五十六話 「私はこう見えてもシャルシェルス教の坊主なんだよ」
シャルシェルス教の僧にとって、病に苦しむ人々を助けることは修業であり、義務である。
水彦に病人が居る村があると聞いたコウガクは、その直後にそこへと向かって歩き出していた。
見放された土地の神様の事も気になりはしたが、急ぐ旅でもない。
あの赤鞘様であれば、多少時間がかかっても許して下さるだろう。
何より、僧である自分が病人を放って置く訳にも行かない。
そんなことをしてしまっては、逆に叱られてしまうだろう。
そう、コウガクは思ったのだ。
水彦という少年が言っていたココ村へは、簡単にたどり着くことが出来た。
街を出るときに道を尋ねたのだが、殆ど一本道であるという。
このあたりは辺境なので、ココ村とアインファーブルを行き来するルートは、一つしかないというのだ。
それでは流石に迷いようが無い。
多少問題があったとすれば、道が荒れていて歩きにくかったことだろうか。
別に雑草が茂っているとか、道に石が転がっているとか、そういうわけではない。
魔獣との戦闘の痕跡で、地面が抉られていたりしているのだ。
時に焼け焦げ、時に岩が砕け。
さながら戦場跡だ。
特に目立ったのが、植物系魔物の死体だろう。
どれもこれも真っ二つにされたり、薪の様に割られていたりしている。
加工次第で鉄より硬くなる樹木型の魔物に、体内で生成した毒針を飛ばす食獣植物。
危険な魔物ばかりだが、魔石も取れるし素材としても優秀なものばかりだ。
冒険者が倒したものであれば、放置しておくことは無いだろう。
獣が戦ったにしては、傷跡があまりに綺麗過ぎる。
なにせ、致命傷であろう傷は、どれも鏡面のように真っ平らなのだ。
叩き潰す剣のような武器ではなく、カミソリのような鋭い武器で切り裂かれたに違いない。
その切り口を見たコウガクは、水彦という少年が引きずっていた魔物の遺体を思い出した。
どれもこれも、すっぱりとした鮮やかな切り口だった。
どうやら植物系魔物を倒したのは、水彦という少年であるらしい。
だが、放置してある理由がいまいち分からなかった。
魔石だけでも取り出せばいいのに、それもほったらかしのまま放置してあるのだ。
冒険者は持ち運べずに死体を放置する事は有っても、魔石だけは持って帰るはずなのだ。
そこが一番価値があり、一番盗難にあいやすい部位だから。
まさかあの少年は、魔石の価値を知らなかったのだろうか。
いやいや、どんな田舎ものであっても、魔石の価値を知らないものはいないだろう。
山奥の村でも、魔石を使うランプに一つや二つあるものだ。
であれば、何故そのまま放置してあるのか、ますます分からない。
これはもう、本人に聞いてみるしかないだろう。
そう思い、コウガクは考えるのをやめることにした。
あの水彦という少年とは、いずれまた会う気がしている。
ならば、そのときの話の種にするのも良いと思われたからだ。
後で分かることだが、水彦は植物系の魔獣を、魔獣だと思って居なかったのである。
ただのよく動く植物だとおもっていたのだ。
魔獣や魔物であると思って居ないから、エルトヴァエルが言っていた魔石もあるとは思っていなかった。
というか、そもそも意識すら殆どしていなかったのだ。
歩いていたら枝や草が邪魔だったから、少し切った。
その程度にしか思って居なかったのである。
恐らくこのことをエルトヴァエルが知ったら、水彦はこっぴどくしかられることだろう。
情報収集マニアの彼女が事情を知って激怒するのは、この数日後の事になる。
何せ高級と言って差し支えない魔獣素材を放置して歩いていたのだ。
武器などにも使えるだけに、どんな悪用をされるか分からない。
あの時は拳骨をもらって痛かった。
そんな話を水彦から聞くことになるのだが、コウガクは道の惨状に苦笑しながら村へと向かって歩いた。
