第六十九話 「二人とも、そろそろ始めますか?」
ギルド長であるボーガーは、常に多忙だ。
国との交渉や、魔力販売価格の決定など、彼でなければ決められない事柄は多数存在している。
立場上、自身がその場に行かなければならないことも多く、アインファーブルに長くとどまっていることは稀であった。
今も、チャーター便でギルド本部に戻ったばかりであり、十二時間後には別の大陸に飛ぶことが決まっているのだ。
態々ここに戻ってきたのは、会議に出席する為であった。
会議が始まるまでまだ時間はあったが、その間にも処理しなければならない書類などが山のようにある。
数日振りに自分の執務机に付き、ボーガーは眉間を指で解しながら、ため息を付いた。
「やれやれ。年寄りには堪えるな」
そんなボーガーの言葉に、机の前に立つ有翼人の男性は苦笑を漏らした。
壮年に見える彼は、アインファーブル冒険者ギルドのギルドマスターであった。
アインファーブルにあるのはギルドの本部であるが、通常のギルドとしての役目も当然必要である。
その「通常のギルド」の総責任者が、この有翼人男性である、ギルドマスターなのだ。
「貴方が年寄りなのでしたら、私も年寄りですよ。もっとも、おかげさまで私はそういった台詞とは無縁でありますが」
「おいおい。君も私と変らんだろう? 自分だけ若いというつもりかね?」
顔をしかめるボーガーに、ギルドマスターは思わずといった様子で笑う。
それを見て、ボーガーも声を出して笑った。
「なに、気持ちの問題です。ギルド長という仕事は激務ですから。気合が必要なのです。思っていても年寄りだなどと言っていては、本当に体が付いてこなくなりますよ」
「なるほど。そういうものかね。参考にさせてもらおう」
ボーガーの言葉に、ギルドマスターは満足そうに頷いた。
実際、彼等二人の年齢は、そう離れていない。
だが、経歴は全く違っていた。
現在でこそギルドマスターをしている壮年の男性だったが、元々は軍隊に所属する軍人であったのだ。
事情があり国を出奔したところを、ボーガーがその能力を買ってギルドに引き入れたのである。
二人がそんな会話をしていると、机の上に置かれた箱のようなものが甲高い音を発し始めた。
黒塗りのそれは、ギルド内での通話専用の通信機であった。
ボーガーが受信ボタンを押すと、相手の名前が表示され、声が響いた。
「ギルド長、急ぎのご報告が有ります」
「どうしたんだね?」
表示された名前と声を確認して、ボーガーは眉をひそめた。
通信を入れてきた相手は、訓練施設や実験場などの設備を管理する責任者であったはずだ。
そんな人物が、何故急ぎの報告などする必要があるのか。
ボーガーには全く見当が付かなかったのだ。
「何か動きがあったら報せるようにと通達が来ている、件の水彦という青年が第三訓練場の使用許可を求めて来ています」
「訓練場?」
「はい。訓練というより、試合というのでしょうか。二人での戦闘訓練に使うとかでして……」
「ほぉ。面白そうな話だな」
「ギルドマスター? ご一緒でしたか」
通信主の声に、驚きの色が滲む。
どうやら、ボーガーの部屋にいることを知らなかったようだ。
「いや、丁度よかったかもしれません。使用許可は出すつもりなのですが、試合の内容は記録しますか?」
ギルドは、写真のような絵を残す技術だけでなく、映像を残す技術も保有していた。
その映像を離れた別の場所に送る技術も持っている。
「そうだね。それと一緒に、私の部屋にライブで映像を送ってもらえるかな?」
「私もここで拝見させて頂いてもいいですかな?」
「それはありがたいね。私は実戦というやつを良く知らないから。解説を頼めるかな?」
「分かりました。とはいえ、相手はボーガーギルド長のメガネにかなう使い手という話ですからな。私にその腕が見切れるかどうかは分かりませんが」
「はっはっは! “長い腕の”コルトバンに分からなければ、私には全く未知の領域だよ」
「また古いことを。今ではただの老人ですよ、私は」
「ほう」
