五十七話 「そうよ。私の弟なの!」
その施設の内部は白を基調としていて、見るものに清潔な印象を与えた。
働くものたちも皆白く清潔な衣服を身に着けている。
ここは、メテルマギトに幾つもある、大型病院の一つだ。
中央受付の前を通り過ぎ、シェルブレンは昇降機に乗り込んだ。
目的の階のボタンを押すと、ゆっくりとドアが閉まる。
殆どゆれも感じさせないまま、階を報せる画面の数字だけが増えていった。
結局、誰も乗ってこないまま昇降機は目的の階へとたどり着いた。
時間が中途半端で、診察に来るものも見舞いに来るものも少ないらしい。
看護師の待機場所に顔を出し、見舞いに来たことを伝える。
今日は少し具合がいいようだという看護師の言葉に、シェルブレンの表情が少し和らいだ。
廊下を歩き、目的の部屋へと向かう。
その途中、ふと気が付いてトイレへと入る。
用を足す目的ではない。
鏡を見るためだ。
見舞いに来た相手には、いつも身だしなみの事を注意されていた。
髪の毛が硬いシェルブレンは、子供の頃はいつも寝癖の付いたような頭をしていた。
走り回るのが好きだったので、服はいつも汚れていたし、上着は半分だけズボンに入っていて、半分だけ出ているようなことがざらだった。
何時もそれを叱られ、直されていたものだ。
短く刈り込んだ、刈り上げ角刈りのような髪型にしている今でも、会いに行く前は髪型が気になってしまう。
服装も、乱れが無いか確認してしまう。
子供の頃の事というのは、なかなか抜けないものだ。
シェルブレンは小さく苦笑をもらすと、目的の部屋へと歩き始めた。
見舞いに来た相手の部屋は、一人部屋だ。
他に患者がいないから気兼ねが無い。
シェルブレンが扉を開けると、窓際のベッドに相手は座っていた。
高層階の窓なので、景色は非常にいい。
実はシェルブレンが態々この部屋を、と、指定した部屋であった。
景色を見るのが好きなのを知っていたから、一番景色のいい部屋を選んだのだ。
ベッドに座っているのは、白髪の老婆だった。
耳はエルフであることを示すように尖り、その肌は白い。
人の入って来た気配に気が付いたのだろう。
ゆっくりと振り向き、にっこりと微笑んだ。
若い頃は相当の美人であっただろう。
人間で言えば80歳をゆうに超えているように見える今でさえ、美しい老女であった。
老女はにっこりと微笑んだまま少し首をかしげ、口を開く。
「あら。こんにちは。どなただったかしら。覚えの無いお顔だけれど」
その言葉に、シェルブレンの表情は凍りつく。
動けないで居るその様子を見て、老女は思わずといった様子で笑い出した。
「冗談よ、冗談。もう、シェルったらすぐに本気にするんだから」
シェルブレンはどっと疲れたように肩を落とすと、眉をひそめて苦笑をもらす。
手土産に持ってきていた袋を近くのテーブルに置きながら、呆れたように首を振る。
「全く、驚かさないでよ。姉さん」
いたずらっぽく笑う老女と、それを見て微笑むシェルブレン。
この老女。
老女に見える女性は、シェルブレンと片手で足りるほどしか歳の離れていない、姉であった。
シェルブレンは、元々メテルマギトの出身ではなかった。
別の大陸の、小さな国に住んでいた。
人種が中心となっていたその国では、エルフやドワーフ、獣人などは一括りで「亜人」と呼ばれ、迫害されていた。
忌み嫌われ謂れの無い迫害を受け、まともな生活を送ることすら難しい。
孤児であり、両親の居ないシェルブレンのような境遇の者は、犬や猫と同じような扱いを受けていた。
いや、謂れもなく殴られたり蹴られたりしない分だけ、犬や猫のほうが良いかも知れない。
シェルブレンの両親は、兵士として戦争に駆り出され、死んだ。
兵士、というと語弊があるかもしれない。
ただただ魔法を打ち続けるだけの道具として扱われ、魔法が打てなくなると盾として使われ、死んだのである。
国の事情で孤児となったシェルブレンだったが、まともな保護は受けることが出来なかった。
孤児院とは名ばかりの収容施設に入れられ、来る日も来る日も殴られていた。
食べ物もろくに与えられなかったので、反撃する気力も無い。
毎日毎日、びくびくと怯えながら、僅かにもらえる食べ物や水だけを頼りに生きていた。
シェルブレンが住んでいた場所は、比較的都会に近い場所であった。
だから食料などは、恵んでもらうしかなかったのである。
