終わりで始まり
「………」
ふと、真っ暗な闇に意識が覚醒した。
そこは明かりがあるわけでも、物陰が見えるわけでもない。
そもそも、目を開いて辺りを見回せているのかも分からない。
この孤独な空間に、意識があった。
そこでその意識は、声を出そうとしたが、まるで喉を鳴らすことを体が忘れたかのように、声が出ない。手を振り回そうとしても、足を曲げようとしても、その感覚は無かった。
まるで、意識が体を忘れた様な感覚。
厳密に言えば、夢を一方的に見ているような、そんな感覚だった。
そして、その感覚の無を感じた時、何も無い暗闇の空間に変化があった。
意識的に見ている、と言えば正しいか、その意識体の目の前に夜空の様な淡い光が見えたのだ。
否、それは時間が経つにつれて夜空の姿、つまり宇宙を広げ始めたのである。
「………」
その中心に、太陽のような温かい光が、まるで近づいて来るように大きくなる。
神秘的な目の前の出来事を、その意識体はただ見ていた。
そして。
そして声が聞こえてきた。
それは、それは透き通った透明な声で。
「──ようこそ。やっと、会えましたね」
無音だった宇宙空間に、その声は響き渡る。
声は、あの光から聞こえるようだ。
「あなたがここに来るまで、随分経ちました。さぞ、お疲れでしょう」
優しく、その声は意識体を包む。
「ですが、ここに意識が覚醒したということは、もう時間が迫っています。あなをこれから連れて行かなくては……」
色々訊き返そうとしたが、意識体は何もできないままだ。
目の前の光景に、見惚れるくらいしかない。
それを感じたのか、なぜか急に目の前の光が揺れ動く。
なんらかのリアクションにも見えた瞬間、
「……あ。やば。なんか無視されるなって思ったら意思疎通ができない状態じゃない! またミカエルに怒られるわぁ。……見られてないわよね?」
「………」
と、先ほどの透き通った声はそのままに、先ほどとは別人の様な口調になる目の前の光。
その発言の後、たっぷり沈黙が10秒くらい経った後にまた光は話し出す。
「……ゴホン。あ、もう喋れますので、どうぞ、何か話してみてください。ほらほら」
そう言われ、意識体は恐る恐る言葉を紡いでみる。
「……あ、ああ。ホントだ。話せる……。って、なんなんだここは!? そして俺は一体何が……!?」
「落ち着いてください。ここは現世から見て宇宙の中心。魂の通り道です」
「魂の、通り道?」
「はい。そして、そろそろ生きていた頃の記憶も戻ってくることでしょう」
光はそう言うと、その眩い明るさを眩くより強くした。
その瞬間、光の中心に、影が見えた。
女性のシルエットが浮かび上がり、近づいてくる。
色もはっきりしてきて、青く長い髪の、絵に描いたような美しい女性が目の前に見えてきた。
「あなたにとっては初めまして、『中村 結司』さん」
「……なかむら、ゆうじ?」
「はい。あなたが地球で生きていた頃のお名前ですよ。そろそろ、思い出してきたでしょう?」
「……なかむら、ゆうじ……中村 結司……。俺の、名前」
中村 結司と呼ばれた意識体は揺れ動き、自分の名前を言葉にしてみる。
すると、走馬灯のように大量の記憶が流れ込んできた。
「……ああ!! 俺は、何をしているんだ!? いつも通りぶっ倒れて、病院で何ヶ月も過ごして、それで……」
「はい。あなたは死にました。そして肉体から魂が剥がれ、長い時間を経て、ここに流れてきたのです」
「死ッ!?」
突如告げられた死の宣告、もとい、死後の宣告をされ、結司は驚きを隠せなかった。とはいえ、覚悟はしていたはずだった。
「……そうか。やっぱ死んだんだな。意識が朦朧として、苦しいまま眠ったら、もう、ダメになってたのか……そっか」
明らかに、安堵とは違う息を漏らす意識体、『中村 裕司』。
彼は、真っ白な病院で息を引き取り、魂だけの存在となってここに来たのだ。
「はあ……。仕事ばっかで充実もせず、社会的地位も全く上がらず、体も弱くて直ぐに辞めちまって、子供も結婚も、彼女すら出来ずに挙げ句の果てには孤独死……。なんて惨めな、短い人生だったんだ」
そう結司はため息混じりに長々と呟く。
「……、んで。貴方は誰なんです?」
「私は、ガブリエルと言います」
「ガブリエル……? 聞いたことあるぞ? あの、ゲームとかで出てきた天使の!? 実在したのか……」