ギルド長、コルトバンの言葉に、ボーガーは意外そうに眉を上げる。
「知人の言葉なのだがね。思っていても自分が老人だ、などとは言わないほうがいいそうだよ」
してやったりといった表情で、ボーガーは言った。
コルトバンはやられたというように顔をしかめる。
だが、すぐに二人は噴出すように笑いあうのだった。
第三、と大きく壁に書かれた其処は、ギルドが保有する屋内訓練施設の一つだった。
四方50m、天井までの高さは10mという、四角い空間だ。
窓は殆どなく、完全に壁に囲まれた空間であるにも拘らず、内部はとても明るかった。
天井そのものに、発光魔法が組み込まれているのだ。
何よりも驚くのは、中に風があることだろう。
ところどころに開いている僅かな穴から、空気が噴出しているのだ。
勿論、これもギルドがもつ魔法技術の一つである。
訓練施設の壁の一部は、透明なものがはめ込まれ、内部が見えるようになっていた。
嵌め殺しにされているそれは、ガラスの様に見えるが、別の物質である。
かなりの強度を誇っていて、地球の手榴弾を喰らってもビクともしない。
その窓の向こう側は、内部を見るためのスペースが有った。
様々な機器が並び、座って観戦する為の椅子なども置いてある。
今そこに座っているのは、トナック達酔っ払い軍団であった。
「あっはっはっは! でっけぇなぁ、ギルドの施設ってのは!」
「見ろよあのモニタ! ありゃ魔力画像化システムにサーモグラフィだぞ! 他にもいろいろ積んでんじゃねぇの?!」
「早く炭おこせ、炭! 肉がやけねぇだろうが!」
正確には、ほとんどのものは座っていなかった。
冒険者相手の商売のものが多いだけに、ギルドの最新設備の揃ったここは、彼等にとって大いに興味の引かれる場所であったようだ。
ギルド職員が必死に彼等を止めようとしているが、全くの無駄だった。
何せ暴れているのは、冒険者相手の商売をしている、師匠や店長、親方などと呼ばれている人種なのである。
ペーペーのギルド職員が相手にするには、荷が重い相手なのだ。
「ちょっと?! 炭は! 炭はやめて下さい! スプリンクラー回りますから!」
「ああん?! 炭で焼いた肉はなぁ、うまいんだぞ!」
「そういうことじゃありませんよ?!」
「しかしいい機体だなこれ。積んでるプログラムも最新か?」
「中はどうなってるんだ。何乗せてんだ? バラすか」
「ばらさないで下さい! 駄目だ人手が足りない、もっと人数呼んでこい!」
「参ったなぁ、この時間うちの部署に人残ってたっけ?」
ぼやきながらも、ギルド職員の一人が外へと駆けて行く。
ギルドの訓練施設を使うのは、主にギルドの訓練生と冒険者だ。
訓練生は昼間施設を使うことが多いが、冒険者は夜に使うことが多かった。
昼間は森や洞窟で、魔獣魔物を狩っているからだ。
冒険者が訓練をしているのであれば、ギルド職員が常駐していなければならない。
だが訓練生の場合は、教官がいるのでその必要がなかった。
必然的に、訓練施設の管理をしているギルド職員の仕事は、夜が中心になる。
昼間である今の時間は、殆どの職員はまだ出勤してきていないのだ。
だが、それはあくまでギルド職員達の事情である。
既に酒が入って出来上がっているおっさん達には全く関係がなかった。
おっさん達はギルド職員が止めるのも聞かず、あるいははったおしてギルドの最新技術が詰まった訓練施設を蹂躙しているのだ。
訓練施設の中から窓の向こうの様子を見つつ、キャリンは深いため息を吐いた。
キャリンは、生まれも育ちもアインファーブルである孤児だ。
まだ魔獣と戦えないぐらい幼かったころは、工場や店などで雑用をこなし、小銭を稼いでいた。
だから、この街の主だった親方や店主は顔見知りだ。
その気質は良く知っている。
彼らは生粋の技術者であり、その販売者達だ。
そんな彼等を、最新技術の塊であるこの場所につれてくればどうなるのか。
結果はご覧の通りである。
今日常駐していたギルド職員達は、運が悪かったと思うほかないだろう。
そして、もう一つの懸念材料も、着々と準備を進めていた。
