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 窓際にとまった小鳥がチッ、チッと可愛らしい鳴き声をあげる。

 そのいとけない音色に導かれるように、少女はまどろみから意識を浮上させた。

 シーツにくるまっていた体を伸ばし、いまだ感覚のあやふやな細い爪先をきゅっと丸める。

 はじめに感じたのは背中に感じる硬い感触。いつも寝起きしているベッドとはまるで違う硬質な肌触りが違和感となって覚醒を促す。


「……く、んぅ」


 小さく息を吐き、少女は思い切って目を開ける。

 視界は白くぼやけている。明るさに慣れていないからだと気付くのに数瞬かかり、地下でないことに気付くのにさらに幾ばくかかった。


「起きたか?」

「!!」


 そして、見計らったようにすぐ傍から聞こえた声に、とろんと垂れていた真紅の瞳が見開かれる。

 ぱっと少女が振り向いた先、灰色の髪と瞳の少年が椅子に腰かけていた。

 少女の肩がぴくんと跳ね、緊張と困惑をない交ぜにしたまま、小さな唇を開こうとする。が、それより早く少年が掌を立てて言葉を押し留めた。


「先に状況を説明させてほしい。僕はエミス。街からの依頼により貴女を保護している。

 ここは街――“ゲティーリア”外縁部の僕の部屋。貴女は突然空から落ちてきて、おまけにハウンドに襲われていた。ここまではいいだろうか?」


 立て板に水と言葉の奔流を流し込まれ、少女は反射的にこくこくと頷いた。

 その間に起き抜けの混乱も収まってきた。

 そして、自分が逃げ切れたこと、おそらくは助けられたこと、目の前の少年がエミスという名であること。そうした諸々を想い、とりあえずお礼を述べるべきだと判断して居住まいを正した。


「わ、わたしはクラウ。クラウディア・ニーベル・オプフェールと申します」


 少女は名乗り、礼を言うために上体を起こす。

 と、その拍子に体にかけられていたシーツがすとんと落ちた。


「助けていただき、ありがとう――」


 言葉の途中で、肌の上を滑るシーツの感触にクラウディアの視線が胸元に落ちた。

 その段になってようやく、少女は自分が一糸まとわぬ姿であることに気付いた。

 小ぶりな胸からなだらかなお腹まで、白磁を思わせる真白い肌が丸見えになっていることに、気が付いた。


「ひゃああああああっ!?」


 少女が悲鳴をあげながら手元のシーツを引っ被っる。

 エミスの灰瞳がどことなく同情の色を帯びる中、シーツの端から細い手足がはみだし、もぞもぞと蠢くこと数度。丸まったシーツの中からおずおずと小さな頭があらわれた。

 幸いなことに、少女の矮躯や小ぶりな胸はシーツ一枚で隠せるサイズだった。


「あ、あの、これは一体……?」

「貴女の服は墜落の際にミンチのお供になって回収できなかった。他意はない」

「そ、それは……ううん、仕方ないのでしょうか。……すみません、助けていただいた上に、厚かましいのですが――」

「先に宣言するけど、僕は着替えを持っていない。貴女の事情聴取が終わり次第、市場で見繕ってこよう」

「うぅ……」


 少年のけんもほろろな回答にクラウディアは絶望的な表情を浮かべた。

 とはいえ、ここはエミスも譲れないところだ。既に関係各所には通報済みで、追手も引き返したのが確認された現状、この少女の危険性を判断することが最優先事項なのだ。

 涙目の少女を前にすると、どうにもいじめているような気分になるが、気のせいだろう。


 自分はとても冷静だ。問題ない。


 コホン、と咳払いしてエミスは場の雰囲気を整えると、無慈悲に事情聴取を開始した。


「クラウディア・ニーベル・オプフェール。貴女の個人名はクラウディアでいいのだな?」

「は、はい! クラウとお呼びください」

「そうか。クラウディア、いくつか訊きたいことがあるので答えて欲しい」

「はい……」


 なぜかしゅんと項垂れたクラウディアをじっと観察しつつ、エミスは彼女の名前を記憶する。

 吸血鬼の氏名は個人名、血族名、そのあとに階級や役職を示す並びになっている。

 この少女の場合は、ニーベルの血族のクラウディアで、オプフェールという役職に就いているということになる。


(“捧げもの(オプフェール)”とはまた面妖な)


 吸血鬼の文化、社会体制にそれなりに詳しいと自負するエミスも知らない階級・役職だった。

 いかにもそれらしい名称は、あるいはそれが彼女が逃げてきたことと関係があるのかもしれない。


「それで、貴女が同族に追われていた理由はなんだ?」

「ッ!?」


 いきなり核心に踏み込まれたクラウディアが驚きに目を見開いた。

 あるいは、追われていることまで把握されているとは予想していなかったのかもしれない。

 あう、と意味を成さない言葉が薄桃色の唇から漏れ出て、目にも露わに慌てだした。


(子供のような反応だな。転化したてか?)


