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プロローグ

 暗く深い地の底に、その城はあった。

 幾歳を経てなお朽ちることを知らぬ、最古の王の住まう城。

 不滅の異形たちが住まう城。


 その城の一室に、ひとりの少女がいた。


 美しい少女だった。

 幼さと妖艶さを併せ持つ儚いかんばせ。闇の中でも光を放つような金の髪。柘榴石を思わせる真紅の瞳。

 少女が城から出ることは一度としてなかったけれども、ヒトの口に戸は立てられず。

 王に仕える騎士や侍女たちは口さがなく噂した。


 曰く、彼女こそ今代の“捧げもの(オプフェール)”であると。




 その日、少女は朝から期待に胸を弾ませていた。

 仄暗い地下都市から憧れの地上に出られる日が遂に来たからだ。

 彼女がずっと、ずっと待ち望んでいた日だった。

 夢の中で空の広さに思いを馳せて、日の昇らぬ朝に目覚めた。

 侍女の手によって幾重にもレースを重ねられたドレスを着せられ、絹糸を思わせる髪に櫛を入れられる間も期待と興奮は止まず。

 父に連れられて生まれてからずっと過ごしてきた部屋を出る時など、歓喜と緊張のあまりドレスの裾を踏みかけたほどだ。


 少女は恥ずかしさに頬を染めながらも、初めて歩く廊下と初めてくぐる玄関を抜けて、首のない馬に繋がれた馬車に乗り込んだ。

 間をおかず、からからと音を立てて車輪が回り、馬車が走り出す。

 馬車に揺られる経験すら初めてで、少女は父の前だということも忘れてはしゃいだ。

 窓から顔を覗かせれば、住み慣れた古城が徐々に遠ざかっていくのが目に入る。光差さぬ地下都市であっても、少女の視覚は明確に景色を捉えることができた。

 地下ですらこんなに大きいならば、無限の大地が広がるという地上はどれほどだろうか。少女はまだ見ぬ地上の光景に思いを馳せた。


 だが、その期待も長くは続かなかった。


 馬車は緩やかな傾斜を登って地上の建物の中に出た。お付きの者が「“霧の塔”に到着した」と父に報告しているのを少女は聞いた。

 侍女の差し出す手を取って馬車を降りる。外に出ても、周りは地下と変わらない殺風景な石壁ばかり。空を期待して見上げても、無限に続くような螺旋階段が外壁に沿って天上まで伸びているだけ。

 思わず、少女はがっくりと肩を落とした。だが、さして間をおかず「地上では陽光が当たる」という事実をはたと思い出して、おのれの浅慮に顔が熱くなるようだった。

 ドレスの胸元に織り込まれた、“月を隠す霧”の紋章。それが示す“ニーベル”の血族。

 彼女と血を同じくする者は陽光に触れられても大事ないが、周りの者はそうはいかない。陽に当たれば溶けて灰になってしまうのだ。

 現に、ここまで付いて来た侍女たちはその場に留まっている。父を含めた数人だけが陽光を防ぐ仮面をつけて壁面の階段を登っている。


「なにをしている。早く来なさい」

「は、はい!!」


 仮面越しのくぐもった父の声に呼ばれて、少女は慌てて階段に足をかけた。

 だが、大人ならばさして苦労もなく登れる高さの石段も、小柄な少女にとっては骨の折れる高さだ。

 ましてや、彼女は階段を登ることすら初めてなのだ。はしたないと思いつつも、ドレスの裾を持ち上げて、跳ねるようにして父の背中を一生懸命追いかけた。

 一体どれだけ続くのか、見上げても螺旋の階段は果てが見えない。

 しばらくは階段ひとつ昇るのに一喜一憂していた少女も、このまま空まで昇ってしまうのではないかと不安になった。おまけにこんなに長く足を動かすのも初めてのことで、何度となく足をもつれさせてしまう。


「お父さま、わたしたちはどこへ向かっているのですか?」

「……」


 思わずと、少女が不安げに尋ねても父は振り向くことさえなかった。お付きの者たちも仮面で表情が窺えず、仕方なく少女は俯いて足を動かすことに集中した。

 それから、どれだけ経っただろうか。数えるのも億劫になるほどの階段を少女はやっとの思いで登りきった。


 そして、ようやく辿り着いた頂上でソレを見て、息を飲んだ。

 霧の中にひっそりと佇むそれの本質を、誰に言われずとも少女は察した。


 ――“石棺”だ。


 塔の最も高い場所、天に一番近い場所にある石の棺。

 岩から削り出したのか、黒々とした顎門を開ける棺には継ぎ目すら見当たらない。

 だが、なによりも少女を恐怖させたのは、石棺にこびりついた夥しい血の匂いだった。

 その裡から洪水のごとく漏れ出す血臭。どれほどの血が混じっているのかすら判然としない濃い気配。

 もしも地獄というものがあるなら、きっとこのような姿をしているだろう。


「お、お父さま、これはいったい……?」

「入れ。それがお前の役目だ、“捧げもの(オプフェール)”」

「え……?」


 背を向けたまま冷然と告げる父の声に、少女の動きが止まった。

 父は入れとしか言っていない。その後どうなるかは告げていない。

 だが、あの中に入れば無事で済まないだろうという確信を少女は抱いた。

 いまだ幼き本能が、鋭敏に死の気配を捉えていた。


「……や、嫌」


 誰にも聞こえない囁き声で、少女は言った。小さくとも、それこそが本心からの宣言だった。

 石棺から離れるようにじりじりと後ずさる。父はまだ背中を向けている。

 だが、お付きの騎士たちが不審そうにこちらを見遣っている。

 それで少女の心は決まった。ぱっと踵を返し、塔の壁面に足をかけて必死によじ登る。


「なにをしている!?」


 騎士たちの声が背中を叩く。慌ただしく近付いてくる足音が聞こえる。

 渺々と吹く高空の風に小柄な体が揺れる。

 踏み出す眼下には暗澹とした霧が凝っている。

 “秘術”を使う時間はきっとない。

 それでも、足を止めることはできない。

 涙は流れなかった。振り返ることもなかった。


 ただ生き延びたいという一心で、少女は塔から飛び降りた。



 ――その刹那、霧の中に白銀の輝きを見た、気がした。




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