素振りをしている水彦と、ギルドの訓練施設に感心しきりの門土である。
「いやいや! これはなんとも、驚くべき建築物でござるな! 魔法文明の進んだ場所とは、この様になるものでござるか!」
「すすんだかがくは、まほうとくべつがつかないっていうけどな」
「ほう! なるほどなるほど! たしかにその様にあるかもしれませぬな!」
海原と中原にも、科学という概念は存在し、技術としても確立していた。
魔力を持たない種族もいるので、ある程度そういったものもないと生活が成り立たないのだ。
そう、例えばアグニーとか、である。
「あの、二人とも、そろそろ始めますか? なんか向こうは向こうで大変みたいですし」
言いながら、キャリンは窓の外を指差した。
酔っ払ったおっさん達が、ギルド職員達と押し問答をしていた。
このあたりはギルドのお膝元の都市であり、おっさん達は冒険者相手の商売をする親方や店主たちである。
ギルド職員も、立場上殴って黙らせたり出来ないようだ。
彼等も水彦と門土の試合を見たがっていたが、まあ、この場合見れなかったとしても悪いのは当人達だろう。
どうせ酔っ払っているのだし、文句が出たとしても酔っ払ってるのが悪いと言いくるめられるかもしれない。
「おお。おれはそれでいいぞ」
「それがしも異存ございませんぞ!」
「じゃあ、はじめちゃいましょうか」
キャリンの言葉に合わせて、水彦と門土の二人は中央のほうへと歩き始めた。
キャリンは、端のほうへと動き始める。
邪魔に成らないようにするためだ。
冒険者というのは、例え剣士だろうが飛び道具を隠し持っていることが多い。
どんな状態でも戦えるようにする為だ。
剣士であれば、目潰し用の閃光弾を持つものも多い。
審判役であるキャリンが近くにいては、そういったものに巻き込まれることがあるかも知れない。
冒険者同士の試合で審判役をするときは、かなり気をつけないと自分も大怪我を負うことになるのだ。
ある程度距離をとったところで、振り返る。
水彦と門土が向かい合って立っているのを見て、キャリンは一瞬だけ眉をひそめた。
間合いが広すぎるように感じたからだ。
だが、水彦も門土も、その間合い以上に近付こうとはしない。
特に水彦は、それ以上先は危険だとでも言うようににじりともしていなかった。
すぐにその理由に思い至り、なるほどとキャリンは頷いた。
兎人は、他の人型の生物よりも圧倒的に脚力が強いのだ。
獣を二足歩行にしたような、いわゆる獣人の中でもそれは抜きん出ていた。
脚力の強さで言えば、兎人は馬にも勝っているのだ。
化け物染みているといって差し支えない脚力から来るスピードと、片刃で切れ味に重点を置いた特殊な剣である刀。
それらが、兎人を戦闘種族と言わしめる理由である。
キャリンの記憶がたしかなら、確か水彦は兎人を知らないといっていたはずだ。
ならば、その足の速さの事も知らないと思って居たのだが。
水彦の動きを見るに、どうやらここまでの門土の動きだけで、兎人の特徴を見抜いているようだった。
やはり水彦は、ただの残念な子ではないのだ。
そう、キャリンは思った。
若干失礼な物言いだが、実際残念な子なので仕方がないだろう。
キャリンは、手に持っていた小さな箱のようなものを操作し始めた。
ボタンが幾つも並んでいるそれは、戦闘記録をとるためのスイッチである。
実は既にギルド側が幾つもの機器を稼動させていて、映像もボーガーの元にライブで送られていたりするのだが、キャリンはそんなことは知らない。
「じゃあ、好きなタイミングではじめて下さい」
戦いの合図のようなものはしない。
二人とも同じようなスタイルの戦い方をするので、そのリズムに合わせたほうがいいだろうと考えたからだ。
どう挨拶したものかと少し考え、門土は結局いつもの様に切り出すことにした。
相手は野真兎のサムライではないので、剣術の試合のときのような挨拶でいいのか少し迷ったのだ。
だが、門土はそれほど世界の事に詳しいわけでもない。
どのような挨拶が一般的なのか、良く分からないのだ。