「はい、貴方人間が呼ぶ、天使の一人です。最近はよく、物語やらそのゲームという物やらで私の名前が使われているようですが」
結司の目の前の、ガブリエルと名乗る女性はそう言うと微笑んだ。
「天使さんがお迎えとは、本当にあるんだな……。パトラッシュ、的な? あ、でも翼とか天使の輪っかみたいのって無いんですね?」
「ああ、ありますよ。とは言っても、ほとんどは象徴としてしか使いませんが」
と言うと、ガブリエルは両手を少しだけ横に開き、また小さく微笑んだ。
「おお……」
そこで青い光が溢れるように彼女から光り、背中から巨大な翼が出現する。
その翼はこんなにも綺麗な白さがあるのかと疑わせるような、彼女の声同様、透き通るような純白だった。
そして背中から1対の翼が広がった後に、その上と下にも同様の翼が広がる。
電気が走るような、ジジジジジジッ!! という甲高い音と共に、ガブリエルの頭上に黄金にも近い黄色の輪が生まれた。
「……綺麗」
「ふふ。ありがとうございます」
神秘的な姿に可憐な笑みを浮かべた天使の姿に、結司はそれ以上の言葉が出なかった。
「この翼、1対の時は大天使の象徴。3対の翼の時は熾天使の象徴となるのです」
「大天使とか、し、熾天使? ってのはなんなんだ? なんとなくすげーのはわかるけど」
「これに関しては話すと長くなるのでまたの機会で。要するに立場とかの役割、みたいな感じですよ。普段は大天使として動いているので、そっちの認識でお願いします」
またの機会、という言葉が引っかかるが、天使も縦社会なのかな? と自分の知っている世界と比較し、勝手に想像する結司。
そんなことよりも、とガブリエルは続けて言った。
「貴方はこれからの道を選択しなくてはなりません」
「選択?」
「はい。あなたは人生を、やり直したいですか?」
「やり直す、か。……いや、もうごめんだね。こんな性格じゃ、同じ道を辿るだけっすよ。こんなんだったら、来世とかあるんだろうけど期待はできねぇっす。もう、なんか、死ぬほど疲れたんで。まぁもう死んでるんですけどね!」
「よし」
「よし?」
不意に天使は小さくガッツポーズをする。
先程の変化する口調といい、キャラが安定しない大天使様だ。
「んで、選択ってなんなんだよ。これから俺はどうなるんだ? 天国ってやつには連れて行って貰えるの? 地獄行きはかんべんしてくだせぇ」
「いえ、天国へは送れません。私が提示した選択、結司様は生まれ変わりを拒否されたので、これから別の世界に行っていただきます」
「天国経由しねぇの!? あと別の世界ってなんぞ? 俺天界初心者だから専門用語沢山だとショートして死にそうだよ!? もう死んでるんだけどさぁ!!」
「はい。これから別の世界に行って、新たな人生を始めるのです。とは言っても、若くして亡くなられたので、そのままの記憶、身体、能力であちらの世界に存在していただきます。特別ですよっ☆」
キラッとウィンクして、可愛らしさをアピールする天使。
「特別ですよ、じゃねぇーよ!! おいおい、ちょっと話が読めないんすけど? 俺はもう人生に疲れたって言ってるのに、またやるの? 天国って幸せでのんびりできる所じゃねぇの!? まずそこ行こうよ! ましてや同じスペックで、つか同じ身体でやり直し!? だからやり直しは嫌だってぇ!!」
駄々をこねる元25歳。
「もちろん、病気や身体的なマイナスは取り除きます。綺麗な、健康的な身体で、ということです」
「だからって、はい分かりましたって生まれ変われるか!? 俺はもう休みたいんだが!? まさか、その別の世界ってのは人が変わってるとか、時代が違うとかそんな感じなのか??」
「いえいえ、全く別の世界ですよ」
結司の悲痛な叫びに、ガブリエルはまた微笑んで返す。
「結司様が居た世界では見れなかった、地球としては異質な、異なる力が溢れた世界です」
「異なる力……。つまり、それって」
「地球では、魔法や魔術と呼ばれた力。それが主な人々の生きる力となる世界です。そこに、あなたはこれから存在し、新たな生活を始めるのです」
「……なんか、そんな物語やアニメ見たことあるぞ……まさか、」
「そう、つまり、この地球で貴方方人間が呼ぶ、」
そこまで言ってガブリエルは両手を横に開き、宇宙の真ん中で、美しい音色のような声で、囁くように言う。
「───異世界転生、というやつです」