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三十一話 「しんこきゅうしろ。しんこきゅう」

 騎士団長という厳しい職に就くシェルブレン・グロッソだったが、部下に「口は子供」とからかわれる根っからの甘党であった。

 酒のつまみはクッキーやケーキで、塩っ気の多いものや辛いものは苦手だった。

 コショウなどの香辛料は大丈夫なのだが、唐辛子のような刺激物はどうにも受け付けない。

 食べて食べられないこともないし、それらを原材料にした目潰しや催涙剤を受けても涙一つ流さないのだが、好き好んでは食べなかった。

 たしかに子供の様かもしれないが、甘いものはおいしいではないか。

 最近ではすっかり開き直り、シェルブレンはそう主張していた。


 久しぶりの休暇をとったシェルブレンは、アインファーブルに来ていた

 見放された土地近くにある唯一の都市であるそこは、ギルドが治める冒険者達の街だ。

 魔石や魔獣の素材を求める冒険者達で賑わう街の様子は、シェルブレンにとっては珍しく映っていた。

 彼の故郷である森林都市国家メテルマギトは、その高い魔法技術を使い植物から魔力を抽出している。

 魔石に魔力を頼ることが無いので、「冒険者」というものが殆ど存在しないのだ。

 少し前までは魔獣の素材を求めるために居るにはいたらしいが、今ではそういった仕事は大手の商人が担っている。

 金をかけて兵士を育て、金をかけた装備で魔獣を狩るのだ。

 そういった兵士たちは月ごとの給料を払われた「勤め人」である。

 命の危険は無いとはいわないが、恐ろしく少ないといえるだろう。

 何せ雇い主は商人だ。

 手持ちの兵士が死んだら損をすることを良く知っている。

 相応の魔獣を、相応の人数で、相応の装備を持たせて、余裕を持って殺す。

 それが、メテルマギトの魔獣狩りだ。

 それに対して、アインファーブルの冒険者達はまさしく命がけだ。

 自分で用意した武器と、自分で調達した情報を元に、自分の力で狩をする。

 職業猟師のそれに近いだろう。

 どちらがいいのか、シェルブレンには分からない。

 ただ、この街の冒険者達は、皆生き生きとしている。

 少なくとも、シェルブレンの目にはそのように映っていた。


 休暇とは言ったものの、彼の目的は「アグニー捕縛作戦」が見放された土地に影響を与えたかどうか調べることにあった。

 調べるといっても、何ができるわけでもない。

 実際に近づける土地ではないからだ。

 では、どうやって調べるのか。

 影響と言うのは様々なところに出る。

 森や洞窟、平地。

 そういった場所の異変を調べれば、おのずと知りたい情報にたどり着けるだろう。

 その手の場所の情報であれば、態々自分で行って調べる必要はない。

 酒場で耳をそばだてれば冒険者達の噂話が耳に入り、情報屋に金を払えばあっという間に知りたいことを教えてくれる。

 冒険者達は自分の狩場のちょっとした変化も見逃さない。

 見つけた変化は、仲間達と共有する。

 何せ命がかかっているのだ。

 獲物が取れなくなれば飢え、土地に知らない現象が起きれば死ぬ。

 土地の変化とその情報は、彼らにとって死に直結するものなのだ。

 個人の秘密にしておくことはなど殆ど無い。

 自分もそういったことを教えてもらえなくなるかもしれないのだから。


 方法が分かっているわけだから、早速情報収集を。

 と、行きたいところではあったが、今はあいにくとタイミングが悪いようだった。

 多くの太陽が高く上っているこの時間、多くの冒険者は狩りに出ている。

 しかも折り合いも悪く、今日は近くに現れたという「コルテセッカ」の討伐隊が組まれているという。

 コルテセッカといえば、かなり強力な部類に入る魔獣だ。

 街に住むものは皆多かれ少なかれそれに協力しているらしく、忙しそうに動き回っている。

 とても情報屋を見つけて、じっくり話しを聞けるような状況ではない。