「湖輪一刀流、門土常久」
その名乗りを聞き、水彦は僅かに目を見開いた。
異世界だというのに、聞き覚えのあるような名乗りをされ、驚いたのだ。
「まつばしんでんりゅう、みずひこ」
松葉新田流。
それが、水彦の、赤鞘の流派の名前だ。
赤鞘の父が作った流派で、使い手は恐らく生前の赤鞘と父、兄弟達だけだろう。
実際、長年地球で神様をしている赤鞘だったか、とんと他の人間が使っているという話は聞いたことがなかった。
まあ、十中八九潰えたのだろう。
そういう意味では、赤鞘と、その記憶と経験を一部与えられている水彦が唯一の伝承者になるのだろうか。
もっとも、そんなご大層な流派でもなんでもなく、平々凡々とした剣術なのだが。
水彦の名乗りに、やはり門土も驚いていた。
人間のサムライというのは、門土が知る限り存在していない。
同じように返されるとは思っていなかったのだ。
だが、これはこれで面白い。
そう、門土は思っていた。
どうも水彦は、自分と似たような文化の中で生きてきたようだ。
ならば、もしかしたら剣術そのものも似ているかもしれない。
一体どんな技を使うのか。
そんな考えが、門土の頭の中に浮かんで来ている。
とはいえ、それ以上考える必要はないだろう。
実際に立ち会ってみれば、いやでも彼我の戦い方の差など分かるのだ。
水彦はかなり気をつけながら、門土との距離を測っていた。
踏み込むのと同時の斬撃というのは、非常に避けにくい。
止まっている状態からいきなり高速で剣を振り抜かれれば、目が慣れていない分厄介だ。
脚力が強く一歩で進むことが出来る距離が長いというのは、そのまま射程距離が長いということを意味する。
少なくとも、水彦が知る剣術ではそうであった。
恐らく門土もそうなのだろうと、水彦は当たりをつけていた。
そう考えれば、兎人というのは成るほどサムライに向いた種族なのだろう。
まだ距離があると思って油断していたら首が飛んでいました、なんてことは珍しくないはずだ。
であれば、一歩の間合いが門土に劣る水彦が最初の一手を取れる確率は相当に低いだろう。
銃の早撃ちのようなもので、剣術でも最初の一太刀というのは恐ろしく重要だ。
それを奪われる前提で戦いを組み立てなければならないというのは、正直辛くは有る。
ボクシングで言えば、最初に一発殴られてから試合を始めるようなものだ。
それで決まってしまう恐れもあるだけに、気を張っていなければどうなるか分からないだろう。
狙うとしたら、門土が切り込んでくる一瞬だろうか。
一歩を踏み出しながら刀を振り始めたその瞬間、相手よりも早く刀を相手に叩き込むのだ。
相手よりも遅く動き始め、相手よりも早く刀を当てる。
たしか「後の先」とかいっただろうか。
なんだか長ったらしい剣術兵法の話を聞いた覚えが赤鞘の記憶にあったが、つまるところ剣での勝負などというのは如何に相手を上手く斬り殺すかに尽きる。
昔、そう結論付けたのを思い出す。
要するに、そのとき聞いた話が理解できなかったのだ。
兎に角、やるべきことは決まった。
後はその瞬間を見逃さないようにするだけである。
こう見えて、水彦はそういう戦い方が得意なのだ。
水彦の構えを見て、門土はその意図について考えていた。
恐らく、先に攻撃を仕掛けてくるつもりはないのだろう。
人間と兎人では、一歩の間合いが違いすぎる。
定石ならば、後の先を狙う所だろう。
兎人を数時間前まで知らなかった人間が、その定石を知っているものだろうか。
いや、と、門土はその考えを否定した。
相手はサムライなのだ。
例えそんなことを知らなかったとしても、一度刀を持って向かい合えばおおよその事は分かる。
おおよそサムライという人種は、そういうものなのだ。
平和になった故郷を、戦いたいからという理由で出て行くような手合いである。
常日頃から、切り結ぶことしか頭にないのだ。
そこまで考えて、門土ははたと気が付いた。
サムライというのは兎人にしかいないものであるはずだ。
にも拘らず、自分は目の前の少年をサムライであると考えていた。
