七十四話 「なにそれすごい。よくわかんないですけど」
この世界、「海原と中原」において、エンシェントドラゴンとは神に作られた種族だ。
土地を守り、管理するために作られた生物である。
生態系を維持し、生き物たちを見守り、調和を守る。
それが、彼らの務めだ。
そのように言えば非常に聞こえはいいが、ようするにそういう仕事を神に押し付けられた下請け業者の様なものであった。
本来は神がやるべき仕事なのだが、そういうのを面倒くさがったとある神が「んなら生物同士でやればいいんじゃね?」と、丸投げしたのだ。
神が無暗に影響を与えるべきではないから、といえばそれっぽいお題目をつけているが、本音は「そういうの考えるのダルイ」である。
不遇。
不憫。
そんな彼らの姿に、必死に奔走する自分の姿を重ね、太陽神アンバレンスも思わず涙を禁じ得なかったとかなんとか。
そんなエンシェントドラゴンの一匹が、見放された土地で呆然と立ちつくしていた。
目の前に広がる自らの巣に、戦慄を覚えていたのである。
数日前のことだ。
自分の巣穴をほっていたエンシェントドラゴンに、一人のガーディアンが声をかけた。
この土地の土地神である赤鞘が手ずから造った、土彦である。
彼女は穴掘りが苦手なエンシェントドラゴンに代わり、巣を作ろうと申し出てくれたのだ。
土で体を作られた土彦は、土の扱いがとても得意なのである。
巣穴といっても、必要なのはただの穴だ。
彼女の力があれば、あっという間に完成するに違いない。
エンシェントドラゴンは土彦の好意に甘え、巣穴を作ってもらうことにした。
天然のガーディアンであるエンシェントドラゴンと、赤鞘によって後から作られたガーディアンである土彦は、同僚といっていい間柄だ。
持ちつ持たれつ、時には借りを作るのも、円満な関係を作るための要素であるだろう。
今度は土彦が困っているときに、エンシェントドラゴンが手を貸せばよいのだ。
そうすることで、お互い仕事が円滑にすすんだりもする。
人間関係とはそういうものなのだ。
だが。
土彦が作り上げたものは、エンシェントドラゴンの予想の斜め上を突き抜けまくっていた。
出来上がったもののあまりのアレさに、エンシェントドラゴンはただただ立ち尽くすしかなかったのである。
完成の報告と、仕様説明を受けてから数時間がたっているが、まだその衝撃からは抜け出せないでいるのだ。
結局、エンシェントドラゴンが再起動したのは、夕方を過ぎて赤鞘がやってきてからであった。
日も沈み、あたりはすっかり暗くなっていた。
だが、意外なことに視界は良好である。
星明りに月明かり、そして、草一本生えていない地面からの照り返しがあるので、真っ暗ではなかったのだ。
そんな夜道をてくてくと歩きながら、赤鞘は上機嫌で鼻歌を歌っていた。
先ほどまで力の扱い方を教えていた精霊たちが、思いのほか優秀だったからだ。
精霊たちが土地の管理を補佐してくれるようになれば、仕事は大いにはかどることになるだろう。
最初は百年はかかると思っていた土地の調整だが、思いのほか早く終わりそうだ。
まず、かなりの頻度でアンバレンスが顔を出してくれるのが大きい。
位の高い神は、その存在だけで世界のバランスを保つ事が出来る。
太陽神にして最高神であるアンバレンスがいれば、どんな乱れた力の流れも落ち着きを取り戻すのだ。
そうなれば、あとは赤鞘の独壇場である。
素手と蚕の繭だけで絹織物を作り出すレベルのイカレた技術力にものを言わせ、一気に力の流れを整えればいいのだ。
まあ、それでも時間はかかってしまうのではあるが。
そこに今鍛えている精霊たちも投入すれば、さらに調整を加速する事が出来るはずである。
百年かかる予定だったが、八十年ぐらいで軌道に乗せる事が出来るかもしれない。