 幸いなことに、シェルブレンの休暇はまだ数日残っていた。

 暫く落ち着くのを待って、事情を知らない流れの冒険者の振りをして情報を集めよう。

 そう決めると、シェルブレンはこの街に来たもう一つの目的を果たすことにした。

 彼の好物。

 美味くて甘いものを探すという目的だ。

 彼の本当の目的は、「アグニー捕縛作戦」が見放された土地に影響を与えたかどうか調べることだ。

 だが、表向きの目的だってないがしろには出来ない。

 何せ数ヶ月ぶりのまとまった休みなのだ。

 好きなものを食べながら酒をのんで、悪いはずが無い。

 シェルブレンはプライベート用のメモ帳を取り出すと、お目当てのページを探した。

 一番上に「アインファーブル」とかかれたそのページに書かれていたのは、店名と思しき名前の一覧表だった。

 その横にはご丁寧に、「食べてみたい料理」「実際の評価」などという項目が作られている。

 几帳面な性格が窺えるそれは、色ペンなども使われていて実に見やすい作りになっていた。

 ちなみにこれは、森林都市国家メテルマギト軍が保有する最強の地上戦力鉄車輪騎士団団長のお手製だ。

 シェルブレンはアインファーブルのページの、一番上にある店名に目を向ける。

 最近店主が変わったという情報と共に載せられたその店だったが、味は変わらず素晴らしく、ぜひ行くべきだと記されていた。

 ここをシェルブレンに教えたのは、国外に買い付けに出ることの多い商人だった。

 舌の肥えた男で、得意客であるシェルブレンによく土産と話を持ってきてくれている。

 その商人曰く、「持ち帰りのできないデザートが美味い」とのことだった。

 旅なれた商人に其処まで言わせるとは、これは行かないわけにはいかないだろう。

 手に入れた地図と書かれている住所を見比べると、シェルブレンは目的の店へと足を踏み出した。




 シェルブレンが目的の店、「木漏れ日亭」の前に着いたのは、お昼を少し過ぎた頃だった。

 宿屋兼食事どころであるというその店の表には、既にランチ終了の看板が出されている。

 計算通りの時間につけたことに、シェルブレンは満足していた。

 お昼のピークを過ぎたあたりのほうが、客も少ない。

 男が一人で甘いものを食べにきても、「昼食が過ぎておやつ代わりに」ということで面目が幾分か立つ。

 そう。

 シェルブレンは甘いものが好きではあったが、そういう理由付けをしないと一人で甘いものを食べられないタイプだったのだ。

 店に入る前に、店構えにざっと目を通す。

 入り口の前の道も綺麗に掃除がされているし、壁やドア、窓などにも清掃が行き届いている。

 壁際にある花壇には色とりどりの花が咲いていて、とても美しい。

 客を迎え入れる玄関は、店の顔だとも言う。

 なかなか期待できそうな予感に、シェルブレンは思わず笑みをこぼす。


 店に入ると、シェルブレンを迎えたのは店主と思しき少女だった。

 若く幼さの残る彼女だが、驚くことにこの店の店主なのだという話だ。

 シェルブレンも事前に商人から話を聞いていなければ、にわかには信じられなかっただろう。

 挨拶を交わしテーブルに着くと、早速手帳とメニューを見比べる。

 メニュー表に記されているものと手帳のオススメは、どうやら一致しているらしい。

 少女にアイスクリームと甘く煮た豆、そして、休日を楽しむ為に酒を一瓶注文する。

 先代の店主が職人に無理矢理作らせたというその酒も、この店の名物なのだという。

 注文した品はすぐに運ばれてきた。

 黒い焼き物の器に盛られたアイスには、ところどころ黒い粒のようなものは混じってみる。

 恐らくバニラビーンズだろう。

 平皿に乗せられた豆は、黄色、黒、緑、白と、見た目にも鮮やかで実に美味そうだ。

 アイスクリームというのは実に贅沢なお菓子だ。

 そう、シェルブレンは思っている。

 冷やすという行為には、多かれ少なかれ労力が居る。

 魔力であったり、そのほかのものであったり。

