六話 「さぁ。忙しくなるといいですねぇ」
地面に突き立てた刀の近くで、両手で持った鞘をひたすら回し続ける。
事情を知らない人間が見たら、いまの赤鞘の姿はさぞ奇妙なモノだろう。
事情を知っているエルトヴァエルの眼から見ても奇妙なのだから。
「本当に大丈夫なんですか? 主に顔とか」
「大丈夫です、本当に。一応天使ですから。体は頑丈に出来てます」
心配そうに尋ねる赤鞘に、エルトヴァエルは慌てた様に首をぶんぶん振って答えた。
実際、天使の体というのはかなり丈夫に出来ている。
成層圏ぎりぎりから落下して無傷だった赤鞘ほどではないが、東京スカイツリーの天辺から落ちても無傷で居られる程度には頑丈なのだ。
「それに、種は無事でしたし」
にっこりと笑い、赤鞘に集めてくるよう頼まれた物が入ったカゴを指差すエルトヴァエル。
あの落下事故の中でも、カゴの中身は無傷だった。
周りに魔力がない環境でも、内部の物を守る特殊な物だったことも幸いしたのだろう。
とはいえ、エルトヴァエルの技量もあったことは間違いない。
もっとも落下しなければそんな技量も要らないわけだが。
エルトヴァエルの言葉に、赤鞘は苦笑いを浮かべる。
「いえ、種が無事だったのは良いんですが。エルトヴァエルさんが心配なんですよ」
「はい。ありがとうございます」
エルトヴァエルも苦笑を浮かべ、申し訳なさそうに頭を下げた。
この世界で、純粋に天使を気遣う神は珍しい。
いや、気遣える感覚を持てる神が珍しいといったほうがいいだろう。
木や植物、場合によってはお釜や自転車なんかが神になることもある赤鞘の世界と違い、この世界の神は母神から生まれ出でたモノばかりだ。
そういった神々は、下々である天使や人間のことを心底心配することは無い。
むしろ、出来ないと言っていい。
基準が違いすぎるのだ。
神々からすれば、天使も人も動物も、等しく儚く脆い存在。
あまりに弱すぎる相手の心情などは、想像しようにも出来ないものだ。
死ぬことも老いることも消滅することもない絶対の存在からすれば、そういったものたちの恐怖や痛みを知る術など元からない。
擬似的に経験することは出来ても、それは本当の恐怖や痛みとは似て非なるものだ。
そんな世界で天使として神の下で働くエルトヴァエルにとって、神からのねぎらいや心配する言葉は、絶対的上位者からの哀れみに等しい。
赤鞘の様に、同じ立場に立って心底心配されることは一切なかった。
それが悪いとかではなく、当たり前のことだった。
神とは、そういう存在なのだから。
にもかかわらず、赤鞘はどうだろう。
彼にとって痛みとは身近な物だ。
自分が人間だった時代に味わった物を覚えている。
なにより、元々人間霊であるところの彼は、この世界の神と違い消滅する恐れを抱えている。
事実、元の世界ではアンバレンスがこなければ、後数年でその存在は無に帰っていただろう。
そんな赤鞘からすれば、自分もすこし前に味わったような墜落事故の苦痛は推し量れる物であり、エルトヴァエルの痛みは心底心配する物でもある。
神からそんな思いを向けられたことが無いエルトヴァエルにとって、赤鞘の心配はむず痒い物だった。
初めて向けられる心遣いに、戸惑っているというのもあるのだろう。
「魔力の拡散、巧く行っていますね」
話をそらすように、エルトヴァエルは地面を覗き込んだ。
神力を使い、地殻を透かしてみる。
すると、大地の下に隠れていた魔力の塊に、赤鞘の神刀の刃が当てられているのが分かった。
高速で回転する大根に、包丁を押し上げたような状態といえばわかりやすいだろうか。
まるで自動カツラ剥き器のような勢いで、塊から切り離された魔力が四方八方に吹き飛んでいく。
「ええ。ぼちぼちってところですがね」
いいながら、赤鞘も地面の下にある魔力を覗き込む。
元の半分程度の大きさに縮んでいる魔力の塊に、赤鞘は満足そうに頷いた。
もう少し小さくなりさえすれば、後は放って置いても自然に拡散するはずだ。
「コレが終われば、いよいよ動植物の出番ですね」
「ですねぇ。今まで何にも居ませんでしたから。賑やかになるといいんですけど」
田んぼや畑ばかりの田舎で神様をやっていた赤鞘としては、早く知的生命体がやって来て欲しいところだ。
元々彼は、豊作や繁栄を司る神様なのだから。
「魔力の拡散さえ終われば、この地域の周りに張られた結界の撤去も頼めますし。持ってきた植物の植え付けも出来ますね」
エルトヴァエルの言葉に、赤鞘は「ん?」と眉を眉間に寄せた。
「そういえばここの周りって結界張ってあるんですよね? 周りの魔力吸い寄せたり、間違って生物が入ってきて魔力枯渇死しないように」
「はい。強力なのがぐるりと取り巻いています」
「それって誰が外すんですかね?」