森や川が近くにあれば、エルフであるシェルブレンはある程度自活が出来ただろう。
元々エルフとは、森で暮らすことに長けた生き物なのだ。
だが、当時のシェルブレンの暮らしていた場所には、そんなものは無かったし、そこまで行く気力も体力も無かった。
ただただ、その日一日を生き延びるのが精一杯だったのだ。
ある日、孤児院に何人かの子供が連れられてきた。
シェルブレンと同じような境遇の子供達だ。
その中に居たのが、彼の姉となる少女だった。
部屋の隅で膝を抱えながら、連れられてきた子供達を見ていたシェルブレン。
そんな彼に、少女はにっこりと微笑みかけた。
その笑顔を、シェルブレンは未だに覚えている。
まるで小麦畑のような美しい金の髪。
真っ白な肌。
青い、澄んだ瞳。
ぼうっとした頭に浮かんだのは、お人形さんみたい、という想いだった。
シェルブレンにとって、お人形と言うのは幸せの象徴だった。
父と母が健在だった頃、一度だけ連れて行ってもらった街中で、見たことがあったのだ。
綺麗なガラス戸の向こうに飾られたそれは、恐らく高価な人形細工店か何かだったのだろう。
あまり近付くと追い払われてしまうので、遠目にそれを見ていた。
あんなに綺麗なものが、世の中にはあるんだ。
知らず、笑顔がこぼれた。
だが、ガラスに映った自分を見て、すぐに現実に呼び戻されてしまった。
薄汚れた、汚い自分が見ていたら、お人形が汚れてしまうのではないか。
そう思って、その場から走って立ち去った。
あのときのお人形が歩いているような。
そんな錯覚を覚えるほど、綺麗な少女だった。
少女は、恐ろしく活発な性格をしていた。
その日のうちにガキ大将を殴り倒し、実質孤児院の覇権を握った。
虎の獣人だったガキ大将は、「あんなのに戦いを挑まれただなんてかわいそうに」と同情を集めるほどボコボコにされていた。
それがよかったのか、周りからのけ者にされるようなことにはならなかったのだが。
けして年齢が上だから勝てたとか、そういうことでもなかった。
むしろ彼女は、元ガキ大将よりも体格も身長も一回り小さかった。
それでもぼろくそに殴りまくっていたのだ。
ガキ大将に馬乗りになり笑いながら殴っているのを見たとき、シェルブレンはあまりの恐怖におしっこを漏らしそうになってしまった。
もちろん、ギリギリのところで持ちこたえたわけだが。
美しい少女、という認識から一気に、恐ろしい少女に一転したその少女は、怖いだけの存在ではなかった。
揉め事があれば仲裁してくれるし、弱いものいじめは絶対に許さない。
いつも楽しそうに遊びまわり、子供達を率いて駆け回っていた。
遠巻きに見ているだけだったシェルブレンも、気が付いたらその少女に手を引かれ、一緒に遊びまわっていた。
食べ物も無く、遊ぶ気力も無かったはずなのに。
やっぱりお腹は空いていたし、施設の職員には暴力を振るわれた。
だけど、少女が笑うと、元気が出た。
同じように笑うことが出来た。
大勢の中の一人ではあったが、シェルブレンは少女と遊ぶことが出来るのが嬉しかった。
少女は、ハーフエルフだった。
純血のエルフであるシェルブレンと同じく、寿命が長い。
それは、成長する為に必要な時間も長いということだ。
周りの子供達は、一人、また一人と孤児院を後にしていった。
孤児院を去ることを喜ぶものは、一人も居ない。
シェルブレンが居た孤児院は、亜人の子供達専門の施設だった。
亜人の子供が送り出される場所など、限られているのだ。
慰み者にされるか、労働力として使われるか。
さもなければ、戦争の兵器がわりに使われるか。
エルフであり、強い魔力を持つ少女とシェルブレンは、十中八九兵器がわりに戦場へ送り出されるだろう。
その分育つのに時間がかかるが、価値を考えれば問題にはならないらしい。
少女とシェルブレンは、一番長く一緒に居る二人になっていた。
二人が子供のままでも、周りの子供はどんどん大人になっていったからだ。
大人になったら、孤児院から出て行くことになる。
誰も喜ばない、悲しいだけの卒業だ。
子供だった大人達は、皆別れの前日少女に抱きついて泣いていた。
楽しいということを知らなかった子供達は、少女が来て初めて心の底から笑い、はしゃぎ、遊んだ。
亜人、亜人とさげすまれ下を向いていた子供達が、初めて上を向いて生きていた場所を作ったのが、少女だった。