 一方のエミスは心中で訝しんだ。

 転化、すなわち人間から吸血鬼に成った者はそれ以降成長しないため、外見年齢と実年齢が一致しないことが多い。

 だが、少女のころころと変わる稚いかんばせは、まるで見た目通りの子供のようだ。“親”を出しぬくほど老練な相手を想定したエミスにしてみれば拍子抜けした感があった。

 吸血鬼は“親”、すなわち自分を吸血鬼に転化させた存在に強く依存する。

 吸血鬼は老いない。成長しない。忘れない。それゆえ、初期の刷り込みが人格に強く影響するのだ。

 だからこそ、多種多様な人間を吸血鬼に転化させながらも、彼らは大陸の地下深くに大都市を築くほどの権勢を築くことができたのだ。

 翻って、吸血鬼が『逃げる』という行動をとることは稀だ。それほどに刷り込みの強制力は大きい……“親”に死ねと言われれば死ぬほどに。


 しかし、目の前であたふたとする稚い吸血鬼に、刷り込みを超えるほどの何かをエミスは見いだせなかった。

 疑問に思いつつも、そのまま少女を見つめることきっかり五秒。エミスは表情を変えぬまま、改めて口を開いた。


「貴女の生い立ちや背景に興味はない。こちらが訊きたいのは一点、貴女が追われている理由がこの街を害するものであるか、否か。それだけだ」


 一息に告げて、エミスはじっとクラウディアを見つめる。

 虚偽を許さぬ灰色の瞳に見据えられて、少女は見るからにたじろぎ、そわそわしだした。

 沈黙は長くは続かなかった。観念したように少女は俯きがちにぽつりと呟いた。


「……わからないんです」

「わからない?」

「わたしはお父さまに連れられて塔を登って、頂上で石棺に入れと言われて、それで咄嗟に――」

「飛び降りてミンチになった?」

「そうですけど……うしろの部分は忘れていただけませんか?」

「善処する。知っていることはそれで全部?」

「うぅ、はい……」


 クラウディアが涙目になりながら不承不承うなずく。


(石棺? 何らかの秘術儀式か。だから“捧げもの”なのか? 情報が足りない。あとでハンターギルドに確認をとる必要がある。先の通報で塔に調査隊は差し向けているだろうし)


