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 夜の名残の風がくすんだ灰色の髪を揺らし、ワイヤーをきしりと鳴らす。

 ようやく起き出した朝日が霧の中にぼんやりと顔を見せる。

 陽光はヴェールに遮られながらも、街を囲む金属防壁に吊るされた少年を照らす。

 灰色の髪と灰色の瞳。整ってはいるが不思議と色あせて見える顔は骨董品のようで、無個性な防刃ジャケットと相まって人混みではすぐに見失ってしまいそうなほど。


 少年の名を、エミスという。


 エミスはワイヤーに吊るされたまま、灰色の瞳を東の方角へちらりと向けた。

 視線の先には遠く霧の中、天をつく古塔が悠然として見える。

 石造の塔は雲を貫かんとするほどに高く、影はエミスのいる場所まで足を伸ばしている。おかげで、少年のいるあたりは太陽が寝坊してしまったほどだ。


 また徹夜してしまった。エミスは小さく溜め息を吐いた。

 仕事熱心というわけではない。むしろ一旦帰ってもう一度ここまで来る手間を厭った、惰性の産物だった。

 ともあれ、ここで中断するのは、やはり手間だ。少年はそそくさと防壁の補修作業に戻った。

 防壁は高く分厚く、それでいてこまめなメンテナンスが要る精密機械なのだ。


 ワイヤーに吊るされたまま両の靴裏でしっかと防壁を捉えて体を固定。

 釘を抜き、片手で鈍色の装甲板を引き剥がし、内部機構を露出させる。

 カチ、カチと規則的に回る歯車に点々と油を差す。

 装甲板を嵌めなおし、ネイルガンを四隅に当て、引き金を引く。

 パシュ、と朝霧の中に控え目な射出音が響く。

 合わせて銃型工具の後部から蒸気が噴き出し、射出された釘が装甲版を縫いとめる。

 少年は装甲板の四方に釘を打ち込み、しっかりと固定されたことを確認すると、その隣の装甲板を引っぺがし、同じ作業を黙々と繰り返す。

 足場がないことを加味しても、単調な作業だ。少しの訓練で誰でもできる作業だろう。

 ……装甲板の一辺がエミスの身長を超える巨大さであることを除けば。

 華奢に近い見た目に反し、エミスは非常に怪力だった。


 

