八話 「あんな高さから落下して無傷だなんて……無茶苦茶だ……」
「いやー、お久しぶりです。流石赤鞘さんですね。仕事が早い!」
「いえいえ、急にお電話した上、態々来ていただいて。申し訳ありませんでした」
「何言ってるんですか! こっちは頼んでいる身ですから」
そんな会話を交わす太陽神と土地神を前に、エルトヴァエルはガッチガチに緊張していた。
一介の天使である彼女にとって、太陽神アンバレンスは文字通り雲の上の人である。
そんなアンバレンスが、赤鞘の土地である「見放された土地」に居る。
しかも、ジャパニーズサラリーマンな会話をしながら、ぺこぺことお辞儀をし合っている。
こんな光景を人間が見たら、どう思うだろう。
きっと信仰心はマッハで急降下するに違いない。
なぜ、アンバレンスがこんなところに居るのか。
話は、赤鞘がアンバレンスに電話をかけたところまでさかのぼる。
「ああ、赤鞘さん! どうしたんですか?」
「いえ、実は魔力の塊の分散に今しがた成功しまして。結界のほう外していただこうかなーと思って電話したんですよ」
「あー! 早いですねー、もうですか! 流石赤鞘さんだなぁー!」
「いえいえいえ。思ったよりは時間かかっちゃったんですけどね。何とかなりましたよ。それでですね。この、周りに張ってある結界なんですけど」
「ああ、はいはい。結界もう要らないですもんね。外す流れで?」
「そうですそうです。なんか、設置して下さったのがアンバレンスさんだとかで」
「そう、ですね。はい。私です私です。大分前のことなんで忘れかけてましたよ。はっはっは!」
「はっはっは! まあ、それでなんですけど。もう結界外しても大丈夫だと思うんですよ」
「ですね。魔力の塊ももう解決したんですもんね。動植物に与える影響なんかも特にないし。いいと思いますよ。あ、そうか。外すの私なんだ」
「私じゃこんな大規模な結界張るのも外すのも無理ですよ。そういうのやったことも無い雑魚神ですから」
「またまた、すぐそうやって謙遜するんだから。分かりました、じゃあ、早速外す方向で、いいですか?」
「はい。特に準備とかもいりませんし。早めに周りの土地と合わせたほうがいいでしょうしね」
「ですね。じゃあ、手早く外す事にしましょうか」
「お願いします。で、外すのって、時間とか手間とか掛かりそうですか?」
「いえ。それ自体は今ここからでも出来ますよ。これでも一応太陽神ですから」
「さっすが、最高神様は違いますねぇー。じゃあ、早速お願いしてもいいですか?」
「いやいやいや。じゃあ、すぐにでも……。いや、ちょっと待ってくださいね」
「はいはい?」
「あ、私、直接そっち行きますわ!」
「え?! いや、でもお忙しいでしょうし。天界からでも外せるんじゃ?」
「いや、元々ちょっとした用事もありましたし! 赤鞘さんの顔見に行くついでにいきますよ!」
エルトヴァエルの耳は、その気になれば上空一千メートルから地上の人間達の会話を聞き分けることも出来る。
近くで行われる電話でのやり取りなんぞ、拡声器で会話されているような物だ。
会話の内容に愕然としていたエルトヴァエルだったが、この後さらに驚くべきことが起きる。
電話を切って、三分ほどたった頃だ。
アンバレンスが空から降ってきたのだ。
赤鞘がこの土地に来たときと同じ、自由落下である。
最初に上空から落ちてきているアンバレンスを見つけたのは、エルトヴァエルだった。
赤鞘にそのことを伝えようと口を開いたが、モノが落ちてくる速度というのは存外に早い。
「赤鞘様! 空から何かが落ちてきました!」
と、言い切り、その言葉の途中で赤鞘が振り返ったときには、地面にクレーターが出来ていた。
赤鞘から見れば、振り返ったと同時に地面がえぐれたように見えただろう。
彼らから20メートルも離れていない位置に出来たクレーター。
どうリアクションしていいのか分からず、固まる赤鞘たち。
しかし、クレーターから這い出てきた太陽神は、そんな彼らとは対照的にとても明るく、朗らかだった。
「いやー! びっくりしちゃいましたよ! 急いでこようと思ったんですけどね! 減速間違えちゃって! はっはっは!」
そう言いながら、アンバレンスは体についた土を払う。
