四十九話 「君には、その人物の買い物を手伝ってもらいたいんだよ」
世の中には、分相応、分不相応という物がある。
そう、キャリンは考えていた。
キャリンは、アインファーブルで育った孤児だ。
生まれて間もない頃、孤児院の前に置き去りにされていたのだという。
だから、キャリンは自分の父親や母親の事を知らない。
でも、それを不幸だとか、悲しいと思ったことは無かった。
孤児院にいるほかの子供達や先生が、彼にとっての家族だったからだ。
アインファーブルで孤児になる子供たちの親は、大抵が冒険者だった。
子供を街において魔獣を狩りにいき、死んでしまう。
そんな場合が殆どだった。
冒険者は、死と隣り合わせの仕事だ。
子供が居ようが居なかろうが、死ぬときは死ぬ。
だから、アインファーブルには常に孤児がいる。
ギルドが作った冒険者の為の街の、もう一つの一面だ。
それでも、この街の孤児たちは実に恵まれているといえるだろう。
孤児院にはギルドがお金を出資しているし、冒険者たちは仲間の残していった子供達にとても優しい。
街に住む人々も、自分の生活に余裕がある分、彼らを気遣うゆとりがある。
孤児たちは食べ物に困ることも無く、キチンとした教育も施される。
そして、ギルドや街で働くようになるのだ。
勿論、中には冒険者として身を立てようとするものも居る。
キャリンは、その中の一人だった。
保有魔力にしても体力にしても、キャリンは冒険者として十分な物を持っていた。
ギルドの結晶魔法を扱う技術も身につけているし、武器や防具の扱いも身につけている。
冒険者として必要な知識も、経験も積んできた。
まだ16歳の少年であるにも拘らず、彼のギルドでの評価は高い。
それは、自分の身の丈にあった、実力にあった仕事を確実にこなしているからだ。
無理をするでもなく、無茶をするでもなく、堅実に自分にあった仕事を、黙々とこなす。
それが、キャリンという冒険者の仕事の特徴だった。
若くして冒険者として確立した地位を持つキャリンだったが、自分が強いとか、人より優れていると思ったことは一度も無かった。
むしろ、自分は他の冒険者よりもずっと劣っているとさえ思っていた。
たしかにキャリンは、若いうちにある程度の実力をつけていた。
だがそれは、冒険者としての出発が早かったからだと思っていた。
他の人間も、同じ時期に同じようなことをしていれば、きっと自分の年には同じように、もしくはそれ以上になっているだろう。
キャリンはそう考えていた。
ギルド職員達や冒険者仲間はキャリンの事を、将来有望だとよく言っている。
このままいけば、きっと名を残す冒険者になるだろう。
実際、皆思っていた。
当の本人である、キャリン以外は。
このままいけば、たしかにもっともっと強くは成れるだろう。
だがその強さは、たかが知れている。
恐らく、精々がハガネオオカミ数匹を一人で相手取れる程度。
そのぐらいだろう。
そう、キャリンは思っていた。
まだキャリンが、駆け出し冒険者だった頃の話だ。
比較的安全なはずの森の浅い場所で、巨大なキバイノシシに遭遇したことがあった。
キバイノシシは4mを超える巨大なイノシシで、凶暴なことでよく知られた魔獣だ。
雑食性のこのイノシシの大きな特徴は、下あごから上へと突き出した二本の大きな牙だった。
これを使い地面を掘り返し、地中深くにある芋や昆虫を食べる。
またはこれを使い、動物を刺し殺して食べる。
キバイノシシは、中堅冒険者でも一人で相手に出来る魔獣ではない。
まして、駆け出しのキャリンが敵う相手ではない。
足が速く鼻も良いので、逃げ切るのはまず無理だろう。
それでも必死に脚を動かして逃げ惑い、岩陰に隠れ身体を丸めた。
そんなキャリンの努力をあざ笑うように、キバイノシシは彼の居場所を突き止める。
前足で地面を削り、突撃の準備を始めた。
死んだ。
そう思って身体をこわばらせたキャリンだったが、想像していた衝撃は何時までたってもやってこなかった。
変わりに耳に飛び込んできたのは、キバイノシシの断末魔。
恐る恐る顔を上げた彼の目の前に立っていたのは、パンツスーツを着た一人の女性だった。
その女性は剣に付いたキバイノシシの血をぬぐいながら、キャリンにこう声をかけた。
「あの、君これ解体出来る?」
その問いに対して、キャリンは首を縦に振るのがやっとだった。
「いやぁ、自分でやろうとしたんだけどね? 一太刀目で。なんかこれ違うなーって」
半笑いでいう女性の後ろに転がるキバイノシシをみて、キャリンは思わず悲鳴を上げた。
まるでアジかサバの様に、ひらきの状態になっていたのだ。
