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一般に、“吸血鬼”とは、概して三つの意味合いで語られる。
ひとつは錬金術、わけても不老不死を目指す長命術派の到達点“黄金”としての錬成物だ。
吸血鬼は代を経るごとに劣化し、弱点が増える。そのため、末端の吸血鬼は存在が不安定であるが、裏を返せば代を遡った吸血鬼は弱点が少ない。
故に、“七王一祖”と呼ばれる第一世代は陽光すら害をなさず、ほぼ完全な不老不死を達成したのだ、と。
錬金術師にとり、不老不死を研究する過程で吸血鬼という存在を避けては通れない。
ふたつ目は最上位のフリークスとしての吸血鬼だ。
人の生き血を啜り、人を遥かに超えた身体能力と多様な術を駆使する化け物。
五百年前、霧の発生と共に爆発的に増加した吸血鬼は下位フリークスを従えて地上を瞬く間に制圧し、人類を彼らの奴隷兼餌の地位に貶めた。
その後、数百年の争いの果てに人類が勝利し、吸血鬼が地下へと落ち延びるまで、彼らの支配は続いた。
現在では、そもそも世界中を霧で覆い、下僕となる異形を造ったのが吸血鬼ではないかと考えられている。人間の錬金術師ではフリークスを作成することができないからだ。
ゆえに、吸血鬼の秘術――錬金術の源流であり、彼らにしか使えない、常逸の術にしか可能性はないのだ。
生まれついての最高位触媒であり、術師である吸血鬼には、それを可能とするポテンシャルがある。
ハウンドに代表されるように、下位フリークスが吸血鬼に従属していることもこの説を補強している。
そして、みっつ目は異形狩りを生業とするハンターの獲物としての吸血鬼だ。
ハンターたちは吸血鬼を殺す武器を開発し、技を身に付け、追跡し、滅ぼすことに血道を上げた。そのための組織を作り上げた。
彼らにとって吸血鬼は獲物であり、それ以上でもそれ以下でもない。
もっとも、“狩人”という名称が正しいのかは甚だ怪しい。
死した吸血鬼は一握の灰しか残さない。獲物としての吸血鬼は極めて非経済的だ。
それでもハンターは吸血鬼を殺す。殺すために殺す。
その狂気に等しい行いが吸血鬼に支配された人類をぎりぎりのところで救ったことは確かだろう。
現在でもハンターギルドに所属する狩猟者はどこの街でも一定の信頼を得られる地位にある。
――しかし、ハンターギルドの発起人が吸血鬼の裏切り者であることを知る者は少ない。
◇
「これが、吸血鬼……諸人が求めた錬金術の秘奥……」
数分して自室に戻ってきたエミスは、頭痛を堪えるように額を押さえた。
目の前には自慢げに胸を張るナフィルナと、どことなく恥ずかしげな表情をしたクラウディア。
少女の格好はくるぶしまで届く純白のワンピースに暖色のカーディガンを合わせたもので、ビスクドールのような造作の少女によく似合っている。
腰まで届く金糸の髪にも丁寧に櫛をいれられて、絹のような色艶を取り戻している。
そうしていると、どこにでもいる只人の子供にしか見えないからタチが悪い。
服と合わせたつば広帽子を用意しているあたりに、辛うじて連れ歩くエミスへの配慮を感じさせる。外見年齢相応の彼女の身長ならば、それで吸血鬼特有の紅瞳は隠せるだろう。
「ど、どうでしょうか?」
「……サイズは合っているみたいだな」
「そうではなくて……いえ、なんでもありません……」
おずおずと上目遣いに尋ねたクラウディアだが、エミスのすげない返答にがっくりと肩を落とした。
地上の殿方ってみんなこんな方なんでしょうか、と小さく呟かれた意味をエミスは理解できなかった。
その隣ではナフィルナも額に手を当てて天を仰いでいて、ますます訳が分からない。
気にするだけ無駄か、とエミスはそれ以上の思考を放棄した。
「しかし、先輩のお古にしては……」
「らしくない?」
「肯定する」
エミスはナフィルナが作業用のツナギとハンター用の耐刃インナー以外を着ているのを見たことがなかった。
ハンターギルドにおいても、ナフィルナは男勝り、あるいは姐御肌と称される人物であり、可愛らしい服装に縁があるとは思えなかった。
「なにより、サイズが違う」
主にふたりの胸部を見比べながら、エミスは小さく唸り、ナフィルナにぽかりと叩かれた。
「まあ、言いたいことはわるわ。……あたしのお古じゃないのよ」
「先輩?」
一瞬遠い目をしたナフィルナだが、すぐに笑みを取り戻すと場の空気を入れ変えるようにパンと音を鳴らして両手を合わせた。
「まあまあまったく!! こんな可愛い子を家に押し込んでるなんてエミスもいけずだね。しかも全裸で……全裸で!!」
