三十三話 「きちんと、目立たないようにお願いしますよ?」
天使エルトヴァエルは、自分の予測を超えて居た水彦の戦歴に頭を抱えていた。
具体的には、宿屋の部屋に備え付けてある椅子で、考える人のポーズを取るレベルだ。
きちんと左足に右ひじを乗せる、伝統的なスタイルである。
ゆっくりとした動作で体を起こしたエルトヴァエルは、痛み頭を押さえたまま水彦に確認をする。
「……コルテセッカと、レッドワイバーンと、ハガネオオカミですか」
「ああ。ぶったぎった。こるてせっかは、あかさやだけどな。ほかはおれがやったぞ」
自慢げに胸をそらす水彦。
エルトヴァエルは加速する頭痛に、眉間に皺を寄せる。
「それを、引きずって歩いたんですか。街中を」
「そうじゃなかったら、どうやってはこぶんだ」
あきれたように肩をすくめる水彦。
思わず殴りかかりそうになるのを何とか我慢して、エルトヴァエルは大きくため息を吐いた。
目立たないように活動しようとか、人目に付かない様にしようとか。
そういうことを水彦に期待するのは、どうやら無駄だったらしい。
エルトヴァエルはなんとか頭痛を散らそうとこめかみや眉間を押さえながら、軽く頭を振る。
「それにしても、討伐だけで二千万ですか。あー。でも、コルテセッカですからね。そのぐらいかもしれません」
「そのぐらい。そのぐらい?!」
「コルテセッカですから」
しれっと言うエルトヴァエルの言葉に、今度は水彦がベッドの上でねじれる番だった。
どうやらコルテセッカを倒すというのは、それ相応にすごいことらしい。
天使であり、諜報活動を得意とするエルトヴァエルが言うのだから、間違いないだろう。
だが、庶民感覚というか、貧乏感覚が抜けない水彦にはどうにも大きい金額に感じられる。
ちなみに、エルトヴァエルは椅子に座り、水彦はベッドに腰掛けていた。
別に椅子がないわけではないのだが、どうも水彦はベッドというものを気に入ったらしい。
今まで土の上や枯葉の上でしか寝たことが無かった水彦には、布団の柔らかさは衝撃的だったようだ。
「あのごりらとかげ、そんなにすごいのか」
「ゴリラトカゲ?! ああ、ゴリラトカゲ。ううん。たしかにそんな感じですが」
なんともいえない微妙な表情を作るエルトヴァエル。
どうもコルテセッカの実物を見たことがあるらしい。
「それはともかく。ええっと、魔獣素材の買取額も問題ですよね大体……」
エルトヴァエルは少し視線を上に上げると、人差し指を動かし始める。
なんとなくソロバンを弾いている動きに見えなくも無い。
というか、実際に彼女は頭の中でソロバンを弾いていた。
この世界にも、というか、この世界の天界にもソロバンはあるのだ。
「だいたい、四千二百万って所ですかね」
おおよそですが、と付け足したエルトヴァエルの言葉に、水彦は「おおー」と感嘆する。
ギルドで聞いた金額と殆ど同じだったからだ。
「それだけあれば十分すぎるというか。四分の一でも多すぎてびっくりする金額ですが。アグニー達の道具を買う金額としては」
「まあ、なったものはしかたないだろう」
「それはそうですけど……」
なんともいえない顔でため息をつくエルトヴァエル。
ため息をつくと幸せが逃げていくというが、恐らくこの部屋に入ってからだけで半年分の幸せは逃げているに違いない。
「まあ、ともかく。それだけお金が入る予定なら、手早く買い物も済ませてしまいましょう」
そういうと、エルトヴァエルは近くのテーブルに置いていた自身のバスケットに手を突っ込む。
中から取り出したのは、万年筆と紙だった。
「今からリストを作りますから、暫くはそれに合わせて買い物をしてください。きちんと店舗ごとに買うものも分けておきますから」
