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ふたりが現場に駆け付けた時には既に、周囲一帯の建物が完全に崩れ、もうもうと粉塵をあげる倒壊現場に人だかりが出来ていた。
エミスはざわめく野次馬たちを掻きわけ、ハンターを指揮して現場の安全を確保しているナフィルナを見つけた。
「先輩」
「エミス、それにクラウちゃんも!!」
「状況は?」
「テオが巻き込まれたみたい。今は自動人形に探させてるけど、あんたの方で捕捉できる?」
「気を付けろと言ったのだけどな……」
顔を顰めたまま、エミスは目を閉じて耳を澄ます。
日常生活を送るために下げていた感度を一気に引き上げる。
エミスの聴覚は吸血鬼の発する特殊な“音”を捉えるために強化されている。可聴域の広さはもちろん、小さな音を拾うことに関してもその機能は遺憾なく発揮される。
そうして音を拾うことに集中して数秒、鋭敏な聴覚は崩れたガレキの中に微かな呼吸音を捉えた。
朝の記憶と照合し、それがテオのものであることを確信する。
心中で自嘲する。吸血鬼の成り代わりを警戒する習慣がこんな形で役に立つとは思わなかった。
「どうだい、エミス?」
「……テオはまだ生きている。だが、音が反響して正確な位置が掴めない」
人間の呼吸音は低い。本来、エミスの耳が捉えるべきはもっと高音のそれだ。
おまけに、ガレキの内部ではいまだに崩落が続いていて、雑多なノイズが鼓膜が揺らしている。
本来の使い方でない故にさらに感度を上げても対応は難しいだろう。
「もう少し時間が経てば崩落もおさまるだろうが」
「それまでテオが無事でいる保証はない、か」
「なら、わたしが行きます」
そのとき、クラウディアが決然とした表情を浮かべて一歩進み出た。
エミスとナフィルナは顔を見合わせ視線で言葉を交わし、改めてエミスが口を開いた。
「中にいるのはテオだぞ?」
「それでもです」
「感謝は期待できないぞ。あるいは、もっとひどいかもしれない。それが人間だ」
「それでも、です。わたしはわたしのできることをしたい。お願いします、エミス」
「――――」
数瞬、エミスは強い輝きを宿した真紅の瞳をじっと見下ろして、彼女が折れないことを察した。
「……わかった。念話は使えるな? よし、頼む」
「はい!!」
クラウディアがその場で胸に手を当てて意識を集中させる。そして、二、三語の詠唱を紡ぐと、その矮躯が霧に溶けるように薄れていく。
肉体の霧化、存在変換の“秘術”だ。
“霧”(ニーベル)の血族名の通り、少女は自らを霧と化すことができる。
人間が使えば確実に自己を保てないであろうそれも、吸血鬼の再生能力――如何なる状況からでも元に戻る復元能力とも言い換えられる――なら物ともしない。
周囲の人間が息を呑む中、エミスだけは風に乗って崩落現場に向かって行く彼女をしかと捉えていた。
如何に姿形を変えようと、吸血鬼が吸血鬼であることに変わりはない。彼らが発する“音”をエミスが聞き逃すことはない。
張り詰めた緊張が現場を支配したまましばらくの時が経った。
そして、
(みつけました、エミスさん!! 崩れた建物のほぼ中央、エミスさんの位置からえっと……二十歩くらいです!!)
「こちらでも捕捉した。よくやった、クラウディア」
脳裡に直接響くクラウディアの声に、エミスは頷き、声を返した。
思考を繋いで会話する念話は本来、声に出す必要はないが、エミスはそこまで念話に慣れていなかった。
「周囲はどうなっている?」
(テオくんは気絶しています。ひとまず石を集めて支えにしました。けど、ガレキに金属が混じっていて、秘術ではこれ以上動かせません)
「――ということらしいが、僕の方で片付けていいか、先輩?」
現場を指揮するナフィルナに向き直ると、彼女は難しい表情のまま頷いた。
「構わないけど、できるのかい、エミス? あんたの専門は――」
「問題ない」
エミスは手を振って野次馬を下がらせると、ひとり崩落現場に踏み入った。
一歩一歩、全身に力を滾らせるように進んでいく。
応じるように、少年を中心に霧が渦を巻き、徐々に薄れていく。
エミスの体が霧を呑みこんでいるのだ。
「正確な位置さえわかれば十分だ、クラウディア。テオを守れ。今からガレキを破壊する」
言葉と同時に、エミスは弾けるように駆けだした。
刹那の裡に、その身が一瞬で風の速度に達する。
同時に振りかぶられる右腕。
小指から順に握りしめた拳がぎちりと軋む。
次いで、ガチンと無数の歯車が噛み合う音と共に肩の付け根から激しく蒸気が噴き出す。
「――――我らは■■■、サンザシの枝」
束の間、その腕が銀色の光に包まれているように見えたのは、果たして錯覚か。
「――シッ!!」