コウガクが村近くまでやってくると、一人の少年がそわそわとした様子で立っていた。
少年はコウガクに気が付くと、慌てた様子で駆け寄ってくる。
「じいちゃん! どっからきただ! あんぶねぇぞ!」
「はいはい。こんにちは。ここはココ村かい?」
にっこりとした顔でのんきに言うコウガクに、少年はじれったそうに叫ぶ。
「こんにちはでねぇ! この先さコルテセッカが出たんだ!」
「そうそう、コルテセッカだね。それなら今朝方、討伐されたようだよ。アインファーブルに運び込まれていたからね」
「とう、討伐?! 本当に?!」
コウガクの言葉に、少年の表情がぱっと華やいだ。
嬉しそうな顔で大きく息を吸い込む少年だったが、すぐにその顔が青くなった。
「そうだ! 街さいけるようになったんなら、いそがねぇと!」
ただ事で無い様子に、コウガクは首を傾げる。
「なにかあったのかい?」
「おっとぉが病気なんだ! 今朝がたから急に苦しそうにしだして!」
「おお、それはいけないね。私はこう見えてもシャルシェルス教の坊主なんだよ。役に立てるかもしれないから、案内しておくれ」
シャルシェルス教と聞いた少年は、目を大きく見開いた。
農村に住む少年は、その名前はよく知っていた。
時々やって来ては見返りも求めず治療していく僧達のことは、都会よりもこうした場所に住む人間のほうがよく知っているのだ。
「お坊様! いそいで! こっちだで!」
少年はコウガクの手を取ると、ぐいぐいと引っ張る。
焦る気持ちが分かるコウガクは、自身も駆け足でそれについていく。
既に老人であるコウガクだが、その脚力は未だに平均的なコボルトのそれを遥かに上回っている。
難なく少年の後を着いて走り、少年の父親の元へと走った。
コウガクが背中に差している「ビョウキ、ケガ、ちりょういたしマス」という旗は、シャルシェルス教の僧がつける目印のようなものだ。
それを差して歩いている僧侶は、修行僧なのである。
少年はコウガクの衣服が薄汚れている為に気が付かなかったが、その家族はすぐに僧であると分かったようだった。
そして驚くことに、父親はコウガクの事を知っていたのだ。
なんでも、以前コウガクがこの村を訪れたときの事を覚えているのだという。
たしかに、コウガクはこの村に来たことがあった。
だがそれは、もう20年以上前の話だ。
随分昔の事なのに、よく覚えていたものである。
その頃はまだ、父親も少年ぐらいの歳だったはずだ。
父親は、物語に出てくるお坊様が来て下さって、嬉しかった。
だからよく覚えているのだ、という。
コウガクはその言葉に苦笑いしながら、困ったように頭をかいた。
少年の父親の病状は、たしかにかんばしくはなかった。
病にかかってから暫くほうっておいてしまったのだろう、随分重い状態にまで進行していた。
しかし、病気自体はたちの悪いものでなかったことと、栄養状態がよかったのは幸いだった。
コウガクの手持ちの薬草を調合して、治療魔法をかけさえすれば完治させることが出来るだろう。
早いほうがいいだろうと、早速治療をはじめることになった。
父親を寝台に寝かせ、コウガクはその胸の上に手を当てる。
目を閉じ、掌と喉に魔力を集めながら、朗々とお経のような呪文を唱えはじめた。
コウガクの毛皮に覆われた掌が、淡く輝き始める。
オレンジ色のその光は、まるで太陽光の様に暖かい。
暫くすると、コウガクの掌の光が移る様に、今度は父親の胸も光り始めた。
驚きの声を上げる少年を見て微笑みながら、コウガクは黙々とお経のような呪文を唱え続けた。
五分、十分と時間がたつうち、徐々にではあるが、目に見えて父親の顔色がよくなっていく。
よほど心地よいのか、父親は静かに寝息を立て始めた。
その様子を見て、少年は目を丸くする。