 それだけの労をかけて作るものであるにも拘らず、食べるのに適した状態で居られるのは極僅か。 

 そんなお菓子が、贅沢でなくてなんだというのだろう。

 まして、アイスクリームというのは、その大半が甘いのだ。

 一緒に運ばれてきたアイスクリームスプーンを使い、丸く盛られたアイスクリームを一口分ほどすくう。

 あまり口いっぱいに頬張ると、冷たさのせいで味が認識しづらくなる。

 こういったお菓子に使われている砂糖と言うのは、果糖と違い冷たくなると甘みを感じにくくなるのだという。

 つまり、冷たい状態で食べても甘いアイスクリームには、かなりの量の砂糖が使われているのだ。

 作るのにも大変な手間がかかっている。

 冷やして固まるまでの間、アイスクリームはずっとかき混ぜ続けていなければいけないのだという。

 そうすることで内部に空気を入れ、口溶けを良くし、舌触りを滑らかにするのだ。

 程よくやわらかくなったところで、シェルブレンはアイスクリームを口に運んだ。

 濃厚なバニラの香り。

 それに負けない、たしかな牛乳の風味。

 全てを甘く塗りつぶしてしまわないように調整された、絶妙な砂糖の味わい。

 美味い。

 このアイスクリームはあたりだ。

 シェルブレンはアイスクリームの味わいが口に残っている間にと、急いで酒の封を切った。

 本来は道具を使わなければ抜けないほど硬くコルク栓が詰められているのだが、彼にかかれば片手で簡単に抜ける。

 ショットグラスに琥珀色の酒を注ぎ、一気にのどに流し込む。

 燻製されような渋みに、とろみが付いたかのようなコク。

 それで居ながら、すっと味が消えていく。

 残るのは、心地よい風味のみだ。

 この酒も、実に美味い。

 かなり強い酒なのだろうが、呑み易い。

 上機嫌になりながら、シェルブレンはまずアイスクリームを食べきってしまうことにした。

 アイスクリームというのは、食べごろが短いお菓子なのだ。

 酒を飲み干し、アイスクリームを口に運ぶ。

 かなりのピッチで酒をあおるシェルブレンだが、酔うことは無い。

 何せ彼の体は、コブラの毒も分解するほど優れた免疫能力を誇っているのだ。

 いまさらアルコールぐらいではびくともしない。

 最後のアイスクリームを口に含み、酒をのどに流し込む。

 丁度、そのときだった。

 ドアに付けられたベルが鳴り、店主である少女が「いらっしゃいませー!」と、声を上げた。

 どうやら客が来たらしい。

 シェルブレンは無意識のうちに、入ってくるのがどんな相手なのか気配を探っていた。

 これも悲しい職業病というやつだろう。

 どんなときでも、相手がどの程度の技量を持っているのか測らずには居られないのだ。

「ここで、まじゅうのにくを、くえるようにしてくれるのか」

 間の抜けた声の主に、シェルブレンは意識を傾ける。

 目線を送るようなマネはしない。

 ただ耳や意識を傾ければ、おのずと相手の技量は知れるからだ。

 声の主の気配に、シェルブレンの感覚が触れた。

 その瞬間。

 シェルブレンの意識が、戦闘の為のものへと切り替わった。

 それは相手も同じだったのだろう。

 ちりちりとした殺気を肌に感じる。

 だが、それが本気のものではないこともすぐに分かった。

 相手もシェルブレンと同じように、こちらの技量を探っているのだ。

 昨今感じていなかった心地よい戦場のような空気に、シェルブレンは内心うれしくなっていた。

 騎士団長である彼は、生粋の騎士であり、その本質は武芸者の様でもあった。

 強い相手との出会いは、喜びなのだ。

 感覚を研ぎ澄まし、お互いの気配を探り合い、その技量を推し量ろうとする。

 殺気と言うのは、相手が自分を殺そうとする気配の事を言う。

 お互いの技量を測るのに、「どうやったら相手を殺せるか」を考えるのだ。

 それがお互いにもれるのは、いわば挨拶代わりと言っていいだろう。

 こちらはお前の実力を探っているぞ。

 そう、暗に伝えているのだ。

