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「エミスッ!? いや、死なないで!!」


 駆け寄ろうとした少女の肩をサダクが掴んで止め、代わりとばかりに踏み出す。

 冷たい足音が、この期に及んで機能を喪っていないエミスの聴覚に痛いほど響く。


「まだ息があるのか。哀れなほどに丈夫だな、戦士よ」

「もうやめて……やめてください、お父さま!!」


 どこか感心したようなサダクに、クラウディアは涙ながらに縋りついた。

 小さな手が父の外套の裾を掴む。

 それでも、娘を見下ろす父の視線は冷たく、しかしどことなく苛立ちを感じさせた。

 少女の真紅の瞳が大きく見開かれる。

 悲鳴のような何かが、自身でも自覚できない何かが喉を震わせた。

 負の感情ではあれ、それは少女が初めて“親”から向けられた力持つ視線だった。


「なぜ逃げなかった、クラウディア? どこか遠くへ逃げ去れば、あるいは――」

「わ、わたしは……」


 怯えの滲むクラウディアの瞳が数瞬、エミスに向けられた。


「わたしは――」


 傷だらけのその姿を見て、少女の顔に悲壮な決意の色が宿った。


「……め、だ」


 駄目だ、とそう口にした筈なのに、エミスの喉は声を発しなかった。


 次の瞬間、“親”をまっすぐに見上げた“子”のかんばせに、恐れはなかった。

 少女が吸血鬼に戻った瞬間だった。


「わたしは吸血鬼です。“捧げもの(オプフェール)”として生まれたのなら、その役目に従います。

 ……ひと時の夢をありがとうございました、お父さま」

「……そうか。選んだか」


 小さく呟き、サダクは抵抗を諦めたクラウディアを誘い、踵を返してその場を後にする――その直前、男の脚を倒れたままエミスが掴んだ。

 じゅ、と肉が焦げる音と共にサダクの脚から煙が噴き出す。

 サダクはエミスを一瞥すると、融解する脚で無造作にその顔面を蹴りつけた。

 握力などもう欠片も残っていなかった。

 エミスは呆気なく吹き飛び、力なく石畳を転がった。


「ま、だ、だ……」


 だが、それでも尚エミスは生きていた。

 異常であり、異形の光景だ。

 切創は骨まで達している。だが、千切れかけ、あらぬ方向を向いた手足が石畳を這いずる。

 自慢の俊足は見る影もない。

 いつもなら瞬きの間に踏破する距離を倍以上の時間をかけて進み、クラウディアへと震える手を伸ばす。

 その灰瞳はいまだ輝きを失わず、どころか徐々に銀色の光を増している。

 サダクは嘆息し、トドメを刺すべく黒剣を振り上げた。


「待ってください!! 彼は見逃してください。恩義があるのです」


 立ち上がることのできないエミスを庇うように、クラウディアが両手を広げて、父の前に立ち塞がった。

 皮肉なことに、二人の立ち位置は数刻前のテオのそれと同じであった。

 だが、処刑人の如きサダクの無面目は娘を見下ろし、冷徹に宣告した。


「其奴はズェザを殺し、今なお敵対の意思を見せている。吸血鬼(おまえ)が庇い立てするのは不合理だ」

「それでも、お願いします。この夢の終わりを誰かの死で終わらせたくないのです。わたしの最後のわがままです。どうか、どうか……」

「…………いいだろう」


 僅かに沈思したサダクは応諾と共に黒鋼の剣を鞘に納めた。

 りぃん、と場違いなほど涼やかな音が朦朧とするエミスの意識にも届いた。


「クラウ、ディア……」


 残る力を振り絞り、それでも錆びた歯車のような鈍重さでエミスは手を伸ばす。

 クラウディアは振り向き、スカートが血に汚れるのにも構わず膝をつくと、エミスの手を取り――そっと地面に横たえた。

 壊れ物に対するような優しい扱いに、エミスはようやく己の惨状を思い出した。

 だが、大丈夫だと、そう言う気力すら今の少年には残されていなかった。


「もうあなたの失礼な言葉を聞かずに済むと思うと清々します」


 そのとき、少年の手に雨も降っていないのに、一滴の雫が触れて、散った。

 次いで、頬に柔らかい何かが触れた。

 冷たく震え、しかし確かなぬくもりを感じる何かが。


「今まで……ありがとうございました。お師匠さまの代わりになれなくて、ごめんなさい」

「――――!!」


 クラウディアが立ち上がる。

 ふわりとかすかな薔薇の香りを残し、振り返ることなく父の元へと戻っていく。



 ――その先にある、逃れ得ない死へと向かっていく。



「……ふざ、けるな」


 朦朧とする意識の中でもエミスの怒りは消えていなかった。

 理不尽への怒り。それがギリギリのところで意識を繋ぎとめていた。

 なにが清々するだ。そんな辛そうな顔で言われて誰が信じるものか。

 代わりになれなくてごめんなさいだと? いつの話をしている?