結界というからには、誰かが張って誰かが取り除かねばならないだろう。
この地域一帯といったが、その範囲はけして狭くはない。
赤鞘が見渡す限り、ほとんどが荒地だ。
そんな結界を張るのも取り除くのも、並みの力では不可能だろう。
少なくとも赤鞘には絶対に無理だ。
「アンバレンス様になるかと思います。結界を張ったのがあの御方ですから」
「へー。あの人がそんなすごいことを。何かイメージと合わない気がしますねぇ」
太陽神アンバレンス。
この世界における最高神ではあるが、赤鞘の中でのイメージとしては「母神に世界を押し付けられて過労死寸前の人」だ。
けっして、「すごい神様」ではない。
「じゃあ、とりあえず魔力の拡散が終わったら電話かけてみますか」
何気なく発せられた赤鞘の言葉に、エルトヴァエルの顔が曇った。
「で、電話ですか?」
赤鞘の世界を下調べていたエルトヴァエルには、電話の知識もあった。
電話というのは赤鞘の居た世界の科学の粋の一つで、決して剣と魔法の世界である「海原と中原」にあるような物ではないはずだ。
「ええ。なんかケータイって便利だなーっていう話から、再現したらしいんですよ。アンバレンスさんが。天使の皆さんにもそのうち支給するって言ってましたよ?」
「しかもケータイ?!」
据え置き型をすっ飛ばしていきなりケータイっぽいものを作ったらしい。
一応腐っても最高神であるアンバレンスの力を持ってすれば、それっぽい機能を持ったそれっぽいものを創造することなど簡単だっただろう。
「私としてはやっぱりじーこじーこって丸いダイヤルを回すやつが好きなんですが。スマホなんですよね」
そういって赤鞘が懐から取り出したのは、今流行りのスマートフォンタイプのケータイだった。
きらりと光る金属のフレームに、ほとんど全面かと思われるほどの大画面。
確かに最新型のスマホのようだ。
「まあ、コレが終わったら電話しますよ」
赤鞘は改めて地面の下にある魔力の塊を覗き込んだ。
ふと、その顔がいぶかしげに歪む。
それまで球形だった魔力の塊の輪郭が、歪み始めたのだ。
「あ、きましたかね?」
前かがみになって覗き込む赤鞘に、エルトヴァエルも慌てたように塊へと眼を向けた。
巨大な光源の塊。
それは人間の目にもしも見えるのであれば、まるで七色に輝く太陽のようだっただろう。
世界を形作る、神が神として持つ力の一つ。
「海原と中原」において「魔力」と呼ばれる力の塊は、まるで砂の玉が水中でほぐれるように溶けていった。
空気中へと拡散した小さな光の粒子は、そのままぽつぽつと輝きを失って消えていく。
それまで確かな存在感を放っていた、巨大な光の塊は、そうして一欠片の残滓も残さず散らばって消えた。
ため息を一つ吐き出し、赤鞘は全身を伸ばすように思い切り息を吸い込んだ。
元の世界では感じたことのない、力のような物が空気中に満ちているのを感じる。
神に祝福された、というのはこういうことを言うのだろうか。
創造神が被造物に使うことを許したという力を感じながら、赤鞘はふらりと立ち上がる。
改めて周りを見回すが、相変わらずの荒れた土地が広がるばかりだ。
それでも、この土地は復活への大きな一歩を確かに踏み出している。
眼には見えなくとも。
「あ。そういえば、魔力がない場所なのに種とか苗、大丈夫だったんですか?」
突然振られ、エルトヴァエルは「はい?!」とひっくり返った声を上げる。
「ああ、大丈夫です。これはその、私が内部を守る結界を張っているものですから」
「そうなんですか! なんか私には出来そうにないことですねー」
実際、赤鞘は結界を張ったりするのは得意ではない。
というか今までやったことがなかった。
感心したように頷きながら、赤鞘は楽しそうに笑う。
「さて、じゃあ、早速アンバレンスさんに電話しましょうか。来るの待つ間に、木や草の植え付けでもしましょう」
本当に、心のそこから楽しそうな笑顔を浮かべる赤鞘。
「はい」
そんな彼に、エルトヴァエルは短く答え頷く。
繁栄と豊作を司る赤鞘にとって見れば、植物の育成を手助けするのはいわば本職だ。
ここに来てようやく、自分の得意な仕事ができる。
それになにより、赤鞘は「繁栄と豊作」の加護を与えるという仕事が好きだった。
人が喜ぶのを見ると、自分も幸せになる。
生前から、赤鞘はそういう類の人間だった。
勿論それは、神になった今でも変わらない。
「さぁ。忙しくなるといいですねぇ」
楽しそうに笑いながら、赤鞘は袴についた土を払う。
異世界での生活、その第一歩を踏み出した。
そんな思いが、赤鞘の胸に満ちる。
いつか来るだろう住民達の笑顔を楽しみにしながら、赤鞘は新たな仕事に取り掛かった。
次回は未来の住民達が登場する予定。
もしくはアンバレンスが登場する予定。
どっちにしても主人公(?)出ないんですけどね…。