ほんの些細なきっかけを作っただけかもしれないが、子供達にとってはそれが全てなのだ。
何人もの子供が大人になり、孤児院を後にしていった。
それでも、成長の遅いエルフである二人は、ずっと子供のままだった。
不幸なことなのか、幸福なことなのかは分からない。
大人になれば、戦争の兵器として使われるだろう。
出来るなら、ずっと子供のままで居たい。
それが、シェルブレンの願いだった。
新しく子供が入ってきて、聞かれた事があった。
少女とシェルブレンは、姉弟なのか、と。
エルフは皆美しく、他種族から見れば顔立ちが似ていた。
おまけに二人は金髪青眼と、特徴もよく似ていたのだ。
シェルブレンは慌てて否定しようとしたが、少女は笑いながらいった。
「そうよ。私の弟なの!」
それを聞いたシェルブレンは、驚きのあまり口をぱくぱくするばかりだった。
少女は、父親の記憶も、母親の記憶も無いのだという。
家族というものが分からないのだと。
だから、シェルブレンと家族と間違われたのが嬉しかったのかもしれない。
その日から、二人は姉弟になった。
血のつながりなんて、関係なかった。
十数年も二人は一緒に居たのだ。
姉弟になっても、関係はあまり変わらなかった。
一緒に木に登り、落ち。
塀に登り、落ち。
屋根に上って、落ちたりしていた。
少女は、姉は兎に角おてんばで、シェルブレンをいろいろな場所に引っ張りまわしていたのだ。
いつでも子供達の輪の中心に居て、弟を引っ張りまわす姉。
シェルブレンにとって孤児院は、いつの間にか嫌な場所ではなくなっていた。
家族の居る、大切な場所に成っていたのだ。
どんなに寿命が長くても、どんなに成長が遅くても、いつか子供は大人になる。
姉が大人になったのは、シェルブレンがまだ子供であるときだった。
何時までも何時までも続いて欲しいと思っていた生活は、終わることになる。
姉が孤児院を出ることが決まったのだ。
行き先は、戦場だった。
シェルブレンたちが住んでいた国は、戦争の真っ最中だったのだ。
姉は魔力源として、戦場で使われることが決まったのだ。
それを知ったシェルブレンは、自分が殺されたような衝撃を受けた。
父も母も、戦争で死んだ。
いや、それは違う。
戦争のせいではない。
戦争をしている人間に殺されたのだ。
敵に殺されたわけでもない。
自国の兵士に、燃料代わりに使われ、使えなくなったら今度は武器を持たされ突撃させられたのだ。
それを姉が。
一緒に育った姉が。
駆けずり回って遊んだ姉が。
生きる気力も無かった自分に手を差し出してくれた姉が。
子供達が孤児院を出るとき、人一倍心配していた姉が。
同じように使われて、死ぬかもしれない。
久しく感じていなかった思いが、シェルブレンの心を支配していた。
失うことへの恐怖、家族を失う恐怖、大切なものをなくすかもしれない恐怖。
孤児院を出て行くことになったものたちを見送るときの、何千倍、何万倍の感情の起伏が襲い掛かってきたのだ。
シェルブレンに、魔法は使えない。
そんな教育を受けていないし、道具が無いからだ。
だからこの国では、気兼ねなくエルフを戦場に持っていける。
魔法を発生させる装置に魔力タンクとしてエルフを組み込み、外部から操作することで魔法を発動させるからだ。
反乱の恐れがある亜人に、魔法なんて教えたりしない。
だからシェルブレンは、魔法なんて使えない。
それでも、なんとか姉を逃がしたい一心で、その日、シェルブレンは孤児院を見張る兵士に襲い掛かった。
幸運なことに、孤児院を見張る兵士は皆練度が低い、やる気の無いものばかりだった。
最前線でないここに、屈強な兵士は配置されていなかったのだ。
一人、二人と殴り倒したところで、孤児院の職員が騒ぎ始めた。
都会の近くでは有ったが、孤児院の周りはあまり人気の無い地域だ。
うまくすれば、逃げ出すことが出来るかもしれない。
幸いなことに、エルフが人間を上回っているのは、魔力だけではなかった。
腕力も耐久力も、人間のそれを遥かに上回っていたのだ。
必死に成っているシェルブレンが奇襲をかければ、やる気の無い兵士達を混乱させることはたやすかった。
孤児院の子供達と姉に、逃げるようにと叫ぶ。
事前に打ち合わせをしていたのがよかったのだろう。
子供たちは、一目散に逃げ出した。
小さな子供は、年長のものが面倒を見ながら。