言うが早いか、エルトヴァエルは恐ろしい勢いで万年筆を走らせ始めた。
最初の何文字かは手元を見ていたものの、すぐに目線を外し水彦のほうにむきなおる。
「てもと、みなくていいのか」
「へ? あ、はい。最初の位置さえ確認すれば、見なくても字は書けますから」
さらっと言い放つエルトヴァエル。
なんとなくエルトヴァエルの手元に目線を動かした水彦は、なんともいえない顔で固まった。
やたらきっちりとしたエルトヴァエルらしい字が、一ミリに狂いも無く、まるで機械で印刷したかのように美しく並んでいたからだ。
しかも、買い物をしたときにつけるチェック欄まで書き込まれている。
定規を使っているわけでもないのに、直線と直角で、だ。
なんとなく見てはいけない恐ろしいものを見た表情をしながら、水彦はそっとベッドに座りなおした。
「ところで、其処の封筒は何なんですか?」
自動筆記のようなことをしながらエルトヴァエルが指差したのは、水彦がギルドから渡された封筒だった。
「ああ。ぎるどからもらった。きやくとかかいてあるらしい」
「らしいって……読んでないんですね。説明は受けましたか?」
「まじゅう、たおす。ぎるどにもっていく。かねもらえる。それはわかった」
「九割がた分かってないんですね。分かりました」
エルトヴァエルは納得したように頷くと、片手だけで器用に封筒の中身を取り出した。
中に入っていた数枚の紙束をぱらぱらとめくると、納得したように頷く。
「では、要点だけかいつまんで説明しますね」
「ちょっとまて。いまの、よんだのか」
「はい。私、速読得意なんですよ」
平然と言い放つエルトヴァエルに、戦慄する水彦。
事務能力は高いだろうと思っていたエルトヴァエルの性能に、恐れおののいているのだ。
「ええと、魔獣の関連は水彦さんの認識で良いとして。問題はそのほかのところですね」
すっかり説明モードに入ったエルトヴァエル。
水彦も真剣な顔を作って聞く姿勢を作っているが、実際どのぐらい頭に入るかは不明だ。
エルトヴァエルもそれを心得ているので、できるだけ内容を噛み砕こうと頭を捻る。
「ギルドは、要するに魔石を供給する経路を作るエネルギー生産組織です、が。魔獣の相手をできる人を増やす為に、訓練や、そのほかの収入の確保もしているようです」
「ほうほう」
「たとえば、森に行って薬草を取ってくるとか、旅の護衛の斡旋とか。そういう仕事も用意しています」
「たびのごえいか。たしかにこのあたりは、あぶない」
街に来るまでに、レッドワイバーンやハガネオオカミに襲われたことを思い出す水彦。
もっともそれらは、普通出会うようなものではないのだが。
とはいえ、旅にまったく危険が無いわけではない。
大きな街道でも、魔獣に類するものが出ることはある。
確率は低いとはいえ、ゼロではないのだ。
街から街への移動は、多くの場合護衛の付いた乗合馬車などが利用される。
それらの護衛の斡旋も、ギルドの仕事なのだ。
「他にもこまごまありますが、主だったところは、採集や護衛でしょうね。こういう仕事のほかには、荷物運びもあるようです」
「それは、ぼうけんしゃのしごとじゃないだろう」
「日雇い斡旋ですからね。まあ、ずーっと魔獣を狩れるわけではありませんし。繋ぎ、ではないでしょうか」
魔獣を狩るという仕事は命がけだ。
地球の猟師も命がけだろうが、相手になるものの地力が違う。
どんなに危険なクマでも、家一軒を吹き飛ばすような火の玉は吐かない。
どんなに危険なイノシシでも、大砲の直撃を受けても平気だったりはしない。
「いろいろやってるんだな。ぎるど」
「たいへんなお仕事ですよね」
なんとなく頷き合うエルトヴァエルと水彦。
ちなみに、エルトヴァエルはギルドの一般職員達に、一方的に好感を持っていた。