「僕に監視を頼んだのは貴女だろう。あと全裸だったのはクラウディア自身の責任だ」
「わたし!? ちがっ……」
「まあ、それは置いといて」
「おいとくんですか!?」
「投げ捨ててもいいわよ。で、クラウは日光も大丈夫なのよね?」
「え? ……あ、はい。“ニーベル”は日光に強い血族らしいので、大丈夫だと聞いていますけど……」
「だったら、外に出てみない?」
「真剣に待ってくれ、先輩」
散歩に誘うような気軽さで言うナフィルナに、再び頭痛を堪えるように眉間を押さえたエミスが掌を突き出した。
「クラウディアは他の吸血鬼に追われている。今はまだ金属粉の散布で侵入を阻んでいるとはいえ、外出は危険だ」
「だから、ここに閉じ込めておけって?」
「肯定する」
「……で、いつまでそうしておく気だい?」
束の間、ナフィルナから笑みが消えて真剣な表情が垣間見えた。ハンターの貌だ。
「無理だよそれは。すぐに破綻する。吸血鬼を拾ってきたってのはもう街中に伝わってるんだ。下手に隠せば暴動になるよ」
五年前のことだ。
ナフィルナは当時十四歳ながらこの街、ゲティーリアの解放戦に参加したベテランだ。
流れ者のエミスとは比較にならぬほど、この街の対吸血鬼感情を理解している。彼女がそうだと言うのならエミスも否とは言えない。
それでも顔を顰めたままのエミスに対し、ナフィルナはふっと肩の力を抜いた。
圧すら感じた真剣な色は薄れて、気負いがちな後輩を心配する先輩の表情が顔を出す。
「なに、困ったときは助け合いさ。追手のことだって街ぐるみで対処するさ。弱きを助ける。そういう信頼があるからこの街は成り立っている。忘れたのかい?」
「…………いいや。記憶している。僕もそうして助けられた一人だ」
「ん、素直でよろしい」
ナフィルナは弟を褒めるようにエミスの灰髪をがしがしと撫でた。
半年前、街の外で単独でフリークスと戦っていたエミスを助けたのが、ナフィルナの率いるハンターチームだった。
現在でも建前上はエミスはナフィルナの保護下にあり、ハンターとしても徒弟という立場にある。先輩という呼称もそれにちなんだものだ。頭が上がらないとはこのことだろう。
「そんなわけで、あんたと同じ。この子を招いたのもあたしの判断さ」
「……」
大きな胸を張ってそう宣うナフィルナに対し、エミスは反論できなかった。
エミスは“正しさの奴隷”だった。
いつだって自分以外の誰かの判断の下で生きている。
エミス自身の中に判断はない。クラウディアを排除しようとするのも刷り込まれた知識と論理から導き出した一般論に過ぎない。
それらに従うのが“正しい”ゆえに、それ以上の判断をいまだ行うことができない。そんな自分が、エミスは歯がゆかった。
どことなく落ち込んだ様子で沈黙する少年に対し、見かねたナフィルナが苦笑と共に「それに」と言葉を続ける。
「これからどうするにしても、地上で吸血鬼がどうみられるかってのは知っといた方がいいわよ。あんたたちが思ってる以上に危うい立場なんだ。クラウにはそれを知る権利と義務がある。……あんまり気持ちのいいもんじゃないけど、ね」
どうする、と目線で問われたクラウディアはびくりと震え、僅かに迷いをみせた。
しかし、数瞬するとその迷いも消え、胸に手を当て、まっすぐにナフィルナを見返した。
その横顔には確かな決意と消しきれない憧憬の色があった。
「わたしは……それでも、わたしは外を見てみたいです。あ、その、もちろんご迷惑でなければ、ですけど……」
精一杯の答えを返したクラウディアに、ナフィルナは微笑み、エミスはどこか眩しそうに彼女を見遣った。
「ま、そう固くなりなさんな。何かあったらあたしが責任をとるから。エミスもそれでいいね?」
駄目押しのひと押しに、遂にエミスは折れた。
「そういうことなら。僕もまだ知らないことが多い。この街の事情についても先輩の方が詳しい」
「自覚してるなら学んでいけばいいのさ。というか、エミスはもう少し街のみんなと交流持ちなさい。お師匠さんに幸せになれって言われてるんだろう? ひとりじゃ見つかりっこないよ」
「……まだ何が“幸い”なのかもわからないけど」
「幸い?」
小首を傾げたクラウディアが反覆する。
それはゴーレムか自動人形かという四角四面の硬さを見せていた少年にしては、驚くほど人間らしい探し物だった。
だが、
「気にしなくていい。貴女には関係のない話だ」
そうすげなく言ったきりエミスは口を閉ざしてしまい、クラウディアはどういう意味か問いかけることができなかった。