四話 「ゲームでぐらいしか見なかったもんですよ」
とりあえず今後の方針を決めようということになり、赤鞘と天使エルトヴァエルは対面になって座っていた。
赤鞘が治めている土地は、今のところ荒地しかないので、座るのは地べたに直接。
しかも場所は、赤鞘が落下して出来たクレーターの横だ。
天使と神が荒野のクレーターの横で、正座で向かい合っている。
敬虔な信徒が見たら思わず絶句すること請け合いな光景だが、周りには人っ子一人いないので問題は無い。
「地上への出入り口だって言うから一歩踏み出したんですけど、此の世界の神様ってことごとく飛べるんですよね。上空に入り口あるの忘れてましたよ」
よほど怖かったのか、真顔で語る赤鞘。
この世界の神族や天使にとっては常識ではあったが、赤鞘にそれは当てはまらなかったらしい。
というか、出入り口から顔を覗かせれば、どうなっているかぐらい分かるのでは無いだろうか。
そんなことを思うエルトヴァエルだったが、赤鞘のあまりの真剣な表情に言葉が出てこなかった。
三白眼で、基本的に強面の赤鞘の真顔は、無駄に迫力がある。
それこそ天使が額に脂汗を浮かべるぐらいに。
「その……大変でした、ね?」
なんともいえない硬い表情でそういうエルトヴァエル。
注意力散漫すぎるだろうとつっこみを入れたいところだが、相手は神様だ。
そんなことできる訳も無い。
微妙に表情が引きつっているエルトヴァエルだったが、赤鞘に気づいている様子は無い。
「さてと。ええっと、早速なんですが」
「はい」
赤鞘の声に、エルトヴァエルは姿勢と表情を正した。
本題に入るようだ。
「何でこんなに肥沃なのに草生えてないんです?」
落下直後、赤鞘はこの土地の土を調べてみていた。
表面は乾燥し多少硬くなっているものの、荒地になるような土ではない。
土自体やわらかく、草木が根を張るのにもってこいのはずだ。
どういうわけか、栄養も豊富に含まれているようだった。
赤鞘は土を口に含めば、その土のことが大体分かるという特技を持っていた。
どんな栄養素が含まれているか、どの程度のpHなのか。
ちなみにコレは神としてのスキルではなく、彼が人間時代に身につけたものである。
土を口に入れるということに抵抗を覚える人も多いだろうが、意外なことにコレれっきとした土の確認作業の一環であったりする。
人間の感覚器官というのは意外なほど優秀で、たとえば料理で「塩が一摘み足りない」なんていうことも見抜いたりする。
匂いと手触り、それだけで足りないと思えば、味で情報を補完する。
もっとも、ほとんどの場合は畑の健康な土に対してするものであり、その辺の土を口に入れるのはお勧めできないのだが。
神である赤鞘の場合は、一応その限りではないわけだ。
そんな赤鞘の言葉に、エルトヴァエルは不思議そうな表情を見せた。
数秒目を見開いて赤鞘の顔を見つめたあと、何かに思い至ったらしく「ああ、分かりました」とつぶやいてこくこくと首を縦に振った。
赤鞘が未だこの世界の常識をあまり理解していないことを思い出し、エルトヴァエルは説明のために口を開く。
「はい、確かにこの土地は栄養はかなり豊富に含んでいると思います。近くに水場もありますし、そういう意味ではとても恵まれています」
エルトヴァエルの言うように、二人がいるすぐ近くには川が流れている。
それを改めて確認するように視線を川のほうに向け、赤鞘は首を捻った。
「海が近くにありますが、塩害という訳でもありませんよね。雨も適度に降っているようですし、気温も適温に感じますが……」
赤鞘の言うように、この辺りは海辺ではあるが塩害を受けている様子は無い。
地面の湿り気や川のカサを見ても、水が不足しているということは無いだろう。
外気温も、低すぎるということもなく、暑すぎることもない。
除草剤でも蒔かれているのかとも思ったが、その気配もなさそうだ。
正直なところ、赤鞘にはこの土地に草が生えていない理由が思いつかなかった。
困惑気味に表情をしかめる赤鞘。
エルトヴァエルはすこし悩んだあと、言葉を選ぶように話し始める。
