六十六話 「ベニヤ板がいいです……」
何とか腹痛から回復したエルトヴァエルを囲み、アグニー達は会議を開始した。
最初の議題は、赤鞘を祭る神殿についてだ。
素材は何を使うのか、規模はどの程度のものなのか。
まずは基本的なことから決めなくてはならない。
アグニー達は神を祭る神殿など、作ったことは無かった。
ただ、とりあえずでかくなくちゃいけないのだろうということは、何とはなしに思っていた。
地球でも宗教建築というのは大体でかい。
神の威光をあまねく知らしめるためとかいろいろ理由はあるのだろうが、兎に角でかい。
それは「海原と中原」でも変らなかった。
寧ろ、実物がしょっちゅう現れる分、神に対する信仰と畏怖の念は強い。
その分、建物はでっかくなるのだ。
アグニー達が自分たちの集落が落ち着き始めてすぐに赤鞘の神殿を立てようといい始めたのも、その辺に理由があった。
でかいものは作るのに兎に角時間が掛かる。
土地神様の神殿ともなればやはりでかくなければ成らず、作るのには時間が掛かるだろう。
では、どのぐらい掛かるものなのだろうか。
アグニー達がざっと相談した限りでは、「100年ぐらいじゃないかなぁー」という意見が大半であった。
寿命が50年程度であるアグニー達にしてみれば、人生二回分の大変長大な時間である。
地球で言えば、二世紀がかりの大仕事といった感じだろうか。
それだけ時間が掛かると思うと、アグニー達は直にでも仕事に取り掛かりたくなった。
彼らは勤勉で真面目な性格だ。
少しでも早く、できれば自分たちの代で神殿を完成させたかった。
引き継ぐとしても、次の世代に渡すときは、少しでも楽をさせてあげたいと思っていたのだ。
とはいえ、先にも書いたようにアグニー達は神殿なんて作ったことは無かった。
そもそも、超片田舎でのんびり暮らしていた彼らは、神殿の実物を見たことすらないのだ。
うわさやおとぎ話で聞くぐらいの知識しかないので、どんなものなのか皆目見当が付かないといっていい。
わからないことは、聞くしかない。
下手なものを作っては、神様にも失礼に当たるのだ。
そこで声をかけられたのが、エルトヴァエルであったわけだ。
未だにお腹の辺りを押さえ、時々来る震えをこらえている感じのエルトヴァエルを心配しつつも、長老は早速最初の質問をしてみることにした。
エルトヴァエルの体調が心配だったが、本天使が「大丈夫です。すごく大丈夫です」と言い張るので、とりあえず会議を開始することにしたのだ。
「まず、規模なのですが。どのぐらいの大きさのものを作ればよいのですかのぉ」
「やはり大きくなければいかんのでしょうか」
真剣な表情のアグニー達を前に、エルトヴァエルは腹を抱えたまま若干前のめりになった。
どうやら、アグニー達の服装が未だにエルトヴァエルの何かしらのツボを刺激しているらしい。
しかし、エルトヴァエルは使命感の強い天使である。
何とかなにがしかの衝動を押さえ込み、立ち直った。
「はい、規模ですね。赤鞘様にお聞きしたのですが、大きいものは苦手だとおっしゃっていました」
「「な、なんだってー?!」」
アグニー達は劇画調な表情になり、揃った声で衝撃を口にした。
若干一名「けっかいー?!」と言っているものが言ったが、誰も気にも留めなかった。
「いやまて。神様からしたら大きくないのかもしれないぞ?」
「そうか。所詮生き物基準だもんなぁ」
「エルトヴァエル様。具体的にはどのぐらいの大きさになるのでしょうか?」
「実は、大体の大きさを質問して、作ってきた資料があるんです。皆さんに配って下さい」
そう言うと、エルトヴァエルはいつも持っているバスケットから、紙束を取り出した。
小冊子風になっているそれの表には、「赤鞘様お社建設プロジェクト 第一回会議用資料」と書かれていた。
どうやらこの日のために作ってきたらしい。
几帳面に作られたそれは、エルトヴァエルの性格を良く表すものであった。
「おー。流石エルトヴァエル様だなぁー」
「目次も付いてるぞ」
「待てよ。エルトヴァエル様に今日のこと頼んだのって、昨日だったよね?」
アグニー達の視線が、エルトヴァエルに集まった。
エルトヴァエルは不思議そうに首を傾げる。
「一時間もあれば、このぐらいは簡単に作れますが」
「おおー」
「けっかいー」
「流石エルトヴァエル様じゃのぉー」
「天使様はすごいんだなー」
