三話 「まあ、なんていうか。よろしくお願いします」
乾燥した大地に穿たれた、真新しいクレーター。
深さ2mほどの、お椀型をしているそれは、未だもうもうと土煙を上げている。
その中央には、真っ赤な鞘が一本めり込んでいた。
高度数千mから自由落下したのだ。
普通なら原形をとどめないほど粉砕されるのだろうが、どういうわけかその鞘には傷一つついていなかった。
それもそのはず。
この鞘は伝説の品や神器どころか、神そのものなのだから。
もっともその割には、まったく飾り気も無い量産品にも見える質素な外見ではあるのだが。
地面にめり込んだ鞘から、赤い、小さな光の粒子が立ち上る。
土煙を押しのけ、質量のあるものの様に揺らめくその粒子は、煙の様にもうもうと立ち上り始めた。
高さ2mほどまで立ち上ると、それはまるで意思があるかの様にグネグネと蠢く。
散漫に広がっていくかに見えたそれは、次第に一箇所に集まり始める。
人の輪郭のようなものを作り始めた赤い光の粒子は、徐々にその輝きを増していく。
瞬間、眩い閃光が走る。
それが収まったときには、赤い光の粒子だったものは、袴をはいた武芸者へと姿を変じていた。
「はぁー……。死ぬかと思った」
武芸者、土地神赤鞘は心底疲れきったような顔でそうつぶやくと、傍らに転がる自らの依り代を拾い上げた。
自らが穿ったクレーターから這い出すと、赤鞘はきょろきょろと周りを見回す。
ぺんぺん草のような、恐らく荒地にも生えるだろう草が所々生えているだけの大地。
「あー。これは見事な荒地だね」
ため息混じりに言いながら、赤鞘は鞘を自分の腰に差した。
赤鞘の言葉通り、周囲はまさに荒地といった風景だった。
海と、数キロの平地が広がり、海の反対側には山が見える。
平地と海の間にはある程度高さの差もあるようで、地震大国日本からやってきた赤鞘も、津波を気にしなくて済みそうだ。
赤鞘が落下したところはすこし高台に当たるらしく、すこし離れたところには川が流れているのも確認できる。
だが、その周りにも植物は少なく、流れる水の量も少ない。
元々はもっと水量があったのだろう、流れの後のようなものはあるが、今は窪みが残るばかりだ。
「んーん」
土地の様子を一通り見た赤鞘は眉を寄せ、小首を捻る。
やおら地面に膝をつくと、土を手にとってまじまじと見つめた。
乾いてしまっているそれを、指で手のひらに押し付ける。
顔を近づけて匂いをかぐと、赤鞘の眉間の皺はますます深くなった。
手のひらの上で土をぐりぐりとすり潰し、指についた土をジーっと睨みつける。
土のついた指を上に掲げ、太陽越しに見てみたり。
顔を横にして、薄目で見てみたり。
今度は逆に、体で影を作り、その上から見てみたり。
しばらく指についた土を観察した赤鞘は、おもむろに指を口に近づける。
そして、ぺろりと指についた土を舐めた。
味を確かめるようにしばらく口をもごもご動かし続け、横を向いて吐き捨てる。
赤鞘は表情を険しくすると、小首をかしげながら周りを見回し始めた。
「あーもー! はやくはやくはやく!」
いらいらとした口調で一人ごちりながら、天使はくるくると旋回しながら地表を目指して降下していた。
空を飛ぶものには、飛び方に得手不得手が少なからず存在する。
長距離を飛ぶのは得意だが、離陸が苦手。
この天使は、上昇と滑空は得意なのだが、下降が苦手なタイプだった。
あまり急激に降りようとすると、勢いを殺しきれなくなり地面に激突してしまうのだ。
地面に穿たれたクレーターを目指し、下降。
徐々に近づいてきたそこの近くには、一人の男が立っていた。
この世界ではほとんど見ない和装に、腰には赤い鞘。
「居たっ!」
天使は顔をぱっと明るくすると、ばたばたと羽を羽ばたかせる。
まだ高さはあるものの、これの高さなら落下しても大丈夫だと踏んだのだろう。
羽と一緒に手足をバタつかせながら、ほとんど落ちるような速度で地面に降り立つ。
たたらを踏みながらもなんとか落下の勢いを相殺し、大きく息を吐いた。
かなり無茶をしたのだろう。
心臓の辺りを押さえている様子からして、かなり心拍数が跳ね上がっているようだ。
しばらく肩で息をしていた天使だったが、思い出したように顔を上げ、きょろきょろと視線をさまよわせ始めた。
目的のものを見つけたのか、あわてた様子で走り出す。
向かった先にいるのは、勿論和装の男だ。
和装の男の前にやってきた天使は、倒れこむような勢いで跪くと、頭を垂れて口を開いた。
「異世界より此の地に御出でに成られた神、赤鞘様とお見受けいたします」