 その気配が、ドアの向こうの声の主からも感じられる。

 シェルブレンとその声の主は、今挨拶を交わしているようなものなのだ。

 相手の返答とその実力に、シェルブレンは驚きを感じていた。

 恐ろしく荒く、まるで獣のような気配の男だ。

 野生のドラゴンや熊でも、もっとおしとやかで上品な気配をしているだろう。

 木も岩も関係なく、何もかも巻き込んで力ずくで押し流す、濁流のようだ。

 それが、シェルブレンの印象だった。

 こんな奴もいるのか、世間と言うのは面白い。

 そんなことを考えながら、シェルブレンは甘く煮た豆をスプーンですくった。

 口に運び、味を確かめながらの噛む。

 歯ごたえを残しながらも適度にやわらかく、豆の味を殺さないよう付けられた砂糖の甘みが実にいい。

 これも美味い。

 そこで、シェルブレンは己の失敗に気が付いた。

 これはもしやアイスクリームと一緒に喰えば、さらに美味かったのではないか。

 悔やんでも悔やみきれない失敗に歯噛みをしながら、店主である少女へと目を向けた。

 アイスクリームをもう一つ注文しようというのだ。

 顔を上げたシェルブレンの目に入ったのは、がちがちと震える少女の姿だった。

 ここでようやく、シェルブレンは周りの様子に気が付いた。

 自分とドアの向こうの相手の気配のせいで、周りが驚いていたのだ。

 ずぶの素人ではないとはいえ、一般人の居る場所でこんな気配の探り合いはいただけないだろう。

 相手もそのことに気が付いたらしい。

 気配から少し動揺している様子が窺えた。

 とはいえそれはこちらも同じだ。

 相手が殺気を消すのにあわせて、シェルブレンも殺気を消す。

 それを合図にしたように、ドアの向こうの声の主が店内へと足を踏み入れた。

 ドアの近くに座っていたので、顔を上げて目に入ってきたのはその後姿だった。

 背中に背負っている大きな荷物は、どうやら食材の類らしい。

 先ほどからナベなどを少女が準備していたのは、これの到着を待っていたからなのだろう。

 シェルブレンは我知らずため息を付いていた。

 これは用事が終わるまで、アイスクリームを注文することはできないようだ。

 そう思ったからだ。

 お客であるわけだから特に気にしなくても良いのだろうが、何かをしているときに注文するのはなんとなく気がとがめる。

 妙なところで、気の小さなシェルブレンだった。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 木漏れ日亭の店内に入った水彦は、店員らしい少女を前に首をかしげていた。

 少女がひきつった表情のまま、手に持った鍋を抱きしめて固まっていたからだ。

 ドアを開けた直後は元気にあいさつをしていたので、ずっとこのまま固まっていたということはないだろう。

 ということは、ドアを開けてから水彦が店内に入るまでの間に、彼女をこんな状態にするような出来事があったということになる。

 何かあったかと頭をひねる水彦だったが、特に思い当たることはなかった。

 だいたいその短期間にあったことといえば、店内に居る男と挨拶をしたぐらいだ。

 そこで、水彦の頭にある考えが浮かんだ。

 もしかしてこの少女は、自分と相手の男の気配に充てられたのではないか、と。

 考えてみれば確かに、むき身の刀を持ってにらみ合う程度の殺気はお互いに漏れていたはずだ。

 店内にいる男は、少なくとも水彦にそうさせるだけの実力者だった。

 最低でも、あのコルテセッカよりは遥かに強いだろう。

 すぐにそうとわかる気配であるにもかかわらず、妙に落ち着いた秩序だった気配の男だった。

 わかりやすく言うとするならば、忠義に生きる武士といった感じだろう。

 いや、その鋼鉄の様な印象を受けるその雰囲気は、騎士といったほうがいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、水彦は改めて目の前の少女に目線を向けた。