そんなアンバレンスを見て、赤鞘は引きつり笑いを浮かべている。
小声で「あんな高さから落下して無傷だなんて…無茶苦茶だ…」などと言っているのが、エルトヴァエルには聞き取れた。
勿論、「貴方も似た様な物ですよ」とは、言わない。
あと少しで口から出そうになったが。
「いやー、お久しぶりです。流石赤鞘さんですね。仕事が速い!」
土を払い終わったアンバレンスは、何事も無かったかのような顔でそういうと、赤鞘の肩を叩いた。
赤鞘のほうも、考えても無駄だと思ったのだろう。
いつものゆるい感じの笑顔を浮かべると、困ったように頭をかいた。
「いえいえ、急にお電話した上、態々来ていただいて。申し訳ありませんでした」
そう。
冒頭のシーンだ。
赤鞘がアンバレンスに電話をしてから、約四分。
実にお手軽な太陽神召還だった。
アンバレンスと赤鞘がサラリーマンっぽい会話をしている頃。
見放された土地と罪人の森の丁度境目の辺りで、呆然と立ち尽くす集団が居た。
美しい子供の容姿に、ボロボロの服。
それと、ゴブリンの容姿に、ボロボロの服。
四十人ほどの統一性があるような無いようなその集団は、いわずと知れたアグニー達だ。
彼らは、とても驚いていた。
森の中を歩いていたら、突然何も無い荒地に出たのだ。
驚きもするだろう。
アグニーにとって見放された土地というのは、まったく未知の土地だ。
その前にある罪人の森にすら近づかないのだから、仕方の無いことだろう。
そもそも、ここ百数十年間、この場所に近づく知的生命体は皆無だった。
まともなモノは神の怒りを恐れて近づかないし、まともでないモノも魔力枯渇などを恐れて近づかない。
そのため、見放された土地がどういう状態になっているのか、正確に知るものは誰も居なかったのだ。
そういう意味では、彼らは今歴史的発見をしていることになる。
「…なんだこれ。荒地か?」
ぼそりとつぶやいたのは、狩人のギンだ。
剣を背負い、外見はゴブリン状態。
何があっても良い様に、臨戦態勢をとっているのだ。
他の大人のアグニーも、強化魔法を使ってゴブリン状態になっている。
まだ強化魔法が扱えない子供や怪我人は美しい子供の容姿のままなので、「ゴブリンとさらわれた子供たち」に見えなくも無い。
「さぁ? 見放された土地って言うのがあるとは聞いたことがあるけど、どうなってるのかとかは聞いた事無いからなぁ」
首を捻っているのは、若者のリーダー、マークだ。
アグニーは外部の情報に疎い種族だ。
小さな集落で暮らし、これといった特産物も無く生活してきたため、外部との接触が極端に少ないのだ。
そんな彼らが、未開の土地についての情報を持っているわけも無い。
広がっていた森が突然線を引いたように途切れ、何も無いむき出しの大地が広がっている。
幻想的にも見えるその光景は、アグニーたちの度肝を抜くのに十二分なインパクトがあった。
「ああ。そうだ」
口をぽかんと開けていた中年アグニーのスパンが、思い出したように周りを見回した。
「長老ならなにか知ってるんじゃないか? 長生きしてるんだし」
「そうか、長老か」
スパンの意見に賛同したマークも、長老を探し始める。
長老というのはその名の通り、もっとも長生きをしているアグニーのことだ。
アグニーの寿命が50歳前後といわれているのに対し、長老は今年で51歳になる。
彼らの中では、まさに生き字引ともいえる存在だ。
アグニーは全員美しい子供か、トサカ頭ゴブリンの外見をしている。
だが、長老を見分けるのはそう難しくない。
小刻みにプルプルしている個体が、長老だからだ。
すぐに長老を見つけた二人だったが、質問をするのはすぐにあきらめた。
「こーうーやーじゃー! なんなんじゃこれはー!」
一番驚いているのが長老だったからだ。
「まあ、こうしててもしょうがないだろう。俺がすこし行って見る」
意を決してそう宣言したのは、ギンだった。
この中で戦闘能力や危機回避能力が一番高いのは、間違いなくギンだ。
狩人としての普段の経験がものを言っているのだろう。
森に入ってから周囲への警戒を一手に引き受けていることからも、その実力と周りからの信頼が見て取れる。