「まず、この世界における魔力について説明します。
魔力とは、この世界のどこにでも存在するエネルギーのことです。
これは”世界の理を逸脱した現象を起こすための対価”とも呼ばれるもので、その使い方次第でありとあらゆる現象を起こすことが可能です。
そんな便利な力があれば、生物は勿論利用します。この世界に生きとし生けるものの大半が、生命活動に魔力を使っています。
まるで、酸素や電気信号のように。
この荒地一帯には、その魔力が致命的に不足しているのです。
ですから、動物はおろか草も生えることが出来ません。
例外として、一部の魔力枯渇に強い雑草が生えている程度なわけです」
「はぁはぁ。なるほど。そういうわけですか」
赤鞘は改めて周りを見渡すと、納得したように頷いた。
確かに荒野に生えている草は、どれも同じ種類の様に見える。
「魔力って言うと、ゲームでぐらいしか見なかったもんですよ。元の世界では」
考え深げにつぶやく赤鞘に、エルトヴァエルは苦笑いを洩らした。
エルトヴァエルも知識として赤鞘の世界のゲームのことは知っていた。
仕える神と話を合わせるために、ある程度のことは調べておいたのだ。
今となっては人となりなども調べておけばよかったと後悔していた。
神というのは、過去を調べられるのを嫌うことが多い。
神話などを調べると分かるだろうが、大体何かしら失敗やドジ話があるからだ。
色恋のことから、酒にかかわる失敗談まで、その方向性は多岐に渡る。
調べるうちそういうことに行き当たるだけならいざ知らず、もし調べていたことが当の本神に知られたらどうなるだろう。
穏やかな神ならばいいが、気の短い神ならば何をされるか分からない。
うっかりご機嫌を損ねれば、夜空に打ち上げられて星座にされたりするのだ。
これから長く付き合うのだし、あえて危険を冒さずとも時間はたっぷりある。
段々分かっていけばいいだろう。
そう思っていたのだが。
ビビッて無いできちんと調べればよかったかも知れない。
そんな風に思うエルトヴァエルだった。
「で、なんでここ魔力無いんです?」
先に、魔力はどこにでもあると説明しているだけに、もっともな質問だろう。
エルトヴァエルは頷くと、再び口を開いた。
「数十年前、ここで大きな戦争が行われたんです。
そのときに、大地と大気中の魔力を大量に使う大量破壊魔法が使われました。
周りの魔力という魔力をすべて吸い上げて発動されたその魔法により、このあたり一帯は焼け野原になりました。
そのせいで元々あった生態系は完全に破壊されて、植物も根こそぎ消失しています」
「でも、魔力ってどこにでもあるものなはずですよね? 他所から流れてきたりしないんですか?」
「はい。流入してきます。ですからそれを防ぐために、ここの周りには結界のようなものが敷いてあります」
エルトヴァエルの言葉に、赤鞘は首をかしげる。
「何でそんなことを?」
「魔力には厄介な特徴がありまして。
普段はふわふわもこもこ空気中や地面を漂っていて、天然自然にどこかに固まるということは決して無いんですが。
一定以上の量を使ってその空間の魔力を枯渇状態にまで追い込むと、一箇所に超高密度で集まろうとするんです。
ちょうど、真空状態のモノのなかに、何かが急速に流れ込む状態になるんですね。
その勢いで一箇所に固まった魔力は、まるで重力を持ったように周りの魔力を引き寄せ、肥大化していくんです。
ちょうど、ブラックホールの様に。
そうなったら、もう神様が介入して、固まった魔力を拡散させるまでどうにもなりません」
「なるほど……」
そこまで聞いて、赤鞘は顎に手をあてた。
正直、話が難しくてあんまりよく分かってなかった。
それはそうだ。
一朝一夕ですぐに物事を理解できるほど理解力があるのならば、アンバレンスにあんな手紙はかかれないだろう。
とりあえずなんとか分かったことだけでも頭でまとめ、質問する。
「このあたりの魔力が枯渇してるってことは、そのブラックホール状態になっちゃってるって事ですよね?