時間的に考えて、その女性が剣を振ったのは一度だけだろう。
となると、この女性はたったの一太刀でキバイノシシをひらきにしたということになる。
全長4mを超える魔獣を、たったの一太刀でだ。
「だめだね! 料理の才能ないねこりゃ! あっはっはっは」
そういって笑う女性を、キャリンはキバイノシシを見るよりもずっと恐ろしい物を見る目で見つめた。
その女性が、“複数の”とあだ名される有名な剣士だと知ったのは、暫くたってからだ。
それを知ったキャリンの胸に訪れたのは、羨望や憧れではなかった。
絶対的な強者に対する、恐怖。
それだけだった。
次元が違いすぎる。
そう感じたのだ。
たしかに自分は、まだまだ伸びしろがあるだろう。
強くなれるし、その努力もしている。
だが、けして超えられない一線がある。
キャリンは、それを間近でみて、感じ取ってしまったのだ。
自分ではそこに届かない、と。
彼は優秀だった。
優秀だからこそ、分かってしまったのだ。
自分は、そこまで強くは成れないと。
それからも、いや、それまで以上に、キャリンは堅実に仕事を続けた。
自分の限界が分かるから、無理をしない。
無茶もしない。
キャリンも男の子だから、以前は「最強」とか、「無敵」というものに憧れていた。
だが、実際にとてつもなく強いものを目の前にしてしまえば、否が応でも悟ってしまう。
自分ではとても追いつけないのだ、と。
だから、キャリンは黙々と自分のこなせる仕事を、こなせるだけこなしていた。
分相応。
それが、キャリンが見つけた、冒険者としての生き方だった。
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防具屋で荷物整理の仕事をしていたキャリンを訪ねてきたのは、ギルド職員の一人だった。
ギルド長であるボーガーから、緊急依頼があるのだという。
それを聞いて、キャリンはあんぐりと口をあけたまま固まってしまった。
ギルド長のボーガーといえば、“慧眼”や“千里眼”とあだ名される、超能力じみた人間識別眼の持ち主だ。
そんなギルド長が直々に、キャリンを名指しで緊急依頼を出して来たのだ。
驚くなというほうが無理だろう。
動揺するキャリンを、ギルド職員は半ば引きずるようにして連行した。
途中で我に返り、キャリンはまだ荷物整理の仕事が終わっていないとギルド職員に抗議する。
すると、ギルド職員はにっこりと笑って言い放った。
「代わりに働く人を用意してあるから、安心して」
にっこりと笑うギルド職員の言葉に、キャリンは表情を引きつらせた。
そんなキャリンに、ギルド職員は追い討ちをかけるように続けた。
「ギルド長が、君は性格的に仕事が終わっていないことを気にするだろうからって言ってね」
それを聞いたキャリンは、意識が薄れていくのを感じた。
世界中に支部を持つ超巨大組織のトップが、自分の事を指名したばかりが、自分の事を気遣っているというのだ。
一体何をさせられるのだろうか。
普通ならば、何か大仕事を任されるのかも知れないと期待に胸を膨らませるところだろう。
冒険者と言うのは、期待されたり腕前を信頼されれば、名指しで仕事を任されることもある。
信頼されていれば信頼されているほど、そのときの待遇はよくなる。
ギルド長から名指しで、仕事が中途半端になるのを嫌うキャリンの性格を考慮してまでの緊急依頼。
一体どれほど重要な仕事だというのだろう。
街の近くに現れたというコルテセッカは昨日退治されたという話しだし、それ以外に何かが出たという話は聞いていない。
思い当たるとしたら、コルテセッカに追われて森の奥から大型の魔獣が出てきた、ということぐらいだろうか。
それにしたって、キャリンレベルの冒険者が呼び寄せられるとは思えなかった。
堅実で確実な仕事に定評のあるキャリンではあるが、実力はまだ中堅の域を出ない。
一人で中型の魔獣を倒すのがやっとの自分に、一体何をさせるつもりなのか。
おおよその若い冒険者が今のキャリンと同じ立場になれば、期待に胸を躍らせることだろう。
一体どのような仕事を任されるのか。
“慧眼”ボーガーに見出された冒険者は、ことごとく大成している。
もしかしたら、自分もその一人に成れるかも知れない。
そんな喜びと、興奮を覚えるはずだ。
だが。
キャリンはそういったおおよその若い冒険者とは、かけ離れた価値観の持ち主だった。
堅実に、確実に、分相応の仕事をきちんとこなして行きたい。
そんな就職先に公務員を選ぶ人のような願いを、キャリンは持っているのだ。
だから、キャリンにとって見ればこの呼び出しは、恐怖以外の何物でもなかった。