なんとなく彼らの仕事と、自分達天使の仕事が似ている気がしていたからだ。
そんなことをしているうちに、メモが完成したらしい。
エルトヴァエルはざっと目を通して抜け落ちや間違いが無いことを確認すると、水彦にそれを渡した。
「そこに書いてあるお店に、そこに書いてあるものを買いに行けば大丈夫ですから」
「どこでしらべたんだ。これ」
メモを見ながらつぶやく水彦。
そこには、店舗名と何を扱っている店なのかと、それぞれの店で買えるであろう道具が書かれていた。
非常に見やすく作られているそれは、まるでパソコンの専用ソフトを使って作られたような出来栄えだ。
「空を旋回するときに確認したんですよ。お店に並んでいる品は、何屋さんかによって大体決まっていますしね」
どうやら無駄に旋回していただけではなかったらしい。
着地が下手というのも、役に立つことがあるものなのだ。
「それと、この街には貸し倉庫がありますから。大きいものはそこに預けて下さい、っていっても覚えられませんよね……」
いいながら、エルトヴァエルはもう一枚メモを取り出す。
なにやらすらすらと長い文章を書き上げると、それを折りたたんで水彦に渡した。
「こっちのメモは、ギルドに行ったら渡して下さい。貸し倉庫などの事について、いくつかお願いすることを書いてありますから」
「おお。まかせろ」
胸を張ってうなずく水彦。
流石の水彦でも、ギルドに行って紙を渡すぐらいなら出来るのだ。
「お金を稼ぐにも一ヶ月単位で時間を考えていましたからね。予定が繰り上がった事を喜ぶとしましょう。暫くはこの宿に泊まるんですか?」
「いっしゅうかんぐらいは、いるつもりだ。めしとかもくいたいしな」
食べ物かい。
つっこみを入れたいところだったが、入れたところで虚しくなるだけだろう。
エルトヴァエルは眉間を軽く押さえながら、ため息を吐き出した。
「また、明日の夜にでも電話をします。私はもう一箇所回ってから、見直された土地に戻りますので」
「もういっかしょ。どこにいくんだ」
「んー」
水彦の問いに、エルトヴァエルは微妙な表情で首を傾げる。
「なんていえばいいんでしょうか。ちょっと成功するか微妙な交渉ごとなんですけれどね」
「こうしょう?」
「ちょっと、傭兵の方々に」
「ようへい?」
不思議そうに首を傾げる水彦。
急に出てきた傭兵という単語に驚いたのだろう。
「いえ。メテルマギトに捕まっているアグニーさん達をどうにか出来そうな人たちに、ちょっと心当たりがあるもので。ただ、期待は薄いですが」
「あいてはくにだからな。どうこうするのは、むずかしいだろう」
珍しく真っ当なことを言う水彦。
アグニー達をさらったメテルマギトは、世界有数の超大国だ。
人口、技術、国土。
どれをとっても一流の国といいえる。
そんな国に潜入して、数百人からのアグニー達を取り返す。
それは並大抵の事では不可能だろう。
「言った様に期待は薄いです。ですが、なんというか。腕の良い傭兵団を知っていまして。まあ、取っ掛かりぐらいにはなるかなぁと」
「ああん?」
なんとも煮え切らないエルトヴァエルの言葉に、水彦は顔をしかめる。
「いろいろ確定してから詳しくお話しますが。なんていうんでしょう。一流の腕の人達なんですよ。忍者みたいな」
「あー」
その言葉に、水彦は納得したように頷いた。
元々忍者と言うのは、日本における傭兵のようなものだったといわれている。
少人数で特殊な仕事をこなす必要があるため、高い身体能力や道具などを使うのだ。
赤鞘が人間だった頃にも、忍者と呼ばれるような者達は居た。
その活動は、まさに今のスパイと傭兵を足したようなものだったのだ。
「まあ、相手が相手ですし。依頼として受けてくれるかも微妙ですし。そういう意味でも望み薄、ダメもとのつもりで当たるんですが」
