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 霧の中から跳び出してきたのは“猟犬ハウンド”と呼ばれるフリークスだった。

 毛皮の代わりに粘性のタールを纏ったグロテスクな泥の獣。それが三匹。

 彼らはエミスには一切目もくれず、その脇を駆け抜け、眠ったままの少女に飛びかかる――


 ――直前、パシュと射出音が響き、宙空のハウンドが弾かれたように吹き飛んだ。


 石畳を転がる獣を見れば、前肢の付け根に鈍く光る真鍮の釘が突き刺さっていた。


「躾がなってないぞ、駄犬」


 エミスは冷徹な声音で告げて、さらにネイルガンを引き金を三度引いた。

 再び圧縮された蒸気が弾ける炸裂音が連続する。放たれた三本の釘が過たずハウンドに突き刺さり、タールの毛皮を貫いて内臓を破壊し尽くした。


『――――ッ!』


 獣が声なき声をあげる。その体は釘の刺さった部位から白い煙をあげて融解を始めていた。

 フリークスは概して金属を弱点とする。炎に焼かれた人が火傷を負うように、金属に触れた異形は融解する。彼らの生態はそのようにできている。

 ハウンドにしてみれば、工具とはいえ全身に金属装備を満載したエミスは天敵に等しい。

 だが、同族が滅ぼされたことに気付いた彼らが振り返った時には既に、ピットが残る一方に尻尾の熱裁断ナイフを突き立てていた。

 最後の一匹はエミスとピットの間で視線をさまよわせた後、結局エミスに飛びかかり――あえなく、その喉笛を掴み上げられていた。


 みしり、と掴み上げられたハウンドの喉笛が破滅的な音を鳴らす。

 細いとすら言えるエミスの腕はしかし、凄まじい握力で濁獣の喉を締め上げる。

 宙に吊り下げられた泥の獣が暴れてもこゆるぎもしない。

 ひどく単純な理屈だ。

 ハウンドの身体能力は成人男性を超える。だが、エミスの身体能力はハウンドを超えるのだ。


 そして、ハウンドの躯は掴まれた箇所から白い煙を融解していく。

 フリークスは概して金属を弱点とする。エミスの腕もまたその法則の裡にある。


 数瞬と経たず、ぼたぼたと地面に汚泥の染みを描いて、最後のハウンドは消滅した。

 エミスは腕を振ってこびりついたタールを払う。

 接敵からわずか五秒。三匹のハウンドは朝日の中で黒い染みへと変貌した。数秒後には灰に還るだろう。それが死したフリークスの末路だ。


「……まだ、いるか」


 ひとりごち、エミスはネイルガンに釘を装填しつつ耳を澄ます。

 疑問があった。本来、この時間帯にハウンドが活動することはないし、武装している自分を無視して倒れている者に襲いかかるほど低能でもない。

 ましてや彼らの主人に当たる吸血鬼に襲いかかるなど尋常なことではない。有り得ないとすら言っていいほどだ。

 その行動は不可解で不合理だ。だが、ある仮定の下ではその疑問は解決される。


 すなわち、猟犬がその呼び名の通り、飼い主たる吸血鬼の命令に従って行動していたときだ。


 そして、エミスの研ぎ澄まされた聴覚はある“音”を捉えた。

 ハウンドの第二陣に紛れた、通常の人間の可聴域を超えた高音。ある種の蝙蝠のように吸血鬼が発する振動音をたしかに捉えた。それで状況は確定した。


「吸血鬼が、吸血鬼に追われている、か。……ピット、先に行って通報を」


 命じると、相棒は器用に頷きを返して駆け出す。

 同時に、霧の中から続々とハウンドが姿を見せていた。それらを横目で確認しつつ、エミスは修理したばかりの防壁に取りつくと、根元に設置されたアンカーを勢いよく引っ張った。


