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縁側の彼女  作者: あまゆ
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楽ショップからへの小包を処分したその次の日も、間瀬愛子宛の荷物が届く。

憂鬱な気分にもなったが、できるだけいつも通りを装って彼女の家にやってきた。


彼女の家にやってきて、玄関先に配送車を止めてからすぐ飛び込んできたのは彼女の不穏な様子だった。

ひざ丈のスカートと大き目のカーディガンを羽織った姿で、彼女は縁側でヘッドホンをしたまま力なくうつ伏せに倒れていた。

生気のない、ぐだりとした体勢で、ぴくりとも動かない。

死んでいるのではないか、直感でそう感じ、荷物も持たずに僕は配送車から降りるなり、彼女の元に駆け寄った。


「間瀬さん!大丈夫ですか!?」


肩を掴んで揺らすと、彼女がゆっくりと寝がえりをうち、仰向けにこちらを見上げる。


「なんじゃ、騒々しい」


その声は、苛ついているようで、それでも力のない弱々しい声。


「具合悪いんですか?」

「…え?なんか言った?」


僕は苛立ちながらヘッドホンを奪い取り、その辺に投げ捨てる。


「あなたを心配してるんじゃないですか!」

「そうなの?私はいつも通りだで」

「なんか死んだように寝てるから…」

「そりゃ、お前のせいだわ」


彼女はそう言いながら、手元をまさぐり、煙草を手に取った。


「なんで僕のせいなんですか…」


煙草に火をつけ、彼女は僕の顔面に煙が行くように吹き掛ける。

わかばの煙はそれはそれは目にしみる。

僕が思わずせき込んで離れると、彼女はけらけらと笑いながら沢の景色に顔を向けた。

僕には目も合わせず、彼女の横顔から消え入りそうな声がする。


「ハーブが無いから私は風前のともしびじゃ」

「ハーブ?ってあのドラッグのことですか?」

「まあ別業者から買うんだけどな。あはは」

「だから、駄目です!ドラッグなんてやめてくださいよ!」

「理解しろ」彼女は僕の手をぎゅっと握って、それでも視線は沢の景色に向けたまま、「現実を受け止めきれないで、それでも生きたいやつがいるんだ」と、強く言った。


「間瀬さんは色々考えすぎなんですよ。深く考えすぎないで、今すぐにでも引きこもりをやめて、働けばいいんです」

「まあ、大体の問題はそれで解決な。君、いいとこつくね」

「なら、働け!」


彼女はますます手の力を強くして、にやりと笑っていた。

その横顔がまた綺麗で、しかし狂気を感じる瞳だった。


「私は、働きたくない。前も言ったろ?」

「でも…」と、彼女の言葉を撤回しようとした僕の言葉を遮って、彼女は「どうしてもここから離れられないのさ」と、きっぱり話した。


彼女は煙草を一口吸い、一つの話を切り出した。


「例えば、こんな話がある」


煙が彼女の顔を少し煙らせる、彼女の美しく憂う表情も一瞬曇った。


「火事で、私の両親と兄と妹が死んだ」

「死んだ…?」

「私だけが生き残ったの。煙がすごくてさ、熱が凄くてさ、窓から飛び降りたんだよね。二階だったし、下は花壇だったから怪我もほとんどなくて」


突然の告白に、僕は何も答えることが出来なかった。


「でも、みんな死んじゃった」


僕が絶句している間の沈黙をよそに、彼女は話を続ける。


「縁側はね、前の家の思い出の場所なの。みんなでそこで集まって涼んだり、一緒にそうめん食べたり、トランプしたり、犬と遊んだりしてさ。すっごく楽しかったんだよねえ。全部無くした時、真っ先にその思い出たちが蘇ってさあ」


彼女がいつもの調子で話す重い話に、一つ感じた違和感を僕はぶつけた。


「間瀬さん、両親の為にこの家を設計したって言ってませんでした?」

「うん」

「でも両親は…」


僕は恐ろしくなってしまい言葉を失ってしまったが、彼女は悟ったようで何でも無いことのように話出す。


「私は料理しないけど、お母さんがずっと憧れてたからアイランドキッチンにした。私は一畳あればいいけどお父さんがもっと広いリビングがいいって言ってたから16畳のリビングにした。私は近代建築が好きだけど妹が山小屋に憧れてたから外観はウッドハウス風にした。兄ちゃんが音響設備整えたいって言ってたから全部オンキョーのデザインスピーカー揃えた」


彼女はそう語り終えると、小さく声をあげて笑う。


「でも、うちには私しかいないの」


自嘲的に付け加えられた言葉。

僕の口から出たのは、やはり気の利かない言葉だけだった。


「嘘ですよね…?」

「家を建てたはいいけど火事が怖くて家から離れられないっていうね。ずっと家を守らないといけない気がするの」

「間瀬さん…」

「それに傑作なオチがあってね」


彼女は人ごとのように、それでもいつもよりは強張った表情を沢の方へ向けたまま言った。


「火事になった原因なんだと思う?」


緊張する彼女の横顔を見降ろして息を飲む。


「私の煙草だよ」


スーパーで会った時のように、彼女はいよいよ弱々しい表情になった。

煙草を持つ手は震えていて、それでも彼女は何かに耐えるかのように毅然と話し続ける。

沢の景色を見つめたまま、僕には決して目を合わさないまま。


「窓から外を眺めながら煙草吸ってたら、灰皿が丁度手元になかったのね、だから窓から手を出して、外壁に擦りつけて煙草を消したのね、そんで吸い殻をリビングのごみ箱に入れたの。その吸い殻が消えてなかったの。それで家族が死んで家がなくなったんだよ。もうここまでくるとさ、どうでもよくなるよ、何もかも」