なんとも煮え切らないが、相手が大きすぎるのだ。
地球で言えば、某お米の国に喧嘩を売るようなものだろう。
よほどの事がない限り、そうそう首を縦に振るものは居ない。
「まあ、何もしないよりはましって所ですかね」
そういうと、エルトヴァエルは椅子から立ち上がり、窓のほうへと向かった。
テーブルの上に乗せていたバスケットを手に取り、しまっていた翼を大きく広げる。
「それでは、もう行きますね。きちんと、目立たないようにお願いしますよ?」
「おー」
水彦のやる気のなさそうな答えにため息を付きながら、エルトヴァエルは軽く手を振って奇跡を起こした。
降りて来るときに使ったものよりも、少しだけ強力な奇跡だ。
こうなると、水彦でもその姿は見えづらくなる。
居ると知っていて、力のある水彦でもこれなのだ。
まったく知らないものであれば、気が付くことはまず無いだろう。
「じゃあ、がんばってくださいね」
そういって手を振ると、エルトヴァエルは窓枠に片足をかけ、外へと身を躍らせた。
一蹴りで窓から数mはなれると、羽を大きく広げ、羽ばたく。
そして、まるで空へ落下していくような速度で上昇していった。
着地は苦手なエルトヴァエルだが、そのほかの飛行に関することならば、天使の間でも1~2を争う能力を持っているのだ。
そんなエルトヴァエルを見送りながら水彦は小首を傾げる。
「ようへいに、ちょくせつあうのかな」
まあ、その辺の事情も明日聞けばいいか。
そんなことを考えながら、水彦は開いていた窓を閉めた。
ケータイの時計を見ると、まだ真夜中と言っていい時間だ。
「もうひとねむりするか」
そうつぶやくと、水彦は再び布団へもぐりこむのだった。
森の中で、只管上空を見上げている男が居た。
少し前に見つけた天使が空へ戻るのを待つ、紙雪斎だ。
木の上で静かに待機する彼の目に、うっすらと何かがよぎった。
集中力を極限まで高め、魔力と気力を目に集中する。
殆どの物事が魔法で解決されるこの世界で、紙雪斎は実に稀有な才能を持っていた。
魔法以外の人外の力を、多少なりとも操ることが出来たのだ。
他の世界で言うところの、「気」などと呼ばれるそれは、生体エネルギーの一種だ。
それを要することで、紙雪斎は見えないはずの天使を見つけることが出来た。
とはいえ、視力強化に集中力上昇など、ありとあらゆる魔法で視力のみを一点強化すればこそ可能なことだった。
いま上空へ戻ろうとする天使の使っている隠業は、それほど精密で強力なものだったのだ。
「見つけた……! さらに絞り込むぞ、集中せよっ!」
紙雪斎は、自分の周りを囲む隠密三人に声をかける。
本人以外にも、外部からも強化魔法をかけているのだ。
天使には、それぞれ役割があるとされている。
多くの天使についての情報を持つステングレアであれば、降りてきた天使を特定できるかもしれないのだ。
そして天使を特定できれば、どんな目的であるのか、推測する手がかりになるかもしれない。
正直、普通の天使の隠業であれば、ここまで強化を図る必要もなく、紙雪斎ならばはっきりとその姿を捉えることが出来る。
ここまで準備して飛び立つその瞬間を待ったのは、彼をもってしても旋回する天使の姿をしっかりと捉えることが出来なかったからだ。
時間にして、三分少々だっただろうか。
それだけの時間があったにも拘らず、特定できないことなど前代未聞だ。
その事態に、紙雪斎は過剰なまでに反応した。
国王から使うことが許された術書の中でも、最高の視覚強化魔法。
さらに、隠密達に魔力をぎりぎりまで使わせて身体強化を図る。
無論、自身も魔力も、体自体も長くは耐えられないほどの鋭敏化と術式を要して事に当たっている。
