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6.歩み寄り

 ゆず子が少年に追いついたのは、改札の一歩手前だった。ゆず子が声をかけるより早く、少年がこちらを向き、瞬間ぎょっとしたように目を見開いた。少年の前で急ブレーキで止まる。階段をかけてきて上がった息を、軽くかがんで落ち着かせる。

「ど…どうしたんですか?何かありました?」

 ゆず子の頭の上を少年の声が通る。ゆず子は顔を上げた。

「ごめん、ちょっとだけ…話してもいいかな」

 少年は改札にある電光掲示の時刻表を確認すると、ゆず子に向き直った。

「まだ少し時間あるので、どうぞ」

 ゆず子は頷くと、体を起こし少年の正面に立った。少年は気持ち体を後ろに引くような仕草をした。

「あのね…うちの学校、試験がそろそろで…」

「ああ、うちもですよ」

「えっ!!いつ!!」

「来月の半ば頃かな…」

 ゆず子の学校とは10日ほどずれているが、近いことには変わりがない。

(どうしよ…言いづらくなっちゃった…)

 考えてみれば、同じ高校生なのだから試験期間は似たようなものだ。人に教えている場合ではない。それも、ほとんど初対面のゆず子たちに対してである。よく考えなくてもおかしい話だ。今更ながらそのことに気付き、焦って思考が空回りする。

 

 少年の方を見ながらも別のことを考え続けるゆず子の様子に、相手はいぶかしげに尋ねる。

「…それがどうかしましたか?」

 はじかれたように我にかえると、ゆず子はともかく声を発した。

「ええっと、あの…あのね!」

 考えがまとまらないまま、ゆず子は思いついたことを口にした。

「良かったら一緒に勉強しない!?」

 少年は、え、というつぶやきとともに口を開けてあっけにとられたようにゆず子を見つめた。ゆず子は焦る気持ちのまま言葉を続ける。

「いや!別に邪魔しようなんてことはなくて、でもせっかくのご縁だし…。南工業で頭良さそうだし…」

 言っているうちに、ゆず子は自分で何を言っているのかわからなくなってくる。目の前の相手も困惑したように軽く眉をひそめた。

(違う!いったん落ち着こう!)

 ゆず子は言葉を切ると、少しうつむいて息を吐き、さっと顔を上げた。ぎょっとしたような少年に向けて言った。

「いきなりでごめん!勉強教えてくれないかな!」

「えっ?」

 ゆず子は説明をした。テストがあり、点数によっては夏休みが補習でつぶれてしまうこと、自分たちは成績がいまいちで、特に慎は危ないレベルだということ…。

 

 あっけにとられて話を聞く少年を見ながら、ゆず子は情けなくなってきた。

(なんか…私たちっておバカ?)

 周りが同じレベルで、しかも成績をさほど気にしない者ばかりだったので、思ったことはなかった。目の前にいる高いレベルの高校の生徒から見ると、だいぶ程度の低いことを言っているのではないか。そもそも、会って間もない少年に対してこんなことを言っていること自体、賢いやり方ではない気がしてきた。思いついたときは名案だと思っていたのが悔やまれる。

 

 ひとしきり話し終え、不安げにゆず子は少年を見上げた。相手は真顔でこちらを見ていた。今の所、否定の色も肯定の色もない。

「…あの、前にも言ったと思うんですけど、周りには頭いい人いても、僕自身はそんなに…。それに、普通高校と工業じゃ、教科書も違うんじゃないですか?」

「えっ違うの!?」

 具体的な問題点の指摘に、ゆず子は先ほどまでの不安よりも疑問が前に出た。

「たぶん…。ちなみに数学はこれですけど」

 言いながら少年はリュックから一冊出してみせた。表紙が違う。中を見てもよくわからないので、ゆず子も自分の教科書を出してみた。

 

 少年はゆず子の教科書を手にとり、最初の数ページを見、ついで全体をざっと見た。

「あ、やっぱり違いますね。後半の方になってくると、こちらの方が進みが早いです」

 なんてことのないふうにあっさりという少年に対し、ゆず子は食い下がる。

「じゃ、前半は!?まだ今くらいじゃそれほどちがくないんじゃない!?」

「えーまあたぶんそんなに…。でもわざわざ僕みたいな、ろくに知らないようなやつに聞くことないでしょう。先生とか友達に教えてもらった方がいいと思いますよ?」

 もっともな意見にゆず子は返す言葉を失う。うつむき加減にもごもごと言葉を絞り出す。

「そうなんだけど…先生には聞きづらいし…。友達も、正直あんまり勉強できる方じゃなくて…。あっ、私よりは全然いいんだよ!でも、自分のこともやらなきゃいけないだろうし教えるほどは…」

 少年の胸あたりを見ながら、ゆず子は言った。相手の表情は見ないようにしていたが、言うことが途切れた所でおそるおそる顔を上げる。

 

 少年は苦笑していた。呆れるでも怒るでもない少年の態度に、ゆず子は少しだけほっとする。

「わかりました。じゃあ、本当に他に誰もいないようなら連絡してください。でも僕もそれほど時間ある訳じゃないし…。事前に問題の内容教えといてくださいね。申し訳ないけど、できないようなら断りますから」

「いいよ!いいよ!こっちこそごめん、変なこと言っちゃって」

 少年の具体的な返答から、ゆず子の提案をまじめに考えてくれたことが伺える。

(すごいいいひとじゃない!?)

 ゆず子は笑みが浮かぶのを抑えきれない。

 

 少年はゆず子の様子をろくに見ず、鞄から髪の切れ端とボールペンを取り出した。手のひらを下敷きに何やら書き出す。メールアドレスのようだった。

「じゃあこれ僕のアドレスです」

 小さな紙いっぱいに使い、シンプルなフリーメールらしきアドレスと、“相田 翔”という文字が書かれていた。

「あいだ…しょう君?」

「あっ、はい。申し遅れました。あいだ・しょうといいます」

 かすむように笑って翔が言った。

「私も!私、あやみねゆずこと言います!」

 敬礼でもしそうな勢いでゆず子も自己紹介した。

 きょとんとした様に真顔に戻って、翔が言う。

「ゆず子さん?ですか?へえ、可愛い名前ですね」

 ストレートなセリフと嘘のない表情を見て、ゆず子の心臓がはねた。

「えっと、そう?ありがと!」

 何でもない風に笑って礼を言ったが、内心は動揺しているのが自分でもわかった。紙を持つ手が汗ばんでいる。

 電車の時間だからと翔が去り、ゆず子は紙を握りしめたまま、方向転換をして元来た道を戻った。

 ゆず子が翔に自分のアドレスを伝え忘れたと気付いたのは、外で待つ友人たちと合流した後のことだった。


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