 途端に、街を囲む防壁が次々に甲高い音を立てて蒸気を噴き出し、傘のように装甲板を展開させる。

 露出したその内部では歯車が勢いよく回転し、次の瞬間、胞子のように金属粉を撒き散らした。

 陽光を受けてきらきらと乱反射する金属粉が歯車の起こす気流に乗って舞い上がり、街の外周を覆っていく。

 そうして霧と金属粉が混じって数メートル先も見えなくなった中で、増援に迫っていたハウンドが聞くに堪えない悲鳴をあげて融解していく。

 複数の金属粉を混ぜたこの粉は触れたあらゆるフリークスを溶かして滅ぼす。たとえ吸血鬼であろうとおいそれとは街に近づけないだろう。


「―――――ちっ」


 だが、エミスは耳を澄まし、いまだ吸血鬼の“音”があることを確認して舌打ちした。

 どうやら本命は金属粉に巻き込まれる前に安全距離まで退いたようだ。


「できれば追手ごと始末したかったけど……」

「――エミス!!」


 そのとき、街の方から複数の靴音を蹴立てて武装した人間たちが姿を見せた。ピットから通報を受けたハンターたちが早くもやって来たのだ。

 その中で、先頭にいるガスマスクを被った女性がエミスの傍に駆け寄り、彼を見てぴくんと肩を跳ねさせた。彼女が怒ったときの仕草だとエミスはよく知っている。

 少年が心中でこっそり身構えた直後、ガスマスク越しとは思えない大喝破が鋭敏な聴覚を貫いた。


「あんたまたマスク被らずに防壁を展開させたね!! 金属粉は人間にも有害なんだよ!」

「緊急事態だ、ナフィルナ先輩」

「ッ!! ……ああもう!!」


 愚痴りながらも、ナフィルナと呼ばれた女性はバックパックから予備のガスマスクを取り出して乱暴にエミスに被せた。

 されるがままにマスクを装着したエミスは、ふと足元の吸血鬼の少女がいまだ原形を保っていることに気が付いた。


「……融解してない、金属粉の中で?」

「エミス、この子どうしたの?」

「空から落ちてきた」

「え?」

「吸血鬼だ。他の吸血鬼に追われている、みたいだった」

「はあ!?」


 驚くナフィルナを尻目に、エミスは少女の胸部に向けてネイルガンを照準する。

 陽光だけでなく金属にも完全な耐性がある吸血鬼は稀だ。そして、人間にとってこれ以上ない脅威でもある。

 金属に触れると融解するという大き過ぎる弱点を衝いたことで、人類は吸血鬼の支配から逃れることができたのだ。

 この娘が人間の血を吸って転化させ、血族を増やせば、地上は再び暗黒の時代に戻るだろう。それを許容することはエミスに刷り込まれた論理が許さなかった。

 今なら他のハンターの援護も望める。わざわざ街で処理する危険を冒す必要もない。ゆえに――


「灰は灰に。歪んだ命、死すべき命はここで滅ぼす」


 エミスはネイルガンの引き金を引き絞り――その前にナフィルナが立ち塞がった。


「そこにいると当たるぞ、先輩」


 冷たさすら感じる声でエミスは告げた。

 マスクの奥、まだいくらか幼さの残滓を残すかんばせに表情はなく、銃口は小揺るぎもしない。

 対するナフィルナはその場を動かず、目を閉じたままの少女を見下ろすと、振り絞るように声を発した。


「……エミス、この子はあんたを襲おうとしたのかい?」

「否定する」

「この子が他の吸血鬼に追われているのはたしかなんだね?」

「……肯定する」

「なら、街に連れ帰るよ。問答無用で殺すってのはゲティーリアの街の流儀じゃない」


 迷いなく告げられた宣言に、構えた銃口が僅かに揺れた。


「……ここで殺しておく方が安全だ」

「それを決めるのはあんたじゃないよ、後輩」

「……」

「……」


 ふたりはマスク越しに睨みあった。張り詰めた空気に女性の部下たちも口出しできない。

 だが、しばらくして根負けしたエミスが静かに銃口を下ろした。


「了解した、ナフィルナ先輩。時間もない。指示に従おう。今は貴女の方が“正しい”ようだ」

「よし!! で、防壁外にまだ吸血鬼はいるか、あんたの“耳”でわかるかい?」

「……まだいる。一旦は離れたけど、また近づいて来ている」

「じゃあとっととずらかるよ!」

「了解」


 応えつつ、エミスは素早くジャケットを脱いで少女に被せた。

 そうして、直に触れないよう気を付けながら肩に担ぎあげると、撤退するハンターチームの後を追って一目散に走り出した。



 ◇



 数分後、朝霧を割ってひとりの男が悠然とその場に姿を現した。

 顔を白い仮面で隠し、外套の裾からは僅かに剣の鞘を覗かせた男だ。

 男は金属粉の届かない境界で足を止めた。

 霧を見通す吸血鬼の視覚が数メートル先の石畳に残る赤い染みを捉え、仮面の奥で真紅の瞳を微かに細めた。

 そのとき、男の下にどこからか声が届いた。


『取り逃がしたようだな。これは失態じゃないのか、サダク・ニーベル・ケーニッヒ』

「わかっている」

『街に逃げ込まれたら厄介なことになるぜ。なにせ、あそこにはまだ人間の戦士がうようよいるからな。いくらアンタが古臭い七王のひとりとはいえ――』

「わかっていると言っている。聞こえなかったのか、ズェザ・ファルケ・リッター」


 脳裡に直接届く念話にぴしゃりと冷たく言い返し、サダクと呼ばれた男は不快気に髪を掻き上げた。

 金糸から弾けた雫が朝日を浴びて輝き、青白い肌に残滓を散らす。

 おそらく何らかの対策がなされているのだろう。人間を遥かに凌駕する吸血鬼の五感が逃げた少女の行方をおぼろげにしか捉えられない。

 加えて、街を覆うように散布されている金属粉がこれ以上の侵入を阻んでいる。

 サダクは風を巻いて街の内外を区切る金属粉へ手を伸ばす。

 途端に指先から白い煙が噴出し、一瞬の内に肉が溶け落ち、白い骨が露出した。


「銀だけならばと思ったが、この感じは真鍮だな。それもこの純度……裏切り者(クルスニク)の置き土産か」

『真鍮、それもアンタに効く純度だと!? 防護の秘術に数日はかかるぞ』

「致し方あるまい。一度、塔に戻る」


 サダクは腕を振って骨にまとわりついた金属粉を落とす。

 間をおかず焼け落ちた肉が再生していくが、これ以上の侵入は再生能力の限界を超えるだろう――今のままでは、だが。

 男は外套を翻し、防壁と金属粉の奥に佇む街に背を向けた。


「お前は運命から逃れられるのか、クラウディア」


 問いかけるその声を聞き届ける者はおらず、男の姿もまた霧に溶けるように消えていった。


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