実際には天使がすごいわけではなく、エルトヴァエルの事務処理能力が尋常ではないのだ。
天使が皆こういう作業に向いているわけではない。
「とりあえず、この18ページを開いて下さい」
「「はーい」」
エルトヴァエルの言葉に、アグニー達はぺらぺらと資料をめくる。
指定されたページに書かれていたのは、赤鞘が理想とするという社のサイズであった。
数字だけでは分かりにくいと思ったのだろう。
様々なものとの比較が描かれていた。
トロルのハナコや、土彦のマッドトロル、この間帰ってきたエンシェントドラゴンなどの大型のモノ。
小さなものでは、オレンジムーススライムやアグニーも描かれていた。
「うわー、これギンだよなー?」
「すんごい似てるー」
「これ、エルトヴァエル様が描いたんですか?」
「ええ、丁度いいイラストが無かったので、適当に」
「けっかいー」
「かっこいー!」
感心するアグニー達だったが、直にあることに気が付いた。
赤鞘が理想とするらしい社のサイズが、途轍もなく小さいのだ。
高さで言うと、1.5mも無いだろうか。
これでは社というより、道祖神やお地蔵様を覆っている小屋のようなものに近い。
「あの、エルトヴァエル様。幾らなんでもこれは小さくはありませんかのぉ」
「どんなに細工を凝らしても、これじゃあ小さすぎる気がしますが」
「結界」
「私もそう思ったのですが、どうも赤鞘様は小さいもののほうがお好きなようなのです」
実際は、赤鞘は小さいものがすきというかより、大きいもの恐怖症になっていたのだ。
周りをでかくてすごい木に囲まれ、近くにでかくてすごい湖が出来た。
そして、なんだか知らないうちに土彦がエンシェントドラゴンの巣をすごい事にしている。
そこから来るストレスは、凄まじいものであった。
赤鞘の本体が鞘で神体が半実体でなかったら、間違いなく円形脱毛症とかになっていただろう。
恐らく、胃にも穴が開いていたはずだ。
そんな状態の赤鞘は、エルトヴァエルの「どの程度の大きさの神殿がお好みですか?」という質問に、こう答えたのだ。
「私の本体がギリギリ入るような小さな建物にみっちり詰まっていたいです……」
どうやら結構追い詰められているようだった。
赤鞘の神殿であるから、最低でも高さ3~400mは無いと話にならないと考えていたエルトヴァエルだったが、これにはさすがに考えを改めた。
どうも赤鞘は、エルトヴァエルが想定しているよりもずっと、ずっと庶民的な神様らしいと気が付いたのだ。
最近様子もおかしくなって来ているし、本神が落ち着くといっている物を用意してもらうほうがいいのではないか。
そう考えたのである。
とはいえ、さすがに赤鞘が収まるギリギリのサイズとなると、それは既に建築物ではない。
ただの箱だ。
エルトヴァエルは地球の、特に日本の神仏に関する情報を仕入れ、丁度よさそうなものを見つけた。
それが、道祖神やお地蔵様がいらっしゃるような、小さな社だったのだ。
「それに、このサイズでも異世界では立派に神殿の役割をするそうなのです。赤鞘様は異世界の神様ですから、異世界流の神殿でも良いのでしょう。そのほうが落ち着かれるとも、おっしゃっていましたし」
「そうかー。たしかに神殿はおうちのようなものだし、落ち着くほうが大事ですよね」
「結界ー」
「それもそうだなー」
「その分、心を込めて、細工のこったものを作ろう!」
「「おー!」」
アグニー達は声をそろえて拳を突き上げた。
何かが決まったらとりあえず全員で声を合わせるのが、アグニー流である。
大きさが決まったら、今度は素材だ。
実物の神殿を見たことが無いアグニー達は、何で出来ているのか見当も付いていなかった。
きっと何かすごいもので出来ているに違いないと漠然と思ってはいるのだが、それがなんなのかは皆目見当も付かないのだ。
「何で作ればいいんだろうなー」
「結界だろう?」
「木材かなぁ?」
「石かも知れない?」
「いや、きっと鉄だ!」
「オリハルコンとかは?」
「俺達じゃあつかえないなぁー」
アグニー達はお互い顔を見合わせ、ざわざわと話し合い始めた。
出ている意見の大半は、オリハルコンやアダマント、竜鱗や世界樹など、伝説級の素材ばかりだ。
勿論、そんなものにアグニー達が当てがあるはずも無い。
世界樹ならば比較的近所に生えているのだが、彼らが知っているはずもない。
「ここは、エルトヴァエル様に聞くのが一番かのぉ」
