ぬらりぬらぬらぬらりひょん、あなたの家へこんばんは
コンビニのおにぎりが半分。
カップラーメンが半分。
ズルリと麺をすすり、冷たいおにぎりをかじる。
目の前にいる青年は、こちらをチラリと見る事も無く、視線は黒い小さなスマートフォンに固定されている。
狭いワンルームは沈黙が支配している。
そそくさとカップラーメンとおにぎりを食べ終えて席を立つ。
そのままスタスタと玄関に向かうが、青年は一度としてこちらを見る事が無い。
ギギィとスチール製のドアを開けて外に出る。
真夜中近い時間だと言うのに、街路灯は煌々と夜道を照らしている。
ああ、本当の真っ暗闇なんてもうないのだな。
春の夜風に背中を押されるようにして夜道をトボトボと歩く。
ぬらりひょんとして、わしは存在していた。
江戸の昔には、なんだかよくわからないが坊主のような様相をしているだけの妖怪だった。
それが時が経ち昭和になると、勝手に家に上がりこみ、まるでその家の主人であるかのように振舞う妖怪になった。茶や煙草を飲み、時にはその家の主人として夕食をたいらげる。
時には妖怪の総大将なんて言われることもあった。
随分な出世だ。
しかし、夜の闇が駆逐されて久しい。
総大将なんて言われても、妖怪自体がいなけりゃ何の大将だか。
今じゃあ、そこいらの家に入って夕食を食べるだけの妖怪だ。
「はあ、虚しい……」
とかくこの現代はぬらりひょんには生き辛い。
家の主人と言っても、家人もほとんどおらぬ家で、その家の主も日付が変わろうかという時間になってからようやく帰宅する。夕食はそこいらにあるコンビニで仕入れた弁当やカップラーメンばかり。
いかにその家の主人面して飯を食らうと言えど、一人きりの家の貧しい食のさらに半分。
たまに家族のいる家に上がろうとも、その家の主人はやはり夜遅くに帰宅する。冷蔵庫にラップをかけて入れられた冷めたおかずを電子レンジで温めて、一人モソモソと食べている。その半分を、やはり主人面して食らうのも、いかに己がぬらりひょんであるとはいえ気が重い。
だがわしはぬらりひょん。
家に上がりこみ、主人面しなくてはならない。
何もしない妖怪など、いつかは人々から忘れ去られて消えてしまうのだ。
「ふう……」
わびしい夕食のせいか、すでにお腹もまたすき始めている。
腹に手を当てて大きなため息をついたとき、ちょうど風に乗って一枚のチラシが手元に舞い込んできた。
『急募! 妖怪のみなさん!!』
白地に赤々と大きな字が躍っている。
「うぇ?」
『現代社会にお疲れの妖怪の皆様!
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まずはお気軽に弊社(担当:メリー)まで妖気を飛ばしてください!!』
なんとも奇妙な広告であった。
何の仕事をするのやら、とんとわからぬ。
が、わしがぬらりひょんとして生き詰まっているのも確かなことだ。
どうせいつかは消え行く宿命ならば、この頓狂な広告に妖気を飛ばしてみるのも一興。
わしは、おもむろに妖気を飛ばした。
おにぎりが机いっぱいに山になっている。
カップラーメンもいくつも積まれている。
ポテトチップスにアメリカンドッグ、フランクフルトにから揚げ。
サラダにおでん、アイスクリーム。
そしてダイエット・コーラ。
目の前にいる女が、片っ端から口に詰め込んでいく。
わしも負けじと口に詰め込む。
主人として負けられぬ。
家の主とは、一番いいところを一番多く食事を取るものだ。
女に負けぬように詰め込んだらダイエット・コーラで一気に流し込む。
「……っんぐ……っんぐ…………ぷはあぁ」
「あれえ?
これだけしか買わなかったのかなぁ……?
ん~なんか物足りないけど、またコンビニに行くのもめんどくさいし……寝よ……」
からになった容器が散乱する机を見て首を傾げた後に、女はのそのそとベッドに潜り込んで行った。
そうしてすぐに、すぴーっと呑気な寝息が聞こえ出す。
わしは苦しい腹を抱えてゆらりと立ち上がり、玄関のドアを開けて外に出た。
とかく、働くこことは厳しいものよ。
夜道を重い腹をさすりながら、のたりのたりと歩んでいく。
手許のメモを街灯を頼りに見直す。
「ええっと、次はこの先を右に曲がったアパートの3階、一番奥か」
しかしまあ、ぬらりひょんとして生きねばならぬ。
わしはぬらりひょんなのだから。
『今うわさの妖怪ダイエット!
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ぬらりぬらぬらぬらりひょん、あなたの家へこんばんは。