奇妙な話だ。
何故そんな風に思ったのか。
簡単な理由だ。
刀を構える姿を見れば、一目でそうだと分かる。
殺し合いであるはずの刀での戦いに魅了された、それしか出来ないものの姿だ。
どうしてすぐに分かるのだろうか。
実に、実に簡単な理由だ。
門土もその一人であるのだから。
気が付けば、門土は大きく横に構えていた。
門土が持つ、もっとも速い斬撃を繰り出すための構えである。
はて、何故こんな構えを取っているのだろうか。
門土は自問する。
水彦の様子をうかがいながら、隙を窺うつもりであったのに、何故こんなすぐにでも襲い掛からんとするような構えを取っているのだろうか。
僅か数瞬ではあったが、答えが出るのには時間が掛かった。
門土は要するに、我慢が効かなくなっていたのだ。
目の前のサムライと戦いたいが故に、全くの無意識で構えを変えていたのである。
門土の口が、ニヤリと釣りあがる。
実に、実に愉快ではないか。
ならば最初の一太刀、全力の一太刀を繰り出してやろう。
後の先も取れぬような、気が付けば首が胴から離れているような、瞬きすら許さぬような一太刀を見せてやろうではないか。
兎人が得意とするそのような剣術は、湖輪一刀流がもっとも得意とする業であるのだから。
門土の構えが変わった次の瞬間、水彦の耳に飛び込んできたのは、ドカンという爆発音であった。
それが門土が地面をけった音であると気が付くよりも早く、刀は水彦へと迫っている。
つばぜり合いに持ち込むのは不可能だ、と、水彦は判断した。
刀というのは、斬鉄剣とも呼ばれる「鉄を切ることが出来る剣」だ。
扱い方次第で鉄骨も切り裂くことが出来るのである。
恐ろしく鋭すぎるそれは、かえってまとわり付くような柔らかいものを斬りにくくなるという奇妙な欠点まであった。
戦国時代のサムライは、鎧の下に濡れた和紙を仕込んで居たのだが、これは刀によって切り裂かれない為である。
鉄板で作られた胴であっても切り裂く刀ではあったが、和紙を切ることは苦手だったのだ。
だがそれは、「鉄であれば、刀は切り裂くことが出来る」ということを意味している。
刀も鉄で出来ている以上、その例外ではないのだ。
門土の刀は十二分に速度も乗り、攻撃のために今まさに振りぬかれようとしていた。
それを刀で押さえ込もうとすれば、どうなるか。
まるで大根か何かの様に容易く切り裂かれ、おそらくはそのまま水彦もただではすまないだろう。
良くて片腕を持っていかれるか、悪ければ即死か。
今もっているのは木刀であるとはいえ、これは実戦を模した戦いなのだ。
事実を無視することは出来ない。
水彦は膝に力を込めると、思い切り横に向かって飛んだ。
すれ違いざまに刀を振るうことも考えたが、それはとても間に合わないと判断していた。
構えた刀を下げ、地面を蹴る。
門土は水彦の横をすり抜けるようにしながら、刀を真横に凪ぐように振るった。
振るう速度と、踏み込みの速さを乗せた、まさに神速の一太刀である。
水彦は、判断の誤りを痛感する。
滑るような、剃刀の様な斬撃だ。
叩きつけるような一撃ではなく、刃を当て滑らせるようにすることで切り裂くその業は、まさにサムライの一太刀と呼ぶに相応しい物であった。
元来刀というのは、物を切るときに力を入れる必要がない特殊な剣なのだ。
物に当て引くだけで、するすると刃が対象物に埋まっていくような、そんな理不尽さこそが刀という武器なのである。
この兎人の門土というサムライは、そのことを良く知っているのだ。
そう、水彦は思った。
鳥獣戯画に出てくるような兎のこの男は、間違いなくサムライなのだ。
そのことが、水彦にはたまらなく嬉しかった。
最初の一太刀を避けられたものの、門土には焦りも苛立ちも一切なかった。
心を支配するのは、嬉しさだけである。
水彦がこの一太刀を刀で受けるのではなく、避けることを選んだのがとても、とても嬉しかったのだ。
門土は、この一撃に絶対の自信を持っていた。
事実、持つに相応しいだけの圧倒的な一太刀である。
