二十五話 「さて、手早く済ませますか」
その爬虫類のシルエットは、トカゲというよりもむしろ類人猿のようだった。
ゴリラとでも言えば分かり易いだろう。
太く地面にまで達する、手と呼んで差し支えないような発達をした前足。
短くはあるものの、大木の様に太く、発達した後ろ足。
尻尾は退化しているようで、臀部はつるりと丸くなっている。
両拳を地面につけてナックルウォーキングをするその姿は、まさにゴリラのようだった。
時折二足歩行まで交えて歩くそれが、何故ドラゴンといえるのか。
それは、哺乳類ではありえない強固な鱗と、その面構えによるところが大きい。
全身をくまなく覆う、緑色の鱗。
凶悪な肉食恐竜のような、発達した顎。
それらの特徴に加え、背中に生えた大きな、よくコウモリのようなと表現される、皮膜の張った翼。
全長10mにも届こうかというその巨躯を揺らして進むその姿は、まさに王者ドラゴンの名にふさわしいものだった。
このドラゴンの名は、「コルテセッカ」。
廃れた言葉で、「鱗の有る腕」という意味だという。
その言葉を話すものはいなくなったが、その名前だけは残っていた。
それだけ、このドラゴンが昔から有名だったということだ。
ドラゴン種が有名になる理由は、主にその戦闘力に由来することが大きい。
このコルテセッカもその例に漏れなかった。
ワイバーンの首をもたやすくもぎ取る腕力。
巨大な岩をたやすく消し飛ばすブレス。
バリスタの直撃を弾き返す強固な鱗。
そして、とある国の一個中隊を壊滅させたという実際の記録。
大きさだけであれば、30mを超えるドラゴン種はいくつか存在している。
だが、それらよりも遥かに、このコルテセッカは恐れられていた。
恐れられるだけの実力がたしかに備わった、恐ろしいドラゴンなのだ。
「どらごんじゃなくて、ごりらとかげだな」
鱗腕の皇帝とも呼ばれるドラゴンに対して恐ろしく失礼なことを言いながら、水彦は目の前を歩くコルテセッカを眺めていた。
彼我の距離は恐らく40m程度だろう。
街道を横切るその姿は、まさに大自然の驚異そのものだ。
山沿いから抜けたあたりに差し掛かったとき、水彦はこのドラゴンを見つけたのだった。
左右を平地の林に挟まれたここは、どうやらコルテセッカにとってよい餌場になっているらしい。
悠然と歩くその姿に、普通ならば王者の風格を感じたり、畏怖の念を抱くところだろう。
だが、水彦は違ったらしい。
「わがものがおで、あるきくさりやがって。このごりらとかげ」
手近な拳大の石を拾い上げると、大きく振りかぶる。
「ふん」
たいして気合の入っていない気合の声と共に、水彦は石を放り投げた。
放り投げた、と言っても、その勢いは凄まじい。
殆ど地面と平行に飛んでいき、吸い込まれるようにコルテセッカの脇腹に直撃した。
鈍く大きな音が響き、石は砕けてばらばらに飛んでいく。
だが、コルテセッカはまるでダメージを受けた様子がない。
小石でも当たったかのような様子で石の当たった箇所を見ると、水彦のほうへと顔を向けた。
コルテセッカの視線と、水彦の視線がかち合う。
空には、まだ満月が浮かんでいた。
夜明けまではまだ間がある。
水彦は口の端を吊り上げると、担いでいた刀の柄に両手を添える。
「イオリ山の大百足退治ば思い出すのぉ。もっとも、あのころはまだ生身じゃったけれど」
口をついて出たのは、海原と中原の言葉ではなかった。
思わず漏れた日本語に、水彦は露骨に顔をしかめる。
水彦の記憶は日本に生まれ育った赤鞘から与えられたもので、ものを考えるときも大体日本語を使っていた。
だが、水彦はもうその日本語が必要ないことも良く知っていた。
必要になるのは「海原と中原」の言葉であって、日本語が流暢でも何の役にも立たないのだ。
水彦は片手の指をかぎ状に曲げると、くいくいとコルテセッカに向けて動かして見せた。
「かかってこい、このごりらとかげやろう」
その声が聞こえたのだろうか。
コルテセッカは低い、地響きのような唸り声を上げた。
まっすぐに伸びる街道の上で、コルテセッカと水彦は真正面を向いてにらみ合っていた。
体格で大きく水彦を上回るコルテセッカだったが、突然飛び掛っていくようなことはなかった。
野生動物は怪我をすることを嫌う。
