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今日も小玉坂へ少ない荷物を積んで行く。
狭い道では車も譲り合いで、車同士の駆け引きも楽じゃない。
ようやく道幅の広い所や狭い所は分かってきたが、彼女の家に向かう県道から外れた道に関しては対向車の心配はない。
なぜなら、名もなき道から外れた袋小路の道には4件しか家が無く、そのうち1件は無人かと思うほどひっそりしていて、他2件は滅多に動かさない軽トラックを所有した老人の住む家だ。
その道を進んだら最期、誰かの家の庭でUターンしないと戻ってこれない。
そのUターンする場所は大抵、袋小路の道の一番奥に隠れ家的に存在する彼女の家の庭になるわけだが。
間瀬愛子宛に送られるアマゾンの荷物は一週間に数回ほどある。
どこからそんなお金があるのだろうと思うぐらいだ。
今日はそのうちの一回だった。
そんないつもの日常で、トラブルが起こる。
砂利道になる袋小路の道中を走っていると、不意に車のハンドルが言うことを利かなくなった。
僕は運転歴が1年とまだ浅いので、何が起こったのか良く分からない。
パンクかもしれない、そう直感し、とりあえず、広い彼女の家の庭に落ち着こうと、ハンドルの利かない車をゆっくりと走らせた。
彼女の庭はアスファルトになっている場所もあるので、そちらの方が安全だと判断したのだ。
なんとかアスファルトの庭に辿り着いて、車を降りると、途端に音楽が聞こえてきた。
いつものサンルームを見ると、彼女の姿が見える。
傍に漫画らしき本を山ほど積んで、それを読みながら、赤い座椅子にぐだりと座り、音楽を聴いているようだ。
その音楽は、サンルームに設置された大き目のスピーカーから流れている。
やはりダンス曲で洋楽のようだ。
やかましく響いているが、隣の家は小屋を挟んでいる上に無人かと思うほどひっそりしているので、ここなら心おきなく音楽を楽しめるのだろう。
奇妙な柄のロングスカートが膝までめくりあげられており、角度によれば下着が見えてしまうほど、あられもない姿だった。
一瞬、彼女に気をとられたものの、気を取り直して配送車である軽バスのタイヤを確認してみた。
左の前輪がすっかりパンクしているのが一目瞭然だった。
スペアタイヤはあるものの、工具もなければタイヤ交換の方法も知らない。
「いつか教えるからさ」と言ったきり、支店長は車のトラブルに関してのことはあまり教えてくれなかったのだ。
とりあえず会社に電話しようと携帯電話を取り出していると、肩に温度を感じた。
「なんだなんだ?」
彼女が肩に顎を乗せて携帯画面を覗き込んでいた。
突然、密着されたので、驚いて離れると、彼女は少々傷ついたような表情をして呟く。
「なんだよう」
「い、いえ…」
「荷物は?」
「ああ、はい。サインください」
荷物を取り出している間に、彼女は車の異変に気づいてしまったようだった。
「あれ。何これ、パンクしてんね」
「ああ、そうなんです。そこの砂利道でいっちゃったみたいで」
「スペアある?」
「ありますけど…工具がないんですよ」
「うちにある」
そう言い残して、彼女は家のすぐ隣の小屋に入って行った。
それを見送り、暫く呆然としていたが、会社に電話をしなければと携帯電話を再び取り出した所で、小屋の中から彼女の声が聞こえる。
「あったあった!あったよ、キースのお兄さん!」
それを聞いて、小屋の入口に近づくと、ちょうど彼女が工具を持って現れた。
「ほら、ジャッキとー…スパナ!」
「え…今タイヤ交換する気ですか?」
「やればいいじゃん。助け呼ぶより早いよ」
「僕出来ないです…」
「出来ないの?」
「てか、普通出来ないんじゃ…」
「普通出来るよ。しゃーねえ、私がやったる」