そのブラックホールにほかの地域の魔力も持っていかれることを嫌って、結界を張っている、と」
「はい。結界の管理をしているのは私達天使なので、ある程度干渉が出来るのですが、なにぶん塊のほうは力が大きすぎまして。天使である私達には、手に負えないのです」
表情を曇らせるエルトヴァエル。
「それで、そのブラックホールみたいな塊って言うのは、どこにあるんです?」
「はい。この真下あたりになります」
「へー?」
言われて、赤鞘は地面に顔を近づけ、目を凝らした。
はたから見るとかなり妙な光景だろう。
神である赤鞘の目には、地面を透かし、その奥にあるものを視る力がある。
水の流れや、マグマの流れ。
地層や断層なども見ることができる。
そんな赤鞘の目に、巨大な球体のようなものが飛び込んできた。
強大なエネルギーの塊だ。
通常は不可視のものである魔力だが、神である赤鞘が「視よう」としていることにより、視覚的にその姿を現している。
光の粒子のようなものが集まり、ぐるぐると回転しながら、球体の形をとっている。
圧倒的な何かを感じさせるそれに、赤鞘は見覚えがあった。
「これって、神力の一種ですよね? 創生とかに使うヤツ」
神の力にも、いろいろと種類がある。
その中でもとりわけ理を作ったり、物質を創造したりする力。
赤鞘の目には、エルトヴァエルが言う魔力が、それと同じものに見えたのだ。
不思議そうに首をかしげてたずねる赤鞘に、エルトヴァエルは苦笑をもらす。
「はい。その通りです。
母神様は、この世界の生物にその力を使うことをお許しになられたんです。
勿論、ある程度制限を設けて、ですが。
そして、世界を神力で満たし、それを使うすべをお与えになりました。
ご存知の通り、この力はいくら使っても消滅することがありませんから」
この力は、現象を起こした後でも消えることは無い。
別の形へと変わった後、しばらくの時を置いてまた元の姿へと変わっていくのだ。
ちょうど、酸素のようなものだと思えばいいだろうか。
二酸化炭素や、鉄と反応して酸化鉄になったとしても、絶対量は変わらず、またいずれ元の姿へと戻っていくのだ。
「はぁー」
感心したようにため息をつくと、赤鞘はぽりぽりと額をかいた。
そして、地面の下にある魔力の塊を見つめながら、眉間に皺を寄せた。
「しかしまあ。面倒事ですね。魔力の管理とか何とか。大変なんじゃないですか? 実際私が呼ばれてきたのもコレが原因みたいなものみたいですし」
「はい。その、なんといいますか。母神様は慈悲深い御方ですから。生き物達が少しでも栄えやすいように為さったんです。そういうこと度外視で」
笑顔で言うエルトヴァエルだが、若干表情が引きつっている。
赤鞘が何を言いたいのか、なんとなく見当がついたのだろう。
「作った後結局ほかの所に行かれたんでしたよね、たしか」
この世界を作った創造神である「母神」は、「海原と中原」を離れ、新しい世界の創造へ向かったという。
「はい、そうですね」
「そうでしたよね。あっはっは……」
いつの間にか赤鞘の顔にも、引きつったような笑いが張り付いていた。
二人とも、心の中は大体同じようなものだった。
(めんどくせぇモンのこして、自分はトンズラかよ)
たとえそう思っていても、誰も見ていなくても。
怖くて口には絶対出せない。
そんな下っ端根性の染み付いた二人だった。
「とりあえず当面の目的としては、私がコレを拡散してこの辺りいったいを魔力で満たせばいいわけですね?」
「そうなりますね。そうすれば、放って置いてもある程度の動植物は戻ってきますから」
「あー。今は何にもいないんですもんねー」
そういうと、赤鞘は改めて周りを見回した。
見事なまでの荒地に、禿山。
川には水が流れているが、先ほどの説明を聞く限り魚などは泳いでいないのだろう。
生き物の気配が感じられない光景を眺め、赤鞘はため息を吐いた。
「まあ、これからがんばって増やしていきましょうか」
そういうと、赤鞘はゆっくりと立ち上がった。
神体である赤鞘の服に汚れがつくということは無いのだが、習慣なのだろう、膝をぽんぽんと払う。
「とにかく、よろしくお願いしますね」
そういうと、赤鞘はエルトヴァエルに向かって手を差し出した。
その手を、きょとんとした顔で見つめるエルトヴァエル。
天使と握手しようとする神など、エルトヴァエルの常識には居ないからだ。
差し出された手の意味に気が付き、あわててそれを握る。
赤鞘はにっかりと満面の笑顔を浮かべた。
「よろしくお願いします、エルトヴァエルさん」
「は、はい! こちらこそその、よろしくお願いします」
赤鞘はエルトヴァエルの手を両手で掴み、ぶんぶんと上下に振り回す。
死の荒野と呼ばれる場所で、神と天使が握手を交わす。
神にも見放された死地とされるその場所は、ある教会曰く「人間の愚行を憂いた神が、その愚かさを忘れさせないために残した土地」であるらしい。
そんな誰からも見放されたとされるその場所で、元の世界では忘れられ、この世界ではまだ誰一人として知るものの居ない神が笑う。
祭る人も、社もないその土地で、ただ一柱。
赤鞘は底抜けに明るく、楽しげに笑う。
まだ見ぬ、これからこの土地に息づくであろう命を思いながら。