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 視界一杯に黄金の海が広がり、街の中では感じられない濃い土と草のにおいが鼻をくすぐる。

 風を受けて波立つ麦穂の群れはクラウディアの背丈を超えた長身だ。

 寒冷地でも育つ品種を筆頭とした、ゲティーリアの主要作物だ。

 一旦自宅に戻ってクラウディアと合流したエミスは、農耕ギルドから依頼書を受け取って、街の外縁部の耕作地区に来ていた。


 そして、この地区の特徴は、作物を収穫しているのが人間よりも背の高い石と泥の従者――ゴーレムであることだろう。

 額に“真理”の古代文字を刻まれた二メートルほどのそれらは、言葉を発することもなく、黙々と勤勉に働いている。


 吸血鬼戦線の最終激戦区であったゲティーリアがいち早く復興できた理由のひとつが、多数の鹵獲ゴーレムを利用した大規模な農業であることは疑いがない。


「これを……直すのですか?」


 クラウディアは窺うようにおずおずと隣のエミスに問うた。

 つば広帽子を被った彼女の前には、無造作に岩を積み重ねた塚のようなものが鎮座していた。

 そうと言われなければゴーレムの残骸だとはとてもではないが思えない。エミスも依頼書を二度見したくらいだ。


「これで間違いないはずだけど……やはり難しいか?」

「い、いえ。がんばります!!」


 クラウディアは胸の前でぐっと両手を握ってみせた。

 気合は十分なようだ。がんばれ、と声援だけ投げかけてエミスは適当な切り株に腰かけた。その隣にピットも伏せて待機する。

 視界の端には案山子のように監視の自動人形(オートマトン)が立っているが、長銃を背負ったまま身じろぎひとつしていない。静かなものだった。


「秘術、吸血鬼の用いる原初の錬金術、か……」


 小さな背中を眺めながらエミスは呟く。

 正直なところ、エミスに助言できることはなかった。

 ゴーレムとは高度な錬金術によって造られた自律駆動する土くれの従者だ。

 そして、錬金術は過去に存在した術法を二種の体系、すなわち物質を司る造金術派と命を司る長命術派、にまとめた歴とした学問で、門外漢が口出しできるものではない。


(「ある日、気が付いたら成立していた」と師匠は仰っていたな)


 エミスは数瞬、過去に受けた師の教えを思い出していた。

 錬金術の目的は“黄金(アウルム)”に到達することにある。

 “黄金”とは全てである。卑金を金に変えることは序の口で、この世の全ての理を解し、不老不死に至り、宇宙の全てを掌握するいと高き場所。

 そんな見果てぬ夢のために錬金術師たちはひとつの学問体系を打ちたててしまったのだ。その知脈は多岐に渡り、全容を把握している者はいないとすら言われている。

 だが、そんな錬金術にも例外が存在する。


「えっと、下半身は駄目になっているから造り直して、うん、心臓部は大丈夫ですね。ならあとは――」


 すなわち、今エミスの目の前で無造作に残骸に両手を差し込んでいる少女だ。

 吸血鬼は転化した時点から一切の成長が止まってしまう。武術や学問を学んでも、それに「慣れる」「適応する」ことはない。人間の長所のひとつを完全に喪っているのだ。

 だが、長命術派の生み出したひとつの到達点、“黄金”の頂きに指をかけた吸血鬼は存在自体が錬金術の秘奥である。

 その目はあらゆる物質の構成を読み解き、その手は触れるだけで物のあり方を変え、その吐息は万の呪文を凌駕する。

 端的に言って、存在の位置する階位、視野が違う。成長する必要性がない。

 蟻にとっての山が、人にとっての小石であるように。

 人にとっての山が、吸血鬼にとっての小石なのだ。


 現に、クラウディアは街の錬金術師の誰も修理できなかったゴーレムを見て、触れて、それだけで直してしまっている。

 造金術派の系統に属するゴーレムは長命術派に属する吸血鬼からは遠い存在であるというのにこれだ。

 理論を跳び越えて答えに至る。

 それはもはや学問ではないゆえに、吸血鬼の用いる術は秘術と名付けられ、錬金術と区別される。

 多くの錬金術師がその人生を擲って吸血鬼に転化しようとするのもむべなるかな。

 エミスは少しだけ錬金術師という在り方に同情した。


「直りました!!」


 まさしく瞬きの間に、クラウディアは一体のゴーレムを修復してしまった。

 屹立した石と泥の従者は二メートルほどのがっしりとした体格をしている。

 その構造を機械技術を用いて模倣した機械――ワイヤーと陶器で作られた自動人形と比べると鈍重で、思考の発展性も小さいが、代わりにとにかく丈夫で力持ちだ。


「これでいいでしょうか、エミスさん?」

「命令系統は弄っていないみたいだな」

「はい。これまで通り動くはずです」


 クラウディアは頷き、爪先立ちになって「がんばって」とゴーレムの背を叩くと、石と泥の従者はのっそりとした動きで畑を耕しに向かった。

 ゲティーリアで用いられているタイプのゴーレムは元々、陽光の下で活動できない吸血鬼が自らを補助するために造り出された存在であり、太陽光がある限りほぼ無限に活動できる。

