八十二話 「なんだよ女連れかよ! けっ!」
海原と中原には様々な種族が存在し、様々な特殊能力が存在する。
たとえば、紙雪斎のような狼人族。
彼らは圧倒的な身体能力と回復能力を誇る。
たとえば、長老やマークのようなアグニー族。
種族特性として死ぬまで若い姿のまま、力を入れるとゴブリンっぽいビジュアルになって若干パワーアップする。
たとえば、シェルブレンのようなエルフ族。
圧倒的な魔力を誇り、身体能力ですら他の種族を凌駕する。
このようないわゆる特殊能力は、その殆どが魔力によって成り立っていた。
つまるところそれらは、魔法的に解析が可能なものなのだ。
どんな不思議な能力にも、調べていけば魔法的に説明が付く。
地球で言うところの「どんな物理現象でも科学的に説明が出来る」というのと同じようなものだろう。
海原と中原は魔法同様、物理学なども非常に発展してる。
物理現象はそちら方向で確実に解析がなされるし、魔法的な事柄も勿論解析が成されていた。
海原と中原には、地球よりもよほど「解明されていない不思議な事」は少ないといっていいだろう。
そう、少ないのだ。
たとえ地球以上に様々な物事を解析する技術に秀でた海原と中原であっても、分からない事は確かに存在していた。
その一つが、「プライアンケース」と呼ばれる特殊能力である。
海原と中原にあまた居る人間の中に、稀に種族特性以外の特殊能力を持つものがいた。
その多くはやはり解析が可能で、説明をつけることが出来るものであった。
だが。
極、極々稀に、魔法的にも科学的にもまったく説明の付かない能力を持つものがいたのである。
臭いもののようにフタをされてきたそれをはじめて研究し、「まったく説明が付かない」と結論付けた学者が居た。
そんな彼のことを、いわゆるお偉方といわれるような研究者たちは徹底的に叩いたのである。
曰く、解明を放棄する愚か者の所業だ、と。
しかし。
その学者の研究は完璧であったのだ。
一部の隙も無くその能力を「現在の科学、魔法では解明も説明も出来ない能力である」と証明して見せたのである。
普通ならばフタをされ葬られて終わりであっただろうこの発表はしかし、そう結論付けられた能力の強大さゆえに表舞台へ立つ事となった。
学者の名は、プライアン・サジシナ。
無名の研究者であった彼は、非常に融通の利かない頑固な性格であったという。
種族特性能力の研究解析に携わる中でぶつかった「解明できない能力」が、とても我慢できなかったのだそうだ。
それをどうにかして解明しようとするうち、解明できない事を証明してしまったのだとか。
実に難儀な話である。
その功績を称えられ、「解明できない能力」は、プライアン・サジシナの名をとり「プライアンケース」と呼ばれるようになった。
そして、その能力の脅威度によって色によるランク分けがされるようになる。
通常の種族の特殊能力と呼ばれるものも、実はこのようなランクわけが成されていた。
プライアンケースも、これと同じ振り分けが成される事となった。
その脅威度を、国際基準に基づいて評価されるのだ。
すなわち、青を最高位とするランク付けである。
つまるところ「プライアン・ブルー」とは。
魔法や科学的には解明されない、もっとも危険度が高い特殊能力。
という意味なのである。
スケイスラーの工作員、プライアン・ブルーはまさに、自他共に認めるプライアンケース最高位の能力者であるのだ。
その特殊能力は、通称「ドッペルゲンガー」と呼ばれている。
自分の分身をほぼ無尽蔵に生み出すその能力は、完全に常識を逸脱した能力であるといえるだろう。
共通意識を持つため、それが制御できる範囲内でしか分身を作る事ができないという制限はあるものの、逆に言えばその範囲内でならいくらでも分身を作り出せるという事だ。
プライアン・ブルーは、個人でも凄まじい戦闘能力を持つ剣士である。
魔法に関する能力も高く、一個人でも十二分に脅威に値する戦力を有していた。
それが、ほぼ無尽蔵に増えていくなど、敵にとっては恐怖以外の何物でもないだろう。
この能力の恐ろしいところは、殺しきる事がほぼ不可能であるという点だ。
能力によって作り出された分身は、正確には分身であって分身ではない。
プライアン・ブルーそのものなのである。
まったく同じ意識を持つ、同一個体なのだ。