あまり変わりないように思えるかもしれないが、二十年の短縮と言えば印象はまるで違うだろう。
何せ、子供が生まれて成人する程の年月であるのだから。
最初は一人ですべてやらなければないかと思っていた赤鞘だったが、思わぬところで助っ人を獲得できるかもしれない、と、喜んだ。
一人でやるのと複数の手があるのとでは、まるで作業効率が違うのだ。
そういえば、と、赤鞘は昔のことを思い出した。
まだ、地球にいた時のことである。
一時期ではあるが、自分以外に二匹の妖怪の手を借りて土地の管理をしていたことがあった。
一匹は、土地の外からやってきた、いたずら好きの悪狐だ。
赤鞘の土地でイタズラしてまわっていたのをひっ捕まえて、本体である鞘でぼこぼこにシバキ倒したのである。
そして、落とし前をつけさせるために、土地の管理を手伝わせたのだ。
狐もなかなか優秀な助手であったが、もう一匹も実に優秀だった。
力はさしてなかったが、細かい作業が途轍もなく得意だったのである。
赤鞘の土地で生まれ育った化け狸だったのだが、技術面で言えば、赤鞘とどっこい位だっただろう。
ある時から、術を磨くための修行の旅に出たのだが、そういえば異世界に来ることを伝えていなかった気がする。
まあ、どうせ日本には毎年神無月には戻るチャンスがある。
その時に伝えればいいだろうと、赤鞘は考えた。
神無月は、さまざまな神が神宮に集まり、おもてなしを受けるのだ。
それこそ、アンバレンスの様な異世界の神もその権利を持っていた。
そこでさんざん飲み食いさせてもらい、楽しませてもらう代わりに、日本に色々と優遇をするのだ。
例えば、転生者の地位改善とか、チート能力の添付とかである。
恐るべきは、日本のおもてなし力、といえるだろう。
そうだ、出雲に行くときには、狸に土産でも持って行ってやろう。
異世界の珍しい品であれば、あれも喜ぶはずだ。
そこまで考えて、赤鞘の意識は二匹の「御使い」達との日々に飛んだ。
二匹ともいたころは、人間も多く、村もにぎやかだった。
どんなことがあっただろうと、赤鞘は記憶を探る。
しかし。
その多くは虫食いで、きちんとした一連の流れとなる記憶はほとんど残っていなかった。
記憶は経験であり、経験は力である。
赤鞘は雑魚神であり、力もない。
それは、記憶をとどめておけないということも示していた。
どんな印象に残ったことでも、長い年月を経ると忘れていってしまうのだ。
たとえそれが楽しいことでも、悲しいことでも、うれしかったことでも、苦労したことでも。
神になる前、まだ若い人間であった赤鞘には、なかなかにつらいことであった。
思い出そうにも、何を忘れたのかさえ思い出せないこともある。
ただ、忘れたことだけが心に残り、のどに刺さった魚の小骨のようにじくじくと痛みを感じるのだ。
もしかしたら、いや、確実に、いつか狐が死んだ時の事や、狸との出会いの事も忘れていくのだろう。
まあ、それも仕方がないことだ。
神になってから何十年か経った時に、自分で折り合いをつけたことである。
覚えておけないなら、せいぜいそれに悔いが残らないように、今を必死にやればいいのだ。
「まあ、とはいえ私にできることなんてほっとんどないんですけどねぇ……」
独り言をつぶやきながら、赤鞘は苦笑した。
地面にやっていた視線を上にあげると、赤鞘の目に大きな物体が飛び込んだ。
平坦な地面の上にそそり立つようなそれは、こしきゆかしいファンタジーなドラゴンの姿である。
「お、居ましたね」
赤鞘はにこにことした笑顔を作ると、少し足を速めた。
爬虫類というのは表情が読めないとよく言われるが、そんな贅沢なことを言っていられない者たちもいる。
日本神だ。