剣で受ければ剣を切り裂き、盾で受ければ盾を切り裂く。
今まで実戦の中、門土のこの一太刀を受けようとして腕や足を失ったものは、一人や二人ではないのだ。
つまり、水彦はこの一太刀を、そういう種類の一撃であると見抜いたのだ。
なるほど、なるほどこれは、サムライである。
まさしくサムライではないか。
門土にとってサムライである、ということの定義は、実に言葉にしにくいものであった。
曖昧でいささか複雑な基準では有る。
だが、その「サムライである」ということの意味は、途轍もなく大きい。
そして、自分が認めたサムライが、自分の一太刀を避けるに値すると評価したことも。
自分が認めた相手が、自分を認めた。
実に自分勝手で分かりにくい基準では有る。
そうと分かってはいても、門土にはそれが嬉しかったのだ。
全く度し難いものだと、門土は我ながらに思っていた。
だが、それでいいのだ。
戦いを求めて平和を捨てるなど、そういう訳の分からないもののすることである。
どうしようもない馬鹿のすることだ。
とどのつまり、自分はどうしようもない馬鹿なのである。
ならばそれ相応に、戦わねばならないだろう。
自分の腕を認めてくれた水彦に、それ相応の礼をしなければならない。
その礼の返し方は、当然刀である。
足で地面を削り、体を思い切り後ろに倒す。
加速を殺し、反転する為だ。
最高速で踏み込んだその体に乗った勢いは、水彦の横をすり抜けてなお収まらなかったのである。
刀を持たない片手も地面に突き、がりがりと勢いを削いでいく。
だが、完全に止まりきるのを待ってくれるほど、水彦も甘くはなかった。
横に飛び退いた無理のある体勢であった水彦だが、門土ほど構えを戻すのには苦労しなかったようだ。
大上段に刀を振り上げ、今まさに振りぬかんとする瞬間であった。
立て直しが早い。
思わず感心する門土だったが、そうばかりもしていられない。
地面を腕で押し、その反動と足を使って身体を跳ね起こす。
後ろへ身体を引く様にしながら立ち上がるその頭に、僅かに何かがかするような感触。
そう、水彦の木刀は門土の頭の毛を僅かに掠めていたのだ。
しゃがんだままの状態であったなら、確実にとられていたことだろう。
門土の額に、僅かに冷や汗が滲む。
だが、水彦の剣はまだ止まっていなかった。
そのまま地面に当たるかと思われた切っ先が、突如として方向を変える。
上向きになった刃が、水彦の踏み込みと共に下から上へと振るわれたのだ。
袈裟斬りを狙うかのような構えではあるが、それは違うと門土は見ていた。
おそらくは、足を狙ったものであろう。
体の勢いを殺す為、力を入れている足を狙っているのだ。
実際、思い切り力を入れた直後というのは、柔軟に足は動かないものでは有る。
それでも相手の意図に気が付いてさえしまえば、避けようはあるのだ。
木刀に狙われた足を地面から離し、後ろへと投げ出す。
水彦とは反対側の、背中のほうへと体重をかけながら、片足に力を込め地面を蹴る。
前のめりに成りながらの一振りは、やはり足を狙ったものであった。
水彦の木刀は空を切り、門土は数歩たたらを踏んで地面に脚を付く。
危うくはあったが、何とか避ける事は出来た。
門土は嬉しくてたまらないというように笑顔を作り、再び刀を構えなおした。
今の距離も、水彦の一歩には長く、門土の一歩には短い間合いである。
門土はじりじりと足で地面を擦りながら、僅かずつ距離を離し始めた。
「いやいや。よもや一太刀目を避けられただけでなく、すぐさま切り返されるとは。二太刀三太刀と続けるつもりだったのでござるが」
「さいしょはやいぶん、つぎがどうしてもおそくなるからな。さいしょをよけられれば、あとはどうにかなる。もっとも、よけるのでていっぱいだったけどな」
「まったくそのようには見えぬのでござるな。全く気をつけなければ、自分で飛び込んでおきながら首が飛ばされそうでござるな」
「それができればいいんだけどな。そうなるまえに、おれのはらがかっさばかれそうだ」
門土と水彦の会話を聞きながら、キャリンはあんぐりと口をあけていた。