刀を持っている水彦に、無闇に突撃していくことはない。
このコルテセッカは人間と戦ったことがあり、剣や槍と言った武器のことを知っていた。
いたずらに突っ込めば、痛い思いをすることも。
とはいえ、並や普通の剣ではコルテセッカの鱗を傷つけることも出来ない。
それほどに強靭で強固な体なのだ。
それでも用心に越したことはない。
野生動物にとっては、ちょっとした怪我や傷が命取りになることもある。
どんな獲物相手にも慎重に行動しなければならないのだ。
コルテセッカは、小さい相手だからと、水彦を弱い獲物とは見ていなかった。
ドラゴンとしての高い能力は、水彦の中にうごめく力の塊を感知していたのだ。
手ごわい相手であるだろう。
そう思いながらも、コルテセッカはこの獲物を捨て置こうとは思わなかった。
手強く、一歩間違えば自分が食らわれるかもしれないと思いながらも、ある確信にも似た予感がここを立ち去るという選択肢を捨てさせていた。
「この獲物を喰わなければ成らない。喰えば良いことが有る」
コルテセッカは、知能の高いドラゴンではない。
人間よりも優れた知性を持つことも有るドラゴンの中では、底辺と知っていいだろう。
だが、いや、だからこそ強い野生の感覚を持っていた。
その感覚が、水彦を喰えと叫んでいるのだ。
水彦はその全身が神が創り出した奇跡の水で出来ている。
飲めば傷を癒し、大きな力を得ることが出来る。
コルテセッカはそれを野生の嗅覚で捕らえていたのだ。
腕を胸の高さまで持ち上げ、握りこぶしを作るコルテセッカ。
強靭な拳を何度も振り下ろせるこの体勢は、自分よりも背の低い相手を殴るには都合のよい姿勢だ。
豪腕を誇るコルテセッカにとっては、必殺の構えでも有る。
まるで侍がするすり足の様に、コルテセッカは僅かずつ水彦との間合いをつめ始めた。
巨大な体の圧迫感は、尋常ではない。
それが見たこともない化け物であればなおさらだ。
だが、水彦はひるむ様子もなく、にじり寄ってくるコルテセッカを見据えていた。
隆起した筋肉から、力が強いであろうことは容易に想像ができる。
石を弾いたその鱗が、強靭でないはずがない。
恐らくは体や腕を切りつけたところで、たいしたダメージは与えられないだろう。
鱗を切り裂いたとしても、その下は分厚い肉だ。
脂肪だろうが筋肉だろうが、ダメージはやはり期待できない。
ならば、狙うのは一つ。
首を落とす事。
どんな化け物でも、首さえ落とせば殺しきることは出来るはずだ。
首を切って倒せないのであれば、それはもうどこぞの大怨霊。
自分の出番ではなく、死神やらなにやらの仕事だ。
そう、水彦は思っていた。
ならば狙うのは、首一つだけだ。
他のところでダメージを与えようとする必要はない。
コルテセッカは巨体ではあるが、人のような形である故か、首はそれほど太くない。
刀でも十二分に致命傷を与えられそうな太さをしていた。
もっとも、其処を斬りつけることが出来ればだが。
じりじりと間合いをつめていたコルテセッカは、大きな鳴き声を上げて一気に水彦に襲い掛かった。
振り下ろされた拳は、的確に水彦のいる場所をとられている。
勿論、そのまま叩き潰される水彦ではない。
拳が振り下ろされるより早く、地面を蹴ってコルテセッカの足元へと滑り込む。
体を低くして飛び込めば、突撃の勢いで浮いている体の下にもぐりこむことが出来る。
元々そうするつもりであった為か、水彦はすぐに攻撃へと転じた。
地面にこぶしを打ちつけた瞬間、手にしていた刀を足元から斜め上へと振り上げる。
狙いは、コルテセッカの脛だ。
ぎりぎりで拳を交わし、飛び込みながら切りつける。
大きなモノと戦う基本のような動きではあるが、間合いを見切るのは並大抵の事ではできない。
突っ込んでくるトラックを目の前で避けるほうが、まだ簡単だろう。
振るわれた刀は、狙い違わずコルテセッカの脛へと直撃した。
だが。
その刃は鱗に弾き返され、甲高い金属音のようなものを鳴らすだけに留まった。
「ちっ!」
表情を歪め、舌打ちをひとつ。
もう一度斬りつけたいところだったが、立ち止まってもいられない。
たたきつけた拳が避けられたコルテセッカは、すぐさま残る拳を地面すれすれに振りぬいた。
丁度裏拳のような形になるそれを、水彦は地面に体を投げ出すように跳躍してかわす。