 あまりに鈍重なので戦争で大規模に用いられることはなかったが、単純作業を任せるなら自動人形より遥かに有用だろう。


「うまくいったようだな。その調子で頼む」

「はい!!」


 自分の仕事が認められたのがよほど嬉しいのか、達成感に満ちた笑みを浮かべてクラウディアは元気よく返事をした。

 話を聞く限り、彼女は自発的に何かをするのは初めてなのだろう。

 であれば、積極的に評価するのが関係性構築の近道か、とエミスは思考した。

 かつて、少年自身もそうして師に育てられたことを、彼は覚えていた。

 ……その気遣いをうまく口にできない不器用さが、ナフィルナが彼を庇護下に置き続けている理由なのだと、この時のエミスは理解することができなかった。



 ◇



「それにしても、地上で使われているゴーレムはその……」

「ボロい?」

「そ、そこまでは思ってませんよ?」


 次の現場に向かう最中、ふとクラウディアの漏らした言葉にエミスはさもあらんと相槌を打った。

 限りなく錬金術を極めた存在が不老のまま居座る地下都市とは異なり、人間は百年と経たず老いて死ぬ。世代交代につれて継承される知識技術にも抜けがでてくるだろう。

 現に、人間が生み出した筈の錬金術については――根本的な力量差もあるとはいえ、吸血鬼に大きく水をあけられている。

 もっとも、短い期間で世代交代し、多くの人間がひとつの分野に関わるからこそ閃きや発明がもたらされるという面もある。

 蒸気機械技術はその最たるもので、金属に触れられない吸血鬼が多いことを差し引いても、その技術発展の速度は吸血鬼の追随を許さない。

 師と共に何十年と各地を巡ってきたエミスはそれを知っている。あるいは師が人間に味方したのは――


「エミスさん?」


 隣から窺うような声をかけられて、エミスはぱちりと灰色の目を瞬かせた。

 どうやら思考の世界に潜っていたらしい。表面上はしかめっ面を保ちつつ、意識を現実に引き戻す。


「このあたりのゴーレムは吸血鬼が使役していたものを鹵獲したのだと聞いている。ただ、壊れたら誰も直すことができなくて、そのまま放置するしかなかったらしい」

「では、あの子たちは……」


 クラウディアの悼むような視線が街道沿いの畑で黙々と作業を行うゴーレムたちに向けられた。

 そういう目で見れば、エミスにも彼らの動作がどこか歪であるのが見て取れた。

 ゴーレムは陽と土のある場所なら多少の損傷は再生できるが、それはどんな不具合も直せることを意味するものではない。特に、摩耗と再生を短期間で繰り返す関節部は不具合が顕著だ。

 搭載できる思考に限りがあり、単純な命令しか認識できないゴーレムでは、そういった細かな不具合を自己解決することはできない。

 人間のように機能をカットしてバランスをとる……老化のような機能もまた、搭載されていない。


「あ、あの、エミスさん!!」


 痛ましげにゴーレムを見ていたクラウディアが意を決してエミスに声をかける。

 視線を向けると、途端に先の威勢が萎びたように少女はもじもじと躊躇するが、数瞬して、思いきって己の願いを口にした。


「あの子たちを直してもいいですか? お、大きく手を加えることはいたしません!! ただ、あのままにしておくのは忍びないのです」

「かなりの数があるように見えるが」


 エミスは端的な言葉で切り返した。

 言外に、一部だけを直せば不平を感じた住民にやっかまれるぞ、と忠告する。

 それでもクラウディアの決意は変わらず、真っ直ぐにエミスを見上げる真紅の瞳は揺らがなかった。


「お願いします」

「善意の押し売りだな。……けど、どうせ貴女にしか直せないのだ。今やるのも、いつかやるのも変わらないだろう」


 エミスがそう言うと、途端にクラウディアがぱっと瞳を輝かせた。

 無垢な輝きを湛えた瞳は陽光を照り返す宝石のようで、エミスは眩しそうに目を細めた。

 不思議だった。自分が持ちえないあたたかな何か、それをよりにもよって吸血鬼に見出してしまう。

 ふわふわとして確定できないその何かが気になって、エミスは彼女を突き離すことができなかった。


「じゃ、じゃあ!!」

「ああ。関係各所には僕から連絡しておく。貴女は好きなようにやるといい」

「はい!! ありがとうございます!!」


 礼を言うのももどかしいとばかりに、クラウディアはすぐさま畑に向かって行った。

 走っているのか転びかけているのかわからない不格好な背中を眺めながら、エミスは小さく口元を綻ばせた。


「……礼を言うのはこちらの方だ」


 その言葉と笑みは、隣に侍るピットだけが記録していた。

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