彼女は慣れた手つきでジャッキを設置し、車体を持ち上げるよう操作する。
茫然と見ていると、「おい、スペア」と声をかけられ、慌ててスペアタイヤを持ってきた。
「私はねー…握力は多分20もないし腕立て伏せ3回もできないけどねータイヤ交換なんて全然力いらないからねー…」
そう語りながらタイヤ交換をする彼女の様子を間近で見てようやく悟った。
何故今まで気付かなかったのか、この人はいつも酒に酔っているんだと言うことに。
大発見をしたような気持ちのまま、酒臭い彼女がタイヤを変えてネジをスパナでねじ込んでいるのを、彼女の横にしゃがみこんで見つめていた。
なんだかこの人は僕よりも男らしい気がする。
男らしいというよりおっさんに近いかもしれない。
手際良くタイヤ交換する様は勇ましく見えた。
「君、あれだね、ライターで缶切りとか出来ないタイプだろ」
「え?ライターで缶切り?」
「出来るんだよ。知らないの?じゃあ、あれだ。ライターで瓶開けられないでしょ」
「ライターで瓶開けれるんです?」
「お前…もしかしてお酒飲まない?」
「いや、飲みますよ、それなりに…」
「君みたいな人が動物愛護運動とかするんだろうにゃー…」
余りにも意味不明だったのでスルーしようとしたが、やはり気になり、沈黙の後、呟いてしまった。
「どういう意味ですか?」
「本質を知らない、体得しない!人間のクズ!」
「は!?」
突然の暴言に思わず怒りを込めた声が上がってしまった。
だが、人間のクズはそっちだろと言いたくなったのを抑えられた自分を褒めたい。
「自分で自分の身を守れる人、自分のトラブルを自分で解決できる人、全ての災厄を乗り越えていける人、サバイバルができる人。それすなわち生と死を知る人なり。そういう人は得てして本質を知っている。人間の本質をね。あくまで理論的な話で持っていけば、本質を知っているやつはタイヤ交換ができるってことなの。おわかり?」
「意味分かんないですよ。自分は本質を知ってる偉いやつだって言いたいんですか?」
「それが悲しいかな…理論的な話では解決できない問題があってだね」
「は?問題?」
「私は本質を知る条件を満たしているのに社会的地位は特段に低い」
「はあ…」と、良く分からなかったが、相槌を打っておいた。
「君も分かってると思うけど、私ニートなのさ」
「あ、やっぱそうなんですね…」
「本質を知ろうとすると、職業と言う概念にも囚われなくなる。でも職業ってものは本質にも大きく関わる。矛盾が生じる為、何をどうしたって全ての理論は成立しない!愛子の不完全性定理かんせーい!」
タイヤ目線にかがみこんで作業する彼女の目線にしゃがみこむ僕は、妙に彼女の意味不明な話が癇に障った。
きゃっきゃと笑う彼女に僕は思わず辛辣な言葉を投げかけた。
「あんた…頭おかしいんですか?」
思わず至近距離でそんな言葉をぶつけてしまった。
「何言ってるかほとんど分からないんですけど」
止められず、余計に一言を喋ってしまってから、ようやく口を紡ぐ。
彼女はにやにやと頬を綻ばせながら僕を見上げた。
やはり顔だけはいいと思った。
「やっぱ、人間こうでないと」
「え?」
「君はいい。すごくいいよ。正直で。まあ嫌いだけどな」
嫌い、そう直接言われて、僕は思いのほか傷ついた。
どう見ても人間的に問題のある人間に嫌いと言われて、しかも会話の主導権は握られているから、なんだか僕の負けのような気持ちになる。
胸糞悪いまま、彼女をぎゃふんと言わせるような受け答えを考え巡らせているうちに、タイヤ交換の作業は終わったらしい。
「できたよ。まあ市内までは確実にもつよ。いや、むしろ盛岡までギリいけるかもな。でもすぐにちゃんとしたタイヤに交換してくり、危ないから。このタイヤも空気圧やばそうだし」