日本において爬虫類の神、つまるところ蛇や龍といった神の位が高い率は異常だ。
竜神について言えば、雑魚神であることがないといっても過言ではない。
大多数の神にとって、竜神、すなわち爬虫類神は上司なのである。
上司の顔色一つうかがえないようでは、日本で神などやっていけるはずもない。
神の社会の縦割りっぷりは、日本の体育会系高校の一千倍以上である。
うっかりご機嫌を損ねようものならば、タカマガハラあたりまで吹き飛ばされてしまうのだ。
そんなわけで、赤鞘は爬虫類の顔色、もっと言えば表情を読むことに長けていた。
そのおかげで、立ち尽くしているエンシェントドラゴンの呆然とした顔に気が付く事が出来たのだ。
まだ距離はあったのだが、それでもはっきりとわかるほどのその表情に、赤鞘は何かあったのかと首をかしげる。
まあ、とりあえず声をかけてみようと、赤鞘は口を開いた。
「エンシェントドラゴンさーん!」
「はっ?! 赤鞘様っ!」
声をかけられて正気に戻ったのか、エンシェントドラゴンはグルンと首をめぐらせた。
すぐに赤鞘の姿を確認すると、深々と頭を下げる。
「先日来になります。本日は御一人で、如何なさいましたか?」
「いえ。実は散歩がてら、色々土地の中を見て回ろうと思いましてね。今しがたは湖のほうを見てきて、次はエンシェントドラゴンさんの巣を見せてもらおうかと思ったんですよ。でも、すっかり遅くなっちゃいまして」
「そうでしたか。いえ。私共エンシェントドラゴンは、ほとんど睡眠を必要としませんので、お気になさらないでください。そうでしたか。巣を……」
苦笑する赤鞘に、エンシェントドラゴンは笑顔で返す。
だが、その目的が巣であったことを確認すると、急激にその表情が曇った。
その変化に、赤鞘は首をかしげる。
「ええ。土彦さんが完成したようなことを言っていたんので、見せてもらおうかなぁと。何か問題ありましたかね?」
「そうでしたか。いえ、でしたら見ていただくのが一番でしょう」
確かに言葉で説明するよりも、目で見たほうが早いだろう。
エンシェントドラゴンの爪は、少し離れた地面を指していた。
赤鞘は首をかしげながらも、指されたほうへと目を向ける。
そして、絶句した。
暗かったのでよくわからなかったのだが、エンシェントドラゴンの指差した場所には、巨大な穴が開いていたのだ。
それも、半端な大きさではない。
直径およそ200mの巨大な縦穴であった。
ちなみに赤鞘は土地の管理をする都合上、目測で土地の広さを正確に測ることが出来る特技を身に着けていたりする。
その赤鞘が見ておおよそ200mなので、実際に測ってみても狂いはほとんどなかったりした。
「な、なんですかこれ」
赤鞘はひきつった顔で、エンシェントドラゴンのほうへと顔を向けた。
自分の土地の中の出来事であればだいたいのことは把握できる赤鞘だったが、エンシェントドラゴンの巣と精霊たちの湖は例外である。
住みやすい環境を自分たちで作ってもらうために、管理をそれぞれに委託してるためだ。
エンシェントドラゴンはひきつった顔のまま、ゆっくりと首を振った。
「ご存知かと思いますが、実は巣を作るのを土彦殿にお願いしたのですが。あれよあれよという間にこのような状態になっておりました」
「いや、そうでしたか。裏ダンジョンだけにすごいことにはなるんだろうと思っていましたけど。まさかこう来るとは……」
「だんじょん?」
ぎょっとした顔で聞き返すエンシェントドラゴンだったが、赤鞘の注目は完全に目の前の穴に向かっていた。
まず穴の形状だが、ちょうどコップのような形をしていた。
上のほうが広く、下に向かって狭くなっていく形だ。
そこはかなり深く、少なくとも300mはあるようである。
穴の壁面には、それに沿うようにらせん状の道が刻まれていた。
