八十五話「赤鞘様のお社が完成しようというときにコウガク様がいらっしゃるとは!」
アグニーの村には、代々伝わる朝の運動があった。
朝起きてご飯を食べたら、皆でそれをやって仕事へ取り掛かるのだ。
たとえ旅の空の下でもたった一人であったとしても、アグニーならば必ず毎日この体操をしている。
この日も見直された土地のアグニー達は広場へ集まり、長老の指示の下、元気に体操を始めようとしていた。
「今日は多くのものが赤鞘様のお社作りの続きをすることになっていると思う! そのほかの作業があるものも、皆がんばって仕事に精を出すんじゃー!」
「おー!」
「結界ー!」
「がんばろー!」
長老の掛け声に、アグニー達はそれぞれに気合のこもった声を上げた。
とはいえ、アグニーたちにとっての気合なので、その気合具合はお察しである。
「では行くぞー! いち、にー、さん、はいっ!」
ぶんぶんと腕を振り回す長老の指示にあわせ、アグニー達は全員大きく息を吸い込んだ。
アグニー達の体操には歌が不可欠であり、その歌は全員で元気よく歌うものなのである。
あぐにーたいそーのうた
作詞・作曲 れきだいのあぐにーのだれか
歌 見放された土地に住んでるアグニーの皆 うぃず カーイチ
いちばん!
めっちゃステキな朝がきた
今日も一日がんばろう
多少天候悪くても
元気があればどうにかなるさ
のうこう ぼくちく のら仕事
こんじょういれてやってやれ
にばん!
すこぶるカゲキな朝が来た
今日もみっちりがんばろう
たいふう かみなり すなあらし
生きてさえいりゃどうにかなるさ
きあい がっつに どこんじょう
やれるとこまでやってやれ
歌に合わせて運動を終えると、アグニー達は皆晴れ晴れとした笑顔になっていた。
朝一番の運動はとっても体によく、気分も爽快にしてくれるのだ。
長老はぐるりと皆を見回すと、全員が元気そうである事を確認して大きく頷いた。
「では、皆作業開始じゃぁー!!」
「わー!」
「けっかいー!」
「わぁー!」
「がんばろー!」
アグニー達は口々に気合のこもった声をあげると、それぞれの仕事場へと走り始めた。
気合のこもった声といってもアグニー的にはであるから、こもり具合はお察しである。
皆が走っていくのを確認すると、長老も急いで仕事場へと走り始めた。
向うのは、赤鞘の社を作っている作業現場だ。
現在赤鞘の社つくりにはたくさんのアグニーが携わっており、全部で三つの社が作られていた。
長老はそのうち一つの製作を指揮する、リーダーなのである。
長老の班は平均年齢30歳を越えている、ご高齢チームだ。
アグニーの年齢を人間に換算するときは2をかければいいので、人間にすると平均年齢60歳以上という事になる。
普通ならばとっくに現役を引退して、焼き物の造形をしたりしている年齢だ。
しかし、いまは強烈な人手不足である。
少しでも動けるならがんばろうと、老人達も張り切って働いているのだ。
それが幸いしたのか、ずっとふさぎ込みがちだったご老人達も、今ではバリバリの現役で働きまくっていた。
25、30はなたれ小僧、などといいながら元気に働くその姿に、若者達も負けじとがんばって働いている。
「もう少しで社も完成じゃぁー! 若いものにはまだまだ負けんぞぉー!」
長老は元気に声を張り上げると、てってけ足を動かして先を急いだ。
今度こそすごいものを作って、年寄りの力を見せ付けてやらなければならないのである。
なにより、がんばっていい物を作れば、きっと赤鞘も喜んでくれるはずなのだ。
見直された土地にいるアグニーで、赤鞘に感謝していないものは一人もいない。
大恩ある赤鞘に少しでも喜んでもらおうと、皆張り切っているのだ。
当然、長老もものすごく張り切っていた。
「きあいじゃぁー!」
「おー!」
「けっかいー!」
「だー!」
誰にとも無く叫んだ長老の声に、近くにいたアグニー達が反応して声を上げた。
ちょっとした刺激でやる気が噴出してしまうぐらい、皆やる気に満ち満ちているのだ。
長老の掛け声は次々と伝染して行き、アグニー達のほぼ全員が雄叫びを上げる。
