8.彼らの違い
その後1時間ほど翔は慎に淡々と、しかし熱心に教えていた。
ゆず子はあらかじめ、慎がやってわからなかった問題を5問ほど、写真に撮ってメールしていた。翔はそれをプリントアウトし、今日持ってきていた。赤で書き込みがしてある物だった。それを元に慎に説明していたようだ。
端から見ていても、なかなかの教えっぷりだった。ゆず子も自分の勉強そっちのけで、そちらの解説になるほど、と思っていたくらいだ。
とはいえ、今日は全部を終えることができなかった。翔に依頼した段階で、1時間ほどという約束をしていたのだ。
キリがついた様子を見計らって、ゆず子は翔に話しかける。
「おつかれさま!何か注文する?のど乾いたでしょ」
急に話しかけられ、びっくりしたようにこちらを見る翔に、ゆず子は首を傾げた。
「どうかした?」
「あ…いや、ゆず子さんいたんですね…」
「いたじゃん!斜め前にいたよ!」
「…なんか自分のことでいっぱいいっぱいで…。結構時間経ってましたね…」
自分の腕時計を見ながら、翔がつぶやく。がっちりした形の黒い時計は、ゆず子の目を引いた。
「電車の時間は大丈夫?もし良かったら何か食べて行きなよ。おごるから」
「いえ、夕飯に響くのでやめときます。電車もちょうどありそうですし、帰りますね」
翔はそう言うと、さっさと教材をリュックにしまった。
「ショーちん、もうちょっとゆっくり帰ればいいのに」
慎が横から口を挟み、翔は面食らったような顔をして、ショーちん?と小声でつぶやいた。
「……いや、これ逃すとけっこう間あいちゃうんで帰りますよ。じゃあまた明日」
翔は言うや否やリュックを背負って、3人に会釈をして席を立った。
「あ!気をつけてね!今日はありがと!」
ゆず子が翔の背中に向けて言うと、肩越しに振り返って、小さく笑った。
翔が去ると、ゆず子はふっと息を吐いた。無意識に緊張していたらしく、力が抜けた。
「なんか、本当にまじめなんだね」
頬杖をつきながら、祐樹がぽつりと言った。褒め言葉か嫌みか判断がつきかねる口調だ。
「雑談とか全然しないでそのことだけして、さっと帰ってるし」
「元々1時間くらいって約束だし。翔君もそろそろテスト期間みたいだから、忙しいんだよきっと」
祐樹が少々責めるような雰囲気だったので、フォローするようにゆず子は言った。そんなゆず子を横目で眺めて、祐樹が続けた。
「あのさ、あっちも本当はあんま乗り気じゃないんじゃないの?強引に振り回すのやめたら?」
「えっ…」
ゆず子は思っていなかったことを言われ、思わず祐樹をじっと見る。
(確かにできないかもとは言ったけど、嫌がってる風ではなかった…)
嫌だったならば、断ることはできたはずだ。話を持ちかけた時に、「できないようなら断る」とはっきり言っていたのだ。他にも、言い訳に使うならテストが近いなどいくらもやりようはあった。何より、ゆず子がメールで送った問題を事前に解いて準備してくれていたのだ。嫌々とは思えない。
そう祐樹に説明すると、不満げな雰囲気は変わらないが、反論はなかった。
今度は矛先が慎に向く。
「慎どうよ。あの人の説明わかった?」
「わかったよーなわからんような…」
慎は疲れているのか、ぐてっといすに寄りかかったまま答えた。芳しくない返答を聞き、ゆず子は気分が沈んだ。
「なあーんか勉強めんどくなっちゃったなあ——」
「えええ!もう!?早い、早いよ!」
「だって今日だけで結構詰めこんだ感じだしー」
慎の声は、いつもより幾分力がない。本当に疲れているようだった。
(なんか…余計なことしちゃったかなあ)
ゆず子の想像では、翔とはこれを機に打ち解けて、慎も勉強を見てもらい補習を免れて、ついでに夏休みも遊ぼうかなどと計画をしたりするはずだった。
ゆず子はうまく行かない現状に困り、言うべきことが見つからない。ジュースの紙カップを握ったまま言葉を探していると、慎が体を起こした。
「とりあえず今日は帰ろう!」
「そうだね。行くか。ゆず、荷物しまって」
二人にそう言われ、ゆず子は急いでノートや筆記用具をしまう。ペンケースの中から翔にもらったペン型はさみがのぞいた。荷物をしまい、食べた空を片付けると店を出る。
「あのさっ、明日…どうする?」
二人を追いかけるように歩きながら話しかけた。歩みは止めずに二人の視線がこちらを向いた。
「明日の放課後でしょ?ゆずはどうすんの」
祐樹が質問で返してきて戸惑う。
「えーっと、どうしよっか…。元々慎君のための勉強会みたいなものだし…」
ちらっと慎に視線を向けると、少し困ったようにへらっと笑った。
「やっぱあんま向いてないかもー」
ゆず子は数秒の間を置いて、言葉をひねり出す。
「…でも、補習やだって言ってたじゃん。どうするの?」
「んーまあ何とかなるでしょ。自分でもなるべくやってみる」
ごめんね、と最後に付け加えられ、ゆず子はそれ以上何も言えなくなった。
「…祐君は、行かないよねー」
祐樹は自称「見張り」で来ているので、当の慎がいなければ意味もない。
「もしゆずが一人でも行く気なら、おれついてくけど。気まずいっしょ?」
予想に反した答えに、ゆず子はますます困って顔を曇らせた。
慎はその顔を見てぷっと吹き出した。
「そんな困るくらいならやらなきゃいいじゃん〜。犬拾ってみたはいいけど、飼えなくなりましたみたいな顔しなくても」
「な…ひど!人のこと犬とか失礼!そんな顔してないし、思ってないし!」
「あーまあたとえがちょっと悪いけど、思いつきでやったはいいけど、周りの反対もあってあんまうまくいきませんでした、でしょ?」
「…無責任てこと?」
低い声でゆず子が言うと、珍しくまじめに祐樹が言った。
「そこまで言わないけど、相手のためにもちゃんと断った方がいい時もある」
ゆず子は妙に納得する
(体験談かね)
祐樹はなかなかのイケメンだし、外面もいいので、女の子にかなりもてる。これまでも何人かに告白されたことを噂で知っている。そんな経験からの教訓かもしれない。
「さすが、女性関係で色々やってるだけあるね」
「関係ねぇーし。余計なお世話だ」
ちょっと怖い顔でにらまれた。