おかげで、今の紙雪斎の体には、所狭しと術式の書き込まれた紙が張り巡らされていた。
そのどれをとっても、凡庸な魔術師であれば何が施されているのかさえ読み取れないほどの精密さで書かれたものばかりだ。
それらの魔法が、紙雪斎の合図で一斉に起動する。
「ぎっ?! ぐっくっ……!」
術の影響で視力が跳ね上がり、その目が空を舞う天使を捕らえる。
しかし、紙雪斎の体はどうやらその急激な強化に耐えられなかったらしい。
そもそも、彼が上空を見張っていたときに使っていた魔法ですら、普通の人間であれば数分と体が持たないほどの魔法だったのだ。
紙雪斎は、狼人族という種族だった。
高い身体能力と、何よりも「剣で斬ってもその場で回復する」と言われる恐ろしいほどに高い回復能力を誇る種族である。
ただその反動か、魔法が使えるほど魔力に余剰のある個体は少ない。
にも拘らず、紙雪斎は個人でエルフの魔術師を軽くしのぐほどの魔法を使ってのける男だった。
だからこそ王宮魔道院の長足りえるのだ。
その紙雪斎が苦しみ、数分しか持たない身体強化を使っている。
にも拘らず、上空に舞う天使の姿は薄ぼんやりとしか捉えることが出来なかった。
「かっ! ぶっ……!」
口と目から吹き出した血を拭おうともせず、紙雪斎は歯を食いしばり目を見開いた。
するすると空へと登っていく天使の姿は、こうしている間にも捕らえるのが難しくなっていくのだ。
すこし、あと少し、もう少し。
渾身の魔力と気力を、目に集中する。
そして、ようやく、それでもほんの一瞬だけ。
紙雪斎の目が天使の姿をはっきりと捉えた。
その瞬間、周りからかけられていた強化魔法の一つが消えた。
「止めよっ!」
はっとして、紙雪斎は反射的にそう口にした。
三人の隠密のうち、一人が気絶していたのだ。
その一人を責められる者は居ないだろう。
魔力は使いすぎれば、生死にかかわるような力だ。
それがある程度枯渇すれば、人は無理をしない為に気絶してしまう。
一般の魔術師から見てもかなり魔力を有する隠密が気絶するほど、無茶な魔法を使っていたのだ。
それも、普通の人間が使えば魔力を絞りつくされて枯渇死しかねない、無理な術式を使って。
紙雪斎は気絶した一人に駆け寄り抱き起こすと、笠を指で跳ね上げた。
血の滲んだ目元と口元からは、かすかに白い煙が上がっている。
狼人族の傷がいえていくときに上がる、目印のようなものだ。
「お前達よくやってくれたぞ。天使様のお姿が確認できた」
「誠で御座いますかっ!」
二人の隠密に、歓喜の色が浮かぶ。
気絶こそしないものの、二人もかなり疲労しているのだろう。
両膝を突き、肩で息をしている。
「ああ。だが、喜んでもおられぬ。天使様は、エルトヴァエル様であった」
「なんっ?!」
「そんな……」
天使エルトヴァエル。
その名前は、彼らの様に陰で動くものの間では有名だった。
何一つの小さな出来事も見落とさぬ天使。
些細なことからも、洗いざらいを探り出す天使。
王であろうと神官であろうと奴隷であろうと、一つの妥協もせず同じように調べ上げる天使。
そのように彼女は評価されていた。
元々エルトヴァエルは、国々の仲介を担当する為、それぞれの情報を収集する部署に所属していた。
そんな情報に携わる仕事環境にも拘らず、仲間内から「情報収集マニア」とあだ名された彼女は、内外問わず有名天使だったのだ。
重箱の隅を突っついて成分分析にかけるような彼女の仕事ぶりは、身内からすれば「シツコイ」で済まされるだろう。
だが、彼女が集めた情報を元に天罰を下されるかもしれないと思っている人間達にとっては、まさに脅威だ。
そんなエルトヴァエルに人間達がつけたあだ名が、「罪を暴く天使」だった。
本天使は苦笑と共に「勘弁して下さい」と言っていたのだが。