踏み込む最後の一歩が石畳を踏み砕き、全身を射出台にしてエミスの右腕が撃ち放たれる。
空気の壁を叩き割り、放たれる拳は大砲の如く。
ぶわり、と離れていた野次馬たちがたたらを踏むほどの衝撃波が吹き荒れる。
拳撃に音はなかった。
かわりに、突き出された拳の先端からトンネル状にガレキの山がくり抜かれていた。
「い、いま、なにが……」
テオを庇って伏せていたクラウディアは、一瞬で開けた目の前の光景に目を丸くした。
トンネルの内側はつるりとした表面をしている。力任せに貫いてもこうはならないだろう。
だが、秘術や錬金術の類でもない。その気配を少女は感知しえなかった。ならば――
「急げ、クラウディア!! 長くは保たないぞ!!」
「は、はい!!」
珍しく焦ったエミスの声に、クラウディアは慌てて立ち上がり、テオを抱えたままあたふたとトンネルを駆け抜ける。
彼女が脱出した直後、ガレキの山は再び音を立てて崩れていった。
「あ、あぶなかった……走る練習してて、よかった……」
石畳にぺたんと尻餅をついたまま、クラウディアはつい今しがたまで自分がいた場所が粉塵に包まれていくのを見遣った。
崩落に巻き込まれたくらいで死ぬことはないが、痛いものは痛いのだ。
「クラウちゃん!!」
「わ、わっ!」
そうして、ほっとしたのも束の間、慌てて駆け寄ってきたナフィルナに腕の中のテオごと抱き上げられて、クラウディアは目を白黒させた。
抱きしめられた腕は震えていて、本心から心配していたことが伝わってきた。
ハンターである彼女にそこまで気持ちを傾けられていることに、少女は驚いた。
「あの、わたしは大丈夫ですので、テオくんを診てあげてください」
「っと、そうね」
地面に下ろされたクラウディアは気を失ったままのテオを慎重に地面に寝かせる。
そのままじりじりと数歩を離れたところで、ほっと胸を撫で下ろした。
華奢な外見に反し、力加減をひとつ間違えれば子供ひとりを容易く握り潰してしまうのが吸血鬼の膂力なのだ。
ゲティーリアで暮らすうちに、誰に教えられずとも少女はその気遣いを学んでいた。
「……見たところ、テオにも大きな怪我はないようだな。一応、施療院に連れていくか」
「そっちはあたしがしとく」
ナフィルナは呼び寄せた自動人形にテオを担架に載せて運ぶよう指示し、改めてふたりに向き直った。
「ありがとう、エミス、クラウちゃん。街を代表してハンターギルドのナフィルナが礼を言うわ!!」
次いで、茶目っけたっぷりにウインクをひとつ。
あからさまなほどに大きく明瞭なその声は、唖然としながら推移を見守っていた野次馬たちの耳にもよく響いた。
ナフィルナの声につられて、ざわざわと場の空気が揺れて波紋を立てる。
吸血鬼が人間を助けた。その事実は彼らの意識に沁み込んでいく。
吸血鬼を見たこともない彼らが、街に刻まれた爪痕しか知らない彼らが、クラウディアという個人を知った瞬間だった。
ほんの僅かだが、クラウディアを見る彼らの視線が変わったことにエミスは気付いた。
自分のことではないのに、その変化がなぜか嬉しかった。
「……後は任せます、先輩。僕らは仕事に戻ろう、クラウディア」
「あ、はい!!」
エミスはクラウディアの手を引いて起き上がらせる。
と同時に、ピットが咥えていたつば広帽子を差し出した。
どうやら急ぐあまり、倒壊現場に来るまでに落としてしまっていたらしい。
クラウディアは小さく笑みを浮かべてピットの頭をひと撫でし、受け取った帽子を被った。
「ありがとうございます、お犬の人形さん」
「ピットは狼型の自動人形なのだが……」
「ええ!?」
「……貴女とは少々話し合う必要があるな、クラウディア」
「えっと、その、可愛らしくていいと思いますよ?」
「やはり話し合う必要がある。誤解を正すことは重要だ」
そうして、ふたりは子供のような言い合いをしながらその場を去っていった。
「……なんだい、案外うまくいってるじゃないか」
遠ざかっていく背中を見遣りながら、ナフィルナは思わず笑みを零した。
エミスにクラウディアを任せたのは保安上の理由でしかなかった。彼にしか任せられなかったとすら言える。
彼が吸血鬼に血を吸われることはない。
それだけの実力があるし、よしんば牙を突き立てられても相手が死ぬ。そういう身体なのだ。
だから、常にどこか一歩引いた態度だったエミスが明るくなったことは予想外で、純粋に喜ばしいことだ。
自分では駄目だった、という事実に凹む気持ちもないではないが、それはそれだ。
「まったく気難しい弟分だこと……」
ナフィルナは口の端に笑みを浮かべたまま指揮に戻る。
願わくば、彼らの穏やかな日々が続くようにと祈りながら。
――その祈りは、数時間後、崩落現場の底に大穴がみつかったことで打ち砕かれた。