「それもそうだな」
「何がいいんでしょうか?」
アブニー達の注目が、エルトヴァエルに集まる。
エルトヴァエルは少し困ったような顔をすると、意を決した様子で言葉を口にする。
「それが、皆さんが使われている普通の木材でいい、とおっしゃっているのです。おおよそ、皆さんが住んでいるものを小さくしたもの、といったところでしょうか」
エルトヴァエルの言葉は、赤鞘が言ったものとは大分かけ離れていた。
なぜ赤鞘の言葉をそのまま伝えなかったのかといえば、伝えられるような内容ではなかったからだ。
どんな素材を主体にして作るのが良いかと聞かれた赤鞘は、エルトヴァエルにこう答えたのだ。
「ベニヤ板がいいです……」
いい訳が無い。
極力赤鞘の希望はかなえようと思ったエルトヴァエルだったが、さすがにそれはまずいだろう。
アグニー達はいま、材料が無いわけでも困窮しているわけでもないのだ。
その状況でそんなもの、と言ってはアレだが、ベニヤ板を使って神殿を作るというのは如何なものだろうか。
威厳とか品格とか、いろいろと大事なものを置き去りにしている気がする。
流石にそれは、と説得するエルトヴァエルだったが、精神的に参っている赤鞘は「じゃあ、端材か何かで……」と言い出したのだ。
どこの世界に神殿を端材で作るものが居るだろうか。
それこそ貧困のどん底でギリギリの生活をしていればそういうこともあるかも知れないが、アグニー達は生活にゆとりが出てきたから神殿を作ろうといっているのだ。
エルトヴァエルは更に説得を重ね、結局「アグニー達が普段使っている木材」というところに落ち着けたのである。
最初から比べたらずいぶんな進歩だ。
しかし、そんなことを知らないアグニー達からすれば、神殿を自分達が住んでいるのと同じ木材で作るなど恐れ多い話だろう。
実際、アグニー達はエルトヴァエルの言葉に困惑の表情を浮かべている。
「そんな! 何か特別な素材を使わなくていいんですか?」
「結界?!」
「結界」
「結界ー」
「たしかに今はたいしたものは準備できませんが、がんばれば何とかなります結界!」
かなり動揺しているのだろう。
アグニー達の口調がおかしいことになっていた。
エルトヴァエルは苦笑しながら、口を開く。
「たしかに皆さんなら用意できるかもしれませんが、赤鞘様は皆さんと同じものがいいようです。それに、木材は落ち着くとも言っていました」
「そうかー」
「木材がいいのかぁー」
日本人が一概にそうとは言えないが、赤鞘が人間をしていたころは、建材といえば殆ど木材であった。
畳敷きは高級品であり、赤鞘の生家でも数枚しか敷かれていなかったものである。
生まれたときも死んだときも、神になってからも、赤鞘にとって家といえば木造だったのだ。
そんな赤鞘だから、落ち着く場所といわれて真っ先に思いつくのは、やはり木材を使った建物であった。
追い詰められた心理状態だからこそ、住み慣れた木の社で暮らしたい。
そんな風に、赤鞘は思ったのだ。
だからと言って、ベニヤ板や端材というのは極端だろうが。
「じゃあ、木材で作ることにしよう!」
「きれいな木目の、まっすぐな最高の木材を用意しよー!」
「「おー!」」
アグニー達は、声をそろえて拳を突き上げた。
2~3人「結界ー」と言っているものが居たが、誰も気にも留めなかった。
建材が決まれば、次はどんな形にするかの選定である。
これには、エルトヴァエルが用意した小冊子が大いに活用された。
アグニー達が作る建物といえば、兎に角高床式にしたものばかりだ。
小さい建物といわれても、小さな高床式建築しか思い浮かばなかったのだ。
小さい高床というのにどれほどの意味があるのか良く分からないが。
それを予期していたエルトヴァエルは、建物の見本になる図面を小冊子にいくつも書き込んでおいたのだ。
アグニー達は新しいおもちゃを見つけたような顔で、それらを食い入るように眺めていた。
「へー、いろいろな形があるんだなぁー」
「結界は?」
「結界はほら、魔法だから」
「魔法? なのか? 神様が創るんだろう?」
「あー、えーと、神法?」
「なんて読むんだ、それ」
「しんぽう?」
「うーん、どんな形がいいんだろうー」
皆それぞれいろいろ悩んでいるようだ。
しかし、皆悩むばかりで、全くアイディアは纏まらない。
それもそうだ。
小さい神殿、つまり日本で言うところの社のようなものなど、アグニー達は見た事が無い。
