ループする世界。
ほら、後ろをみてはいけませんよ。
それでは、またお会いしましょう。
Brains。
「あなた子供たちの様子はどう?」
「今日も元気に病院に行ったよ。安心しなさい」
「そう、あたしも早く身体を治して早く会いたいわ」
「そうだね、でも無理せずしっかり治すんだよ」
そう言って私は右の頬をそっと撫でてあげる。
「ふふ、くすぐったいわ」
ベッドの上の彼女は微笑み、恥ずかしがるように少し首を引っ込める。
「何か食べたいものはあるかい?飲みたいものでもいいんだよ、買ってくるから」
「そうね。結婚する前に二人でよく飲んだ、駅前のパーラーのクリームソーダが飲みたいわ」
「あそこのクリームソーダだね。ちょっと帰りに寄ってテイクアウトが出来るかどうか聞いてみるよ」
「出来ると嬉しいわ」
「出来るといいね」
そう言って私は今度は左の頬を撫でてあげる。
「もう、くすぐったいったら」
ベッドの上の彼女は、いやいやしながら恥ずかしがって、更に首を引っ込める。
「じゃ、子供たちが待ってるから今日はもう帰るね」
「うん、また明日。子供たちによろしくね」
「わかってるって、安心して眠りなさいね」
「はい、わかりました。また明日ね」
私は病室を退室する前に軽く頭を撫でてから廊下に出た。
彼女は私がドアを閉めるまで、名残惜しそうにこちらを見ていた。
「また、明日ね」
私はこう言ってあげるしかなかった。
翌日。
「なんとかテイクアウトさせてもらったよ」
「いらっしゃい♪ あの店そんなことが出来たの?知ってたら私もするのに」
「普段はやってないよ流石に、無理を言って容器持参で交渉したら作ってくれたのさ」
「なんか悪いことしちゃったわね。元気になって退院したら、お世話になりましたって言いに行かなきゃ」
「そうするといいよ」
私が賛成すると彼女はニッコリ微笑んで「うん♪」と、頷いた。
「じゃあ、ゆっくり飲むんだよ」
そう言って私はスプーンでクリームを緑色のソーダと共に掬って、彼女の口にそっと注ぎ入れてあげる。
「冷たくておいしい」
彼女はとっても美味しそうな顔をして味を楽しんだ後、こくりと飲み干した。
それから順々に、保冷容器に保管しているソーダを彼女にゆっくり飲ませていく。
彼女はそれを楽しみながら飲み、クリームを舐めとる。
やがて半分以上なくなったところで…。
「ありがとう。もういいわ」
と、彼女は云った。
「そう?わかった」
私は保冷容器の蓋を閉じ、小さなクーラーボックスに戻した。
「他に食べたいものとかない?一応、先生に大丈夫かどうか聞いてみないといけないけど」
こう聞いたところ。
「今はないわ。それより子供たちは元気にご飯食べてるかしら」
そう言って彼女は私の声の方にそっと首を向け、心の底から心配そうな表情を見せた。
「それなら大丈夫だよ。私が付いているんだからね。今晩もおいしいものを作ってあげるさ」
こう言って私は彼女を安心させるように、上向きになった左の頬を浅しく撫でる。
すると彼女はやや膨らんだ身体を傾け、私の腕を掴もうとしつつ、私に対してこう云った。
『あなたはいったい誰なの?』と。
プツン。
私の前のモニターが消された。
どうやら実験は失敗したらしい。
彼女は実験棟〖J27〗で【ブロックK №.277821】と名付けられていた、通称[Brains]の被検体のひとつだった。
つまりは生かされた脳髄だ。
彼女の置かれた環境は密閉された特殊容器の中で、その他大勢の脳髄と一緒に並べられれて、同じように様々な環境を付与された疑似世界の中で生かされ、そして死に行く存在の物体でしかなかった。
彼女は被検体【ブロックK №.277821】
想定_『旅客機事故で夫と子供二人を失い 自らの両手足及び両目を失う』
負荷_『亡き夫のフリをした見知らぬ者を、受け入れることが出来得るか』
結果_『第31回実験は失敗。彼女の心の平穏を保つことは出来なかった』
事項_『第32回は慎重を期し予てより計画していた、収監中の稀代の詐欺師を起用して、被権者に気付かれず負担を与えず、心の安定を図り穏やかな終末を迎えるよう腐心する』
概要_『これにより、将来のおける《快癒予定もなく身寄りも失った患者》の人としての尊厳を保ち、心安らかな終末を迎える為のデータを出来得る限り収集する』
尚、既に被検体の脳髄は洗浄済み。記憶は失われた。
明日以降に再度、旅客機墜落事故当日からの実験を再開する予定である。
私は報告書をまとめ本部に送信する。
実験室のガラスを挟んだ目の前には、この階層だけで数十万の脳髄が容器に浮かんでいた。
Brains。 ループさせられる世界。
お読みいただきありがとうございました。
また土曜日の配信をお楽しみくださいませ。