時折途切れているように見えるが、どうやら壁沿いから離れ、外に向かって道が伸びているようだ。
外壁を沿って歩くだけでなく、地中の洞窟も歩かなければならないということらしい。
「なるほど。壁沿いをらせん状に攻略していく、縦穴式ダンジョンですか。土彦さん考えましたね」
ビビりながら感心するという器用なことをしながら、赤鞘はおっかなびっくり縦穴を覗きこむ。
夜であるため光源はあまりないのだが、赤鞘は夜目が効く方であったので問題なかった。
よくよく覗き込むと、一番下は開けた土地になっているようだ。
そこに大きな横穴が開いており、周りには何やら装飾が施されている。
石材などで作られたそれは、一言でいうとラスボス直前のゲートっぽい雰囲気を醸し出していた。
「あの、エンシェントドラゴンさんはどこに住むんですかコレ」
「底にある横穴だそうです。私は飛ぶ事が出来ますので、降りるのは簡単なのですが」
「えー。でもそうすると、空を飛んでショートカットしようとする不届きものが出てきませんー?」
赤鞘は若干険しい表情で首をかしげた。
古いタイプのゲーマーである赤鞘は、こつこつとゲーム上のレベルと同時に、プレイヤーレベルの上昇も貴ぶタイプである。
国民的ヒゲの土管工ゲームのショートカットでさえ嫌うほどなのだ。
赤鞘の言葉に、エンシェントドラゴンは「そういえば」と思い出すように答える。
「土彦殿によると、この穴の中を飛ぼうとすると底から障害物なしで姿を確認できるため、ブレスで簡単に焼き払えるとの事です」
「なん……すって……」
赤鞘はあまりの衝撃に、ぐらりと傾いた。
土彦の巧妙さに、衝撃を受けたのだ。
パラシュートなどの手段で降りようとすれば、成すすべもなくドラゴンブレスで落とされる事だろう。
有翼種であったところで、それは同じだ。
逃げる場所もない狭い空間では、叩き落されて終わりだろう。
だが、エンシェントドラゴンに認められたものであれば、ショートカットが可能だ。
もしくは、ドラゴンブレスをものともしない猛者であっても、ショートカットが可能だろう。
これはなかなかどうして、秀逸なバランスではないか。
チートや裏技は好まない赤鞘であったが、努力や技術が必要となるショートカットには肯定的であった。
国民的ヒゲの土管工のレースゲームでも、ドリフトとブーストを使って砂の上を突っ切るショートカットには肯定的であったほどである。
まあ、若い人たちにはわからない表現ではあるだろうが。
「流石土彦さんですねぇー」
しきりに感心する赤鞘の横で、エンシェントドラゴンは浮かない顔だ。
「私としてはただの穴で良かったのですが……なぜこんなことに」
「でも、エンシェントドラゴンさんの巣ですからねぇー。半端なことじゃいけませんよぉー。裏ダンジョンみたいなものですし」
「いえその、ダンジョンではないと思うのですが」
「へ?」
エンシェントドラゴンの言葉に、赤鞘は不思議そうに首をかしげた。
だが、すぐにピンとあることに気が付く。
考えてみれば、ダンジョンというのは人間から見た一方的な呼び名ではないだろうか。
いわゆるモンスターや魔獣たちから見れば、そこはただの住処だ。
住めば都という言葉もある。
自分の住んでいる場所を「ダンジョン」と言われたら、気分が良いものではないだろう。
「そうですよね。ダンジョンはないですよね。すみません」
突然頭を下げる赤鞘に、エンシェントドラゴンは大いに慌てた。
それはそうだろう。
神様に頭を下げられるというシチュエーションがあり得ないものであるという事を、エンシェントドラゴンはよくわきまえているのだ。
世の中には神様に土下座されても暴言を吐く学生がいたりするらしいが、そんな輩は消滅して然るべきである。