そのリアクションの理由は、とりあえず二つだ。
まず一つ目。
キャリンには門土の最初の一太刀が、霞むようにしか見えなかったのだ。
彼の動体視力は、けして低くはない。
矢を掴むとまでは行かないが、投げナイフを掴むことぐらいならやってのけられる。
そのキャリンの目で、かなり距離が開いているにも拘らず。
門土が踏み込んだ瞬間、キャリンの目からその姿が掻き消えたように見えたのだ。
幾ら俊足自慢の兎人とはいえ、これほどのものはそうそう居ないだろう。
全くいないとは言わない。
それは、兎人が得意とする魔法にもかかわったことであった。
彼らは、自身の身体能力を上げる魔法を得意とするのだ。
それを使えば、まさしく兎人は「目にも止まらぬ」存在にすら成りうる。
だが、しかし。
驚いたことの、二つ目である。
門土も、水彦も、お互いに魔法を使っていないのだ。
キャリンは、二人に間違いなく魔力があることを観測していた。
彼は立派な冒険者であり、確かな実力者だ。
二人が魔法を使えるかどうかぐらい、見さえすれば簡単に分かる。
発動しているのを見れば、おおよそどんな魔法かもつかむことが出来るのだ。
だが、しかし。
しかしである。
キャリンは今の僅かの間に、二人が魔法を使っていること全く感知できなかったのだ。
こう見えてもキャリンは、分類的には「魔法使い」に区別される冒険者である。
目の前で魔法を使われて、気がつかないなどということはまずありえない。
キャリンに気が付かれずに魔法を使うことが出来るものなど、世界中の冒険者の中でも数人だけだろう。
それが門土や水彦のようなあからさまな剣士であれば、皆無であるといってもいい。
キャリンの目の前で魔法を使い気がつかせないというのは、地球で言えば目の前で拳銃を使ったのを気が付かせないというような、異次元の腕前が必要になるのだ。
とてもではないが、二人にそんな魔法の腕前があるようには見えない。
では、どういうことだろう。
答えは一つしかない。
二人は今の、魔法を使わないであのようなやり取りをして見せたのだ。
魔法が当たり前にあるこの世界で、魔法が使えるものがそれを使わず戦うというのは、途轍もないハンディを背負って戦うのと同義だ。
言うなれば、足を動かさずボクシングをするようなものである。
まして兎人のサムライといえば、身体強化のスペシャリストの代名詞だ。
つまり門土は、まだまだ、もっと早く動くことが可能なのだ。
そして、水彦もまだ魔法を使っていない。
二人ともまだまだ余力を残し、小手調べをし合っているような状態だ。
にも拘らず、この有様である。
「もうやだ。帰りたい」
思わず本音が口をついて漏れた。
悲痛な想いでは有ったが、勿論そんなことが許されるわけもない。
出来れば怪我だけはしたくないな。
じりじりと門土と水彦から距離を取りながら、祈るような気持ちでそう思うキャリンであった。
69話って卑猥な響きですよね。
何でかわからないよい子は、お父さんかお母さんかおねぇちゃんかおにいちゃんに聞いて見よう!
あまらに聞けって言われたって、だめだからねっ☆
つーわけで試合開始です。
なんか思った以上に長くなりそうなので分割しました。
久しぶりに一万文字超え。
うーん。
長い。
さて。
とりあえずの設定を作っております。
http://ncode.syosetu.com/n1069bs/ <こちら
外伝である「ウォーゴブリン転生日誌」と共同の資料なのですが、ほっとんどかかけてませんね。
さーせん。
なんかちょっとずつ埋めて行こうと思います。
色々予定が変わってしまいますが、この後「ウォーゴブリン転生日誌」のほうを書いて、その後こっちを書く予定にしました。
最後に更新したの先月の16日だったんですよね。
ガンバラナイト。
さて、次回は。
壮絶な試合の決着は。
はたしで、勝つのはどっちなのか!!
次回「クローワン VS 油揚げ窃盗怪鳥人トンビート(後編) 決着! クローワン奇跡の大勝利!!」
どうぞご期待ください。