ずっと苦しそうに咳をしていた父親が、全く苦しまずに呼吸していたからだ。
結局、コウガクは三十分ほど間、父親の胸に手を当てていた。
父親はすっかり眠りに落ちた様子で、安らかな寝息を立てている。
コウガクはため息を一つつくと、背負っていた箱を床の上に下ろした。
いくつかの小さな包みを取り出すと、それを少年に渡す。
「お父さんが起きたら、このクスリを飲ませてあげなさい。いやいや、まだ体が元気でよかった。あまり急速に器官などに回復の魔法をかけてしまうと、回復に体が追いつけないことがあってね。体力があるときならいいんだが、病気で体が弱っていたりすると反動で心停止してしまうこともあるんだよ」
その言葉に、少年はぎょっとする。
魔法の種類にもよるが、病気の根本治療を助けるような魔法は、時間がかかるものが多かった。
ケガなどをあっという間に直す魔法もあるにはあるが、その殆どが受ける側に有る程度の余力が要求される場合が殆どだ。
なんの反動も無く回復させるものもあるが、それらは数分前の状態に身体を戻すものや、常軌を逸した魔力を必要とする。
それに、魔法で無理矢理完治させても、すぐにぶり返してしまうものなのだ。
結局、病気の治療には時間をかけて、体質から改善するのが一番だ、というのが、シャルシェルス教の治療方法なのである。
少年の父親の治療を終えたコウガクは、慌ててこの村の村長の元を訪れた。
小さな集落で治療行為をするときは、必ずそこの長に挨拶をしに行くことにしていたからだ。
突然ふらりと現れた老人が、けが人や病人を直して回るというのは、差しさわりがあるときも有る。
まずは挨拶をして、きちんと受け入れてもらうほうが都合が良いのだ。
それに、小さな集落であれば、誰が怪我をしているか、誰が病気で困っているかをその長が知っていることも多い。
教えてもらえることが出来れば、探す手間も省けるのだ。
少年に案内されて村長の家にやってくると、有翼種の老人が険しい表情でたっているのが見受けられた。
その老人がこの村の村長だという。
コウガクが声をかけると、村長は今気が付いたというように驚いた。
なんでも、昨日の晩大きな音がして、それが恐ろしくて気になっているのだという。
十中八九、水彦という少年がコルテセッカと戦っていたときの音だろう。
コルテセッカが倒されたことを伝えると、村長の顔はほっとしたようにほころんだ。
よく報せてくれた、と、コウガクの手を取って喜ぶ村長。
流通も人の往来も止まり、よほど困っていたのだろう。
暫くぶんぶんとコウガクの手を振ってから、村長ははっとした顔になる。
「お坊様、まさがコウガク様ではねぇですか!」
どうやら村長も、ずっと以前に訪れたコウガクの事を覚えていたようだ。
地面にひれ伏そうとする村長に、今度はコウガクが慌てる番になる。
そんな村長の様子を見て、少年が首をかしげた。
「村長もおっとぉも、どおしてこのじいちゃんのことさ知ってるんだぁ?」
村長は慌てて飛び起きると、少年の頭を引っ叩いた。
「おまえはこん、バカたれがぁ! こんのお人はそんれはそんれは偉ぇお坊様なんだぞ!」
何でも20年前、この村が毒を吐く魔物に襲われたとき、助けてくれたのがコウガクなのだという。
たしかに、そんな魔物を倒したような記憶がコウガクにもあった。
この村に逗留していたときに、たまたま村を襲った魔物を退治したのだ。
むやみやたらと毒を吐き散らす魔物で、不運にも毒をもらった村人を助けた記憶もたしかに有る。
だが、どうも村長の中ではいろいろと改変がなされている様子だった。
なんでも、天をも突かんばかりの巨大な化け物を、颯爽と登場してあっという間に退治したのだそうだ。
コウガクの記憶が正しければ、2~3日村に泊まっていたときの事だったし、魔物も精々2m程度であった。