神に近しく、その偉大さを知っていればこそ、エンシェントドラゴンには神に頭を下げられるというのは恐ろしい衝撃であった。
「いえっ! そんな、頭をお上げくださいっ! 申し訳ございませんっ! 申し訳ございませんっ!!」
「いや、私の言い方が悪かったんですから。考えが足りませんでした」
神と竜による頭の下げ合いという、ある種神話的な壮絶な謝り合戦は、その後数十分ほど続いたという。
結局「エンシェントドラゴンの巣は一般の人間から見ればたぶんダンジョン」という事で落ち着いた一柱と一匹は、とりあえず中に入ってみようという事になった。
完成はしていたのだが、エンシェントドラゴン自身踏ん切りがつかず、いまだに中には入れずにいたのだ。
気持ちは分からなくもないが。
ひとまず一気にショートカットしてしまうのもなんだからという事で、一般の入り口であるという場所まで行くことにする。
そこにあったのは、洞窟の入り口と、そこに続く緩やかな下り坂であった。
流石に今の大きさのままでは入れないと、エンシェントドラゴンは魔法でその体を2mほどのサイズに縮めている。
質量保存の法則なんて丸無視だ。
何せこの世界の魔法は、神が世界を作るときに使った力なのだ。
その法則を定義づけている力を使っているのだから、使い方さえわかっていればその程度お茶の子さいさいなのである。
もちろん赤鞘には出来ないことではあるが。
「しっかし物々しいですねぇー」
「確かに何かが出てきそうですが」
洞窟の入り口をくぐってすぐ、赤鞘は自分の鞘に手をかけた。
エンシェントドラゴンもいつでもブレスを吐けるようにと口に魔力をため始める。
奥の方から、何かがこちらに近づいてくるのを感知したのだ。
だが、その気配を探ったところで、すぐに警戒を解いた。
どちらにもなじみのある気配だったからである。
暗がりからこちらに歩いてきたのは、微笑みを湛えた女性の姿であった。
後ろで髪をまとめ、白い貫頭衣に身を包むその姿は、さながら修道女のようである。
だが、赤鞘の目にもエンシェントドラゴンの目にも、それは人間であるとすら映らなかった。
「あらら。これは。驚きましたね」
「ええ。よくできています」
感心したように言う一柱と一匹の前まで来ると、女性はゆっくりと頭を下げた。
神と竜を前にしながらも、その動きには固さはない。
「ようこそ、エンシェントドラゴンの巣へ。私はここの維持管理を任されております、ゴーレムの一体で御座います」
「あー。やっぱりそうでしたかぁー」
納得した様子で、赤鞘はこくこくと頷いた。
神である赤鞘や、魔法の権化であるエンシェントドラゴンにとって、相手が何者か見抜くことなど朝飯前なのだ。
それが偽装しようとしていないのであれば、なおさらである。
「しかし、保守点検用のゴーレムさんですか。マッドアイとはまた別なんです?」
「はい。マッドアイネットワークとは独立した、独自のネットワークを持っております。この巣の内部だけに張り巡らされた、維持管理のためだけに特化したシステムです。マッドアイを最小単位とするあちらと違い、この巣の中にいるゴーレムは二種類のみとなっております」
「二種類? 大きさが、という事ですか?」
「はい。マッドアイネットワークは監視、情報処理、戦闘など、多方面に機能を求められますが、巣の中のネットワークは巣の維持管理、そして、戦闘のみを目的に作られています。ですので、私の様なマッドマンと、マッドトロルのみなのです」
にこにこしながらそう言う女性の説明に、赤鞘とエンシェントドラゴンは感心した顔を見せた。
システム自体にも感心した一柱と一匹であったが、何より驚いたのはマッドマンを名乗る女性の外見であった。
外見だけで言えば、まったく人間にしか見えないのである。
