1.いつもの風景
以前投稿した「自転車とハイヒール」の二人が出会った時の話です。
この作品単独でも読めます。
改札を抜け、いつも通りの階段を下りて駅前へ出た。外へ出ると、強くなってきた日差しと、もわっとしたあたたかい空気が感じられる。
人通りは普段の朝と変わらず、会社員や学生らしき人々が多く行き交っている。空は少々曇っているが、天気予報によると雨の確率は20%ほどらしい。ゆず子は小さく微笑んでその風景を見ると歩き出した。
彼女は人だかりを見るのが嫌いではなかった。高校に入学してから2ヶ月ほどが経ち、同じ時間帯の電車に乗っていると、よく見かける人というものが出てくる。自分の父親くらいの年齢の会社員、大学生らしき女性、高校生のグループ。そんな人たちを観察し、どんな人かと想像するのはなかなか楽しいことだった。
そんなゆず子自身も、周りからは観察の対象になっていた。
薄茶色のウエーブがかったセミロングに、つけまつげと化粧でさらに大きく見える瞳。卵形の顔の下には、全体的にすらりとした体躯。制服は、学校指定の白い半袖シャツと赤いチェックのスカートだが、自前のグレーのカーディガンとスカート丈の短さで個性を出している。バッグはデザイン性より実用性を重視した大きめのトートバッグ。花柄を中心にした様々なアクセサリーがつけられていた。
時々すれ違う人—特に男性—の一瞬の視線を気に留めず、学校までの道のりを歩く。駅前広場の咲き始めたあじさいに目を留めながら、うちの学校がゆるめで良かった、とゆず子は思う。
衣替えが終わったとはいえ、天気によっては少々冷える日もある。服装にそれほど厳しい学校ではないので助かっていた。
15分ほど歩き学校が近づくと、自分と同じ制服の生徒たちが一気に増えた。その中で顔見知りにちらほら挨拶をしつつ教室に入ると、いつものメンバーはそろっていた。
「おはよ。ゆず」
梨紗に言われ、にこやかにゆず子も笑顔を返す。その横では男子生徒が二人、軽い口調でゆず子に言う。
「おはよー」「はよ。ゆず」
教室の真ん中あたりでかわされるそのやり取りは目立っていた。真ん中という位置関係だけでなく、この4人は存在感があった。
梨紗は赤茶の髪にセミロング、切れ長で背が高く、きりっとした美人だ。男子二人も系統は違えど、明るい茶髪とはっきりした目鼻立ちのイケメンである。だが4人とも、周りの注目は頓着せず、いつもの通り気楽な雑談を繰り広げている。
「何か今日暑くなーい?」
男子生徒の一人・慎がそうつぶやくと、口々にツッコミが入る。
「えっむしろ今日寒いと思うんだけど」
「まあ寒いまで行かないけど暑くはないよね」
「あんた熱あんの?」
そんな挨拶代わりのいじりが終わると、世間話になる。
「あ、そうだ今日彼氏と約束あるからソッコー帰るからね」
梨紗が言うと、ゆず子は思い出したように言った。
「あ!私も今日バイトだ!」
「ゆず、そんなでかい声で言っていいの?」
もう一人の男子生徒・祐樹に冷静に指摘され、あわてて周りを見る。隣の席の男子生徒と目が合うと、相手は苦笑して目をそらした。
「…まあ生徒だったら多少ばれてもね」
ゆず子は引きつった顔で笑った。
在学中アルバイトは基本的に禁止だ。事情があってする場合は、許可を取る必要がある。しかしそれは本当に特殊な事情であって、普通に申請しても通らない。ゆえにこっそりアルバイトをしている学生は少なからずいた。お互い様なので、生徒同士なら他に知られる可能性はほとんどない。
「隼人君はどうよ最近」
梨紗がおもしろがるような表情と口調で言う。ゆず子はその表情の意図が分からず、きょとんとする。
隼人は、ゆず子がアルバイトをしているレストランのコックだ。近所のよしみで昔から家族ぐるみで交流があり、一人っ子のゆず子にとっては兄のような存在だ。
「どうって何が?別に変わったところないけど」
「彼女ができたとかそう言うのないの?」
そう梨紗に言われ、先ほど梨紗が見せた表情の意味を察し、鼻白む。何となくこの後の展開が読めるが、こう答えるしかない。
「…べつに、いないみたいだけど」
「じゃ、ゆず子でどうよ?」
予想通りの返答に、ゆず子はため息をついた。
「またそっちの方向に持ってくのー?」
「いやーまあ半分冗談だけど。でもさ、昔から知ってるし、話聞いてると気も合うようだしいいんじゃないの?」
ゆず子は小さくしかめ面をする。梨紗の言う通り、昔から知っていて信頼しているし、一緒にいて楽しい人だが、それとこれとは話が別だ。
ゆず子はこの手の話が少し苦手だった。自他ともに認める社交的な性格のため、異性の友人も多い。その延長で彼氏ができたこともあったが、延長という気分から脱することができず、あまり進展のないまま別れてしまった。
楽しかったし別れはあっさりしていたので、嫌な思い出ではないが、今はそう言うことにはあまり興味がなかった。仲良しの友人たちとわいわいやるのが楽しいのだ。
ゆず子の気持ちを察したのか、梨紗は苦笑する。
「そんな顔しなくても。幼なじみ同士の恋愛って、漫画とかによくあるからさ。どんなもんかと思っただけ」
それまで黙って聞いていた祐樹が会話に加わった。
「それ、ほんと本の中だけだよ。おれも幼稚園の頃、幼なじみっていたらしいけど、それ以来いっっちども顔あわせてないから、ほぼ覚えてないよ。母親同士は仲いいから、『近所のみおちゃん、女子校行ったらしいよ』みたいなことは聞いたけど」
慎が、誰だよみおちゃん、とおかしげに笑った。ゆず子も梨紗もつられて笑い、場の雰囲気が柔らかくなる。
そうこうしているうちに予鈴がなり、自分の席にいた裕樹をのぞく3人は、それぞれの席に散って行った。