アグニー達は今日も元気一杯なのであった。
たくさんのアグニーが赤鞘の社製作に励む中、平行して急ピッチに行われている作業があった。
ポンクテを原材料にした、お酒の製作である。
以前から作られていたポンクテ酒だが、やはり神様に納めるとなれば味がいいものでなくてはいけない。
酒造りに携わっているアグニー達は、最高のお酒を造ろうと努力しているのだ。
アグニー達によるポンクテ酒の造り方を大雑把に説明すると、次のようになる。
まず、ポンクテの皮を剥き、蒸す。
そこに、でんぷんを分解する菌をまき、水をいれ暫く置く。
十分にでんぷんが糖に変化した頃合を見計らって、一旦火にかけ菌を死滅させる。
冷ましてから、糖分をアルコールに分解する菌をまく。
これをよく混ぜ、再び置いておく。
きちんと糖分が分解され、アルコールが出来上がったら、ほぼ完成である。
これをそのまま飲む場合はにごり酒と呼ばれ、ろ過して透明な部分だけにしたものは清まし酒などと呼ばれるのだ。
実際はもっと細かい段階を踏むのだが、まあ大まかに説明するとこんなところだろう。
酒造りというのは、作業工程の多い大変な仕事なのだ。
二種類ある酒の中で、神様に納めるのに適しているとされているのは、にごり酒のほうであった。
これは、製造過程で捨てる部分が少なく、神様から頂いたものを返す部分が多くなるからだ、といわれている。
清まし酒はにごり酒をろ過したものであり、酒にならない部分が多くなってしまうのだ。
ちなみに、絞り残ったカスも、実際は捨てるわけではない。
野菜に和えたりスープに入れたりして、ちょっと大人な調味料として楽しまれていたりする。
にごり酒を納めるのは、ある種伝統のようなものであったりするのだ。
そんなにごり酒の樽を、数人のアグニー達が取り囲んでいた。
酒を造った、アグニー達である。
難しい顔で腕組みをしているアグニー達だったが、その中の一人がおもむろに動き出した。
近くに置いてあったおたまでお酒をすくうと、手にしたコップにそれを注いだ。
その動作を見ていた他のアグニー達は、緊張の面持ちで息を飲み込む。
いまコップを持っているアグニーは彼らの中で一番年長であり、お酒造りのリーダー的存在なのだ。
そのアグニーはコップに口をつけると、お酒を一口口に入れ、じっくりと味わった。
他のアグニー達が固唾を呑んで見守るなか、年長のアグニーはかっと目を見開く。
「よし、これなら神様も納得してくれるはずだ! 皆飲んでみてくれ!」
そういって突き出されたコップを、アグニー達はかわるがわる飲んでいく。
回し飲みした酒の味は満足がいくものであったらしく、飲んだものから嬉しそうな笑顔になっていった。
「いい酒になったな!」
「だなぁ!」
「結界!」
「苦労したかいがあったってもんだ!」
どうやら、納得できるお酒が完成したらしい。
お互いの健闘を称えるアグニー達は、皆とても嬉しそうだ。
後はこれを水彦が手に入れてきた瓶につめれば、赤鞘に納めるにごり酒の完成である。
ほっと安心した様子のアグニー達だったが、そこに走りこんでくるものがいた。
肩で息をする走ってきたアグニーの姿に、酒の入った樽を囲んでいたアグニー達は目を丸くする。
「どうしたんだ?」
「た、たいへんなんだ!」
「たいへん?!」
「けっかい?!」
「なにがあったんだっ!」
走ってきたアグニーの言葉に、皆の表情が険しくなった。
アグニーは兎に角臆病な生き物だ。
ちょっとでも危険を感じればあっという間に逃げ出す。
危なそうだと思ったら、徹底的に警戒する。
そんな彼らにとって、大変だという報せは、とても重いものなのである。
走ってきたアグニーが息を整える間、他のアグニー達は緊張の面持ちでその様子を見守った。
何とか息を落ち着けると、走ってきたアグニーは表情を引き締めて口を開く。
「わかんない。でもなんかたいへんなんだって」
もしこの報告を聞いたのが人間であれば、怒っていたかもしれない。
だが、報告をしたのも、報告を聞いたのもアグニーである。