一体何をさせられるというのだろう。
まさか、おとりか何かに使われるのでは。
顔を真っ青にして抵抗するキャリンだったが、彼を引きずっていたギルド職員は思いのほか準備がよかったらしい。
声をかけると、どこからとも無く数人のギルド職員が現れ、一斉にキャリンを押さえつけにかかったのだ。
幾らキャリンが冒険者といえど、既に一人に組み付かれている状態では手の出しようも無い。
もがくキャリンを押さえつけながら、ギルド職員は笑顔で「大丈夫大丈夫」という。
こんなに安心できない大丈夫は、キャリンの人生の中で初めてだった。
羽交い絞めにされているキャリンを前にしたボーガーは、ため息を付いて眉間を指で押さえた。
キャリンを羽交い絞めにしているのは、ボーガーの良く見知ったギルド職員だ。
ギルド職員はにこにこと笑顔を見せると、はきはきとした声でボーガーに報告をする。
「冒険者、キャリン殿をお連れしました!」
これはお連れした、ではなく、拉致って来た、というのではないか。
そんな疑問がのど元まで出かかったボーガーだったが、何とかその言葉を飲み込む。
「ご苦労様。業務に戻ってくれてかまわないよ」
「はい!」
ボーガーの言葉に、ギルド職員はキャリンの拘束を解くと、機敏な動きでその場を去っていった。
残されたのは、なにやらぐったりとしたまま床に転がるキャリンだけだ。
「な、何が……」
震える声でそうつぶやくキャリンの近くに膝を突き、ボーガーは彼が上半身を起こすのを手伝った。
リザードマンであるボーガーの表情はほかの人族に比べ読みにくいとされているのだが、それでも分かる疲れの色を滲ませている。
「いや、すまないね。さっきの彼は仕事は速いんだが、手段を選ばないところがあるんだよ」
「は、はぁ」
ボーガーの言葉に生返事をするキャリン。
その表情はまだうつろで、事態を飲み込めていない様子だった。
そんな顔のまま、キャリンはボーガーを見つめ口を開く。
「あの。一体何なんですか?」
心からの疑問だろう。
キャリンの身体をよく見れば、此処まで引きずってこられたのだろうことがよく分かった。
服や身体に土が付着し、服の一部などが裂けているのだ。
暴漢に襲われた少女のような有様だ。
ボーガーはなんともいえない苦い表情になると、一つため息を付いた。
「いや、すまなかったね。少し急ぎで君に頼みたいことがあったから連れてくるように頼んだんだが。まさか此処まで急いで引きずってくるとは思わなかったものだから」
ばつが悪そうに頭をかくボーガー。
そんな様子をぼうっと眺めていたキャリンだったが、段々と自分の置かれている状況を認識し始めていた。
引きずられて入ってきたのは、ギルド本部だったはずだ。
階段を上がって連れ込まれた先は、応接室のような部屋。
そして、目の前に居るのはボーガーギルド長。
正気に戻ったキャリンは、飛び跳ねるように起き上がると、背筋を伸ばした。
「し、失礼しましたっ! 自分は冒険者のキャリンといいます! ギルド本部長、ボーガー・スローバードギルド長とお見受けします!」
顔を引きつらせ額に汗を浮かべながらも、キャリンは表情を引き締めた。
キャリンにとってボーガーは、文字通り雲の上の人物だ。
世界中に支部を置き、エネルギー事情を一手に牛耳っている組織の長。
それがボーガーなのだ。
けして水彦に苦労させられているだけの人ではない。
緊張した面持ちのキャリンを見て、ボーガーは微笑んだ。
立ち上がりキャリンの正面を向くと、しっかりとその顔を見据える。
「たしかに、私はボーガーです。キャリン君で間違いないね。さっきも言ったが、すまなかったね。君を連れに言った者が、乱暴を働いたようで」
「いえ! ぜんぜん、ぜんぜん大丈夫です! はい!」
かなり大丈夫ではなさそうではあったが、当人が言うのだから大丈夫なのだろう。
ボーガーはゆっくりと頷き、話を続ける。
「君に依頼を受けてもらいたい、という話は聞いていると思う。内容は荒事ではなく、買い物の手伝いだね」
「買い物の手伝い? ですか?」
眉をひそめ、困惑するキャリン。
アレだけ無茶な連行のされ方をして何をさせられるのかと思えば、買い物の手伝いだ。
いぶかしく思うのも当然だろう。
そんなキャリンに、ボーガーはあくまでまじめな様子で言葉を続ける。
「ああ。買い物だ。ただ、一緒に買い物をしてもらうのは普通の人物ではなくてね。昨日街の中で魔獣を引きずって歩いていた人物の噂は、聞いているかね?」
「はい。なんでもコルテセッカとワイバーン種と狼系の魔獣を引きずって歩いていたとか」
「流石に耳が早いね。君には、その人物の買い物を手伝ってもらいたいんだよ」