「へ? あ、はい。そうですけど」
男、赤鞘は突然現れた天使を唖然とした顔で眺めながら、間の抜けた声で返事をした。
「私は赤鞘様にお仕えするよう申し付かりました天使、エルトヴァエルと申します」
「ああ、あー。なるほど。貴女がエルトヴァエルさんですか! 先にこちらに来ていると聞いていたので、落下してくるとき見かけたからもしかしたらそうかなー、とは思ったんですけどね? 私、ソラ飛べないもんで。 来てくれるの待ってるしかなかったんですよね!」
あっけらかんとそういうと、赤鞘はあっはっはと声を出して苦笑した。
困ったときは笑ってごまかす。
まさに日本人体質だ。
「そうだそうだ! そんなかっこうしないで、顔上げてください!」
「はい。ありがとうございます」
そういうと、天使エルトヴァエルはゆっくりと顔を上げた。
これから仕える神に対して跪かないというのもどうかと思ったが、赤鞘がそうしろというのだから是非も無い。
立ち上がり、赤鞘を正面から見つめる。
そんな様子に満足したのか、赤鞘は手に持っていた土を捨て手を払うと、にっこりと微笑む。
「あ、そうそう。先に言っておきますが、私此の世界の礼儀作法とかよく分からないんで。失礼なことしてしまうかもしれませんけど。まあ、その辺はお互い気楽にやりましょう」
「き、気楽に、ですか?」
エルトヴァエルは自分の表情が引きつるのを感じた。
彼女の知る神というのは、なんでも大仰にしたがるものだった。
お腹すいたからつまむ物持って来てくんない?
という内容を200文字詰め原稿用紙2~3枚ぐらいの文章でやり取りするような、七面倒臭い連中ばかりなのだ。
例外といえば、唯一太陽神アンバレンスぐらいだろうか。
彼は下の身分であるはずの天使たちにも、母神やほかの神々に対してとまったく同じように振舞っていた。
それはそれで大問題なのだが。
「あ、そうだ。アンバレンスさんからコレ預かってきたんですよ。貴女にって」
「太陽神様からですか?!」
「ええ。なんか、すぐに読んでくださいとのことでしたけど」
赤鞘が懐から取り出したのは、一通のはがきだった。
気軽にはいっと渡されたそれを両手で受け取るエルトヴァエル。
本来、神が天使へ手紙を書くことなど無い。
念話で事足りるからだ。
念話、とはいっても、神から天使へ一方的に語りかける形になるのだが。
エルトヴァエルは混乱しながらも、アンバレンスからのものだというはがきを読み始めた。
前略
中略
後略
おわり
だとおもった?
おはようございますこんにちはこんばんは。
太陽神アンバレンスです。
今回は異世界から来てくれた赤鞘さんのサポート役になってもらって、本当にありがとうございます。
本当に、本当にありがとうございます。
一ヶ月の間、いろいろな情報を集めてくれたようですね。
エルトヴァエルちゃんは情報収集とか得意だとは聞いていたんですが、こんな短期間で周りを全部調べ終わったんだと聞いて、びっくりしました。
その情報はきっと、赤鞘さんの力になると思います。
何せ赤鞘さんが此の一ヶ月で取得したのは、現地の言葉だけなのだから。
どうも我々は、赤鞘さんの学習能力を舐めていたようです。
いろいろ勉強してもらったのですが、赤鞘さんはいまだに周囲の国の名前もうろ覚えです。
位置もうろ覚えです。
要するになんにも覚えてないのと大体変わりません。
半端に覚えてる分よけい質が悪いです。
ついでに言うと、肝心の動植物のほうもあまりよく分かっていないようです。
やっぱり名前と形が一致していません。
ファンタジーなモンスターとかは大体分かるようなのですが、この世界独特の動植物はいまいちな様です。
ていうか滅多に地上に降りないけど、たまに見るとウチの世界の動植物ってキモイですよね。
赤鞘さんの世界のウサギとかハムスターとか超かわいい。
ウチの世界にもああいうのいればいいのに。
そんなわけで、いろいろ赤鞘さんに教えてあげてください。
エルトヴァエルちゃんなら出来るって、信じてるっ!
信じてるっ!!
草々
はがきを読み終わったエルトヴァエルは、真顔のまま固まっていた。
脳が事態を受け入れるのに、時間がかかっているようだ。
どうやら赤鞘もはがきの内容を知っているようで、ごまかすように笑いながら頭をかいている。
「まあ、なんていうか。よろしくお願いします」
「はぁ……」
あいまいな笑顔を浮かべながら、天使エルトヴァエルはため息とも返事とも取れるものを吐き出した。
これから先のことをうれいているのだろう。
強烈な頭痛の中、何とか声を出しただけでも、賞賛に値することかもしれない。