「……じゃない」


 そうだ。最初は同情だった。それはたしかだ。

 師匠にできなかったことをしていた、代償行為だ。それも本当だ。

 けど、今はそうじゃない。

 僕はやっと君をみつけたんだ。

 優しくて、あたたかくて、少しドジな君をみつけたんだ。

 この感情はきっと師匠に向けたものとは違う。

 それをちゃんと伝えたい。



 君が大事だから、死んでほしくない。



 だから――――


「――――代わりなんかじゃ、ないッ!!」


 そうだ。一緒に旅をするんだ。

 世界は広い。まだ見せていないもの、教えていないことが沢山ある。

 なのに、勝手に去ろうとするなど断じて許せることではない。

 だから、動け僕の体、鋼の手足、“銀械(マキナ)――


「ギ――ガァアアアアアッ!!」


 エミスは咆哮をあげた。

 肉体を再起動させる。

 一向に感覚の戻らない千切れかけた足を強引に駆動させて、立ち上がる。

 全身が軋む。体は熱を発しているのに、ひどく寒い。

 だが、まだだ。たかが手足が千切れかけた程度ではこの体は停止しない。

 ――まだやれる。

 その一心でエミスは死体同然になりながらも、離れていく少女の背中に手を伸ばした。


「聞け、人間の戦士よ。お前の奮戦に敬意を表し、私は提案する」


 吸血鬼がなにか言っている。

 知ったことか。こっちはもう動くだけで精一杯なんだ。

 だけど、もうすぐ、もうすぐだ。

 あと少しで手が届く。

 だから、クラウ――――



「――これ以上追って来ないのなら、以後この街に手は出さぬと“黒鋼の王”が誓おう」



「………………え?」


 その一言で、エミスのすべてが停止した。

 王を冠する吸血鬼が譲ったという事実が思考に混乱を呼ぶ。

 有り得ない。吸血鬼が奴隷と蔑む人間に譲歩するなど有り得ない。これは罠だ。そう本能が叫ぶ。

 その一方で知性が囁く。

 有利な立場にあるこの男が嘘を言う理由がない。

 なにより、従えば、街の人間も守れる。吸血鬼クラウディア以外に犠牲がでることはない。


 ならば、それは“正しい”選択ではないか、と。


 従うか。従わざるべきか。

 二律背反する想いがエミスの思考をループさせる。

 答えが出ない。出せる筈がない。

 エミスを構成する“正しさ”はいつだって吸血鬼を犠牲にするものなのだ。

 それに従えば、彼女を喪ってしまう。

 そんな答えを認めるわけには――。

 だが、サダクは思考する時間を与えなかった。


「選べ、人か、吸血鬼か。お前が選ぶのだ、戦士よ」


 吸血鬼は、冷徹に、冷酷に選択を迫った。

 欺瞞はない。虚偽は許されない。

 その真紅の瞳が発する殺意からは、この街の人間全てを殺戮する覚悟が確かに感じられる。

 街の人間か、クラウディアか。天秤の左右は揺れるばかりで答えを示さない。


「クラウディア……僕は……」


 それでも、エミスは手を伸ばした。何故かはもう自分でもわからなかった。

 残る力を振り絞って一歩を踏み込み、ただ、手を伸ばす。

 あと少しで届く。この手は届くのだ。

 たとえ、なす術なくサダクに殺されるだけだとしても構わない。

 だから、手を伸ばして――――


「さよなら、エミスさん。どうかお元気で……」


 振り向いたクラウディアは、師と同じ笑みを浮かべていた。


 その瞬間、エミスの中で最後の一線が切れた。

 その身を動かしていた熱が消え去った。

 あとに残ったのは、死体同然に壊れた体だけだった。


「それがお前の選択でいいのだな、戦士よ?」

「ち、が……」


 どこか拍子抜けしたようなサダクの声が耳を通り過ぎる。

 凍りついたように声帯が機能しない。

 違う。違う、はずだ。

 聞きたいのはそんな言葉じゃない。「助けて」と、そう一言言ってくれれば、それだけで――


 だが、エミスは去っていくクラウディアの背中を見送ったまま、その体は壊れたように動かなかった。

 伸ばした手は空を切り、何も掴むことができずに停止した。

 ついに、少女の姿が霧の中に消えて、エミスはその場にくずおれた。

 その拍子に懐から小さな機械が零れ落ちた。

 真鍮製の懐中時計。

 師の形見はいっそ見事なほどに真っ二つになっていた。

 これがなければ先の刺突は致命傷になっていたかもしれない。