「はっ、え?」
はい、と返事を仕掛けて、固まるキャリン。
「ええっと、その、それは、その人物と言うのはその……」
何か言いにくい事の様に言いよどむキャリン。
この世界の強者には、共通した特徴がある。
それは、「強ければ強いほど、何処かずれてる」という物だ。
強い者ほどアクが強く、強烈なキャラなことが多い。
キャリンが聞いた話がたしかならば、魔獣を引きずっていた人物は自分だけでそれらを倒したのだという。
だとしたらその人物は相当に強いだろう。
そして、相当に変わった人物だろう。
そういう相手にかかわるとろくなことが無いというのは、どこの世界でも同じだ。
ボーガーは僅かに苦笑を浮かべると、ぽんっとキャリンの肩を叩いた。
「君の言いたいことは大体分かるよ。たしかに彼は少し変わったところはあるけれども、会話の出来ない相手ではない。君なら言葉遣いや態度も問題ないし、この街の事にも詳しい。何の問題も無いと思うよ」
腕一本で生きていける冒険者という職に就くものは、多かれ少なかれ荒くれ者だ。
きちんとした教育を受けていないものも居るし、受けていても対人関係に問題のある人物もいる。
そもそも教育を受けているようなものは、国の軍隊などに所属することが殆どだ。
曲がりなりにも敬語を扱い、相手を尊敬する態度を取れる学のある人物と言うのは、冒険者には珍しい。
キャリンにはそれが出来た。
そして、だからこそボーガーは、キャリンをここに呼び寄せたのだ。
そんなボーガーの意図を、キャリンは今しがたの言葉から読み取っていた。
そういう察しのいいところも、ボーガーがキャリンを選んだ理由だろう。
「ですが、その、それでしたら自分ではなく、ギルド職員の方でも宜しかったのではないかな、と思うのですが」
「うん。流石だね、連絡役という意味でもその手もあるだろう。でも、万が一の場合を考えてね」
「万が一、ですか。つまりその、その人が戦うようなことになったときとか、ですか?」
キャリンの言葉に、ボーガーは僅かに目を見開いた。
察しのいい少年だとは思っていたが、思った以上だと驚いたのだ。
強い人物と言うのは、往々にして力の振るい方が大雑把になる傾向がある。
たとえばハエを取ろうとするとき、態々針で突き刺そうとする者はそういない。
ハエ叩きのような大きな物で、大雑把に叩くだろう。
その近くに何か物があったら、一緒に叩いてしまうかもしれない。
強者にとって、此処で言うハエというのは邪魔に成るもの全てだ。
叩かれるかもしれない近くにあるかもしれない物とは、この街のことだ。
コルテセッカというドラゴンは、まごうことなき化け物だ。
それを狩る事が出来るものがいるとすれば、それもまた化け物だろう。
その化け物が、人がハエを払うように力を振るえば、どうなるだろう。
果たして巻き込まれた街は、無事ですむだろうか。
だから、代わりに戦うものが居る。
ハエが近付かなければ、払う必要も無いのだ。
「うん。そうだね。名と顔の売れている君が居れば、喧嘩を売られることも無いだろう」
ボーガーの言葉に、キャリンはゆっくりと頷いた。
それを確認して、ボーガーはさらに言葉を付け足す。
「あまり監視をつけているとも思われたくないし、君ひとり居れば問題は無いと思う。だから、今回は君一人に付いていって貰いたいんだよ。頼めるかね?」
その言葉に、キャリンはなんともいえない渋い顔を作った。
断るという選択肢は、まず無いだろう。
ボーガーとのコネも出来るし、何よりも彼がキャリンを見込んでの依頼だ。
ギルドに所属する冒険者でこれを蹴るものは、まず居ない。
「分かりました。やります。ですがその、報酬以外に、いくつかお願いしたいことがあるのですが……」
キャリンのその言葉を予想していたのだろう。
ボーガーはこくりと頷いた。
「ああ。なにかね?」
結局キャリンはいくつかの要望をボーガーに伝え、ボーガーはそれを受け入れた。
キャリンが来るのを待っているという、買い物を付き合う相手。
水彦という名の少年とキャリンが顔を合わせたのは、それから数分後の事だった。
なんか人物描写が楽しくて色々やっちゃって本編が進まないですね。
こういう語り的なものが好きな病気は治らないと思います。
さて、次回はようやくお買い物オンリーの回です。
順調に行けば次回でお買い物の流れは終わり、新しい主要人物が登場します。
そしてその後は、皆お待ちかねカーイチの新装備とアグニー達です。
一体カーイチはどんな目にあってるんでしょう。
そして、お使いの行方は。
次回「水彦のぶらり途中下車の旅」
馬車とかでも下車っていうし。