コルテセッカの拳は、まるで大木を振りぬいたかのような轟音を上げて宙を切る。
実際、腕の太さは丸太とさして変わらない。
地面を何度か転がりながら、水彦はなんとか手を地面に着いて体勢を立て直した。
だが、その頃にはコルテセッカは次の攻撃へと移ってる。
巨体に見合わぬ動きの早さに、水彦は驚きを隠せない。
狙いを定めるのが面倒になったのか、コルテセッカは両拳を地面に向けて振り下ろした。
肩の高さから落とされた拳だったが、その威力はまさに岩をも砕く。
先ほどよりも避けやすいと睨んだ水彦は、横に跳躍して再び懐に飛び込もうと考えた。
しかし、そう上手くは行かなかった。
地面を叩いたコルテセッカの拳が、まるで隕石の様に周りの土を跳ね上げたのだ。
軽い爆発のような土と小石に殴られ、水彦は軽々と地面に転がされた。
この状態では、足が使えない。
足が使えなければ、当然攻撃は避けられない。
まずい。
水彦の頭の中に、そんな単語が浮かぶ。
振り下ろした直後の腕を、コルテセッカは強引に横へ振りぬいた。
拳に伝わった手ごたえは、確かに肉を叩いたものだ。
視線を向ければ、ちょろちょろと逃げ回っていた相手が跳んでいくのがたしかに見えた。
下手をしたら肉が四散してしまいそうな打撃だったが、それぐらいしなければこの相手は倒せないとコルテセッカは直感的で分かっていた。
数十m吹き飛んだ水彦にさらに追い討ちをかけるべく、大きく口を開け、息を吸い込む。
普段とは違う甲高い鳴き声を上げると、口の前の部分に力の塊が作られるのがわかった。
コルテセッカは意識をその塊へと向け、鳴き声をどんどんと大きくしていく。
それに釣られるように力の塊は大きくなっていき、コルテセッカの頭と同じサイズへと膨れ上がった。
青白い光を放つそれに、一際大きな鳴き声を叩き込む。
刹那、まるで弾かれたように、力の塊が水彦に向かって飛んだ。
地面に倒れ、立ち上がろうとする水彦に、力の塊、コルテセッカの「ブレス」が直撃する。
詰め込まれたエネルギーは水彦にあたり、一気に開放された。
膨大な熱量をはらんだ爆風は周囲の木々や土をなぎ払い、文字通り大爆発を起こす。
夜の静寂を切り裂く爆音が、林の中へと響き渡った。
全身を引き裂かれるような爆風の中で、水彦は考えていた。
このまま遣り合っても、勝てるは勝てるだろう。
相手の体を切り裂けなかったのは、まだ水彦が今の体になれていないからだ。
実際、刀を振るう瞬間、妙な違和感がある。
まるでまだ剣客だった父親の指導の下、木刀を振るっていたときのような感覚だ。
もっともそれも、赤鞘の記憶なのだが。
もう少しこのごりらとかげと斬り合えば、感覚はつかめる。
戦いの中で成長、というよりも、感覚が戻ってくるだろう。
そう、水彦は確信していて、実際それは事実だった。
だが、それでは時間がかかりすぎる。
このごりらとかげは、なるほどドラゴンの名にふさわしくとても強い。
勝てるは勝てるが、このままではあの村にまで被害が及ぶかもしれない。
それは本末転倒だ。
自分はこんな爆風や打撃では倒されはしないが、周りの人間はそうではない。
体を慣らすのに丁度いいかと思ったが、どうやら相手と時と場所が悪かった。
水彦は内心歯噛みをしながら、とりたくなかった手段に出ることにした。
「おい、あかさや」
心の中で、自分を創った神に声をかける。
返事は、すぐに返ってきた。
「はい?」
「かわれ」
「はいはい」
たったそれだけの会話で、用は足りた。
癪に障るが、まあ、これは今はいい選択だろう。
自分の記憶の元になり、今しがたまで自分と同じものを見聞きしていたのだ。
それに、動かすのは赤鞘でも、体は水彦のものなのだし。
その辺で手を打つべきか。
そう、水彦は思っていた。
「やぁれやれ。まあ、怪我はありませんねぇ」
そういいながら、パタパタと体を叩く。
生身、と言っても水の塊なのだが、実態のある体を得たのは久しぶりらしく、赤鞘はこきこきと首を鳴らした。
水彦と赤鞘の感覚は、一部が繋がっている。
そのつながりを一時的に強くすれば、赤鞘は水彦の体を「使う」ことが出来る。
コルテセッカのブレスによって作られたクレーターの中で、赤鞘は自分の体を見回した。