「守られ……たのか……また……」


 軋むような嗚咽が漏れる。

 完全に壊れた時計はもう歯車を回さない。ひび割れた文字盤に映る針が動くことはない。

 それでも、歯車の音は止まなかった。カチ、カチと規則的な音がずっと胸の奥に残っている。


「ぼく、は……」


 見送った。また見送ってしまった。絶望が暗雲のように心を埋め尽くす。

 期せずして見上げた空はいつもの黒く濁った曇天。

 霧と混じった雲の向こうが見えることはない。

 孤独な少年を照らしていた光は消え失せた。

 後に残ったのはかつてと同じ、正しさの奴隷だけ。


 そうして、心折れたまま、エミスの意識は暗闇へと落ちていった。




 ◆◆◆




 始まりの話をしよう。

 誰に知られることもなく歴史の闇に消えた、ひとりの女の話を。


 “彼女”は優れた造金術派の錬金術師であり、あるいは機械技師のはしりであった。初期の錬金術において両者の境目は曖昧であった。

 後にその研究成果が発見され、自動人形の基礎となったことからして、その手腕は疑うべくもない。


 しかし、彼女は決して歴史の表舞台に立つことはなかった。

 その名を一切の資料から削除し、誰にも知られぬままに研究を続けた――吸血鬼を殺す研究を。

 

 彼女は、娘を吸血鬼に奪われた狂える復讐者であった。


 いまだ地上が吸血鬼の支配下にあった頃。

 ハンターギルドが設立され、ようやく人類が組織だった行動を始めた頃のことだ。

 彼女は狂気と執念の果てに、錬金術の秘奥たる“黄金(アウルム)”に指の先を届かせた。

 ただ吸血鬼を殺すために、いと高き頂きを垣間見た。

 そして、ひとつの果てを生み出した。


 ――“白銀(ミスリル)”。限りなく黄金に近付いた最高位の金属。その錬成に成功した。


 白銀は歪んだ命を溶かしてエネルギーを生み出す流体金属だ。彼女がそう定義した。

 その性質は万物を溶かす“黄金”の在り方に限りなく近い。

 その発明は歴史的快挙と言っていい。世が世なら人類の進歩を百年単位で進めただろう。

 いくらかは先人の研究を踏襲したとはいえ、ほぼ独力でそこに辿りついた彼女は、掛け値なしの天才だと言える。


 しかし、多大な犠牲の果てに白銀を生み出した彼女は、そこで止まらなかった。

 彼女は狂っていたが、同時に吸血鬼という存在をよく理解していたのだ。


 人間は吸血鬼に敵わない。白銀で武装しようとも敵わない。そう理解していた。


 身体能力、再生能力、錬金術への適合性。あらゆる面で人間は吸血鬼に劣る。

 唯一、技術においては人間に一日の長があったが、それも血を吸われれば技術者ごと奪われる薄氷の優位でしかなかった。


 だが、同時に、吸血鬼を殺すのは人間でなければならなかった。


 吸血鬼の繁殖力は強い。人間に牙を突き立てるだけで同族を生み出せる。

 故に、吸血鬼を滅ぼす兵器とは、吸血鬼を最後の一人まで追い詰める存在でなければならない。

 剣では駄目だ。それは目の前の吸血鬼しか殺せない。

 銃では駄目だ。それは目に映る吸血鬼しか殺せない。

 ゴーレムでは駄目だ。彼らの強固な肉体は正解に近いが、搭載できる思考に限りがあり、吸血鬼を追うように組むことができない。

 自動人形でも駄目だ。彼らの演算能力は限りなく正解に近いが、その思考を七年ほどしか保つことができない。


 だから、人間だ。人間だけが吸血鬼を追い詰められる、正解だ。

 人間を基に作れば永遠に吸血鬼を追うことができる。


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 彼女は孤独だった。自ら門を閉じていた。

 故に、気付かなかった。

 自らの行いが吸血鬼を造り出すことと同じであることに、ついぞ気付くことができなかった。

 その矛盾に自覚のないまま、彼女はついに吸血鬼を殺す兵器を作り上げた。

 

 そして、人類反抗の幕が上がる。

 歴史上、最も多くの吸血鬼を殺すことになる兵器。

 機械と錬金術の忌み子。

 フリークスの天敵。

 吸血鬼を殺す吸血鬼(クルスニク)


 その名は――――。



 

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