「嫌いなのに、気遣うんですね」
「嫌いだから気遣わないっていう理論は成立しないよ?馬鹿なの?」
さらに苛っとさせられて、今すぐ荷物を渡して帰ってしまおうと思った。
何が苛々するかというと、妙に彼女の言葉には説得力があるのだ。
改めて、荷物を縁側に運んでいると、彼女は右手に掲げたスパナの間から外の景色を眺めていた。
「桜、散っちゃったね」
その言葉で、僕は初めて彼女の家の前にある沢を見た。
桜の季節が遅いこの地域でも、すっかり桜が散って新緑が目立っていた。
もう5月だ。
「そうですね」
「お前は桜好きかい?」
「好きですよ。今年はお花見3回行ってますからね」と答えながら、僕は荷物をサンルームに置いて、ごく自然と一段高くなっているサンルームの床に腰掛けていた。
「あっはは、そりゃすごい。二日酔いにはならなかった?」
「なりましたよそりゃ。僕一番下っ端なんでとにかく飲まされるんです」
「お前は飲まされそうだな」
「二日酔いで仕事するのだけはもう勘弁ですね。何度トイレに駆け込んだか…」
「あははは!私も経験あるなあ。出勤だけして午前中ずっとデスクで寝てたりとかな!」
「間瀬さん、働いてたことあるんです?」
「君、若いよね。何歳?」と、彼女は僕の質問を華麗にスルーしてしまった。
「えと…」お酒の話をした直後に本当の年齢を言うのは不味いと思い、反射的に「20歳です」と答えた。
しかし、景色を見ていた彼女は振り返り、僕を見てにやりと笑う。
思わず、挙動不審に目をそらしてしまった。
「ふふっ、嘘だ。10代だろ。別に嘘つかなくていいよ」
どうしようか迷ったが、相手がこの変わり者であることに気づき、深く考えるのはやめにした。
この人なんて物心ついたときからお酒を飲んでいそうな人なのだから。
「すいません、19歳です」
「なんだ、大人だね」
「間瀬さんの方が大人でしょ?」
「今年で花の30歳」と、彼女は着ていたロングスカートを上品につまみあげて見せた。
「まじすか…」と思わず言葉が零れた。
20代ぐらいだと思っていたのに、まさかの三十路という事実を知り、正直がっかりしていた。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、彼女は「まじっす」と調子良く答えながら、スパナを指先でくるくる回しつつ、サンルームの方へ戻ってきた。
その手癖に衝撃を受けた、工具を指先で回している女性なんて見たことがなかった。
サンルームの僕の横に腰掛けると、にやにやと話し始める。
「これでもこの間までは東京の設計士だったんだ」
「設計士?」
「デザイナーってやつだな。それも一級建築士さあ。この家も私が設計した。両親の為にな」
「親の為に?」と僕が言っている間に、彼女はスパナを地面に落してしまった。
「そう」と答えつつ、彼女はスパナを蹴りつけて、庭へと吹っ飛ばしてしまう。
「設計したなんて…まさかあなたがそんなことを出来るとは…」
「思わないだろ。でも、このウッドハウス調な家に一つだけ合わない点があることに気づかない?」
「え…?さあ、わかりません」
「分かんないならいいけどさあ。わかりません、か。君、本当に素直だよね」
合わない点とは。
ウッドハウス調というだけでこの家には奇抜さがあるので、さらにそこから合わない点など探し出せなかった。
暫く考えていたが、ふと、腕時計を見て青ざめる。
「あ、僕、もう行かないと」
「おう、働け働け」
「タイヤ、本当にありがとうございました」
「うん。また来て。桜の新緑見るのも悪くないよ」
「ええ」
なんとなく、晴れやかな気持ちだ。
あの人と話していると胸糞悪くなるが、あの人への興味を満たしたい。
それが少し満たされて、気分が良い。




