」

「ああ。……俺はこれに惚れたんだ」


 目を細めてそんなことを言うクライドに、

 今夜は奢るぜ、とカザートは言った。


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