見たことの無いものをすぐにアイディアで出せというのも、酷な話だろう。
暫く話し合った後、長老はため息を付いた。
「ふぅ、きまらんのぉ。ここはどうじゃろう。以前土彦様のマッドトロルの形を決めたときの様に、みんなで小さなものを作って持ち寄るというのは」
「おお! その手があったか!」
「流石長老だ!」
以前、土彦の頼みでマッドトロルをデザインするとき、皆でアイディアを形にして持ち寄ったことがあったのだ。
長老はそのときの様に、プレゼン大会を開くつもりのようだった。
他のアグニー達もそのアイディアに賛成し、建物の形は後日に決定という形になった。
だが、ここで大きな問題が持ち上がったのだ。
それは、どうやって赤鞘の居る場所に社を作るのか、であった。
何しろアグニー達の集落から赤鞘がいるところまでは、恐ろしく遠い。
最近は雑草ぐらいなら生えてきたとはいえ、そこに至るまでの道のりは荒地であり過酷だ。
空を飛べたり、強力な移動手段があるならいざ知らず、行き帰りだけでもかなり時間が掛かってしまう。
きちんとしたものを作ろうと思えば、日数も掛かってしまうだろう。
となると、社を作るのに必要な材料を運ぶだけでなく、食料や宿泊道具などの運搬も必要になる訳だ。
それはかなりの労力が必要になる。
幾ら集落が安定してきたとはいえ、長期に土地を離れるのは心配事が多かった。
畑だってあまり長く放っておくわけにも行かない。
そこで、若者のリーダーであるマークがあるアイディアを出してきた。
「作ったものを持っていって、後は地面に設置するだけにするって言うのはどうだろう」
「おお」
「結界ー」
「そういう手もあるのか」
たしかに、完成した建物を持っていって地面に突き刺す、という手もある。
アグニー達の建物は基本高床式なので、小さなものであれば持って行ってその場に刺すという建築方法も、あるにはあったのだ。
トロルたちを動員すれば、それなりに大きいものでもその方法が可能でもある。
今回は作るものも小さいので、その方法もやりやすいように思われた。
「でも、残ってるトロルってハナコだけだろ?」
「あ、そうか。ハナコか」
「うーん。ハナコ、意外とどじっこだからなぁ」
「だなぁー」
「どじっこ? ですか?」
アグニー達の言葉に、エルトヴァエルは首を傾げた。
「そうなのですじゃ。ハナコは何も無いところで転んだり、岩と大木をうっかり間違えたりするところがありましてのぉ」
「そこが可愛くもあるんだけどなぁー」
「赤鞘様のお社を持って転んだりしたら、大変だからなぁー」
エルトヴァエルは、そっとどじっこなトロルというのを想像してみた。
食べ物を運んでいてつまづいてしまい、「てへぺろっ」とかをしている姿だ。
エルトヴァエルはそっと目を閉じると、何も考えていなかったことにした。
どうやら想像したくなかった類のものになってしまったようだ。
「なら、俺達で担いでいくしかないか」
「それだな」
「じゃあ、作るときは、担ぎやすいように棒とかつけるかぁー」
「どんな形がいいかなぁー」
うんうん唸りながら、アグニー達はいろいろな形を考え始める。
多くのアグニー達の頭に浮かんだのは、地球で言う「おみこし」に近い形のものだった。
口に出して相談しているものも、大体同じようなものを想像しているようだ。
それを聞いてエルトヴァエルは、にっこりと微笑んだ。
赤鞘とアンバレンスが呑んでいるときに聞いた、お祭りを思い出していたのだ。
赤鞘を祭っていた村でも、小さなお祭りがあったのだという。
大きくは無いが、村人が手作りしたおみこしを担ぎ練り歩くのだという。
そのとき、赤鞘はおみこしに乗り込み、一緒に村中を歩き回ったのだそうだ。
おみこしは、神様の乗り物だ。
赤鞘も年に一度おみこしに乗るのを、大層楽しみにしていたのだという。
おみこしの様に運ばれてきた社は、きっと赤鞘の心を慰めてくれるだろう。
最近疲れている様子だが、きっと元気を取り戻してくれるに違いない。
そんな風に思いながら、エルトヴァエルはわいわいと相談するアグニー達を笑顔で見守るのだった。
次回は、あの海で漂流してた人が再登場。
一緒に、エルトヴァエルさんがお話していた傭兵団も登場します。
その次は、兎のお侍と水彦の出会い。
一体どんな事になるのか、乞うご期待でしょうか。
では、次回「遭難野郎と潜水艦」どうぞお楽しみに。