つまり、分裂した元になったプライアン・ブルーを倒しても、片方が無事ならまたいくらでも増える事ができるのだ。
当然、分裂して増えたプライアン・ブルーを倒しても、どちらかが無事ならば問題ない。
一人いればいくらでも増える事ができ、たとえ倒されたとしても一人が無事ならば何の支障も無いのである。
その能力こそが、彼女が“複数の”プライアン・ブルーとあだ名されるされるゆえんであった。
とはいえ、ほぼ不死身とも思われるプライアン・ブルーにも、弱点はある。
それは、全ての体を消し飛ばされると死ぬ、というものであった。
無茶苦茶な、と思うかもしれない。
だが海原と中原という世界には、割とそういうことを平気でやってのける化け物がいるのである。
その一人が、スケイスラーにもいた。
“スケイスラーの亡霊”バインケルト・スバインクー。
二千年以上の時を過ごす死霊術士であり、本物の亡霊である。
ほかにも“鋼鉄の”やら“紙屑の”やら、有名どころだけでも十数人はいるだろう。
解明不能と呼ばれる最高位能力であっても、それを超越する化け物が意外といる。
海原と中原というのは、そういう世知辛い世界なのである。
そんな最高でありながら割りと倒せる相手が何人もいる“複数の”プライアン・ブルーは、アインファーブルの居酒屋で酒をかっくらっていた。
上司に仕事を押し付けられ、厄介ごとに巻き込まれ、飲まなければやっていられない気分だったのだ。
「へいへいそこのおにぃさん! 一緒にのまな なんだよ女連れかよ! けっ!」
ちなみに、プライアン・ブルーは絡み酒の気があった。
というよりも絵に描いたような絡み酒である。
オールバックで後ろに束ねた長い髪をぐりぐりと指でいじりながら、熱燗を徳利からダイレクトに飲み干すプライアン・ブルー。
その姿は、まさに悪酔の手本のようであった。
「あーあー! 結婚したいなぁー! いないかなぁー、良い男!」
絶対に寄ってこねぇよ。
周囲の客の心が、一つになった瞬間であった。
「まったく、何なのかしらあの酔っ払い……」
プライアン・ブルーの座る場所から少し離れたテーブル席に、一人の女性が座っていた。
普段は着ないラフな服装に身を包んだ彼女の名は、“蛍火の”マイン・ボマーである。
ステングレア王立魔道院の次席である彼女は、筆頭である紙雪斎の命を受けてこの土地へとやってきていた。
見放された土地に起きている異変、周囲の状況の調査、すべき事は様々だ。
まずはその一環として、この場所で部下から報告を受ける事になっているのである。
一般市民として地域に溶け込んだ密偵との接触には、居酒屋といった一般の場所が使われることもあったのだ。
木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中、というように、こういった場所の方がかえってばれにくいものなのである。
マインはプライアン・ブルーのクダを不快気に聞き流し、イスに座りなおした。
そして、ふと思い立ち、懐に入れていた小さな袋を取り出す。
アインファーブルで最近はやっている、安全のお守りである。
孤児院の運転資金にと孤児達が手作りしているというそれは、兎角験を担ぎたがる冒険者たちに非常に人気があった。
マインがそれを買ったのは、当然自分のためではない。
敬愛してやまない、紙雪斎のためである。
しかし、マインはそれを渡すべきか渡さざるべきか、非常に悩んでいたのだ。
もしそんなもの下らないと言われたらどうしよう。
そんな考えが、頭の中に浮かび上がる。
いや、紙雪斎様は心のお優しい方、きっと喜んでくださるに違いない。
そんな思いも浮かび上がる。
もし喜んで下さったら、どんな事をいってくださるだろう。
「すまぬな、マイン。大切にしよう」
そういって下さり、私の手から直接お守りを受け取ってくれるかもしれない。
直接。
そう、直接である。
そんな事をしたら、手と手が触れてしまうかもしれない。
紙雪斎とマインの手が、触れてしまうかもしれないのだ。
もしそんな事になってしまったら。
「いやぁああああ!! こどもができちゃうぅううううう!!!!」
突然不穏当な事を叫ぶと、マインは凄まじい勢いでテーブルに頭突きをし始めた。
周りの客たちはそのあまりの勢いに、完全に引きまくっている。