水彦から一時的に借りた体は、赤鞘に合わせたのか、生前の姿をとっていた。
ボロボロの服に、子供が逃げ出すほど鋭い目。
生前の姿と言っても、神になっている現在と同じ姿なのだが。
相手の様子が変わったことに気が付いたのか、コルテセッカは首を傾げている。
どうにも人間くさい動きに、赤鞘は苦笑をもらす。
「まあ、迫力はなくなったと思いますが。勘弁して下さいよ?」
言いながら、赤鞘は持っている刀に目を移す。
眉をしかめながら顔を近付け、ため息を漏らした。
「これじゃ切れませんよ。へこみはするかもしれませんけど。力の流れが荒すぎて棍棒みたいになってるじゃありませんか」
赤鞘は刀に手をかざすと、表面を撫でる様に腕を動かす。
見た目の変化こそないものの、刀がまとう空気のようなものが一瞬で変わる。
「さて、手早く済ませますか」
赤鞘は刀を担ぐように肩に乗せると、軽くジョギングをするような様子でクレーターから抜け出した。
勝負は、あっという間に終わった。
クレーターから抜け出し立ち止まっていた赤鞘に、コルテセッカは勢い良く突撃をかけた。
拳を振り上げ、叩き潰さんと振り下ろす。
頭の先に拳が触れるのではないかというまで動かずに居た赤鞘。
だが、拳が赤鞘に触れることはなかった。
身をよじるようにして斜め前へと飛び出し、拳をかわす。
拳が地面を叩いた爆風も利用して転がる赤鞘の剣は、僅かに赤い筋を引いていた。
拳を紙一重でかわすその瞬間、コルテセッカの小指を切断していたのだ。
地面を叩いた瞬間腕を襲った激痛に、コルテセッカは思わず身を固めた。
まさか指が切断されているとは思わないだろう。
悲鳴にも似た叫びを上げて腕を跳ね上げさせたその瞬間に、今度は足に痛みが襲う。
きびすを返した赤鞘が、コルテセッカの、人間で言うアキレス腱にあたる部分を切断したのだ。
たまらず、横倒しに倒れるコルテセッカ。
身悶え体をよじる巨体は、それだけで凶器になる。
並の人間ならば近付くこともできないだろう。
それでも、動きを見切るものはいるものだ。
赤鞘はするりするり暴れる体と付かず離れずの位置を保ちながら、有る一点に狙いを定めていた。
そう。
首である。
大きく振りかぶり力をためると、赤鞘は刀を振り下ろした。
事切れたコルテセッカの前で、水彦は不満そうに刀の素振りをしていた。
どうしても満足がいく振り方にならないらしく、眉間の皺はどんどん深くなっていく。
「だから、刀も悪いんですって。貴方大雑把なんですから。自分で作ろうとするのがいけないんですよ」
頭の中に響く赤鞘の言葉に、水彦はやはり不満げに鼻を鳴らす。
コルテセッカの血抜きが終わるまでとはじめた素振りは、いつの間にか赤鞘による指導になっていた。
「しかし、これだけのものどうやって運ぶんです?」
コルテセッカの事を言っているのだろう。
言葉だけではあったが、不思議そうな意識を感じるそれに、水彦は当たり前の様に答える。
「もちあげてもっていく」
「へ?」
顔が見えない念話での会話であったが、なんとなくあっけにとられた赤鞘の表情が見えるような言葉だった。
まさかの赤鞘乱入。
予定通りなんですがね。
バケモノとの戦闘より、人間同士の戦闘が好きなので手早く終わらせました。
紙雪斎とかシェルブレンとか超戦わせたい。
神様が動物殺していいの?
とかって話もありますが、そんなに深く考えてません。
特に赤鞘は生粋の神様ではなく、元武芸者な上に現在はつくも神っぽい妖怪ですので。
住民が腹すかせてたら、場合によっては兎とかとって来てくれるかも知れません。
今回は水彦の要請により、水彦の身体を借りて戦いました。
お察しの通り、水彦に体借りなきゃ赤鞘はまともに戦えません。
憑依とかとりつくとかそんな感じです。
今は水彦が自分の体と力を持て余しているので、赤鞘が使ったほうがうまくいくようです。
そのうち水彦のほうがうまくなります。
赤鞘の天下は今だけですね。
さて次回は。
いよいよ捕まっているアグニーさんたちがどんな生活をしているかを描写します。
エルフ達の国でどんな目にあっているのでしょうか。
そして、水彦がごりらとかげを持って街に行きます。
例のきな臭い所ですね。
余裕があれば、アグニー達が土彦にマッドアイを紹介されます。
どんなリアクションを取るのか、乞うご期待。