酒の入った樽を囲んでいたアグニー達はお互いの顔を見合わせると、すごく真剣な表情で頷いた。
「わからないならしかたないな」
「でも何がたいへんなんだろう」
「結界」
「そうだな。よし、皆のところに行って見よう!」
「そうしよう!」
そう決めると、アグニー達は急いでお酒の入った樽のふたを閉め、出入り口へと向った。
彼らがいたのは、アグニーが作る一般的な高床式建築物である。
外に出るには、はしごやロープを使わなければいけないのだ。
たとえ酒のような重いものでも、アグニーは構わず高床式建築物の中で作る。
結果、材料を運び上げるのも、完成したものを下に降ろすのもたいへんになったりするのだが、お構い無しだ。
次々にはしごやロープを使い地面に降りると、アグニー達は慌てた様子で走り始めた。
ちなみに、誰一人としてどこに向かうかなどは聞いたりしていなかったりする。
聞かなくても、なんとなく皆が集まっている場所が分かるからだ。
アグニーは逃げる事に特化しているため、兎に角はぐれやすい生き物である。
それをカバーするため、アグニーには仲間がたくさん集まっている方向をなんとなく感知する能力があるのだ。
ただ、それはあくまでなんとなくであり、精度はそんなに高くなかった。
時々迷子になるアグニーが出てくるのは、そのためである。
まあ、その辺も含めて、非常にアグニーらしい能力なのかも知れない。
なんかよくわからないけど、たいへん。
その情報は、瞬く間にアグニー達へ広がった。
森の中で狩をして、帰りに水浴びをしていたギンとカーイチのところ。
社作りでは絶対に若者には負けないと張り切る長老達のところ。
奥さんと仲良く農作業をしていた中年アグニーのスパンのところ。
兎に角徹底的に逃げる事に特化したアグニー達は、情報伝達も意外に優秀だった。
危険な兆候を共有し、すぐに逃げる事ができるようにするためだ。
アグニー達が集まったのは、集落の真ん中にある、広場だった。
そこには確かに、たいへんな事がおきていたのである。
アグニー達がこの土地に移り住んで以来、初めてガーディアンと天使以外のお客さんが来ていたのだ。
しかもそのお客さんは、シャルシェリス教の伝説的な僧侶、コウガクだったのである。
ほぼ人が来ないはずの見直された土地にコウガクが来たことに、アグニー達はものすごく驚いていた。
特に驚いていたのは、昔コウガクに戦い方を教わった事がある長老とスパンだ。
「コウガク様! どうしてここに!」
「うん。色々あってね。赤鞘様にご挨拶をして来たついでに、寄ってみたんだよ。皆大変だったようだが、無事でよかった」
コウガクは自分を取り囲んでいるアグニー達を見回し、嬉しそうにそういった。
アグニー達は皆、驚きであんぐりと口をあけていたり、大きく目を見開いて呆然としたりしている。
そういったいかにもアグニーなリアクションを見て、コウガクは一先ず安心したのだ。
コウガクの言葉を聞き、長老は納得がいったというように頷いた。
「なるほど! コウガク様はえらいお坊様ですからのぉ!」
「えらいお坊さんなら、神様に挨拶しに来るだろうからなぁ」
「けっかいー」
「そーなのかー」
アグニー達は納得したように、こくこくと頷いた。
普通ならば納得するような理由ではないかもしれないが、そこはアグニーである。
他の細かい事なんて置いといて、なんとなくそれっぽければ納得しちゃうのだ。
「おお、そうじゃ! コウガク様をいつまでもこんなところに立たせておくわけにはいかん! みんな、おもてなしの準備をするんじゃ!」
「おもてなしだー!」
「お酒もってこないと!」
「結界もだ!」
「食べもののじゅんびだー!」
長老の号令にあわせ、集まっていたアグニー達が一斉に動き出した。
見放された土地に暮らしているほぼ全てのアグニー達が集まっていたので、かなりの騒がしさだ。
そんなアグニー達を見て、コウガクは楽しそうに笑う。
昔アグニーの村を訪れたときのことを思い出したのだ。
もう随分前の事になるはずなのだが、アグニーたちの反応はそのときも今も殆ど変わっていない。