しばらく高速で頭突きをしまくっていたマインは、突然その動きをぴたりと止めた。
そして、テーブルに置かれた酒瓶を掴むと、中身を一気に飲み干す。
中が空になったのを確認すると、マインは何事も無かったように店員を呼んだ。
「すみません。同じものをもう一つ」
ちなみにマインが一息で飲み干した酒は、アルコール度数70パーセントほどのものである。
そう。
マインは軽く正体を失うほど酔っ払っていたのである。
それでも紙雪斎のかかわる事以外ではまったく変わる様子が無いのは、流石というべきだろう。
店員は引きつった顔で頷くと、そそくさと店の奥へと引っ込んでいくのであった。
「さわがしいな。さけはしずかにのむもんだ」
鋭い視線をマインの方へと向けながら、水彦はいつもと変わらぬ若干真面目そうな無表情でつぶやいた。
彼の口の中には、現在二十本分の焼き鳥が収まっている。
収まっているといっても、頬袋の部分であるのでしゃべるのには問題なかった。
ぷっくりと頬が膨れた少年というかなりアレな外見になっている事自体が、問題といえば問題ではあったが。
「水彦さん。そんなに食べるとおなか壊しますよって、大丈夫でしょうね……」
ため息混じりにそうつぶやいたのは、キャリンである。
ちなみに、キャリンが食べているのはコルテセッカのジャーキーであった。
水彦がとまっている木漏れ日亭の店主、アニスが作ったものである。
最近、事あるごとに水彦がキャリンに食べさせているそれは、一般人であれば一気に魔力許容量が跳ね上がるような代物だ。
元々魔力の高いキャリンではあるが、それでも食べれば魔力だけでなく、様々な強化が望めるものであった。
キャリンは自分が食べているそれがそんな代物である事を、一切知らない。
勿論、水彦がキャリンを強くしようと意識して食べさせている、はずが無い。
単に大量に余ったから食わせているだけなのである。
その辺にいた子供に適当に食べさせてみたり、水彦がガッツリ食べたりしていた魔獣の肉だったが、量が量だけにかなり余っていたのだ。
水彦は若干食い飽きていたそれを、キャリンに食べさせる事にしたのである。
元孤児であり貧乏性なキャリンは、それを意外なほど喜んだ。
味もなかなか良いそれを、キャリンはこうして時々齧って楽しんでいるのである。
「いやいや! 賑やかなのはよいことでござろう! 某等もあやかって騒ごうではござらぬか! あっはっはっは!!」
酒が並々と注がれたマスを掲げてそう声を上げたのは、門土常久だ。
そんな門土にキャリンは苦笑いを浮かべるが、水彦のリアクションは違った。
すっくりと立ち上がると、脇においてあった酒瓶を引っつかむ。
そして、それを口に付け、一気に振り上げたのだ。
当然酒はぼっこぼっこと音を立て、水彦の口の中に雪崩れ込んでいく。
「おお!!」
「こっちのにいちゃんも負けてねぇぞ!!」
そんな水彦の姿に、周囲の客たちは大いに盛り上がった。
アインファーブルは冒険者の町であり、肉体労働者が数多く暮らしている。
こういったいわゆる男を見せる行為は、意外と歓迎されるのだ。
キャリンはそんな様子に、諦めたようなため息を付いた。
「水彦さん、明日えろと……じゃない、エルトさん、って人から仕事が来るとか言ってませんでしたっけ?」
えろと、というのは、えろとばんえろ。
つまるところエルトヴァエルの事である。
水彦は明日エルトヴァエルから言い渡されることになっている仕事を、キャリンと門土も交えてやるつもりでいたのだ。
キャリンはギルド長から水彦のことをよろしく頼まれているため、いやいやながら仕事に乗ることにしていた。
仕事内容はよく分からなかったが、危険そうであれば水彦をいさめて辞めさせるつもりでいる。
どこまでも安全志向な少年なのだ。
門土は、水彦としばらく行動を共にすると明言しているため、その仕事も一緒に受ける事にしていた。
野生の勘が、なかなか面白そうな仕事であると嗅ぎ取ったのもその原因である。
「おお! 流石水彦殿! これは某も負けて居れませんな! ささ、キャリン殿もご一緒に!」
「ええ?! いや、僕はいいですから!」
「おお、のめのめ。うまいぞ」
抵抗するキャリンのコップに、門土と水彦はどんどんと酒を注いで行く。
結局この日の酒盛りは、店が閉店になるまで続いたのであった。