「エルトヴァエル様が御出でに成られたということは。それほど調べねば成らぬことがあの街に」
「それしかあるまい。すぐにも動かねばならんな」
抱き上げた隠密を、まだ意識のある二人に渡す紙雪斎。
体に張り巡らせていた術式を腕の一振りで全て払い落とすと、手にしていた錫杖を地面についた。
「お前達はこのまま暫く魔力の充実を待て。術を使えねば話にならぬ」
「紙雪斎様は? 我ら三人を合わせて、なお多く魔力をお使いになられたはず」
隠密の言うとおりだった。
一流の魔術師よりも遥かに多く魔力を有する隠密が気絶する、その三倍以上の魔力を、紙雪斎は使っているはずなのだ。
だが、その当人は多少疲れこそ見せているものの、いたって元気そうに首を振って見せた。
「俺は王宮魔道院筆頭、”紙くずの”紙雪斎だぞ。この程度ならまだどうということもない」
にやりと不適に笑って見せ、紙雪斎は笠のつばに指をかけた。
「日が昇るまでは回復に励め」
そういい残すと、紙雪斎はその姿を森の中へと消した。
事は一刻を争う。
一秒でも早く、他の部下にもこのことを伝えねばならない。
そう、胸の奥で思いながら。
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水彦がギルドであれこれやっている、丁度その頃。
見直された土地のアグニー達は、忙しそうにそれぞれの仕事に励んでいた。
まず、中年アグニーのスパンが担当する農業。
これは、予想以上というか、異常な成果を見せていた。
苗やムカゴを植えて数日しか経っていないはずのポンクテが、収穫を迎えていたのだ。
無論、こんなことは普通ありえない。
本来ならば収穫は来年以降のはずだ。
それが、あっという間にツルが伸び、あっという間に収穫にいたったのだ。
大慌てで急ごしらえした支柱はすっかり丈夫な太いツルに覆い尽くされている。
腕を組み首を捻りながら、スパンは収穫された大量のポンクテを前に唸っていた。
「なにがどうなってるんだ?」
これだけ一気にポンクテが育った理由も分からなければ、これだけ豊作な理由もいまいち分からなかった。
首を傾げていても分からないものは分からないのだが、だからと言って放っても置けない。
ポンクテは比較的連作被害の少ない植物ではあるが、それでも有機物の追加やコンパニオンプランツの追加は必要だ。
何をどれだけ、どのタイミングで入れるかは、ポンクテの品種によって異なる。
今育てているのがなんという種類なのか分からなければ、そういったものの指針が無いことになってしまう。
その都度対応してもいいのだが、やはり方針や指針があるのと無いのとでは安心感も違うだろう。
スパンの隣で、若手アグニーのマークも首をかしげていた。
「ものによっては、コンパニオンプランツも変わってくるしなぁ」
コンパニオンプランツというのは、連作被害を軽減する為に植える作物の事だ。
同じものを育て続けると、畑は同じ種類の栄養が枯渇したり、増えすぎたりする。
それを調整する為に植えるのが、コンパニオンプランツなのだ。
育てているポンクテが、何を地面から吸い上げ、何を戻すのか。
それが分からなければ、コンパニオンプランツの準備も出来ない。
今は豊作かもしれないが、それでは今後の収穫が減り続ける一方になってしまうかもしれないのだ。
「どーしたもんかなぁー」
「うーん」
首を捻り、唸るマークとスパン。
そんな二人の後ろに、一人の少女が近付いてきた。
黒い着物に、黒い袴、そして草履。
にこにこと実に楽しそうな表情。
やってきたのは、この土地のガーディアンの一体である、土彦だった。
「どうかしたんですか?」
突然声をかけられ、マークとスパンは飛び上がった。