 塔にはおよばないが、エミスのいる場所は地上から十五メートルほどの高所だ。

 春先の風もまだ肌寒く、防刃ジャケットを貫いて冷気が肌を刺す。

 おまけにこの地域一帯は時刻を問わず霧がたちこめている。エミスは灰髪から滴り落ちる雫をかぶりを振って払うと、最後の一釘を打ち込んだ。


「これで終わりだ。ピット、降りるぞ」


 顔を上げて声をかけると、エミスを吊るしていたワイヤーがゆっくりと緩んでいく。

 彼は防壁を蹴って跳び下りると、朝露に濡れた地面を凹ませながら着地した。

 次いで、腰裏の射出器がワイヤーを巻き取り、その先端に繋がっていた相棒を胸元へと導いた。

 とん、とエミスは「ピット」を抱きとめる。狼のような形状をした自動人形オートマトンだ。

 陶器の皮膚とワイヤー、それに歯車で作られる蒸気駆動機械。人類の造り出した従者にして友。

 ピットは陶器の皮膚の上から装甲を纏っていて随分と無骨な外見になっているが、バイザーに覆われた顔にはどことなく愛嬌があった。


「おつかれさま。帰るとしよう」

『――――』

「ああ、徹夜だ、徹夜だろう。またナフィルナ先輩に怒られるな。夜半はこのあたりでも異形フリークスの目撃例がある以上、当然の心配ではあるけれど」


 湿った地面を見れば、夜の間についたと思しきエミス以外の足跡が残っている。

 人とも獣ともつかないそれらは防壁上で作業していたエミスたちを待ちうけていたものだろう。


 ――霧の中には異形が潜む。


 それは交易商人たちの間で伝えられる警句だ。

 どういう原理か、霧の中では人間を襲う化け物たちが活性化する。

 都市を囲む防壁の外側は未だ霧と異形たちの領域なのだ。エミスとて仕事でなければ郊外の危険地帯まで来たりはしない。

 が、人類の生存圏をぐるりと囲む防壁の保守点検は誰かがやらねばならない仕事であり、危険地帯で仕事ができるのは少年のような異形狩りのハンターだけだ。

 カツン、と規則正しい足音を立てて石畳を歩きながら、エミスは首から提げた懐中時計を開く。

 カチ、カチと規則的な歯車の音を鳴らす真鍮の懐中時計。

 丁寧に整備されたそれは五年前から止まることなく時を刻み続け、現在は午前五時を指している。街の正門が開くにはまだ少しかかるだろう。

 どこかで時間を潰すか、とエミスは思案し、


 ――瞬間、磨き上げた時計の文字盤にきらりと光が映り込んだ。


「ん?」


 不審、疑惑、警戒。

 エミスは素早く空を見上げ、じっと目を凝らす。

 訓練と習慣が機械的に灰瞳を収縮させ、鋭さを増した視線が霧を貫く。

 霧を見通す眼はハンターにとって必須の武器だ。

 少年は曇天を切り取るように視線を巡らせて、間をおかず光の正体を捉えた。


 陽光を照り返して輝く金の髪、花弁を思わせるドレス。

 そして、それらを纏った少女。

 それが墜落と言うべき速度でこちらに向けて落下しているのを捉えた。


「――――」


 エミスは迷わなかった。


 迷わず――その場を一歩退いた。



 次の瞬間、ぐしゃりと音を立てて目の前に少女が墜落した。



 遅れて跳ねた血が一滴、ぴちゃりと少年の頬を濡らした。



 ◇



「…………むぅ」


 指の腹で頬の返り血を拭いながら、エミスはしばし立ち尽くした。

 郊外ではこうした怪事件も少なくないが、目の前で起これば嫌な気分にもなる。

 かなりの高所から落ちてきたのだろう。石畳へ盛大に赤い染みをぶちまけた何者かはありとあらゆる部位が潰れて、手と足の区別もつかない。

 避けていなかったら自分も巻き込まれていたかもしれない。迷惑な話だった。


「……埋葬くらいはするべきか。ピット、モップを」


 エミスの指示にピットの背部装甲が開き、折り畳み式のモップが顔を出す。

 その柄を掴んで引き抜こうとして――そのときになって、エミスは違和感に手を止めた。

 否、なぜ最初に気付かなかったのか。


 目の前の死体は()()()()()()()

 ぐちゃぐちゃになった身体の奥で心臓がドクンドクンと鼓動している。


 手足が砕け、全身がミンチになってもなお生きる。そんな存在をエミスはひとつしか知らない。


 ――最高位のフリークス“吸血鬼”だ。


「吸血鬼……吸血鬼だって? まだ日は昇ったばかりだぞ」


 エミスは毒づきながらも、腰のホルスターから仕舞ったばかりのネイルガンを取り出す。

 吸血鬼がミンチになった程度で死ぬはずがない。そうであればどれほど人類は生きやすかったかと思うほど、彼らはタフなのだ。


「――状況はあまりよくないか」


 視線を外さぬまま、エミスは皮膚の表面で霧の濃度を確認する。

 幸運なことにここ最近の霧は薄い。朝日が既に昇りかけていることも有利に働く。

 もっとも、この吸血鬼は太陽光に耐性があるように見えるのが懸念事項だ。

 吸血鬼の弱点は人間から吸血鬼に転化する際の拒否反応によってうまれる。主には流水、太陽光、ある種のハーブなど、血族によって異なる。

 可能ならば予め相手の弱点を調べておきたかったところだ。

 だがもう時間はない。再生は既に始まっている。

 銃口の先で、時計を逆回しにするかのようにぶち捲けられたモノが元の形を取り戻していく。

 かつて、ひとりの錬金術師が辿り着いた長命術の到達点、限りなく不老不死に近付いた異形がエミスの目の前で形を成していく。


 それはさながら、蕾が開花する様を魅せられているかのようだった。


 墜落の衝撃でズタズタに裂け、血を吸ったドレスが薔薇の花弁のように舞う中、流れ出た血が宙に螺旋を描いて骨と肉を再生させる。

 次いで、月光を押し固めるように金糸の髪が、抜けるような白磁の肌が、小柄な体躯が形成される。

 一瞬の内に再生を果たしたソレは、数瞬前に見たのと寸分違わぬ少女の姿をしていた。

 人間でいえば十二歳前後か。薄い胸元は緩やかに上下し、一糸まとわぬまま血だまりに伏している。

 その横顔は神の手で塑造されたかの如く無垢な美しさを湛えていて、長年フリークスを、殊に吸血鬼を専門に狩ってきたエミスですら、束の間、目を奪われたほど。

 歪さの欠片もない、あまりにも鮮烈で完璧な生誕の一瞬。

 あるいは、ひと目ぼれという感情ヨブンが自分にあったのなら、迷わず恋に落ちていただろう。


 ともあれ、少女が目覚める様子はない。

 我に返ったエミスは無言のままに状況を確認する。相手の再生は既に終了している。再生能力の高さはそのまま血の濃さを示す。さぞや名のある血族の出だろう。

 つまりは、厄介な相手だということ。闇雲に刺激を与えて起こす愚は避けたかった。


「仕方ないか。ピット、先に行って通報を――ピット?」


 横目で相棒を見れば、傍らで警戒態勢をとっていたピットが彼方に鼻を向け、尾を逆立ている。フリークスが接近するのを感知したときの動作だ。

 エミスは訝しげに眉を顰め、耳をすませた。

 現在は日の出直後、夜行性のフリークス共は寝床に這入る頃合いだ。普通なら襲いに来る時間ではない。

 つまりは、普通でない事態が起こっているということ。

 少年は素早く視線を巡らせ、境界の外、霧の向こうに目を凝らす。


 次の瞬間、雫の薄衣を割いて、黒い獣が跳び出した。



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