 脚立の上に立ち、大きな鍋を持ったままがたがた震えている。

「あ、あわわわ……」

 わかりやすい狼狽の声を上げながら青くなっているそのさまは、どこか小動物を思わせた。

 この反応に、水彦はある者たちを思い浮かべる。

 見直された土地のアグニー達だ。

 目の前の少女に、なんとなく親近感を覚える水彦だった。

 このまま震えさせておいても話が進まないので、水彦はとりあえず声をかけることにした。

 背負っていたものを床に降ろすと、口を開く。

「ぎるどで、ここならにくをりょうりしてくれるときいた。たのめるか」

「はっ?!」

 水彦に声をかけられ、少女はものすごくわかりやすい声を上げて再起動した。

 少女はまず声をかけた水彦に顔を向けた。

 そして両手に抱えていた鍋に目を向け、自分が乗っている脚立を確認する。

 どうやら状況を確認しているらしい。

 目の前にいる水彦がお客で、自分は鍋を下すために脚立に乗っている。

 その状況を認識するのにたっぷり数秒を要した少女は、あわてた様子でわたわたしだした。

 両手両足を激しくばたつかせるその様子は、なんとなく微笑ましい。

 とはいえあまりほうっておくのは可哀想なので、水彦は声をかけることにした。

「あわてなくていいから、ゆっくりおりろ。おちて、あたまとかうつぞ」

「あ、はい! その、ありがとう、ござい、ます?」

「しんこきゅうしろ。しんこきゅう」

 目を白黒させていた少女は、水彦の言葉にこくこくと頷いた。

 大きく息を吸い、吐き出す。

 少女はそれを何度か繰り返すと、落ち着いてきたのかゆっくりと確かめるような動作で脚立を降りた。

「あ、その、すみません! いらっしゃいませ!」

 勢いよくお辞儀する少女を見て、水彦は落ち着いたようだと判断した。

 こくこくと何度か頷き、床に置いた荷物を叩く水彦。

 油紙に何重かに包まれたそれは、コルテセッカなどの水彦が倒した魔獣の肉だ。

「さっきもいったんだが。にくのちょうりをたのみたい。だいじょうぶか」

「はい! 魔獣のお肉の持ち込みのお客様ですね! 承っています!」

 まだ少し体がこわばっている様子ではあるが、会話に困ることはなさそうだ。

 水彦は床におろした荷物をぺしぺしと叩き、口を開いた。

「これが、そのにくだ。ちょうりほうほうは、まかせる。なんのにくかは、きいているか」

「はい! コルテセッカ、レッドワイバーン、ハガネオオカミですね! どれもおいしいですよ!」

 どれもおいしいですよ!