「この巣の壁面には特殊な魔法が刻まれており、マッドアイがなくても情報収集、伝達、蓄積が可能になっております。そのため、戦争と壁面が崩れた場合などの工事などの用途以外のゴーレムを必要としません」
「なにそれすごい。よくわかんないですけど」
赤鞘は難しいことはすこぶる苦手なのだ。
エンシェントドラゴンはそうでもないのか、納得したようにうなずいている。
「つまり、この巣全体が、一つのゴーレムのようになっているという事か。動かないだけで、知性や感覚などを持ち合わせている、と。恐ろしいな」
「そのようなご理解で、間違いないかと思います。ただ、ゴーレムといっても動くこともできず、内部の状況を見て、端末であるゴーレムに指示を出すだけのものです。また、知性と呼べるほど、複雑なものは未だ構築されておりません。今後エンシェントドラゴン様のお世話をさせていただいていくうえで、そういったものを学習、獲得していく可能性は御座いますが」
「そうか。では、今後よろしく頼む」
「はい。出来うる限り、尽くさせて頂きます」
エンシェントドラゴンは、元々巣の維持管理を他の種族に委託する習性のある生物だ。
穴掘りゴブリンと呼ばれるゴブリン達に巣を作ってもらい、維持管理、また、生活の手助けなどをしてもらう。
その代わり、エンシェントドラゴンは彼らを外敵から守るのである。
だから、巣を自分以外の何かが維持管理するということは、エンシェントドラゴンには特に違和感のないことなのだ。
そんなエンシェントドラゴンに、赤鞘は感心したような目を向けていた。
赤鞘は神様ではあるが、誰かに仕えられたり、何かをしてもらう事がほとんどない神生を送って来ている。
そんな赤鞘の目には、何かをされたり、仕えられることに慣れているエンシェントドラゴンが、とってもかっこよく見えたのだ。
人間の感覚で言うと、貴族の洗練された動きに憧れるようなものだろうか。
いつか自分もああいう動きが似合う、立派な神様になれるのだろうか、と、赤鞘は考えているのである。
でもまあ、無理なんだろうなぁー、と、心の中で結論を出しちゃうのが、赤鞘の赤鞘たるゆえんなのかもしれないが。
「では、さっそく巣の中をご案内させていただきたいと思います」
「おー。おねがいしますー」
「楽しみなような、恐ろしいような。微妙な心持ですが」
歩き出したマッドマン女性の後ろに続いて、赤鞘とエンシェントドラゴンは洞窟の中へと足を踏み入れた。
楽しみにしていたダンジョン探検に、赤鞘はうれしくてたまらないといった様子だ。
対して、エンシェントドラゴンは不安でたまらないといった様子である。
自分の巣穴がどんなことになっているのか、心配なのだろう。
とにかく、彼らは最初のエリアに足を踏み入れたのであった。
見直された土地は、いまだ生物の生息していないエリアが多い土地だ。
別にもう二度と生物がすめない、という事ではない。
単に長い間何も生物がいなかったせいで、生物がすむのに難しい環境になっているというだけなのだ。
その証拠に、見放された土地に残る荒れ地は、徐々に森に侵食されつつある。
荒れ地と森の境目であれば、森の恵みを得る事が出来るためだろう。
とはいえ、雑草すら生えない状態の見直された土地の荒れ地は曲者だ。
土地全体に雑草が生えるようになるだけでも、おそらく十数年はかかるだろうと、赤鞘とエルトヴァエルはよんでいた。
そんなわけで、現在見放された土地の荒れ地は、文字通りの「荒れ地」である。
生物の気配もほとんどない、いわば火星の表面のようなありさまだ。
エンシェントドラゴンの巣は、そんな荒れ地のただなかにある。
「ですので、現在は周りの状況に合わせ、あまり内部の生物は多くありません。第一階層が完成したばかり、といったところです」