「頼むぞ、ギン」
「気をつけてな?」
仲間達に声をかけられ、ギンはコクリとうなずいてみせる。
ごくりと硬いつばを飲み干すと、荒地に向かって一歩を踏み出す。
そして。
ゴッ
見えない壁に顔面から激突した。
「ふぉぉおおお?!」
顔面を押さえ転げまわるギン。
どうやら相当痛かったらしい。
「ど、どうした?!」
「なにがあったんじゃー!」
大慌てでギンの周りに集まるアグニーたち。
ギンは顔や膝など、ぶつけたらしい場所を押さえながら涙目で見放された土地のほうに顔を向ける。
「な、なんか、見えない壁みたいのがあった…!」
「見えない壁?」
首を捻るアグニーたち。
その中で、長老が手をぽんと叩き、思い出したというように口を開いた。
「結界じゃ! 見放された土地は結界で封印されておるんじゃぁ!」
「へぇ。なんで?」
何気ない子供の質問に、長老は一瞬凍りついた。
すぐに復活すると、腕を組んで遠い目で説明を始める。
「大昔の戦争の折に、焼け野原になったここを神様が封印なさったのじゃぁ」
「なんで? 焼け野原になっただけなら、別に封印しなくてもいいんじゃないの?」
別の子供の質問に、長老は凍りついた。
しばらく固まった後、ゆっくりと口を開く。
「なんでじゃろう」
そう。
長老は、魔力枯渇のことなど知らなかったのだ。
それもそのはずである。
戦争のことや魔力枯渇などの見放された土地に関する詳しい情報は、大きな国で専門的な勉強をしているような人間しか知らない事実だ。
未だ情報伝達手段の確立していないこの世界の、しかも小さな集落で暮らしてきたアグニーには知る由も無い。
それでも、見放された土地に近づこうなどと考えるモノは居ない。
神が実在し、天使が国同士の話し合いに干渉するこの世界で、太陽神が出入りを禁じた土地に入ろうとするモノなど、居はしないのだ。
そんな近づきもしない場所が、何故どうして危険なのかなんぞ、長老の知るところではなかった。
というか、そんな生活に直接関係の無いような事を深く知ろうとは思って居なかった。
アグニーにとって見放された土地のことなぞ、対岸の火事どころか他所の国での出来事だ。
行きもしない国の現地ギャングの勢力図などを調べたりしないように、そもそも知ろうとも思わなかったのだ。
神様が入っちゃいけないって言ってるから、行っちゃいけないよね。
そのぐらいの認識であり。
神様が入っちゃいけないって言ってるから、絶対に入らないしね。
で、話が終わっていたのだ。
そのため、この結界の向こうは魔力枯渇地域であり、入ったら死ぬ。
などという知識は、長老でも持ち合わせていなかったのである。
「長老が知らないことを俺達が知るはずも無いしなぁ」
スパンはそうつぶやき、首をかしげた。
他のアグニーも同じような物で、呆然と荒野、見放された土地のほうを見ている。
そんな中。
一人の子供が、おもむろに足元の小石を拾い上げた。
思い切り片足を上げ振りかぶる。
そして。
その小石を、全力で結界に向かって投擲した。
カンッ
甲高い音を上げて、小石が弾き返される。
「「「おお……!」」」
なぜか、感動したような声が上がる。
それに釣られたように、他のアグニーたちも動き出した。
あるものは手で触れ、あるものは蹴ってみて、あるものは土を投げつける。
手触りとしては常温のガラスが一番近いのだが、アグニーたちは大きな一枚ガラスというものを見たことが無かったので、未知の感触だった。
「うわぁー。なんだこれー」
「なんだこれー。すげー」
「おもしれぇー」
顔面を押し付けて、不細工顔になってみるモノ。
よじ登ろうと無駄な努力をするモノ。
取り憑かれた様に棒で殴り続けるモノ。
見た目が子供なだけに、新しいおもちゃを得たお子様のような有様だ。
彼らアグニーは基本的に臆病だが、好奇心は旺盛だ。
こんな面白そうな物に、飛びつかないわけが無い。
実際、ギン、スパン、マーク、長老、以下、怪我人老人にいたるまで、全アグニーが横に並んで結界で遊んでいた。
このとき彼らの頭には、自分達の境遇や、ここがどういう場所かといったことは欠片も残っていなかった。
見た目が子供なだけでなく、行動も子供っぽい。
それがアグニーだった。