たしかに最近物覚えが悪くなってきたコウガクではあるが、昔の記憶はたしかだ。
訂正しようかとも思ったが、村長のあまりの熱弁に、コウガクはひるんでしまっていた。
よほどそのときの事を恩義に感じているのだろう。
村長は身振り手振りを加え、まるで一人芝居の様な熱を込めて少年にそのときの事を説明している。
それを聞いていた少年の表情が、見る見るうちに変わって行った。
「あんの化け物さたおしたのは、じいちゃん、いんや、コウガク様だっただか!」
コウガクの名前は聞かなくても、化け物退治の僧の話は少年も聞いたことがあったようだ。
さらに、その化け物の頭蓋骨が、今でも村の集会場に飾ってあるのだという。
それを聞いて、コウガクはなんとも恥ずかしいような感覚に襲われた。
若気の至りを飾られているような気分になったのだ。
「村長殿、その辺で勘弁してもらえませんかな」
コウガクが止めて、村長はようやくしぶしぶ話を切り上げる。
「それにしてもコウガク様、よくぞおこしくださいました! 貴方様は自由なお方ですから、今この辺りにはちかづかねぇと思ったのですが!」
村長のその言葉に、コウガクは首を傾げた。
続けて村長の口から出たその理由に、ぺちりと額を叩いた。
以前アグニー族がメテルマギトに襲われて以来、このあたりにはやたらとステングレアの密偵が増えたというのだ。
長く旅をしてきたコウガクは、ステングレアとも浅からぬ縁が有る。
このあたりをちょろちょろしていたら、監視を付けられるかもしれない。
一人で自由に旅をすることを好むコウガクにとっては、非常にうっとおしい。
それだけではなく、今は見放された土地に居る神様に挨拶をしに行く旅の途中でも有る。
考えてみれば、それをステングレアに監視されるのは非常にまずいことだろう。
そういえばそもそも、彼らが周りを見張っている土地にどうやって入るかも考えては居なかったのだ。
ふらふらと歩き回るのを好むコウガクにとって、そういった物事は意中の外だったのである。
ただ、目的地に向かって歩いていけばいい。
その程度しか考えていなかったのだ。
「いやいや、これはまいった」
コウガクは渋い顔をしながら頭をかいた。
どうやって忍び込むかなどの知恵を働かせる仕事は、実はコウガクにとって苦手な物事なのだ。
だからと言って、諦めて帰る訳にも行かない。
何か方法を考えるにしても、今すぐになにか思いつくとはとても思えない。
コウガクが暫くの間村に泊めてもらえないかと頼むと、村長と少年は声を上げて喜んだ。
医者も居ない農村に、コウガクのようなものが暫くでも留まるのは非常にありがたいことだ。
それに、この村にとって大恩人でも有る。
泊まる場所を支度するようにと村長から言われた少年は、すぐさま何処かへと走り出してしまった。
それを見送ってから、コウガクは見放された土地へと向いた。
ゆっくりとした動作で頭を下げながら、静かに呟く。
「赤鞘様、もう少しお待ちください。この老いぼれ、命あるうちにお邪魔いたしますので」
寿命が50年と言われるコボルト族でありながら、コウガクはもう既に齢200を超えている。
命あるうちに。
それは、何時お迎えが来てもおかしくないと思っている、コウガクなりの「近いうちに」という意味の言葉なのだ。
「はて? そういえば、お迎えが来たら向こうで赤鞘様にお会いできるのかな?」
それはそれで、良いのかもしれない。
そんなことを考えながら、コウガクは面白そうに笑いをこぼした。
シャルシェルスって言いにくいね。
だったらいうなや。
という脳内会話を一人でしていました。
次回はシェルブレンさんのターン。
出来れば一話で終わらせたいなぁとおもいます。
それが終わったら、周りの国のリアクションを撃って、いよいよアグニー救出編への準備でしょうか。
がんばらないとなぁー、と。おもいます。