 思考しつつ、エミスはクラウディアをじっと観察する。

 ハンターとして吸血鬼を尋問――時にはそれ以上のことも――した経験がエミスにはある。

 彼らの反応は人間の頃のそれに準じる。すなわち、呼吸、脈拍、目線の動き等々、種々の反応を勘案すれば嘘や偽りを見抜くことは容易い。

 ……容易いのだが。困ったことに、エミスはクラウディアの中に虚偽を見つけられなかった。

 つまり、情報は得られないということだった。


「今一度確認するけど、貴女のお父上の目的はわからないんだな?」

「……すみません……わたし、ほんとに、な、なにも知らなくて……」

「いや、構わない。事情は了解した」


 エミスはそっけない口調で告げると、そそくさと立ち上がった。

 訊くべきことは聞いた。情報がないということがわかった。今はそれで満足すべきだろう。


「暫くここで待っていてくれ。服と、なにか口にできるものを見繕ってくる。さすがに血液はすぐには手に入れられないけど、薔薇なら心当たりがある」


 吸血鬼は血や薔薇などから“赤色”を摂取することが食事に当たる。彼らは生存に必要な“赤色”を体内で生成することができないのだ。

 飢餓のバロメーターでもあるクラウディアの真紅の瞳は傍から見てもくすんで、色を喪っている。

 全身の再生でかなり消耗したのだろう。彼女の今後がどうなるにしろ、体力の回復は優先事項だ。故に、エミスは早足で部屋を出ようとして――


「あ、あの!!」


 不意にクラウディアに手を握られてぴたりと動きを止めた。

 ぎぎ、と軋むように首を巡らせれば、陶器のような少女の手が自分の手を掴んでいた。

 触れた感触はひやりと冷たい。

 エミスは灰色の瞳をかすかに見開いてクラウディアを見つめた。

 部屋の隅で待機していたピットがくゆりと尾を揺らす。

 数瞬の後、はたと自分の行為に思い至った少女はぱっと手を離し、頬を桜色に染めて俯いてしまった。


「す、すみません」

「……」


 エミスは掴まれていた己の掌をしばしみつめると、今度は彼の方から手を伸ばし、そっとクラウディアの首筋に触れた。

 剥き出しになった首は赤子のように柔らかく、折れそうなほど細かった。


「吸血鬼の体は冷たいと聞いていたけど……存外にあたたかいんだな」

「あ――」

「……失礼。すぐに戻るのでくれぐれも大人しくしてくれ。ピット、後を頼む」


 手を離してすげなく告げると、エミスはそれきり振り向かずに、錆ついた鉄扉を開けて部屋を出た。



 ◇



 がしゃん、と無駄に大きな音を立てて背後で扉が閉まる。


「……ふう」


 きちんと鍵をかけて、エミスはようやく一息ついた。

 若干の疲労を感じる横顔をむわりとした霧が濡らす。

 顔の前を払うように腕を振りつつ視線を巡らせれば、老朽化し、彼以外に住む者のいない寂れたアパルトメントの周囲には戦闘用の自動人形オートマトンが待機していた。

 十代半ばを意識された少女の造形。細かな違いはあれど顔のデザインは皆同じ。陶器の肌の上に服代わりの装甲を纏っていなければ、一見して人間との見分けがつかないほど、彼女たちは精巧にできている。


『警戒から監視へ移行。引き続き任務を遂行されたし』


 霧の中に佇む彼らにハンドサインで指示を出すと、自動人形たちは肩掛けした長銃を捧げ持って了承の意を返した。

 その機械的で真摯な姿に少年の胸は僅かに軋んだ。

 限られた思考能力しか持たない彼らはエミスがもう『戦友でない』という事実を理解できないのだ。

 ともあれ、監視に自動人形がつくというのは安心できることだった。

 自動人形は蒸気さえ補給すれば休息も必要ない。彼女らの実用化は吸血鬼が地上を逐われ、地下都市に落ち延びた小さくない要因だろう。


 エミスはカツンと足音を響かせて、許可なく増設されたと思しき鉄板の回廊を渡り、家々の屋上を通過する。安全性には少々疑問がつくが、市場への最短経路だ。

 外縁部の高い位置にあるこの辺りからはゲティーリアが一望できる。

 霧の中、街はかつて吸血鬼が粋を尽くして建てた石造りの建物に、人間が増設した煙突や無数の機械が寄り添い、もくもくと蒸気を噴き上げている。

 ちぐはぐで、混沌として、しかし熱気に溢れたこの街がエミスは嫌いではなかった。


「ゲティーリアに吸血鬼が招かれたのは何年ぶりだろうか」


 呟き、思考を眼下の街から彼が保護した吸血鬼へと戻す。

 クラウディアの言う“塔”とは街の東にある由来の知れぬ古塔だろう。

 元より、この街は数百年前に吸血鬼に征服され、幾度も改築が施されたのだ。

 目算で千メートルを超える塔とて錬金術に優れる彼らなら如何様にでも建てられる。

 距離的にも、吸血鬼ならば落下地点まで跳ぶ(おちる)ことが可能な範囲だ。

 ゆえに、残る疑問はみっつ。エミスは脳内で指を三本立てた。

 ひとつ目は、吸血鬼たちが塔で何をしようとしていたのかだ。もっともこれは現時点では判断材料が少な過ぎるので保留にするしかない。

 ふたつ目は、クラウディアがあの有様でどうして“親”から逃げられたのかだ。

 可能性はふたつ。彼女の言う「お父さま」が彼女を転化させた“親”ではないか。あるいは秘術か何かで生み出された特殊な出生かだ。

 エミスは後者の可能性が高いとみた。秘術儀式に特殊な触媒が必要なとき、吸血鬼は作る。それを容易になさしめる技術があるからだ。

 そして、みっつ目の疑問。彼女はエミスに触れても融解することがなかった。

 ()()()()()()()()()()()()エミスに触れることは、あらゆるフリークスにとって毒となる。

 先のハウンドに効いたことからまだその特性が有効なのは確かだ。クラウディアの側に耐性があったとみるべきであり、それはエミスの攻撃性能の根本を否定しているに等しい。


(……今の内に彼女を始末するべきではないか?)


 脳裡に刷り込まれた戦闘思考がそう囁く。

 “捧げもの”とは大層な名ではないか。ここで殺しておけば吸血鬼どもの計画はとん挫することだろう、と。

 その囁きは少年の心の奥底に澱のように積もった“正しさ”をチクチクと刺激した。


師匠マイスターならどうしただろうか……」


 ふと、エミスの口から問いが零れた。

 彼の師ならば一も二もなく少女を助けるようにも思えるし、無視してその場で追手を殺しにかかったようにも思う。今となっては答えの出ない問いだ。

 それでも少年は思考し続ける。カツン、と規則的な足音を立てて歩む姿には迷いは見られない。

 だが、その背中は親を探す迷い子のように頼りなげに揺れていた。


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