彼女の現実を知って、僕は胸が痛くて苦しくなっていくのが分かった。

それでも、こんなときでも、弱々しい彼女の表情を見ると、追い詰めたくなる。

今なら、彼女に勝てる気がして。


「馬鹿じゃないですか?」


そう辛辣に言い放つと、彼女は初めて見る表情をした。

泣きそう、だった。

その時の僕の快感は彼女に出会って以来、最大のもので。


「間瀬さんは有名なデザイナーだったんでしょう?」

「まあ、そこそこ…」

「仕事もしないで、外にもほとんど出ないで、全部オンラインショッピングで済まして、ずっとこの縁側にいて、ずっと酔っ払ってて、ドラッグまでやって…それで死んでいった家族が喜ぶと思うんですか!?」

「死んだ人は喜ばないよ、ばーか」

「間瀬さんは…だから駄目なんだ…」

「私は死んだ家族の為に、出来るだけ長く不幸に生きるのさ。そうでなきゃ気が済まない。私の家族はもう居ない。私の家族はもう喜びも悲しみもしないのだ。だから私は勝手にやらせてもらう」

「ふざけるな…」


僕がそう声を振るわせると、「何よ」と彼女は小さく呟いた。


「あんたは救いようのないクズですよ!」


僕が思わず声を上げると、彼女はにやりと笑った。

それは嬉しそうな表情にも見えた。


「そうやって全部斜めに見ていて、変なこと言ったり揚げ足とったりばっかりで、それでいつも極論ばかり言ってるじゃないですか。それじゃあ自分が苦しくないんですか?自分を助けてあげて下さいよ!」

「お前さあ…それは無理だ」

「お願いですから!」


僕は思わず彼女の胸倉を掴んで、横になっている彼女を押しつけていた。

その感情は暴力的なもので本当は殴りたかったのだが、なんとか堪えた。


「分かってください!間瀬さんだって幸せになっていいはずですよ!どんなにクズでも!」

「クズって言われた方が気持ちいいなあ…もっと言って欲しいなあ…」


今だ目を合わせない彼女は、何を映しているのか分からない瞳から涙がこぼれそうだった。

それでもこの期に及んで僕だけは相手にされていないような気がして、苛立ちが昇ってくる。

彼女の顎を持ちあげてこちらを向かせた。

彼女は抵抗せず、僕に目を合わせる。


「俺はあんたのことはさっぱり理解できないけど…多分小玉坂の誰よりもあんたのことを知ってます。俺は間瀬さんを助けたいんです。こんな所で酒ばっか飲んでる間瀬さんを助けたいんです。見てられないんです!」

「煮干しが私を助けられるわけないよ」

「出来ますよ。俺はあなたよりまともですし」

「まとも、ねえ。君、私のこと嫌いでしょ?」

「嫌いですよ!でも助けたいって気持ちも本当なんです」


彼女は手を額に乗せて目を閉じた。

今にも泣きそうなのに、挑戦的に笑って見せる。


「しゃーねえなあ…」


あんなに泣きそうだった彼女は、一滴も涙を流すこともなく、むしろいつものようににやりと微笑んでいるのだった。


「助けてくれ」


そう呟くと、彼女は床に置いてある焼酎グラスを指さした。


「飲め」

「え?」

「酔っ払って吐いて二日酔いになるほど飲め。今日は帰るな。私と朝まで語らってくれ。仕事も今日明日はサボれ。それでいい」


僕は一瞬息を飲んだ。

そんなことをしたらクビになりかねない。

しかし、すぐに気を取り直して、僕は起き上がり、彼女から離れた。

そして職場用と自分用の携帯電話を取り出し、操作する。


「電源切りました」


そう言って携帯電話を見せると、彼女は無邪気に笑っていた。

ゆっくりと起き上がりながら、彼女は楽しそうに提案する。


「つまみはねえ、塩辛とあたりめと柿ピーがあるよ」

「甘いのはないんです?」

「君、チョコが好きなんだったね。ごめんね、無いなり」

「まあいいですけど…」

「でも、お酒はいっぱいはあるよ。焼酎とジンと日本酒と赤ワインとウイスキーと、あと杏酒と泡盛と腐ってるかもしれない梅酒と、氷もあるし、割り材も柑橘系はあるかなー…とりあえず色々持ってくるや!」


パタパタと縁側を後にする彼女を背に僕は縁側に腰かけたまま空を見上げた。

太陽がまるで何かを警告するようにギラギラ光る。

それに対して、あたりは肌寒く、照らされた桜の木は茶色がかっている。

もう秋になるのだ。


季節の巡りが良く分かるこの景色に風情を感じながら、僕は現実的なことを考えていた。

こんなことをしたら僕は多分クビになる。

その時に出た自嘲的な笑みは、おそらく、いつも彼女がする不気味な笑顔に似ていたと思う。

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