「こ、これは土彦様!」
「は、ははぁあ!!」
「そんなに驚かなくても……」
深々と頭を下げる二人に、苦笑する土彦。
アグニー達は基本的に信心深い。
神の創り上げたというガーディアン相手であれば、それはもう丁寧に接する。
深々と頭を下げるこの行動も、本来であればその足元に土下座するほどの勢いであったのを、何とかここまで妥協させた成果なのだ。
そんなアグニー達が、水彦にだけはごく自然に接していた。
それを知っている土彦としては、「そこまで慕われる兄者はやはりすごい人なのだな」と、妙な方向で水彦に対する評価を上げているのだった。
土彦は苦笑をしながらも、口を開いて説明を始めた。
どうかしたのか、といったものの、実は話の大半は聞こえていたのだ。
「ポンクテの生育がいいのは、調停者と赤鞘様のおかげですよ」
「と、いいますと?」
首を傾げるスパン。
調停者というのは、赤鞘が育てている木だと、アグニー達は名前だけは教えられていた。
だが、それがどんな力を持っている木なのかは、よく知らないのだ。
「その昔、すごく植生の整った森がありました。専門家達はその森を見て、誰かが管理しているのに違いないと思い、その管理者の事を調停者と名付けたのです。植物を調停して、健やかに育てる者という意味でね」
「「へー」」
感心してこくこくと頷くアグニー達。
「暫く正体がつかめなかったその調停者の正体が、赤鞘様が育てていらっしゃる樹木の一つな訳ですね。彼らは植物達と会話をして、その成長や分布を管理して、森全体を繁栄させるんです」
「では、その調停者という樹が、ポンクテを育ててくれたんですか?」
「そうなりますね。勿論、土地が豊かで、赤鞘様が力の流れを管理していればこそ、ここまで早く育っているのですが」
「「すっげぇー!」」
素直に感心するアグニー達に、やはり苦笑をもらす土彦。
素直というか信じやすいというか。
本当に彼らが曲がりなりにも村を作って生活をしていたのかと、心配になってくる。
「あ、そうだ。土彦様、長老が探していましたが、お会いに成られましたか?」
「ん? いえ。今しがたこちらに来たばかりですので。何かありましたか?」
「はい。マッドアイの焼き物実験と、マッドマンとマッドトロルの加工が終わったんですよ」
マークの言葉に、土彦はうれしそうに笑顔を作った。
手をぱちりと合わせると、歌うような声で返事を返す。
「そうですか。ああ、そうでしたか。それは実に実に楽しみですね。早速向かってみることにします。ありがとう。畑仕事、がんばって下さいね?」
「はい、ありがとう御座います!」
「最高の畑を頂きましたからね!」
そういって笑うアグニー達を見て、土彦は何度か頷いてから、広場のあるほうへ向かって歩き出した。
楽しみで仕方ないといったその表情は、何処か無邪気な子供を思わせる。
三日月状に開いた口からは、唄うような笑い声が漏れていた。
「ああ、楽しみですね。どんな風になるのでしょう。まずは試作の試作。次が試作品。そして、森へと放ってさらに洗練して。ああ、ああ、とても楽しみです」
唄うように笑いながら、踊るような足取りで歩く土彦。
彼女が作ろうとしているものは、一年やそこらで完成するものではない。
だが、だからこそ、作る過程はとてもとても楽しいのだ。
これから見に行くものがどんな風に仕上がっているのか。
いろいろな想像をめぐらせながら、土彦は実に楽しそうに足を速めた。
なんか紙雪斎がかわいそうになってきました。
ざまぁwww
ええと、次回は土彦さんにスポットが当たります。
マッドアイネットワーク周りの発展についてですね。
ものがモノなので、色々と凄い事になりそうです。
次回。「MT-01始動」
絶対こんなタイトルにはならない予定ですが。