「周りに動物がいないから、あまりたくさんの生物入れていないってことですかねぇー?」
「その通りです。ダンジョン内の生物は管理されてはいますが、いつどのように外で繁殖するかわかりませんから。現在は一部の生態系の下支えになる生物のみを導入しております」
巣の周りの生態系が豊かになるのに合わせて、巣の内部にも生物を入れていくという事らしい。
エンシェントドラゴンはいまいち分からなさそうに首をかしげているが、赤鞘は納得したようにうなずいている。
しばらく洞窟の中を歩いていると、先が明るくなってきた。
外に出たのかと思われたが、そうではない。
天井がきらきらと輝いているのだ。
「おわお。なんですかコレ」
「これは懐かしい。ハッコウゴケですな」
「ご存知でしたか。流石エンシェントドラゴン様です」
ハッコウゴケとは、暗い洞窟などの壁面に着く生物だ。
水分を魔力で分解し、光とエネルギーを生成する。
原種は淡く光る程度であったのだが、「穴掘りゴブリン」などが品種改良を施し、現在では地球の蛍光灯レベルの光度を誇っていた。
「あれ? でもこんな生物うちの土地にいませんよね? どこから持ってきたんです?」
赤鞘の疑問はもっともだろう。
こんなコケは、見放された土地には生えていないはずだ。
であれば、外から持ち込んだという事になる。
見放された土地をぐるりと囲む罪びとの森、その外の草原は、ステングレアの隠密が見張っていた。
大量の荷物を運びこむのは、相当に困難なはずである。
「はい。土彦様がお作りになられた、地下トンネルを使いました」
「あー……そういえばそんなものもありましたね」
赤鞘はぽむりと手を叩いた。
地下トンネルというのは、土彦がアインファーブルまで通した道の事である。
文字通り地下を通っており、かなりの隠密性と運搬力を誇っていた。
今後はそれを使うことで、安全に物資が輸出入が出来るという。
どうやら土彦はそれを使い、外部からエンシェントドラゴンの巣を構築するのに使う生物を持ってきたようなのだ。
「ん? 上は苔として。したのはなんです?」
赤鞘が指差した先には、背の高い芝生の様な草が茂っている。
驚くべきことに、その草の中にもいくつか光を放っているものがあるのだ。
「これは、ダンジョングラスと呼ばれる種類の草と、ケイコウソウを混ぜて植えてあります。ダンジョングラスはこのような洞窟内でもハッコウゴケの光源さえあれば茂る事が出来る草で、ケイコウソウはその名の通り光を発する草です。原理は、ハッコウゴケと同じですね」
「ダンジョングラスって。芝生みたいなもんですか? いろいろ種類はあるけどひとまとめで、みたいな」
「そうとらえていただいて間違いありません。数種類の草の種を、季節に合わせてまく予定です。根付けば、まく必要もなくなりますが」
ダンジョングラスというのは、だいたい勝手に生えてくることが多い草である。
エンシェントドラゴンの巣業界では、嫌われることの多い草だ。
巣の中は穴掘りゴブリン達が往来するので、単純に邪魔なのである。
エンシェントドラゴンはゆっくりと草に顔を近づけ、あることに気が付いた。
驚いて顔を跳ね上げると、マッドマンの女性に声をかける。
「この草むらに虫がいるぞ! それもデンコウチュウだっ!」
「はい。ダンジョングラスを食べる種類を選んであります」
デンコウチュウとは、ある種の虫の幼虫の総称である。
それらは毒やハリなどという身を守る武器を持つ代わりに、魔法で自衛を行うのだ。
その魔法というのが、デンキウナギなどと同じような、強力な電撃なのである。
デンコウチュウが大量にひそむ茂みにうかつに足を踏み入れると、たとえ大型の動物でも感電死してしまうほどだ。
