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アルビトリウム  作者: 新条満留
第一章 アルビトリウムの伝説
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通い合う心

通い合う心


 「あ、こ、こんにゃ……」

 護は緊張のあまり舌がもつれて変な言葉を発してしまい頬を真っ赤に染めた。彼は歩きながら、夏休み前に香と友達になるにはどうしたらいいかを真剣に考えていたところだった。その彼女が彼の目の前に突然現れたのだ。彼は心臓が口から飛び出すんじゃないかと思った。

 「こんにちは!」

 香は挨拶すると微笑みを浮かべた。護は自分の失言が笑われたのかと思って決まりが悪かった。

 「奇遇よね。こんなところで会うなんて!」

 香は彼の目を直視した。

 「そ、そうだね」

 護は彼女の視線が自分に注がれていることに戸惑いを感じた。

 「今、本屋に行って来たところなんだ。これから家に帰るところさ」

 護はさっきの失態を何とか誤魔化そうと必死になっていた。彼にとってこれが彼女と交わした初めての会話らしい会話なのに、不意打ちにあって動揺しっ放しのままで早く心を落ち着かせようとした。

 「ふーん…じゃあ、本条君の家ってこの近くなの?」

 「うん、まあ……」

 護は徐々に落ち着きを取り戻して考えに余裕がでてくると、今度は何を話していいか迷った。

 「へぇー」

 その時、香が微かに笑顔になったことに彼は気づかなかった。彼の心の中は嵐のようになっていた。何か話題を探そうと必死になり、色々なことが一斉に頭を過ぎって渦を巻き一つに定められなかった。彼は再び緊張し始めた。

 「それじゃあ、近いかもしれないわね」

 香がほがらかに答えた。

 「えっ…な、何が?」

 護は香の方から話を振ってくれたので助けられた。彼がようやく胸を撫で下ろして何気なく彼女の目を見た時、彼女の綺麗な黒い瞳が彼を直視していることに気づいた。彼女の視線と彼の視線は一つになり、彼は目を逸らせなくなってしまった。

 「なんて綺麗な目だろう」

 護は密かにそう思いながら気恥ずかしさから頬が赤く染まるのが分かった。

 「私の家と」

 香は嬉しそうに言ったが、彼女の頬もほのかに赤く染まっていた。 

 「え……ええっ!!?」

 護は少しの間、思考が停止してしまい彼女の言ったことをすぐには理解できなかった。彼は少し間をおいてから驚いた。彼は思いも寄らない彼女の言葉に目を丸くした。

 「私の家はここから歩いて十分くらいの所にあるの」

 「俺の家はそこの橋を渡ってすぐの所だよ」

 護は幼い子供が砂浜で綺麗な貝殻を見つけた時と同じような気持ちで答えた。

 『事実は小説よりも奇なり』

 そんなバイロンの言葉が護の頭を過ぎった。

 護は十六年生きてきて、この時ほど現実に感謝を感じたことはなかった。彼は理想的な女性と出会い、その彼女が自分の家の近くに住んでいる。彼は今、世界中の男が望むであろう偶然に直面したのだ。

 「もし今、健康診断をしたら俺は間違いなく再検査させられるだろう。心理検査を受けたら精神に異常が見受けられると診断されるに違いない」

 護の心は歓びに舞い上がっていた。

 「凄い偶然よね! こんな近所に違う中学に通っていた同じ高校の友達が住んでるなんて思わなかったわ!」

 香は嬉しそうにそう言うと更に言葉を続けた。

 「きっと、この公園の東西で学区が別になっていたからよね」

 「俺も驚いたよ! こんな近くに君が住んでたなんて…」

 護は友達と呼ばれたことに気分が良くなり緊張が解けていった。

 「こんな近くなら、いつでも遊びに行けるわね! 自転車ならすぐだもの」

 香の顔は輝いていた。彼はその顔が眩しく感じられ直視できなかった。少し顔を逸らして横目で覗き見ることしかできなかった。

 「あ、ああ…そ、そうだね」

 護は〈遊びに行ける〉という言葉の意味をどう解釈したらいいのか考えたが結論は出なかった。偶然の出会いに加え、彼女とこんなに長い会話ができたことに悦びを感じ、きっとここが自分の部屋だったら飛び跳ねて小踊りしているところだと思った。

 それから二人は『運命の丘』に登り、楽しく会話を交わしながらその散歩道を歩き、時折立ち止まっては海を眺めた。

 「これが幸せというものなのか……」

 護はこの時には思いもしなかった。世界で最も幸福な男だと思っていた自分が、この後に世界で最も不幸のどん底に突き落とされることになるとは……

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