 その言葉を聞いた水彦は、ゆっくりとした動作でその場から離れた。

 壁に体を向けると、両拳を天高く突き上げる。

「よっしゃぁあああああ!!」

 突然張り上げられた水彦の声に、びくっと体を反応させる少女。

 首をすくめて固まっている少女の前に、水彦は先ほどと同じような動きで戻ってくる。

「では、ちょうりをたのむ。ちょうりほうほうも、たべかたも、ぜんぶまかせる。すきにやってくれ」

 何事も無かったかのように会話を進める水彦。

 凍り付いていた少女だったが、声をかけられたことで再起動した。

 慌てたように両手をバタつかせながら、言葉を搾り出す。

「え、えと、はい! 任せて下さい! ただその、調理に時間がかかりまして! 2~3日必要なのですが……」

 申し訳なさそうにそういうと、少女はしゅんとした様子で体を縮こまらせる。

「どのお肉もクセやアクが強いので、どうしても煮込んだりお水にさらしたりしないといけないんです」

 小さくなりながら言う少女の言葉に、水彦は考えるそぶりも見せずにこくこくと頷いた。

「かまわない。じかんはかかるとおもってたからな。そのあいだは、このみせでやっかいになる。ここはやどやだったな」

 一般的には食べないといわれていた肉だ。

 食べられるようにするには、それなりに時間はかかるだろう。

 そう、水彦は予想していた。

 一週間から二週間程度は覚悟していただけに、むしろ2~3日と言うのは短くすら感じる。

 そんな水彦の様子に、少女はほっと胸をなでおろす。

「では、お部屋のキーを渡しますね!」

 少女はなべを持ったままカウンターへと移動すると、壁にかけてあった部屋のキーを外した。

 それを水彦に差し出しながら、近くの壁に張ってある宿の見取り図を指差す。

「一階がこの食堂で、二階から上が宿になります。この鍵は、二階の四号室。階段を上がって、一番奥のお部屋です!」

「そうか。わかった」

 水彦は何度か頷くと、差し出されていたキーを受け取った。

「えっと、料金なんですが、一日……」

 料金についての説明をしようとした少女だったが、その言葉は途中で遮られてしまった。

 カウンターの上にどさりと、二十万の現金が置かれたからだ。

 突然目の前に出てきたお金に、大きく目を見開く少女。

 それを置いたのは、当然水彦だ。

「とりあえず、とうめんのしゅくはくひと、めしだいだ。たりなかったら、いってくれ」

 それだけ言うと、水彦は満足した様子で階段へと歩き始めた。

 慌てて、少女が呼び止める。

「あ、あの?!」

「ああ。きょうのゆうめしは、いらない。さいきんねてなかったから、ねる。あしたのあさめしは、たのしみにしてるからな」

 言いたいことを一方的に言うと、水彦は再び満足した様子で何度か頷き、歩き出した。

 さっさと階段を上がっていく水彦。

 あまりにもあっという間に階段を上がっていく水彦に、少女は追いかけることも声をかけることもできなかった。


 早々に部屋に入った水彦は、ドアに鍵をかけ、ベッドの上に寝転んだ。

 天井をじっと見つめながら、その表情を珍しく笑顔にする。

 普段あまり見せない顔が出るほど、面白いことがあったからだ。

 食堂に居た男。

 あれは昨今珍しい、本物の武人だ。

 戦国の世に生まれていれば、間違いなくその名を残すだろう。

 もしかしたら、もう名のある男なのかもしれない。

 自分の忘れっぽさを自覚している水彦は、忘れないように念入りに男の気配を反芻する。

 そして、面白いことのもう一つ。

 肉と、少女の事を思い出す。

 わたわたする様子や、慌てる様子、元気よく挨拶するときの表情。

 愛くるしくて、なにやら可愛らしい。

 ああいう一生懸命な様子の人物が、水彦は好きだった。

 なんとなく、アグニー達に似ている気もする。

 ふと、誰が肉を調理するのかを聞き忘れたことに気が付いた。

 料理人にもきちんと挨拶はしておきたいところだ。

 戻ろうかとも思った水彦だったが、すぐに明日でいいかと思い直した。

 いまは、ひとまず眠りたかった。

 本来、水彦には睡眠は必要ない。

 水の塊である彼の体は、疲れがたまるようにできていないからだ。

 それでも、水彦は睡眠を好む。

 寝ている間に記憶の整理ができるからだ。

 覚えておかなければいけないこと。

 覚えておきたいこと。

 忘れてもいいこと。

 様々なことを整理するには、やはり睡眠が一番なのだ。

 ここ最近眠れて居なかった分、明日の朝までたっぷり寝よう。

 そう心に決めると、水彦は布団にもぐりこみ、目を閉じる。

 このとき水彦の頭の中からは、夜にエルトヴァエルが訪ねてくるということは、すっかり消し去られていた。

 夜中訪ねてきた彼女に怒られる事になるのだが、水彦はとても幸せそうな顔で、眠りに付いたのだった。

予定通り行かない…。

なんかシェルブレンと水彦がやたらと文字数を食ったせいでエルトヴァエルがでてきませんでした。

次回はエルトヴァエルが大活躍するようにしたいです。

一桁話数の時に合ったはずなんですがね、エルトヴァエルさん回。




次回。

仕事を終えたエルトヴァエルさんが、帰りがてら買う物を相談する為に水彦と合流。

必要なものをリストアップします。


その後は、土彦のターン。

マッドアイネットワークを張り巡らせます。

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