賑やかに走り回るアグニー達を見て満足げに頷くと、長老はさっそくコウガクを自分の家へ案内する事にした。
そこが一番広く、お客さまようの部屋も用意してあるからだ。
「ささ、コウガク様。お休み頂ける所にご案内しますからのぉ。しかし、赤鞘様のお社が完成しようというときにコウガク様がいらっしゃるとは!」
嬉しそうにいった長老の言葉に、コウガクは目を丸くした。
アグニー達が赤鞘の社を作っているといったことに驚いたのだ。
「赤鞘様のお社をつくっているのかな?」
「はい! ここで作って、赤鞘様のところまでお運びするのですじゃ。赤鞘様はあまり立派なものは要らないとおっしゃいましてのぉ。運べるような大きさでよいとおっしゃるのですじゃ」
「ほぉ! それはそれは、たしかに赤鞘様らしい」
コウガクはこの土地の中央近くであった赤鞘のことを思い出し、思わずといった様子で笑った。
確かにあの神様であれば、あまり大きな社は求めないだろう。
それどころか、場合によってはそんなもの後回しでいいと言い出しそうだ。
簡単に想像できるそんな姿に、コウガクはますますおかしそうに笑った。
「良ければ、そのお社を見せてくれないかな?」
「おお! そうじゃ、コウガク様にできばえを見ていただくのもいいかもしれませんのぉ!」
「けっかいー」
「コウガク様にかくにんしてもらえば安心だ!」
「コウガク様はえらいお坊様だしな!」
コウガクの提案に、アグニー達は納得したように頷いて喜んだ。
ある程度の目安などはエルトヴァエルに渡された冊子に書いてあったが、アグニー以外に実物を確認してもらうのは初めてである。
それが高名な僧侶であるコウガクであるとなれば、その意見や感想はとても貴重なものになるはずだ。
もし出来栄えを褒めて貰える様なことがあれば、赤鞘様にも喜んでもらえるかもしれない。
いつもお世話になっている赤鞘に喜んでもらえる事は、アグニー達にとっても大きな喜びになるはずなのだ。
「実は、三つのお社を作っておりましてのぉ。そのなかでどれがいいかを、赤鞘様に選んでもらう予定なのですじゃ」
「三つも作っているのかね? それはたいへんそうだ」
驚いたように言うコウガクに、長老は笑って首を振る。
「なんのなんの! ほかならぬ赤鞘様のためですからのぉ! 皆がんばっておりますわい! まあ、一番出来がよいのはわしら年寄りの作ったものですがのぉ!」
「そうじゃそうじゃー!」
「まだ若いモンにはまけんわい!」
長老につられるように、ご老人アグニー達が不敵な笑いを浮かべる。
それに反応したのは、他の社を作っているアグニー達だ。
「爺さん達が作ったやつよりも、俺たちが作ったやつのほうがすごいぞ!」
「けっかい!」
「たくさん細工がしてあるからな!」
「コッチだってすごいぞ!」
「結界ー!」
わいわいと騒ぎ始めるアグニー達の様子に、コウガクは面白そうに笑い声を上げる。
皆ケンカ腰になっているように見えるが、どこかほのぼのとした雰囲気があるのだ。
アグニー同士のケンカは、どこか子供のケンカのように見えるのである。
実際、それが深刻な対立になることなど殆ど無かった。
次の日どころか、2、3時間もすればお互いけろっと忘れてしまうのである。
「ささ、コウガク様! どのお社がいいかぜひ見てください!」
「そうじゃ! 決着をつけてやるわい!」
「けっかいー!」
「俺たちのほうががんばったモンねー!」
「分かった分かった、見せてもらうから、そう押さないで」
アグニー達に押したり引っ張ったりされて、コウガクは困ったように笑う。
急かされるようにされてはいたが、コウガク自身早くお社を見てみたいと思っていた。
逃げる事と危険を感知する事に長けたアグニー達だが、彼らが得意なのはそれだけではないのだ。
指先の器用さも、とても有名なのである。
アグニー達が作った工芸品は評価が高く、物によっては信じられないほどの高値が付く事もあった。
そんなアグニー達が神様のために作ったものとなれば、きっと素晴らしいものに違いない。
コウガクはアグニー達に急かされながらも、わくわくとした様子で足を進めるのであった。