「なにそれこわい。そんな虫がいるんですか。異世界ぱねぇですねぇー」
マッドマンの女性の説明を受け、赤鞘はじりじりとダンジョングラスから距離を取った。
半透明で実体を持たない赤鞘だが、電撃は怖いのだ。
後退しながら、赤鞘は目を凝らすように細めた。
洞窟の中はしばらく真っ直ぐに続いているが、そこにはみっしりとダンジョングラスが生い茂っている。
「まさか、この草むら全部に虫がいるんですか?」
「はい。まんべんなく配置するよう、定期的にマッドマンが巡回しています。私たちの体は泥ですので電気を通しやすいですが、生物ではないので水蒸気爆発を起こすレベルの電撃でなければあまり効きませんから」
「なんという地雷原」
赤鞘は表情を引きつらせながら、エンシェントドラゴンの後ろに隠れた。
なるべく草むらに近づきたくないらしい。
そんな赤鞘を見て、マッドマンの女性はにっこりと笑う。
「ご安心ください。この巣に配置してある生物には、赤鞘様、ガーディアン様方、また、赤鞘様がお認めになった住民は一切攻撃しないよう、呪詛と術式を多重にかけてございます」
「あ、そうなんですか。なんかすごく安心できない気がしますけどわかりました」
基本ビビりである赤鞘に、安全装置があるから平気だという説明は効果が薄いようである。
おっかなびっくり顔をのぞかせながら、赤鞘は草についている虫を凝視した。
でっかいアゲハチョウの幼虫の背中に、二本の角が出ているような虫である。
それもやわらかい奴ではなく、金属っぽい固そうなやつだ。
幼虫のくせに一端に甲虫っぽいパーツがくっついているわけだ。
「現在は周囲の生態体系に合わせておりますので、一階層にいるのはこの程度です。第二階層にはこれのほかに、ダンジョングラスを食べる小型草食動物を配置する予定です。候補に挙がっているのは、ミサイルバニーでしょうか」
「ミサイルバニー? なんですかそれ」
「額にある角を、ミサイルのように飛ばし、命中すると爆発させる攻撃的なウサギの一種です」
「いや、そもそもウサギに角ついているというのが私には衝撃なんですが」
ひきつった顔で返す赤鞘だったが、マッドマンの女性はにっこり笑顔だ。
それを見て、しばらく黙っていたエンシェントドラゴンがゆっくりと口を開いた。
「赤鞘様。これはダンジョンですな」
「ダンジョンですね」
赤鞘とエンシェントドラゴンの心が一つになった瞬間であったという。
結局、赤鞘たちはここで後ろに引き返すことにした。
これ以上奥を見ると胃とかがやられそうだったからだ。
エンシェントドラゴンは元の大きさに戻り、赤鞘をその背に乗せた。
樹木の精霊たちのもとに、送り届けるためである。
「いやぁ、すみませんねぇー、乗せてもらっちゃって」
「かまいません。赤鞘様を背の乗せる事が出来るというのは、むしろ光栄です」
エンシェントドラゴンの背に乗り、赤鞘は楽しそうに目を細めた。
ぐるりとあたりを見回すと、森や海が目に入る。
そこで、赤鞘は海上に不審なものを見つけた。
遠くからこちらに迫ってくる、嵐の気配だ。
大風の多い土地である日本の神であれば、だいたいは嵐を感知する能力に優れている。
赤鞘も多少は、その能力を有しているのだ。
「参りましたね。台風ですか。荒れますかねぇー」
のんきそうにつぶやきながら、赤鞘はうなり腕を組んだ。
この嵐が雨風だけで無く、多少厄介なものをいくつか運んでくることになるとは。
赤鞘は一切、予想していなかったのであった。
嵐が迫る見放された土地。
その雨風に紛れ、土地へと近づく影が二つ。
それとは別に、アインファーブルにも新たな困ったチャン達が集結しつつあった。
赤鞘とキャリンの胃は、この窮地を乗り越えることができるのかっ!!
次回「いろんな奴らが来る」
どうぞお楽しみに!