きちんと教えたとおり逃げていく様に、シェルブレンは嬉しくなった。
なんとか成功するんじゃないか。
そんな風に思えた。
もちろん、そんなわけが無い。
兵士たちはすぐに反撃に出た。
剣で斬られ、魔法で焼かれ。
シェルブレンの身体はボロボロになっていた。
それでも最後の子供が逃げたのを確認する。
これでよかった。
気を失いそうになったシェルブレンの手を、誰かが握った。
姉だった。
彼女はシェルブレンを担ぎ、逃げ延びたのだ。
何がどうして、そんなことが出来たのかわからない。
記憶があいまいだし、何よりも視界がぼやけていた。
気が付いたときには、シェルブレンは町外れの廃墟の中で、死にそうになりながら倒れていた。
幸運と言うのは、時に思いがけずやってくるものらしい。
旅の僧侶が、シェルブレンの傷を癒してくれた。
コウガクという名の、シャルシェルス教の僧だ。
彼はシェルブレン達の状況を知り、何とかする方法を考えてくれた。
その方法は、国外逃亡というものだった。
いまシェルブレンたちが居る国が戦っている相手国に、亡命するといいというのだ。
その国はエルフが作った国で、シェルブレンたちを受け入れてくれるだろうという。
しかしそれでは、他の子供達がどうなるか分からない。
コウガクは、心配は無いといった。
十中八九、子供たちは他国やギルドへ行くことになるだろう、と。
不安では有ったが、選択肢は他にない。
シェルブレン達は、コウガクの選択に身をゆだねるしかなかった。
コウガクの選択は、最良のものだった。
そう、シェルブレンは思っている。
自分と姉はメテルマギトへ。
他の子供たちは、それぞれ自分の種族が中心になっている国や、ギルドへと入っていった。
幸せに暮らして、寿命の短いものは、もう亡くなっている事だろう。
シェルブレンと姉も、それぞれ幸せに暮らしていた。
姉は学問を修め、研究者に。
シェルブレンは国の役に立とうと、騎士を志した。
ただ、二人にとって不幸だったのは。
姉がハーフエルフであったことだった。
ハーフエルフは、エルフ同様200年近い寿命を持つ。
ただ、一つだけエルフと違う部分がある。
ハーフエルフは、年齢が50歳程度になると、急激に老化するのだ。
そして、人間で言えば80歳から90歳の肉体年齢のまま、残りの150年を過ごすことになる。
姉は、あの活発だった姉は、もう歩くことすらままならないのだ。
エルフにとって、老化は恐怖だ。
現代に生きる人間にとって、ガンなどの病にも似た恐怖の対象だ。
だが、それは克服できるものと信じられてる。
そう、たとえば、アグニーを研究することによって。
元々がメテルマギト出身ではないシェルブレンに、エルフ至上主義の思想は殆ど無い。
アグニーも彼にとっては、自分と同じ人なのだ。
捕まえて研究するなど、考えられないことだった。
しかし。
老化を克服しているその特性が、何によって得られるものなのか分かれば。
それさえ分かりさえすれば。
姉は、また走り回ることが出来るかもしれない。
元気な姿を、取り戻すことが出来るのかもしれない。
「あら、どうしたの? 難しい顔して」
姉の言葉に、シェルブレンははっと我に返った。
「なんでもないよ。お土産買ってきたんだけど、食べる?」
「あら、何かしら。甘いものがいいんだけど」
「じゃあ、期待していいよ。すごくおいしい店のケーキだから」
「まあ! うれしい!」
シェルブレンは笑顔で手を叩く姉の姿に、目を細める。
ベットの横にある椅子に腰をかけると、戸棚を空けて皿を取り出した。
そのシェルブレンの首に、姉の手が伸びた。
「シェル。貴方、葉っぱが襟に挟まってるわよ?」
見れば、姉の手には緑色の小さな葉が一枚乗っていた。
どうやら、外を歩いているときに挟まったものらしい。
植物の多いメテルマギトの街中を歩くと、よくあるのだ。
「まったく。何時までもだらしないんだから。隊長さんなんだから、しっかりしなさい?」
「ごめんごめん」
いいながら、困ったように苦笑する。
少し怒ったような、しっかりとした姉の言葉が、シェルブレンにはたまらなく嬉しかった。
ちょーっとつめすぎたかなー、と思ったり思わなかったり。
二話に分けてもよかったですかね。
でもいいや、もうすぐ二十一世紀だし。
次回は水彦の道具が届いたアグニー村を紹介します。
道具がそろって、一体どうなるのでしょうか。
凄く楽しみですね!